逃げられるものならお好きにどうぞ。

小花衣いろは

文字の大きさ
上 下
80 / 134
たくさんの知らないこと

5

しおりを挟む


「慎二さんっ! あの、これ……」

 今日は二月十四日。バレンタインデーだ。
 美代が綺麗にラッピングされた箱を手渡す先には――彼女の想い人である皇慎二が立っている。

「……オマエ、料理なんてできたのか」

 僅かに驚いた様子で瞳を瞬かせた慎二に、美代はムッと下唇を突き出す。

「わ、私だって、料理くらい……できますよ」

 もごもごと話す美代の態度を見て何かを察したらしい慎二は、ふっと微笑んだ。

「……そうか。チョコ、ありがとな」

 最後に美代の頭をぽんと一撫でした慎二は、美代に背を向けてその場を立ち去った。

 そして、そんな慎二の脳裏には――自身の部下の一人でもある男と、その恋人である女性の顔が浮かんでいた。彼女とは最近知り合ったばかりだが、美代とも親しい間柄のようだったし、きっと彼女と共に作ったのだろうと、どこか確信めいたものを感じて――手元に視線を落とした慎二は、人知れずに口許を緩めていたのだった。


 ***

「百合子さん」

 にこにこ。私の目の前で満面の笑みを浮かべている黒瀬くんが、無言で手を差し出してくる。

「……はい、どうぞ」
「うん。ありがとう」

 今日はバレンタインデー当日だ。仕事終わりに家に寄ってくれた黒瀬くんに上がってもらって、用意していたものを手渡す。嬉しそうに受け取ってくれた黒瀬くんは、私に了承を取ると早々に紙袋の中を確認して、「あれ」と不思議そうな声を漏らした。

「チョコレートと……他にも何か入ってる?」
「うん。気にいってもらえたらいいんだけど」
「……ピアスだ。これ、百合子さんが選んでくれたの?」

 中から出てきたのは、小ぶりのシルバーのピアス。いつもピアスを付けている黒瀬くんに似合うと思って、悩んで悩んでやっと選んだものだ。

「その、黒瀬くんいつもピアスをつけてるから……選んでみたんだけど」

 ――気にいってもらえただろうか?

 男性のファッションには疎い方だと自覚があるから、正直あまり自身はない。ピアスをじっと見つめている黒瀬くんの反応をドキドキしながら待っていれば、黒瀬くんはラッピングを解いてピアスを取り出した。

「これ、今付けてみてもいいよね?」

 そう言って身に付けていた黒いピアスを取り外した黒瀬くんは、左耳にシルバーのピアスを付けてみせる。

「どう? 似合ってる?」
「……うん。すごく似合ってる」
「ほんと?」

 自身の耳朶を触って嬉しそうに口角を持ち上げる黒瀬くん。だけど、もう一方の右耳にピアスの穴は開けられていない。

「そういえば……黒瀬くんって、どうして片耳にしか開けてないの?」
「あぁ、これはね……本当は両耳に二つずつ開けるつもりだったんだけど、まずは片耳にと思って一気に二つ開けたら、めちゃくちゃ痛くてさ。それで断念しちゃった」
「そうだったんだ。……ふふ、何だか可愛いね」

 黒瀬くんの口から「痛い」だなんて言葉が出てくるのが何だか以外で、可愛いなぁって、思わず笑みを漏らしてしまった。黒瀬くんは「そう?」と首を傾げてから、手を伸ばしてそっと私の耳朶に触れる。

「百合子さんは、開けてないよね」
「うん。興味はあるんだけど……私も痛そうだなって思って、中々開けるまでには至らなくて」
「それじゃあ、いつか開けたいって思ったら教えてよ。俺がやってあげるから」
「えぇ、だって黒瀬くん、自分でやったら痛かったんでしょ? ちょっと怖いんだけど」
「あはは、大丈夫だよ。……多分俺、上手いと思うから」
「本当かなぁ」

 そんな会話をしながら、私が作ったチョコを食べて「美味しい。今まで食べた中で一番美味いよ」と幸せそうな表情を見せてくれた黒瀬くんに、頑張って作ってよかったと、安堵の笑みを漏らした。

 あまりにも幸せな気持ちで満たされていて――だから、黒瀬くんが言った“多分”の言葉の裏に隠された意味には気づかないまま。黒瀬くんに開けてもらうなら、少しくらい痛くても我慢できるかなぁ、なんて。

 本当は黒瀬くんの耳に誰がピアスの穴を開けたのか、そこにどんな思い出があったのか――そんなことまるで知らなかった私は、呑気にもそんなことを考えていたのだ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私の入る余地なんてないことはわかってる。だけど……。

さくしゃ
恋愛
キャロルは知っていた。 許嫁であるリオンと、親友のサンが互いを想い合っていることを。 幼い頃からずっと想ってきたリオン、失いたくない大切な親友であるサン。キャロルは苦悩の末に、リオンへの想いを封じ、身を引くと決めていた——はずだった。 (ああ、もう、) やり過ごせると思ってた。でも、そんなことを言われたら。 (ずるいよ……) リオンはサンのことだけを見ていると思っていた。けれど——違った。 こんな私なんかのことを。 友情と恋情の狭間で揺れ動くキャロル、リオン、サンの想い。 彼らが最後に選ぶ答えとは——? ⚠️好みが非常に分かれる作品となっております。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

私が、良いと言ってくれるので結婚します

あべ鈴峰
恋愛
幼馴染のクリスと比較されて悲しい思いをしていたロアンヌだったが、突然現れたレグール様のプロポーズに 初対面なのに結婚を決意する。 しかし、その事を良く思わないクリスが・・。

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

処理中です...