逃げられるものならお好きにどうぞ。

小花衣いろは

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たくさんの知らないこと

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「百合子さん、いらっしゃい」
「あ、黒瀬くん」
「俺、百合子さんの手作りが良いな」
「……え?」
「バレンタインの話、してたでしょ。俺、百合子さんの手作りがほしい。……だめ?」
「いや、だめじゃないけど……」

 ――でも黒瀬くん、手作りは嫌なんじゃないの?

 そう思ってチラリと隣に座る美代さんに視線を送れば、美代さんは何食わぬ顔でカクテルを飲んでいる。

「……ちょっと美代さん。百合子さんに適当な嘘吐かないでくれる?」
「何よ、嘘なんて教えてないけど? 前は手作り、嫌だって言ってたじゃない」
「それは昔の話だろ。百合子さんの手作りなんて、むしろ食べたいに決まってるじゃん」
「ああ、はいはい。惚気たいなら他所でやってくれる?」

 バチバチと火花を散らす二人は、笑顔のはずなのに、やっぱり目が笑っていない。

「あ、あの。美代さんはチョコレート、作ったりされるんですか?」
「ううん、この人に料理は無理だと思う」

 空気を換えようと質問すれば、美代さんの代わりに黒瀬くんが答える。黒瀬くんの返答に、美代さんは唇をツンと尖らせて、拗ねたような表情になった。

「何よ、私だって、本気を出せばチョコくらい……」

 ――美代さんの反応を見る限り、どうやら黒瀬くんの言うことは事実のようだ。

「美代さん。あの……よければ一緒に作りませんか?」
「え?」
「チョコです。美代さん、皇さんに渡すんですよね?」
「なっ……ま、まぁね。普段お世話になってるし?」

 美代さんは頬を薄っすら赤くしている。……恋する乙女だ。可愛いなぁと微笑んでいれば、美代さんにジロリと睨まれてしまった。

「……しょうがないから、百合子ちゃんと一緒に作ってあげるわ!」
「ふふ、はい。それじゃあ週末、家にきますか?」
「百合子ちゃんの家に? ……いいわよ。それじゃあ材料は私が買っていくわね」
「いいんですか? ……ありがとうございます。それじゃあ何を作るか、ざっくり決めちゃいましょうか」

 美代さんとスマホでレシピを検索して眺めていれば、黙ったままの黒瀬くんが、何故かにこにこと楽しそうに笑っていることに気づく。

「黒瀬くん……何だか楽しそうだね?」
「うん。だって俺のためのチョコレートを考えてくれてるんだよね?」
「それは、まぁ……そうだね」
「楽しみだなぁ」

 黒瀬くんからにこにこと満面の笑みで見つめられてそっと視線を逸らせば、視線の先にいた美代さんが口角を持ち上げて、挑発じみた微笑を浮かべているのが目に映る。

「まぁ、それは慎二さんのためのものでもあるから……椿のためだけじゃないのよ? そこのところ、勘違いしないでよね?」
「……はあ? 百合子さんのチョコは俺だけのものだから」
「そんなの無理よ。百合子ちゃんが一緒に作ってくれなきゃ、私一人で作れるわけないじゃない」
「……やっぱり一緒に作るの止めなよ。百合子さん、一人で作ることにしない?」
「ふっ、残念ね。もう決まったことなの」

 ――また始まった。この二人は本当に、仲が良いのか悪いのかよく分からないな。

 睨み合う二人は放っておくことにした私は、美代さんでも作れそうな、比較的簡単なチョコレート菓子のレシピを片っ端からブクマすることにしたのだった。

 ――美代さんと一緒に、満足のいくものが作れたらという気持ちはもちろん……初めてのバレンタインだし、黒瀬くんに美味しいって喜んでもらえるように、頑張りたいな。

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