逃げられるものならお好きにどうぞ。

小花衣いろは

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あつあつシチューと苺のケーキ

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「俺さ、子どもの頃はずっと施設に住んでたし、誕生日でも我儘とか口にするのって、何となくできなかったんだよね」
「……うん、そっか」
「だからさ、お姉さんが俺の我儘聞いてシチュー作ってくれて……嬉しかった」

 「もう十分。最高の誕生日になったよ」って笑っている黒瀬くんに、私は何だか、胸がぎゅっと苦しくなる。


 ――だって、誕生日のケーキは慌ててコンビニに買いに行ったものだし、食事だって、冷蔵庫にある材料で作っただけのシチューだ。人参もなかったから、具材なんてじゃがいもと玉ねぎと少しのお肉くらいしか入れられなかったし。
 黒瀬くんは、きっとたくさんの女の子からお祝いしてもらえるのだと思っていたから……なんて、ただの勝手な言い訳になってしまうけど。こんなに喜んでもらえるなら、プレゼントだって、きちんと用意しておけたらよかった。

「黒瀬くんは……もっと欲張ってもいいと思うよ。だって、誕生日なんだから」

 ぽろりと口から零れ落ちた言葉は、本心からのものだ。

「うーん、それじゃあ……欲しいものがあるんだけど」
「うん、何?」

 今すぐに用意するのは難しいだろうけど、多少値が張る程度の物なら、奮発してプレゼントしてあげよう。そう思って黒瀬くんからの返答を待てば、飛び出してきた言葉は予想外のもので。

「キスしてもいい?」
「……えーっと、キスって…「だめ?」

 熱で僅かに潤んだ瞳にじっと見つめられて、何故だか悪いことをしているような、良心に訴えられているような気持ちになってしまう。

「……分かった。でも! その、キスは……私から、するから」

 黒瀬くんの返答を待つことなく、言った勢いのままに、黒瀬くんの頬に軽く唇を押し付けた。直ぐに離れれば、唇が触れた頬に手を当てた黒瀬くんが、静かに笑い声を漏らす。

「……っ、ふっ」
「……何で笑ってるんですか」
「いや、俺的にはこっちにしてくれるのを期待してたんだけどね。でもまぁ……お姉さんからしてくれたってだけで嬉しいよ」

 自身の口許を指しながら「ありがと」とお礼を言ってきた黒瀬くんに、私も「……どういたしまして」と返しながら、遅れてやってきた羞恥心で顔が熱くなってきたのを隠したくて、黒瀬くんからそっと顔を背ける。

「……お姉さんってさ、変だよね」
「へ、変?」
「うん。変わってるっていうか」
「……それ、同じ意味だよね」
「だって、今まで出会ってきた女の子とは、何か違うからさ」
「……君が今までどんなお付き合いをしてきたのかは知らないし、別に興味もないけど」
「ははっ、そっか。でも、興味は持ってくれたら嬉しいかな。お姉さんにならどんなことだって、……――まで全部、教えてあげるのに」
「……っ、結構です!」

 顔を近づけてきた黒瀬くんが、私の耳元で全く知りたくもない情報を教えようと囁いてくる。その綺麗な顔をグイっと押しやって、食べかけのショートケーキに乗っていた苺を黒瀬くんの口に突っ込んだ。
 突然のことに驚いたらしい黒瀬くんだったけど、直ぐに目元を緩めながらもぐもぐと苺を咀嚼している。

「……うん、美味しい。こんなに甘い苺、初めて食べたな」

 黒瀬くんが、いつもみたいに楽しそうにクスクスと笑っている。

 ――今日の黒瀬くんと話していると、何だか、調子が狂う。だけどこれは全部、黒瀬くんの体調が悪いからで……普段と違う顔を見て、少し戸惑ってしまっただけだ。

 だから、さっきから心臓がドキドキとうるさく鳴り響いているのだって、今も、頬にじんわりと熱が集まっているように感じるのだって――全部全部、気のせいに決まってる。

 自身の胸にそう言い聞かせながら、皿に残っていた最後の一口のケーキを食べた。――久しぶりに食べたケーキは、どうしてかすごく、甘ったるく感じた。

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