逃げられるものならお好きにどうぞ。

小花衣いろは

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修羅場は御免と寂しい横顔

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 もう隣の存在は気にしないことに決めて、観たいと思っていた映画のチケットを券売機で購入していれば、これまた当然のように私の隣の座席を人差し指でタップして、何故か二枚分のチケット代金を黒瀬くんが支払ってくれる。

「……あの、黒瀬くん。自分の分は自分で払うから。そういえばこの前のランチも、結局お金返してなかったし……」

 取り出した財布から紙幣を何枚か抜き取ろうとすれば、黒瀬くんに手で制される。

「それじゃあお姉さんは飲み物奢ってよ。俺、コーラがいいな。あ、あとポップコーン食べない? 半分こしようよ」
「……まあ、いいけど」

 完全に黒瀬くんのペースに乗せられていることには、私も気づいている。
 だけど抵抗する気力もなければ、持ち前の面倒くさがりの性格も相俟って、最終的には「(まぁいいか)」と大抵の小さなことは流れに身を任せちゃうんだよね。……私のこういう部分って、長所でもあり、短所でもあるんだろうな。

 劇場内の売店でコーラとアイスティーと、黒瀬くんご所望のキャラメルポップコーンを購入し、順番にお手洗いを済ませてから、これから観る映画が上映される三番スクリーンに向かう。
 公開されてからもう一か月以上経っているからか、シアター内は思っていたより混んでいなくて、人はまばらだった。

「お姉さん、ポップコーンは俺が持ってるから。好きに食べてね」

 私の左隣に座った黒瀬くんが、右手にポップコーンを持って声を掛けてくる。

「……黒瀬くんってさ、何で私のこと、“お姉さん”って呼ぶの?」

 何となく気になって聞いてみただけだったけど、黒瀬くんはほんの一瞬、驚いたように僅かに瞠目して――けれど直ぐにいつもの読めない笑顔を浮かべて、小さく首を傾げた。

「うーん、特に意味はないけど……名前で呼んでほしい?」
「いや、別に」
「うわ、即答。……それじゃあ、お姉さんが俺のこと“椿くん(ハート)”って呼んでくれたら、俺も名前で呼ぼうかな」
「いや、謹んで遠慮しておきます」
「残念、振られちゃった」

 クスクス笑う黒瀬くんは、言葉と表情が全く合っていないことに気づいているんだろうか。まあ、当然気づいて言っているんだろう。……黒瀬くんって、本当に意地の悪い性格をしていると思う。さすがに本人に直接悪口を言うつもりはないけれど。

 それからしばらくして、劇場内が暗闇に包まれた。
 ちらりと左隣を見れば、ぼんやりと仄かな明かりに照らされた黒瀬くんの横顔はやっぱり綺麗で、だけど無表情で大画面に映し出された予告を目に映すその表情は、どうしてか分からないけれど――どことなく、寂しそうに見えた。

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