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泥酔、乱暴。そして逃亡。
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しおりを挟む「……殴られると思った?」
甘い声で、囁くようにして言う男の子は、読めない笑みを浮かべながらそのまま顔を近づけてくる。
「……何してるんですか」
「何って……キス?」
咄嗟に掌を顔の前に出せば、ふにゃりと男の子の唇が触れた。柔らかな感触。そのまま手を引こうとすれば、反対に手首を掴まれてしまい――。
「ひっ……」
――こ、この子、今、私の手を舐めた……!
ゾワリとした感覚。男の子の手を払って引っ込めた手と一緒に、身体ごと一歩後ろに下がった。
私の反応に愉しそうに笑いながら、男の子はまた顔を近づけてくる。
「俺、お姉さんのこと、気にいっちゃったみたい」
「っ、……私の、どこがいいんですか? それにホテルで、私には欲情しないとか言ってましたよね」
「そんなこと言ったっけ?」
「言いました!」
「ん~、まぁ正直、俺のタイプではないんだけど……」
――だから、それはこっちの台詞!
喉まで出かかった言葉をぐっと押し込める。さっきの衝撃的なパンチを見た後で堂々と悪態を吐くのは、さすがの私も躊躇してしまう。
「さっきの泣き顔。あれ、久し振りにゾクゾクしちゃったな」
――泣き顔……自分では気づかなかったけど、路地裏に連れ込まれた恐怖で、無意識のうちに涙を流していたらしい。その顔を見て、気に入られたってことだよね? だとしたら……。
「きっも……」
男の子を刺激しないように言葉は選ばなければと思った矢先だけれど、今の発言は気持ち悪すぎる。思わず口をついて出た言葉に、男の子はまた、愉しそうに笑う。
「あはは。女の子にそんなこと言われたの、初めてかも」
――多分今の私は、頭がおかしい奴を見る目をしているに違いない。……この子はやばい。頭のネジがいかれてるタイプの人間だ。とにかく、この場から一刻も早く離れよう。
此処から逃げる算段を必死に考えながら少しずつ後退っていれば、男の子が一歩二歩と開いた距離を詰めてきた。
身を屈めて、私の目線に顔を合わせる。その瞳は変わらず気怠そうで、だけどその口許だけは、やっぱり綺麗な弧を描いている。
「それにさぁ……やっぱりお姉さんって、実は男経験ゼロでしょ」
「……急に何なんですか。……経験くらい、ありますし」
ドキリと、胸が小さく軋んだ。だけどそれには気づかない振りをして、ピシャリと否定の言葉を返す。
「見れば分かるよ。わざと強がった態度をとってるみたいだけど、全部虚勢にしか見えないし」
「っ、……放っておいてください! 私、もう本当に帰りますから!」
勢いよく言い放って、いつの間にか男の子が持っていた私のバッグを、引っ手繰るようにして奪った。
また揶揄いの言葉をぶつけられるかもしれない。そう思ったけど、予想に反して男の子は薄い笑みを浮かべるだけで、口を開く様子もなければ私を追いかけてくる気配もない。
「またね、お姉さん」
「……」
――私としては、二度と会わずに済むことを祈りたいけど。
背を向けたまま、カツカツとヒールの音を響かせて駅までの道を歩く。狭い路地裏を抜けてからそっと後ろを振り返ってみれば――もう、あの男の子の姿は見えなくなっていた。
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