月並みニジゲン

urada shuro

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第一章

素敵な出会い(1)

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光釘みつくぎ高校の制服は、同情と怒りを含んでいる。

 真新しいブレザーに袖を通し、鈍条崎にびじょうさきルチカはそう思った。

 ブレザーとズボンが紺、ネクタイが赤と紺と白の縞模様。
 それが光釘高校の制服だ。

 ルチカにとって、紺は同情の色であり、赤は怒りの色である。

 そして、白は……未知の色だ。存在するのかどうかすら、わからない。

 それはともかく、この制服はなんとなく僕に似合っていない気がするなあ。
 ルチカは玄関にある姿見で自分を眺め、どことなく気恥ずかしい思いで家を出た。

 今日は光釘高校の入学式が行われる日である。
 高校では、僕にも素敵な出会いがあるといいな。
 そんな月並みなセリフを頭に浮かべ、自転車でバス停へと急ぐ。
 道路沿いに植えられた桜の木はすでに花を散らし、青葉が繁っている。駐輪所に自転車を止め、肩にカバンをかけると、ルチカは目と鼻のさきにあるバス停へと向かった。

 ふと、会話らしきものが聞こえてくる。

「……って、……が、……って、言ってたしぃっ……」
「だからそれはさあ、謝ったじゃん」

 声の主は、バス停にいる少年と少女だ。少女はルチカに背を向けるようにして、バス停に設置された簡素なプラスチック製のイスに座っており、少年はその傍らに立っている。
 なにやら立て込んでいるようで、背後から近づくルチカの存在には、ふたりともまだ気がついていない。

 一方、ルチカは気がついた。
 少年が、自分と同じ紺色のブレザーを着ている。つまり、光釘高校の制服だ。よくよく少年の顔を見てみると、ルチカがつい先月まで通っていた中学校での同級生、米谷よねや朋樹ともきだった。

 ルチカと米谷は、出身の小、中学校が同じである。だからといって仲がいいわけではなく、顔見知り程度の存在だ。九年間同じ学び舎で同級生として過ごしてきたふたりだが、同じクラスになったことはあれど接点を持たず、これまでたいした会話を交わしたことすらない。高校受験の際も、米谷は推薦入試、ルチカは一般入試だったので、行動を共にする機会はなかった。

「ともくんはわたしのこと、なんにもわかってない!」

 突然、少女の絶叫が響く。
 ルチカの身体はびくりと跳ね、思わず歩みが止まる。
 うつむく少女から視線をはずし、米谷は、はあ、と、大げさなため息を吐き捨てた。

 それっきり、沈黙する。
 バス停に漂う気まずい雰囲気に取り込まれ、無関係のルチカまで重苦しい気持ちになってきた。

 米谷は今後三年間、通う高校が同じだ。いままで特に親交はなかったが、このさき、もしかしたら、ひょっとして、自分の友人になってくれる可能性はなくはない。
 そのひとが、目の前で困っている。
 僕に、なにかできることはないだろうか。
 ルチカは腕を組んで考え込む。

「なんで泣くの? わっかんねーよ。なんなんだよ、もう」

 米谷の言葉に、はっとひらめく。

 少女の泣いている理由が知りたい。でも、少女は黙っている。だから米谷くんは困っていたんだ。
 僕ならきっと、少女の気持ちがわかる。
 わかったのち、そっと米谷くんに伝えれば、事態は好転するのではないだろうか。
 そうなれば、もしかして僕と米谷くんが仲良くなるきっかけにもなるかもしれない。
 そんな気持ちが沸きあがり、ルチカはさっそうとふたりに近づいた。

「あ、あの、ちょっとこっち見てもらえませんか?」

 ルチカの声に、米谷と少女は目を丸くして、素早く振り返った。

「あ?! ……んだよ、ニジゲンかよ」

 米谷は眉をひそめ、心底うっとうしそうに舌打ちをした。

 米谷の言った「ニジゲン」とは、鈍条崎ルチカのあだ名である。これは彼が小学生時代につけられたもので、小、中学の同級生からは、ルチカはニジゲンと呼ばれているのだ。

 ルチカは一歩ふたりに近づき、少女の顔を見る。うしろ姿ではわからなかったが、少女の正体はルチカ、そして米谷と同じ中学の同級生、佐々ささまりあだった。いまだ絶句中のまりあの左右の頬には、涙の流れたあとが一筋ずつ残っている。

 オレンジ、か。

 確認をして、ルチカは頷いた。
 米谷に近づき、耳打ちをする。

「米谷くん。佐々さんが泣いてる理由は、嘘泣きだよ」
「……は?」

 米谷の顔が、怪訝そうに歪む。

「……ちょっとなんなの?! 嘘泣きってどういうことよ」

 まりあが勢いよく立ちあがった。小声で話したつもりが、三人の距離が近すぎたために聞こえてしまったらしい。
 彼女の瞳は怒りを帯びてつりあがり、涙はすっかり止まっている。
 ルチカは一瞬にして不機嫌を身にまとったまりあのにらみに畏縮しつつ、誤魔化さずに説明をした。

「あ……えっと。僕、涙の色が流している感情ごとにいろんな色に見えるんです。佐々さんの涙はオレンジなので、嘘泣きですよね」
「はあ?! なに言ってんのあんた、頭おかしんじゃない?!」

 頭がおかしい、という言葉に胸をえぐられながらも、説明を続ける。

「なに……って、その、米谷くんが困ってるみたいだったから……」

 米谷に視線を投げると、すでに彼の目はルチカを捕らえ、思い切りにらみつけていた。

「はあ? いや、おまえに関係ねーし! なんなんだよ、相っ変わらずふざけたこと言いやがって」
「ふ、ふざけてなんてないよ。僕、本当に涙の色が見えて……」
「あー、もうなんなの? 意味わかんない! 最悪っ!」

 まりあは髪を振り乱し、荒い足取りで駅のほうへと歩いていく。慌てて、米谷がまりあを追う。

「ちょっ……おい、ちょっと待てって!!」

 そのうしろ姿に、ルチカも慌てて声をかけた。

「よ、米谷くん、ごめん! こんなつもりじゃ」

 米谷は首だけで振り返り、叫ぶ。

「うるせぇ、二度と話しかけてくんじゃねー!!」

 ルチカは遠ざかるふたりを見つめながら、バス停にひとり立ち尽くした。
 米谷くんの役に立ちたかったのに、なんでこんなことになっちゃったんだろ。
 ルチカは不思議そうに後頭部を掻いた。
 自分のやりかたがまずかったから、という自覚はないらしい。

(相っ変わらず、ふざけたこと言いやがって)

 米谷の言葉を思い出し、肩を落とす。
 小学校のときもそうだったけど、米谷くんはやっぱり、僕の話を信じてくれないんだなあ。
 それに、佐々さんには頭がおかしいとまで言われてしまった。
 これまで散々言われ続けてきた言葉とはいえ、やはり、胸に刺さる。
 僕には本当に涙の色が見えるのに、なんで誰も信じてくれないんだろう。
 ルチカは改めて自分の孤独を実感し、悲しくなった。





 光釘高校は、比較的のどかな場所に建つ高校だ。最寄りの駅の周辺にはビルが立ち並んでいるが、通学路には緑も多く、人工物と自然の混在する環境に囲まれている。
 松の木が植えられた正門の前に、今日は「入学式」と書かれた大きな立て看板が設置されていた。看板のふちには、派手なピンク色の紙で作られた花飾りがびっしりとつけられ、新入生の門出を祝っているようだ。
 散ってしまったソメイヨシノの代わりに咲き誇る造花を横目に、正門をくぐる少年少女。

 そんなひとの流れを無視して、ルチカは門の前で立ち止まった。目の前にそびえる校舎を前に、いま一度、期待を膨らませてみる。

 高校では、僕にも素敵な出会いがあるといいな。

 それが、ルチカの願いである。
 友達がほしい。彼女、もしくは彼氏がほしい。
 そんな期待を持つ生徒も少なくないだろう。
 ルチカも同じように、「自分と繋がる新しい誰かに出会いたい」という期待を持っている。

 ただ、ルチカの願う「素敵な出会い」というのは、友情や恋を匂わすふんわりしたものではなく、もう少し具体的なものであった。
 特殊な能力を持って生まれ、能力に捕われる性格に育ったルチカは、「自分を信じてくれる誰か」に出会いたいのだ。
 これまで、他人には誰からも信じてもらえず、散々嘘つき呼ばわりをされてきた。だから彼は、ずっとこの願いを心に抱いてきた。
 友情や愛情を求める前に、まず大前提として、自分の特異体質を信じてくれる相手に出会わなければ、なにも始まらない。
 高校では、僕の話を信じてくれるひととの出会いがあるといいな。

 正確な願いを、きつく目を閉じ、念じるように祈る。
 高校入学というのは、ひとつの節目だ。
 この学校には、千人以上の生徒がいる。
 そのなかの、少しだけでいいです。
 いえ、ひとりでも構いません。
 僕を信じてくれるひとが、誰か、この高校にいますように。
 高校生になっても、ひとりぼっちはさみしいです……。

 す、を心のなかで言い終えたとき、背中に衝撃を受けた。
 振り向くと、少女が立っている。
 どうやら、彼女がルチカにぶつかったらしい。
 少女の足もとには黒い布製のバッグが落ちており、そこから飛び出したと思われるアクリル絵の具が地面に散乱していた。

「……なにぼーっと突っ立ってんの」

 少女は静かなトーンでそうつぶやいた。

「す、すみません」

 ルチカは思わず謝ったが、少女は少女で、前方不注意であったと言える。
 確かにルチカは突っ立っていた。しかし、急に立ち止まったわけではない。けっこうな時間、動かず同じ場所に立っていたのだ。その間、何人ものほかの生徒たちがルチカをさけて校内へ入っていった。ぶつかったのはこの少女ひとりだったのである。

 少女はちらりとルチカを見やると、しゃがんで絵の具を拾いだした。
 ルチカもしゃがもうとしたが、落ちている絵の具は、もうカーマインひとつだけになっている。かがんでそのひとつに手を伸ばす。だが、少女が奪うように絵の具を拾いあげ、素早くバッグに入れてしまった。
 再び立ちあがった少女は、バッグについた砂を丁寧に払っている。
 すらりとした細身の身体。色素の薄い肌。栗色の長い髪。整った顔立ち。吸い込まれそうな大きな目。
 少女から万人が受け取れる外見の特徴は、そんなところだろう。

 ただし、ルチカの目には、もうひとつ。

 彼女の両頬が、白く汚れて見えていた。

 ――白?

 それに気がついた瞬間、ルチカのなかに風が吹いた。彼女の存在以外のすべてが、頭から根こそぎ吹き飛ぶ暴風だった。
 気がつけば、一歩、また一歩と、彼女の間近まで歩みを進めていく。歩いている感覚などない。吸いよせられていく。
 
 少女は大きな目を、さらに大きく見開いた。
 その虹彩は彼女の髪と同じ、柔らかな栗色だ。瞬きをすると影を落とすほど、睫毛が長い。
 彼女は、俗にいう「色白」だ。ペールオレンジに白を混ぜたような、淡いトーンの肌をしている。
 その淡い色の頬が、白い絵の具を薄く、ぐちゃぐちゃに塗ったように汚れている。
 
 どんな色の涙を流したときでも、零れ落ちる涙の水滴を手でごしごしとぬぐったときは、一様にこのようなあとが残ることを、ルチカは知っていた。
 しかし、色白肌の上に、白が乗っているので、色の判別がしにくい。
 
 本当に、これは白い涙のあとだろうか。
 息がかかりそうなくらいに、ふたりの距離が縮まった。
 しかし少女は息もせず、じっと動かない。
 ルチカの右の靴底がアスファルトを擦り、ざり、と音をたてる。欲望のまま、ルチカは少女の頬に手を伸ばす。
 
 少女はようやく、すっと息を吸った。
 ルチカの手に、自分の左手を重ねる。そして素早く身をかえし、腰を入れ、ルチカを思い切り投げ飛ばした。
 飛ばされたルチカは宙を舞い、地面に大の字になる。受け身をとる余裕もなかった。
 なにが起こったのか、現実に頭がついていけずに呆然とする。
 ぼやける目には、自分の傍らで仁王立ちをする少女が映った。

「……触るな!」

 怒号はもちろん聞こえた。視界に彼女らしき人物がいるのもわかる。しかし、ルチカの目は、なにものにも視点があっていなかった。降り注ぐ天からの光が、やたらと眩しく感じるだけだ。

「……なんで泣いたんですか?」

 いまだにやや呆然としているルチカの口から、言葉が漏れる。
 少女のあごが、わずかにあがった。

「……は?」
「だって、ほっぺに涙のあとが」

 やはり、彼女の頬に残るそれは、涙のあとだ。間近で見ると、白い色のほかに、わずかにきらめきが見て取れた。これも、涙のあとの特徴のひとつだ。
 少女は顔をしかめる。肩にかけたふたつのバッグのうち、茶色い皮製のバッグから鏡を取り出すと、自分の顔をまじまじと見た。息を吐いたあと、鏡をバッグに戻し、腕を組んで再びルチカを見おろす。

「……ないけど」

 ルチカはからだを起こし、片膝を立て、地面に座った。改めて、彼女を見あげる。

「あの、僕、涙の色が見えるんです。どんな感情で涙を流しているかによって、いろんな色に見えるんです。だけど、白い涙のあとって、はじめて見ました。なんで泣いてたんですか? 教えてください!」
「……涙の、色……?」

 少女は奥歯を噛み、思い切りルチカをにらみつける。
 どこからどう見ても、不快そうな表情だ。彼女が不機嫌なことは、ルチカにも認識できた。
 しかしいまの彼には、少女の明らかな感情表現も無視することができる。なぜなら、彼が涙の色に捕われる厄介な性格だからである。涙の色に関することにおいて、気になることができると、いてもたってもいられない。

 姿勢を正し、正座をすると、ルチカは熱弁を始めた。

「怒ってるときは赤い涙、さみしいときは青い涙、悲しいときは紫の涙、嬉しいときは黄金色の涙、痛いときは緑色の涙、同情は紺色の涙、それから、おなかがすいてる時はたぶん黄緑の涙、ほかにもいろいろ……とにかく僕、これまでいろんな色の涙を見たことがあるんです。自分のだったり、他人のだったり、たくさん見て、ノートにもまとめて、でも、白なんて知らない、見たことないです。一体、あなたはどうしたんですか?」

 息継ぎもせず、一気にまくしたてる。
 興奮して舞いあがり、言葉がまとまっていないが、本人は真剣だ。
 しかし、少女からの返答はない。

「あの、嘘じゃないんです。僕、本当に涙の色が見えるんです!」

 彼女の胸に響くように、もう一度力強く断言した。
 少女は目を細め、ひとつ、大きく息を吐く。そして腰をかがめ、ルチカの顔に自分の顔を鼻先がくっつきそうなほど近づけた。彼女の髪の毛先が、ルチカの頬をくすぐるようにかすめる。その柔らかな感触とは裏腹に、ルチカを見おろす彼女の眼光は鋭い。
 スッ、と息を吸う音が聞こえた。

「……あっそう!!」

 言葉と一緒に勢いよく吐き出されたミントの香が、ルチカの顔にかかる。
 彼女の叫ぶような大声はあたりに響き渡り、登校してくる生徒たちにざわめきをもたらす。みんな、遠巻きにふたりを見つめている。

 少女は姿勢を整えると、栗色の髪をなびかせて、くるりと身体を反転させた。そして、なにごともなかったかのように、大股歩きで校舎のほうへと歩いていってしまった。
 ルチカは地べたに正座したまま、彼女のうしろ姿を見つめることしかできない。立ちあがることも、彼女のあとを追うこともできなかった。

 なにもかもがままならなくなるほど、とても重大なことが、いま、ルチカの身には起こっているのだ。

 ――「……あっそう!!」

 確かに、彼女はそう言った。
「嘘つけ」でも、「頭おかしいんじゃない?」でもなく、「あっそう」。
 丁寧に言いかえると、「ああ、そうなのですね」ということだ。ルチカはそう解釈した。

 あっそう。
 ああ、そう。
 ああ、そうなのね。

 つまり、それは肯定の言葉。

 からだが、ふるえる。

 涙の色が見える、という話を否定しなかった他人は、彼女がはじめてだ。
 彼女は、僕を信じてくれたということだ。

 僕の願いが叶ったんだ!!

 祝福の鐘の音と、彼女の「……あっそう!!」が体中に鳴り響く。
 ルチカは、言葉の響きを噛みしめるように目を閉じた。
 記憶のなかの彼女の声色が、体中に染みわたっていく。

「どうした? 大丈夫か?」

 地面に座ったまま動かないルチカに、スーツ姿の男性教師が声をかけてきた。ルチカはようやく我に返ると、立ちあがり、校舎へと走り出す。

「お、おい! そっちじゃないぞ、入学式は体育館……」

 教師の声など、耳に入ってはこない。
 彼女に、会いたい。
 その一心で、いまのルチカは息をしている。

 白い涙のあとがある彼女。
 僕の知らない色を持つ彼女。
 僕を信じてくれたはじめての他人ひと

 考えれば考えるほど胸が高鳴り、彼女に惹かれていく。
 彼女の名前も、何年何組かもわからないが、きっと美術部所属だろう。授業のない入学式の日に、画材を持っていた。
 すれ違った上級生らしき生徒に、美術部の場所を聞く。東校舎二階の突き当りだと教えられた。そこをにいるであろう彼女に向かって、ルチカは廊下を進んだ。
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