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第二章
休息
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潮の匂いがする小路をリディアルは行く。
ひとつに結わえた肩よりも長い髪が歩調に合わせてゆらゆらと揺れていた。
「こんにちは、ディアちゃん」
「こんにちは、ロドリーおばさん」
「海かい?」
「はい」
気をつけて、と手を振るロドリーおばさんにリディアルも手を振り返した。
アクセラに来てもう季節は四回程巡った。
各地を転々としながら最終的に落ち着いたのは王都からも、祖国からも遠く離れた海辺の小さな村だ。
ハインリック子爵が治める小さな領地の端の方、漁業を生業にしているポルカという町から一番遠い村。
潮と魚とピィーと高く鳴きながら飛ぶ鳥たち、村の人達はおおらかで皆褐色の肌をしていた。
「ハールー!!」
腹の底から大きな声を出すのは気持ちがいい。
自分の声が青空に溶けて愛しい人の元へと届く。
漁船というには頼りない大きなボートといった体の船からハルが降りてくる。
ハルの黒髪は容赦なく照りつける海の日差しで茶色に焼け、リディアルの鈍色の髪は潮風に晒され続けすっかり白くなってしまった。
白く陶器のようだった肌は日に焼けて小麦色になった。
「ディア!」
ざくざくと砂を鳴らしながら大股で笑顔を浮かべてハルはやってくる。
「昼食を持ってきました。さて、今日はなんでしょう?」
「んー、焦げてないならなんでも」
「もっ、もう焦がしたりなんてしてない!」
あははと白い歯を零すハルが眩しい。
砂浜に直に座るなんてこれまでなら考えられないことだった。
思い切り声をあげて笑うことも、大きく口を開けて食べ物を頬張るのも、日に焼けることも、なにもかもが未知でなにもかもが喜びに溢れている。
「ディアちゃん、魚持って帰んな」
「ダヴィドさん、いつもありがとうございます!」
ニッカリ笑うのはハルを雇ってくれている漁師の親父さんで、ふらりとこの村に流れてきた二人を迎えてくれた人だ。
売り物にならない小さな魚や、網で傷ついた魚をくれる。
「お前らは今度の祭り行くのか?」
「祭り?」
「知らねぇのか?」
リディアルとハルは顔を見合わせてから同じように小さく首を振った。
ダヴィドが言うには毎年この時期に領主街で祭りが行なわれるという。
海の恵みと山の恵みをくださる神様に御礼を伝える祭りで、言わば豊穣祭だ。
領主街では山の女神ファリスに、海に近い近隣の街では海の女神フィーテルに祈りを捧げるのだという。
「ここいらじゃその日はみんな仕事を休むんだ。だから、お前らも行ってくりゃいい」
じゃあな、と傷だらけで大きな手を振ってダヴィドは去っていく。
「ハル、お祭りだって」
「行きたい?」
「んー・・・」
リディアルはこてりとハルの肩に頭を乗せて、ほぅと息を吐く。
ざざんざざんと波は寄せては返していき、その向こうの地平線はいつも灰色だ。
どんなに晴天に恵まれても地平線だけは暗く灰色で見る者を不安にさせる。
「行こうか」
「いいの?」
ぽんぽんと頭に乗る手は皮膚が硬くなっていて、傷も増えた。
それだけ時間が経ったということ、本来ならば命を落としていた。
それを乗り越えた夢見た未来で生きている。
いいよ、とくしゃりと崩した顔が愛しいと思う。
海を出て石畳の小路を手を繋いで歩く、潮風に晒されるからと石でできた家が連なる町を抜けてほんの先にリディアル達の家がある。
ぽつんと離れたその場所は、ダヴィドが用意してくれた家だ。
「この腹に早く子が宿ればいいのに」
「まぁ、女のそれより孕みにくいと言うから・・・」
硬くごわついた髪をゆっくりと愛でるように梳くハルを見上げてリディアルは言う。
いっそう逞しくなったハルの体は日がな熱にあてられてるせいかじんわりと温かい。
ギシギシと鳴るベッドにも随分と慣れた。
情欲の籠った瞳に見つめられながら浮かされたようにハルの名を呼ぶ。
誰にも見せたくないところ、誰も触れたことのないところ、許せるのはハルだけでハルしかいらない。
「ディア、気持ちいい?」
「ん、生きてる感じする」
「俺も・・・」
荒く浅い呼吸と息が詰まるような衝動を繰り返し、互いの肌に痕を残す。
互いの名を呼びあって、死ぬなら今がいいといつも思う。
祭りの日は快晴で村からポルカの町まで幌馬車に乗っていく。
お食べ、とロドリーおばさんにもらった飴玉を舐め終わる頃にはポルカの町に着いた。
「歩いて帰れないこともねぇが、帰りも馬車で帰りたかったらここに夕方来な」
そう言うとダヴィドは女神を祀る祭壇に行ってしまった。
町はどこから湧いて出たんだという人混みで、久しぶりの人の波に酔いそうだ。
それでもハルと手を繋いで堂々と歩くのは楽しくて、あちこちに出ている屋台を冷やかすのも面白い。
終始はしゃぎ回るリディアルとそれを見守るハルはあまりにも穏やかな日常が続きすぎて油断していた。
ひとつに結わえた肩よりも長い髪が歩調に合わせてゆらゆらと揺れていた。
「こんにちは、ディアちゃん」
「こんにちは、ロドリーおばさん」
「海かい?」
「はい」
気をつけて、と手を振るロドリーおばさんにリディアルも手を振り返した。
アクセラに来てもう季節は四回程巡った。
各地を転々としながら最終的に落ち着いたのは王都からも、祖国からも遠く離れた海辺の小さな村だ。
ハインリック子爵が治める小さな領地の端の方、漁業を生業にしているポルカという町から一番遠い村。
潮と魚とピィーと高く鳴きながら飛ぶ鳥たち、村の人達はおおらかで皆褐色の肌をしていた。
「ハールー!!」
腹の底から大きな声を出すのは気持ちがいい。
自分の声が青空に溶けて愛しい人の元へと届く。
漁船というには頼りない大きなボートといった体の船からハルが降りてくる。
ハルの黒髪は容赦なく照りつける海の日差しで茶色に焼け、リディアルの鈍色の髪は潮風に晒され続けすっかり白くなってしまった。
白く陶器のようだった肌は日に焼けて小麦色になった。
「ディア!」
ざくざくと砂を鳴らしながら大股で笑顔を浮かべてハルはやってくる。
「昼食を持ってきました。さて、今日はなんでしょう?」
「んー、焦げてないならなんでも」
「もっ、もう焦がしたりなんてしてない!」
あははと白い歯を零すハルが眩しい。
砂浜に直に座るなんてこれまでなら考えられないことだった。
思い切り声をあげて笑うことも、大きく口を開けて食べ物を頬張るのも、日に焼けることも、なにもかもが未知でなにもかもが喜びに溢れている。
「ディアちゃん、魚持って帰んな」
「ダヴィドさん、いつもありがとうございます!」
ニッカリ笑うのはハルを雇ってくれている漁師の親父さんで、ふらりとこの村に流れてきた二人を迎えてくれた人だ。
売り物にならない小さな魚や、網で傷ついた魚をくれる。
「お前らは今度の祭り行くのか?」
「祭り?」
「知らねぇのか?」
リディアルとハルは顔を見合わせてから同じように小さく首を振った。
ダヴィドが言うには毎年この時期に領主街で祭りが行なわれるという。
海の恵みと山の恵みをくださる神様に御礼を伝える祭りで、言わば豊穣祭だ。
領主街では山の女神ファリスに、海に近い近隣の街では海の女神フィーテルに祈りを捧げるのだという。
「ここいらじゃその日はみんな仕事を休むんだ。だから、お前らも行ってくりゃいい」
じゃあな、と傷だらけで大きな手を振ってダヴィドは去っていく。
「ハル、お祭りだって」
「行きたい?」
「んー・・・」
リディアルはこてりとハルの肩に頭を乗せて、ほぅと息を吐く。
ざざんざざんと波は寄せては返していき、その向こうの地平線はいつも灰色だ。
どんなに晴天に恵まれても地平線だけは暗く灰色で見る者を不安にさせる。
「行こうか」
「いいの?」
ぽんぽんと頭に乗る手は皮膚が硬くなっていて、傷も増えた。
それだけ時間が経ったということ、本来ならば命を落としていた。
それを乗り越えた夢見た未来で生きている。
いいよ、とくしゃりと崩した顔が愛しいと思う。
海を出て石畳の小路を手を繋いで歩く、潮風に晒されるからと石でできた家が連なる町を抜けてほんの先にリディアル達の家がある。
ぽつんと離れたその場所は、ダヴィドが用意してくれた家だ。
「この腹に早く子が宿ればいいのに」
「まぁ、女のそれより孕みにくいと言うから・・・」
硬くごわついた髪をゆっくりと愛でるように梳くハルを見上げてリディアルは言う。
いっそう逞しくなったハルの体は日がな熱にあてられてるせいかじんわりと温かい。
ギシギシと鳴るベッドにも随分と慣れた。
情欲の籠った瞳に見つめられながら浮かされたようにハルの名を呼ぶ。
誰にも見せたくないところ、誰も触れたことのないところ、許せるのはハルだけでハルしかいらない。
「ディア、気持ちいい?」
「ん、生きてる感じする」
「俺も・・・」
荒く浅い呼吸と息が詰まるような衝動を繰り返し、互いの肌に痕を残す。
互いの名を呼びあって、死ぬなら今がいいといつも思う。
祭りの日は快晴で村からポルカの町まで幌馬車に乗っていく。
お食べ、とロドリーおばさんにもらった飴玉を舐め終わる頃にはポルカの町に着いた。
「歩いて帰れないこともねぇが、帰りも馬車で帰りたかったらここに夕方来な」
そう言うとダヴィドは女神を祀る祭壇に行ってしまった。
町はどこから湧いて出たんだという人混みで、久しぶりの人の波に酔いそうだ。
それでもハルと手を繋いで堂々と歩くのは楽しくて、あちこちに出ている屋台を冷やかすのも面白い。
終始はしゃぎ回るリディアルとそれを見守るハルはあまりにも穏やかな日常が続きすぎて油断していた。
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