22 / 36
第二章
隣国へ
しおりを挟む
視界が歪んで滲んで涙がぽたりと目尻から零れた。
──私たちはみんなリディアルの味方だよ
「・・・ごめんなさい」
粗末な木目の天井、硬いベッド、掛布は薄く肌寒い。
鼻を掠めるのは薄い紅茶の香り、とぽとぽと注ぐ音が聞こえた。
「モーニングティーはいかがかな?」
「ハル・・・」
ハルがベッドに腰掛けるとギィと嫌な音がした。
どうぞと渡されたカップは古ぼけたもので、侯爵家とは天と地の差があり味も然りだった。
「ハル、ありがとう」
「ん、ディアの口には合わないだろうけど・・・真似事だけでもね」
王都を離れて街道を進みながら隣国を目指す、今いるのは小さな町の小さな安宿だ。
たまにこうやって家族の夢を見る、そうすれば必ず目が覚めた時には涙が溢れていて困ってしまう。
「ディア、今ならまだ引き返せるよ」
これを言われるのはもう何度目だろうか、その度にふるふると首を振る。
もう戻れないし、なによりハルの傍を離れたくはない。
なのに、ふと夢を見てしまうのだ。
「ごめんね、ハル」
「謝ってほしいわけじゃない」
髪を梳く指は以前のようにするするとはいかない。
それでもこの指が好きだ、慈しむように細められた目が好きだ。
頬の涙を拭う親指も、重なる唇も、包み込むように抱きしめてくれる腕が好きだ。
「ディア、もう辺境近くにいる。隣国に渡ったらどこかに落ち着こうか」
「今度は足を滑らせないようにしないと」
ふっとお互いの声が漏れて顔を合わせて笑いあった。
前回は気が急いて無理な行軍をした、そして無茶な山越えで滑落したのだ。
一頭の馬に二人で乗って行く、たまに歩いて寄り道もする。
小さな湖や野原の花畑、大きな木の下で午睡を貪ったりもした。
リディアルに追っ手がかかっているかもしれない、だからこそ二人はのんびりと二人旅を装って回り道をしながら旅をした。
鈍色の髪は色粉で黒に、ハルは茶の髪色にして色の入った眼鏡をかけた。
路銀はハルが持ち出したものがそれなりにあるが節約するに越したことはない。
野宿ではハルの外套に収まって眠るのがいい、耳に入る心臓の音が生きていると感じさせてくれる。
平民が着る服にも慣れた、あれこれ合わせなくていいのは楽だ。
ふと襲う郷愁さえなければハルの隣りは心地良い。
ハロッズ辺境伯が治める領都は城から横に高い壁が続いている。
その壁こそが国境であり、この国を護ってきた。
今はもう隣国アクセラとは友好の条約も結び、侵すことも侵されることもない。
今代はハルの母君が嫁してきたが、友好が結ばれた何代も前はこちらの姫君が隣国へ嫁したのだ。
壁にある大門は朝から夕までその門を開き、行商人や街の人々が行き来できるようになっている。
「ハル、通行証もらえる?」
「あぁ、身元さえはっきりしていれば問題ない」
「それって、でも」
今の二人は浮き草のようなものだ、身元を明かすことなんてできない。
ハルはどうするのだろう、こうしている間にも通行証を求める列はじりじりと進んでいくのだ。
「次!」
騎士とも文官ともとれるような大柄な男にハルが胸から一通の書簡を渡す。
「ふむ、王都のデミリオ商会か」
「はい、絹織物について五年ほど勉強させていただきました」
「して、アクセラへは?」
「ルグラン商会へ勉強の成果を持ち帰ります」
なるほど、と男は何枚もの書簡を見定め通行証を渡し、お気を付けてと決まったような言葉で大門へと送り出された。
「・・・ハル?」
「後でね」
ぞろぞろと大門を潜る列に並び通行証を見せ、人波に揉まれるようにリディアルは隣国へと足を踏み入れる。
そのまま馬を引き、人波がばらけたところでハルはにこりと笑って種明かしをしてくれた。
立太子する予定であったハルの頭の中には各領土の知識が詰まっている。
それはもちろんここ辺境伯領でも同じこと、どうすれば安全に隣国へ渡るか。
一度きりの通行証ならばさほど追求はされないことは承知の上で書簡を偽造したという。
「だから今だけディアはトールという名でこの国に入ったんだよ。俺の弟として」
「えっ!?」
「不服かな?」
「弟じゃないのに」
ぷっと頬を膨らませたリディアルにハルは笑って、その手を引いて人気のない路地裏へ連れて行く。
そこでフードを取り去り、額に口付けてから唇を重ねた。
角度を変えながら何度も合わせ、優しく舌を食み上顎をなぞる。
隙間ができないように抱きしめあい、見つめ合った。
「はい、俺のディアになった」
「ハルは?」
「もちろんディアのだよ」
額を合わせてくすくすと笑い合い、お互いの頬を撫でた。
やっとやっとここまで来た。
誰にも手の届かないところ、ここから二人で始める新たな一歩をリディアルは忘れない。
──私たちはみんなリディアルの味方だよ
「・・・ごめんなさい」
粗末な木目の天井、硬いベッド、掛布は薄く肌寒い。
鼻を掠めるのは薄い紅茶の香り、とぽとぽと注ぐ音が聞こえた。
「モーニングティーはいかがかな?」
「ハル・・・」
ハルがベッドに腰掛けるとギィと嫌な音がした。
どうぞと渡されたカップは古ぼけたもので、侯爵家とは天と地の差があり味も然りだった。
「ハル、ありがとう」
「ん、ディアの口には合わないだろうけど・・・真似事だけでもね」
王都を離れて街道を進みながら隣国を目指す、今いるのは小さな町の小さな安宿だ。
たまにこうやって家族の夢を見る、そうすれば必ず目が覚めた時には涙が溢れていて困ってしまう。
「ディア、今ならまだ引き返せるよ」
これを言われるのはもう何度目だろうか、その度にふるふると首を振る。
もう戻れないし、なによりハルの傍を離れたくはない。
なのに、ふと夢を見てしまうのだ。
「ごめんね、ハル」
「謝ってほしいわけじゃない」
髪を梳く指は以前のようにするするとはいかない。
それでもこの指が好きだ、慈しむように細められた目が好きだ。
頬の涙を拭う親指も、重なる唇も、包み込むように抱きしめてくれる腕が好きだ。
「ディア、もう辺境近くにいる。隣国に渡ったらどこかに落ち着こうか」
「今度は足を滑らせないようにしないと」
ふっとお互いの声が漏れて顔を合わせて笑いあった。
前回は気が急いて無理な行軍をした、そして無茶な山越えで滑落したのだ。
一頭の馬に二人で乗って行く、たまに歩いて寄り道もする。
小さな湖や野原の花畑、大きな木の下で午睡を貪ったりもした。
リディアルに追っ手がかかっているかもしれない、だからこそ二人はのんびりと二人旅を装って回り道をしながら旅をした。
鈍色の髪は色粉で黒に、ハルは茶の髪色にして色の入った眼鏡をかけた。
路銀はハルが持ち出したものがそれなりにあるが節約するに越したことはない。
野宿ではハルの外套に収まって眠るのがいい、耳に入る心臓の音が生きていると感じさせてくれる。
平民が着る服にも慣れた、あれこれ合わせなくていいのは楽だ。
ふと襲う郷愁さえなければハルの隣りは心地良い。
ハロッズ辺境伯が治める領都は城から横に高い壁が続いている。
その壁こそが国境であり、この国を護ってきた。
今はもう隣国アクセラとは友好の条約も結び、侵すことも侵されることもない。
今代はハルの母君が嫁してきたが、友好が結ばれた何代も前はこちらの姫君が隣国へ嫁したのだ。
壁にある大門は朝から夕までその門を開き、行商人や街の人々が行き来できるようになっている。
「ハル、通行証もらえる?」
「あぁ、身元さえはっきりしていれば問題ない」
「それって、でも」
今の二人は浮き草のようなものだ、身元を明かすことなんてできない。
ハルはどうするのだろう、こうしている間にも通行証を求める列はじりじりと進んでいくのだ。
「次!」
騎士とも文官ともとれるような大柄な男にハルが胸から一通の書簡を渡す。
「ふむ、王都のデミリオ商会か」
「はい、絹織物について五年ほど勉強させていただきました」
「して、アクセラへは?」
「ルグラン商会へ勉強の成果を持ち帰ります」
なるほど、と男は何枚もの書簡を見定め通行証を渡し、お気を付けてと決まったような言葉で大門へと送り出された。
「・・・ハル?」
「後でね」
ぞろぞろと大門を潜る列に並び通行証を見せ、人波に揉まれるようにリディアルは隣国へと足を踏み入れる。
そのまま馬を引き、人波がばらけたところでハルはにこりと笑って種明かしをしてくれた。
立太子する予定であったハルの頭の中には各領土の知識が詰まっている。
それはもちろんここ辺境伯領でも同じこと、どうすれば安全に隣国へ渡るか。
一度きりの通行証ならばさほど追求はされないことは承知の上で書簡を偽造したという。
「だから今だけディアはトールという名でこの国に入ったんだよ。俺の弟として」
「えっ!?」
「不服かな?」
「弟じゃないのに」
ぷっと頬を膨らませたリディアルにハルは笑って、その手を引いて人気のない路地裏へ連れて行く。
そこでフードを取り去り、額に口付けてから唇を重ねた。
角度を変えながら何度も合わせ、優しく舌を食み上顎をなぞる。
隙間ができないように抱きしめあい、見つめ合った。
「はい、俺のディアになった」
「ハルは?」
「もちろんディアのだよ」
額を合わせてくすくすと笑い合い、お互いの頬を撫でた。
やっとやっとここまで来た。
誰にも手の届かないところ、ここから二人で始める新たな一歩をリディアルは忘れない。
43
お気に入りに追加
574
あなたにおすすめの小説
悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
*
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、自らを反省しました。BLゲームの世界で推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)

買われた悪役令息は攻略対象に異常なくらい愛でられてます
瑳来
BL
元は純日本人の俺は不慮な事故にあい死んでしまった。そんな俺の第2の人生は死ぬ前に姉がやっていた乙女ゲームの悪役令息だった。悪役令息の役割を全うしていた俺はついに天罰がくらい捕らえられて人身売買のオークションに出品されていた。
そこで俺を落札したのは俺を破滅へと追い込んだ王家の第1王子でありゲームの攻略対象だった。
そんな落ちぶれた俺と俺を買った何考えてるかわかんない王子との生活がはじまった。
【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。
桜月夜
BL
前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。
思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

悪役令息、皇子殿下(7歳)に転生する
めろ
BL
皇子殿下(7歳)に転生したっぽいけど、何も分からない。
侍従(8歳)と仲良くするように言われたけど、無表情すぎて何を考えてるのか分からない。
分からないことばかりの中、どうにか日々を過ごしていくうちに
主人公・イリヤはとある事件に巻き込まれて……?
思い出せない前世の死と
戸惑いながらも歩み始めた今世の生の狭間で、
ほんのりシリアスな主従ファンタジーBL開幕!
.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚
HOTランキング入りしました😭🙌
♡もエールもありがとうございます…!!
※第1話からプチ改稿中
(内容ほとんど変わりませんが、
サブタイトルがついている話は改稿済みになります)
大変お待たせしました!連載再開いたします…!

義兄の愛が重すぎて、悪役令息できないのですが…!
ずー子
BL
戦争に負けた貴族の子息であるレイナードは、人質として異国のアドラー家に送り込まれる。彼の使命は内情を探り、敗戦国として奪われたものを取り返すこと。アドラー家が更なる力を付けないように監視を託されたレイナード。まずは好かれようと努力した結果は実を結び、新しい家族から絶大な信頼を得て、特に気難しいと言われている長男ヴィルヘルムからは「右腕」と言われるように。だけど、内心罪悪感が募る日々。正直「もう楽になりたい」と思っているのに。
「安心しろ。結婚なんかしない。僕が一番大切なのはお前だよ」
なんだか義兄の様子がおかしいのですが…?
このままじゃ、スパイも悪役令息も出来そうにないよ!
ファンタジーラブコメBLです。
平日毎日更新を目標に頑張ってます。応援や感想頂けると励みになります♡
【登場人物】
攻→ヴィルヘルム
完璧超人。真面目で自信家。良き跡継ぎ、良き兄、良き息子であろうとし続ける、実直な男だが、興味関心がない相手にはどこまでも無関心で辛辣。当初は異国の使者だと思っていたレイナードを警戒していたが…
受→レイナード
和平交渉の一環で異国のアドラー家に人質として出された。主人公。立ち位置をよく理解しており、計算せずとも人から好かれる。常に兄を立てて陰で支える立場にいる。課せられた使命と現状に悩みつつある上に、義兄の様子もおかしくて、いろんな意味で気苦労の絶えない。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

完結·助けた犬は騎士団長でした
禅
BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。
ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。
しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。
強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ……
※完結まで毎日投稿します

【完結】可愛いあの子は番にされて、もうオレの手は届かない
天田れおぽん
BL
劣性アルファであるオズワルドは、劣性オメガの幼馴染リアンを伴侶に娶りたいと考えていた。
ある日、仕えている王太子から名前も知らないオメガのうなじを噛んだと告白される。
運命の番と王太子の言う相手が落としていったという髪飾りに、オズワルドは見覚えがあった――――
※他サイトにも掲載中
★⌒*+*⌒★ ☆宣伝☆ ★⌒*+*⌒★
「婚約破棄された不遇令嬢ですが、イケオジ辺境伯と幸せになります!」
が、レジーナブックスさまより発売中です。
どうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる