ループ100回目の悪役令息は悪役王子と逃亡します

谷絵 ちぐり

文字の大きさ
上 下
14 / 36

ミシェルの羨望

しおりを挟む
貴族学院、その講義はミシェルにとって苦痛でしかなかった。
この国の歴史も礼儀作法もなにもかもが自分からは遠い所にあった。
はぁと嘆息して盗み見るのは窓際の席で背筋を伸ばしているリディアルだ。
鈍色の髪はどこまでもまっすぐで窓から差し込む光に淡く輝いている。
憂いのある横顔、つんと高い鼻、けぶるような睫毛に縁取られた淡い緑の瞳、完璧で人形のような人。
自分とは正反対のなにもかもを持って産まれた人。


ハワード伯爵領、領主館のお膝元の街でミシェルは産まれた。
領主の妾の子として産まれたが、母は大人しい性質たちだったのでそのまま市井に留まりミシェルを育てた。
その風向きが変わったのはハワード伯爵の奥方が儚くなってからだった。

「王都?」
「そう、お父様に呼ばれているのよ」
「なんで?」
「奥様が亡くなったの」

男爵家の傍系の血筋の母は、その縁で伯爵家で侍女として仕えていた時に父に見初められた。
奥方は華やかな王都を好み、田舎の領地に来ることはなかった。
王都の正妻と領地の妾、冬だけ訪れる父、歪な家族関係だった。

「母さんだけ行けば?」

ミシェルはこの田舎の地が好きだった。
侍女を辞めた母は、街で一番の宿屋で働いていた。
ミシェルもその宿屋の厨房で雑用として働いていて、もうそろそろ包丁を持ってもいいかもしれないと言われていたのだ。
来る日も来る日も野菜の土を落とし、皿を洗い、小型ナイフで芋の皮むきをする日々。

「包丁持てるって言われてるんだ」
「奥様には御子が出来なかったのよ。ミシェル、わかるでしょう?」

ふるふると首を振りながら言う母は涙ぐんでいた。
母だって今更なのだろう。
ずっとずっと市井で暮らしてきた、それが貴族の仲間入りをするという。
上手くやっていける自信なんて欠片もない。
けれど、涙を流す母に逆らうことなんてこともできない。
たったの家族なのだから。
遠く去っていく領主街を御者台からいつまでもミシェルは見つめていた。
亡失の思いで見つめた同じ瞳で、今は憧憬の眼差しをかの人に送っている。

入学式典の朝、キラキラと輝く黄金の髪に見たことのない美しい紫の瞳をもつ人に出会った。
洗練された所作に優しげに微笑まれて思わず息を飲んだ。
無知で間抜けな自分を嘲ることなく接してくれた。
この国の第二王子だと知った時は血の気が引いたが、学院は貴賎なしだからとまたあの優しい笑みを浮かべた。
世の中にこんなにも素敵な人がいるのか、と思った。

「ミシェル、リディアルは私の婚約者だ」
「そうなんですね」

式典が終わったあとの校内見学にリディアルは来なかった。
それにフレデリックが気落ちしていることに、なんと声をかければいいのかわからない。
窓枠がミシミシと音を立てるくらい力の入った手、食い入るように見つめるその先を見てもなんと声をかければいいのかわからない。
どうしてその笑みをフレデリックに見せてやらないのか、婚約者なのにとミシェルは思う。

そして、その理由がわかった。

入学してから儚げな雰囲気だったのが、いよいよ危なげな雰囲気になったリディアルが体調不良を訴えたのだ。
講義室を後にするリディアルの表情は切羽詰まったような、見たことのない顔だった。
救護室へはフレデリックと共に向かったが、そこにリディアルはいなかった。
必死に探しまわるフレデリックを見て、リディアルが羨ましいと思った。
地位も美貌もなにもかもを持って産まれてきて、素敵な人にこんなにも想われている。

「兄上!」

騎士科の演習場というだだっ広い広場のようなところにもリディアルはいなかった。
額に汗してこんなにも一生懸命探し回っているのに、リディアルはフレデリックではない男に抱かれていた。

「・・・自治会長?」

ギュッとシャツを握るリディアルが飛び込んできた。

「兄上、ありがとうございました。この先は私ひとりで大丈夫ですので」

フレデリックの腕に抱かれたリディアルの腕はだらりと垂れた。
皺が寄るまで握られたシャツと力無く投げ捨てられた腕。
あぁそうか、と腑に落ちた。
目を細めてじっと去っていくフレデリックを見る自治会長の瞳には悔しさが滲んでいた。

「あの、自治会長ですよね?」
「・・・君は?」
「あ、ミシェルといいます。ハワード伯爵家の」
「そうか」

目が合った自治会長の瞳はさっきまでの悔しさなど無く、フレデリックによく似た優しい瞳をしていた。

「リディアルさまは・・・」
「あぁ、大丈夫だよ。フレッドがついてるから。君も講義室に戻りなさい」

自治会長はそれだけ言うと第二学舎の方へと行ってしまった。
伸びた背筋がなにを語っているのかまではわからない。

「リディアルさまはずるい」

ぽつりと落ちた言葉は、思いがけずミシェルの心に染み渡った。

いらないならちょうだいよ。
なにもかも持ってるんだ、ひとつくらいなにもない自分にくれたっていいじゃない。

しおりを挟む
感想 50

あなたにおすすめの小説

悪役令息の伴侶(予定)に転生しました

  *  
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、自らを反省しました。BLゲームの世界で推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)

買われた悪役令息は攻略対象に異常なくらい愛でられてます

瑳来
BL
元は純日本人の俺は不慮な事故にあい死んでしまった。そんな俺の第2の人生は死ぬ前に姉がやっていた乙女ゲームの悪役令息だった。悪役令息の役割を全うしていた俺はついに天罰がくらい捕らえられて人身売買のオークションに出品されていた。 そこで俺を落札したのは俺を破滅へと追い込んだ王家の第1王子でありゲームの攻略対象だった。 そんな落ちぶれた俺と俺を買った何考えてるかわかんない王子との生活がはじまった。

【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。

桜月夜
BL
 前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。  思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

悪役令息、皇子殿下(7歳)に転生する

めろ
BL
皇子殿下(7歳)に転生したっぽいけど、何も分からない。 侍従(8歳)と仲良くするように言われたけど、無表情すぎて何を考えてるのか分からない。 分からないことばかりの中、どうにか日々を過ごしていくうちに 主人公・イリヤはとある事件に巻き込まれて……? 思い出せない前世の死と 戸惑いながらも歩み始めた今世の生の狭間で、 ほんのりシリアスな主従ファンタジーBL開幕! .。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ HOTランキング入りしました😭🙌 ♡もエールもありがとうございます…!! ※第1話からプチ改稿中 (内容ほとんど変わりませんが、 サブタイトルがついている話は改稿済みになります) 大変お待たせしました!連載再開いたします…!

義兄の愛が重すぎて、悪役令息できないのですが…!

ずー子
BL
戦争に負けた貴族の子息であるレイナードは、人質として異国のアドラー家に送り込まれる。彼の使命は内情を探り、敗戦国として奪われたものを取り返すこと。アドラー家が更なる力を付けないように監視を託されたレイナード。まずは好かれようと努力した結果は実を結び、新しい家族から絶大な信頼を得て、特に気難しいと言われている長男ヴィルヘルムからは「右腕」と言われるように。だけど、内心罪悪感が募る日々。正直「もう楽になりたい」と思っているのに。 「安心しろ。結婚なんかしない。僕が一番大切なのはお前だよ」 なんだか義兄の様子がおかしいのですが…? このままじゃ、スパイも悪役令息も出来そうにないよ! ファンタジーラブコメBLです。 平日毎日更新を目標に頑張ってます。応援や感想頂けると励みになります♡ 【登場人物】 攻→ヴィルヘルム 完璧超人。真面目で自信家。良き跡継ぎ、良き兄、良き息子であろうとし続ける、実直な男だが、興味関心がない相手にはどこまでも無関心で辛辣。当初は異国の使者だと思っていたレイナードを警戒していたが… 受→レイナード 和平交渉の一環で異国のアドラー家に人質として出された。主人公。立ち位置をよく理解しており、計算せずとも人から好かれる。常に兄を立てて陰で支える立場にいる。課せられた使命と現状に悩みつつある上に、義兄の様子もおかしくて、いろんな意味で気苦労の絶えない。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

【完結】可愛いあの子は番にされて、もうオレの手は届かない

天田れおぽん
BL
劣性アルファであるオズワルドは、劣性オメガの幼馴染リアンを伴侶に娶りたいと考えていた。 ある日、仕えている王太子から名前も知らないオメガのうなじを噛んだと告白される。 運命の番と王太子の言う相手が落としていったという髪飾りに、オズワルドは見覚えがあった―――― ※他サイトにも掲載中 ★⌒*+*⌒★ ☆宣伝☆ ★⌒*+*⌒★  「婚約破棄された不遇令嬢ですが、イケオジ辺境伯と幸せになります!」  が、レジーナブックスさまより発売中です。  どうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m

処理中です...