ループ100回目の悪役令息は悪役王子と逃亡します

谷絵 ちぐり

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爪をたてる

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リディアルが目を覚ました時、寝台の側には両親と兄の二人、トーニャと家令がいた。

「・・・どうしたの?みんな」
「リディ!どうしたもこうしたも心配したんだぞ!」

声を上げたのは次兄のマルセルで騎士隊服のままだ。
普段の次兄は騎士団の隊舎で暮らしている。
なんでいるんだろう?リディアルは枕に頭をつけたまま目線だけで寝台を覗く家族の顔をひとつひとつ確かめていった。

「リディ?学院で倒れたんだよ、覚えてるかい?」
「・・・あ、そうだ。僕・・・」

殿下に抱きかかえられた馬車内のことが思い出されて、またしても気持ち悪くなった。
ぐうと押し上げるものを抑えるのに慌てて両手で口を塞ぐ。
気持ちと体がバラバラで落ち着かない。

「リディ、大丈夫?」
「はい、お母様」

頭をそっと撫でてくれる手が優しくて泣きたくなる。

「リディ、なにか悩みでもあるのかい?」
「学院での講義が辛い?」
「リディは頑張りすぎなんだ。そうだ、今度俺の非番の日に街に出かけよう」
「医師が眠りが浅いと言っていたよ?」
「リディ、なにかあるのならばお父様たちに話しておくれ。ジュリアスもマルセルも、うちの者達はみんなお前の味方だ」

視線を巡らすとトーニャも家令もうんうんと頷いている。
リディアルの目から涙が零れ、こめかみを伝って流れていく。
あぁ全てを話してしまいたい、惜しみなく愛をくれるこの人達に。
数え切れないくらい繰り返しているのだと、その度に命を落としているのだと。
全部ぶちまけて、それから、それから、それから?
それからどうする?優しい人達だ、きっと助けようとしてくれるだろう。
もしかしたら秘密裏に逃がしてくれるかもしれない。
そうなったらこの人達はどうなる?なにかの罪を背負わせてしまうことになる?
それはいけない、罪を背負うのは自分だけでいい。
愛する家族に無用な罪を押し付けてはいけない。
あくまでリディアルの意志で姿をくらますのだ。
家族は預かり知らぬこと、降爵はされるかもしれないが命さえあればまだ挽回もできるはず。

「なにも、ありません」
「そんなわけないだろう?泣いてるじゃないか」

伝う涙は母がハンカチで押さえるように拭ってくれた。

「怖い夢を、見ただけ」
「本当に?」
「はい」

心配そうな表情に心が揺れる、見ていたくなくてリディアルは目を閉じた。


次の日、リディアルは学院を休んだ。
頼むから家にいてくれ、と家族に懇願されたからだ。
侯爵家お抱えの医師の見立てでもリディアルに重大な不調はみられなかった。
貧血気味、眠りが浅いと言われただけだ。
深い眠りなど訪れるわけがない、この奇妙な繰り返しが始まってから心休まる日などきていない。
ハルと共にある時だけが、唯一安らげる時なのだ。
私室の姿見の前、リディアルは忌々しげに自分の姿を見つめる。
釦を外し現れた鎖骨にある鬱血痕、誰がつけたのかなんて聞くまでもない。
馬車内で殿下のことを体が拒否して意識を失った。

「どうして、こんなことを・・・」

この体に触れていいのはハルだけ、痕を残していいのはハルだけなのに、ギリとその痕に爪をたてる。
ドンと叩いた鏡、割れることもなく微かな振動が拳に伝わってきてハッとした。

「これは・・・」

「リディアル様。第二王子殿下がお見舞いにいらっしゃってます」

ノックと共にかけられた声、ふるりと体が震えて舌が痺れたように声が出ない。
リディアル様?顔を覗かせたのはトーニャで小首を傾げて不思議そうにしていた。

「どうされました?」
「あ、な、なんでもないよ」
「そうですか?ではお通ししますね」
「・・・ここに?」
「えぇ、リディアル様に無理をさせたくないと殿下が仰られまして旦那様からも了承をいただいております」

ふふふと笑うトーニャ、自分は今どんな顔をしているのだろうか。


自室のソファセットに腰掛け、ティーポットからカップへ注がれる茶をリディアルはただ見つめていた。
いつまでもいつまでもこのかぐわしい香りの茶が注がれるのを見ていたい。
なのにトーニャは茶を淹れるとひとつ頭を下げて静かに退出していった。

「リディ、そちらに座っても?」

殿下の言葉にひくりと喉が鳴った、はいと出た声は震えやしなかっただろうか。
隣に腰掛けた殿下はぴたりと身を寄せてリディアルの顔を覗き込む。

「まだ顔色がよくないみたいだね?」
「ご心配をおかけしまして申し訳ありません」
「リディ?私をもっと頼っていいんだよ?いずれ一緒になるのだから」

一緒にはなれない、殿下から受けた侮蔑の眼差しを忘れることなんてできやしない。
頭と胴が離れる悲痛、鳥につつかれる惨めさ、眠ることもできず吹きさらしにされる辛さ、身汚い男たちに強引に体を開かれる絶望、なにを忘れても忘れられない終わりの瞬間。

「殿下、私、私は・・・」

つつつとシャツの上から鎖骨を撫でながら殿下が微笑む。
言葉を紡ごうと開いた口は塞がれ、言葉を奪われるように激しく口内を犯された。
溢れた涙はなんの涙なんだろうか。
ハルにだけ触れてほしい、鎖骨についた忌々しい痕に爪をたてた時ふいに気づいたのだ。
殿下への恋心が失われていることを、それを失わせたのは紛れもなく殿下だということを。



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