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少しの変化
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「リディアル様、おはようございます」
朝、目覚めた時に最初にすることはサイドテーブルに活けられた一輪の花を確認することだ。
それが無ければ舞い戻ってきたという証だから。
何度も繰り返す人生、何度も繰り返す朝、混乱しないように何度目かの生で舞い戻ってきた日からサイドテーブルには花を活けるようにとトーニャにお願いした。
今朝は花がある。
「おはよう、トーニャ」
重いカーテンを開けていくトーニャは振り返り微笑んでくれた。
朝食を終え、朝の支度で鏡に映る自分は昨日より幾分か顔色が良いように見えた。
ハルに会ったからかな、とぼんやりと考えているうちに仕上げの髪油の匂いが鼻を掠めた。
「今日もお美しいです」
「ありがとう、トーニャ」
一糸乱れぬ鈍色の真っ直ぐな髪、鏡越しに目線を合わせて笑い合う。
その時、コンコンと控えめなノックにトーニャが離れていく。
なぜだか胸騒ぎがする、こんなことは過去にあっただろうか。
「リディアル様、第二王子殿下がお迎えに参られております」
「ど、うして・・・」
こんなことあったか?一度目は無かった、入学式典の次の日から殿下が迎えに来ることなど・・・。
あぁ思い出せない、混濁していく記憶の中でこんなことがあったような気もするし無かったような気もする。
顔色が良いと思っていた鏡の中の自分が青ざめていく。
「リディアル様?」
「・・・うん、いくよ」
ゆっくりゆっくりと廊下を歩き、ドキドキと跳ねる心臓を押さえつけ一歩一歩確実に階段を下りた。
「リディ」
「お待たせしてしまい申し訳ありません」
「いいんだ、昨日のうちに約束をしようと思っていたのにできなかったから。これからは毎日迎えに来るよ」
「毎日、でございますか?」
そうだよ、と言う殿下に促され馬車へ乗り込んだ。
なぜとどうしてが頭の中をぐるぐると回り、上手く相槌を打てているのか自信がない。
リディ、と名を呼ばれると同時に伸びてきた手に思わず体が竦む。
「昨日の式典で、髪を触っていたね?」
左手で耳にかけられた髪、見られていたのか、それは一体なぜ?どうして見ていた?ひくりと喉が鳴る。
「そう・・・でしたか?」
「あぁ、どうしたのかなと思っていたんだ」
「覚えがないのです。無意識だったのかもしれません」
「そう」
「無作法で申し訳ありませんでした」
頭を下げるとかけられた髪がはらはらと落ちていく、視界に入るのは膝の上で揃えた指先だけだ。
「リディ、顔をあげて?」
はい、とあげると眼前に殿下の薄紫の瞳に映る自分と目が合った。
この瞳に映る自分を見るのは久方ぶりだ、けれど弾む心と裏腹に足先から冷えていく。
対面に座る殿下は腰をあげてこちらへ乗り出していた。
「殿下?どうされまし・・・んっ」
言葉は紡げずに殿下に吸い込まれていった、合わせるだけの口付けに体が冷えていく。
射抜くような殿下の視線、ちろりと唇を這う舌に背筋が凍った。
「到着致しました」
コツコツと小さなノックと共に聞こえた声に殿下の唇が離れていった。
頬を撫でる手は剣だこがあり、細められた目は優しい光を称えている。
「リディ、昼食を一緒に食べようね」
「・・・はい、お供させていただきます」
意図せず震えた声が出て視線はまた指先に落ちる、それを見る殿下がどんな表情だったのかリディアルは知らない。
講義室の窓際の一番前、リディアルはそこに腰を落ち着け今朝方自分の身に起きたことを振り返っていた。
ハルに送った合図、連続で迎えに来た殿下、昼食に誘われて口付けを贈られた。
窓から見える中庭には芝生が青々と敷き詰められ、花壇には色とりどりの花が植わっている。
風にそよぐ芝と花たち、図書館の窓辺に人影は見当たらない。
ハル、貴方に会いたい。
「リディアルさま」
「ハワード様・・・」
「やだなぁ、ミシェルって呼んでください」
花が綻ぶような愛らしい笑み、きっと誰しもが魅了されてしまうだろう。
腹の探り合いばかりの貴族社会では、天真爛漫な彼は新鮮に映る。
「リディアルさま、昼食をご一緒しませんか?」
「もしかして、食堂への行き道をお忘れで?」
「っ、もうっ、リディアルさまは意地悪ですね」
「誰が意地悪だって?」
「フレデリックさま!」
「殿下、ミシェルが昼食を共にしたいと」
ぷくりと膨らませた頬と桃色に染まる目尻、薄く膜の張った瞳は潤み庇護欲をかき立てられるのだろう。
「リディはそれでいいの?」
「えぇ、迷子になられるのもお可哀想です」
「そうか、では行こうか」
はいっと元気よく答えるミシェル、殿下と並び歩くのを一歩下がってリディアルは歩いた。
食堂に殿下が姿を見せるとざわりと空気が動いた、立ち上がろうとする者を片手で制し首を振る。
窓際の一番日当たりの良い場所、前菜とスープ、メインディッシュは鴨のパイ包みだった。
美味しそう!とミシェルの瞳が輝き、それを見守る殿下の表情は柔らかい。
殿下の対面に座るミシェル、ゆっくり食べろという殿下の声にコクリと頷く様は幼子のようで愛らしい。
パイはナイフを入れるとサクリと音をたてて、鴨はしっとりと塩味が効いていた。
微かなざわめきに戸口を見るとハルが笑みを浮かべながら現れたところだった。
食堂を見渡しながらハルは左の耳に触れる、リディアルはそっと右の耳に髪をかけた。
「リディ、どうした?」
「はい、なんでしょう?」
「食事中に髪に触れるなど」
また見られていた、そう思うとゾクリと怖気が体を巡った。
ミシェルを見ていたのではなかったのか?隣に座る自分など眼中にないと思っていたのに。
「申し訳ございません」
頭を深くさげ、ハルに視線を送るとハルの手は結ばれたタイに触れていた。
──うん、ハル。わかってるよ。
朝、目覚めた時に最初にすることはサイドテーブルに活けられた一輪の花を確認することだ。
それが無ければ舞い戻ってきたという証だから。
何度も繰り返す人生、何度も繰り返す朝、混乱しないように何度目かの生で舞い戻ってきた日からサイドテーブルには花を活けるようにとトーニャにお願いした。
今朝は花がある。
「おはよう、トーニャ」
重いカーテンを開けていくトーニャは振り返り微笑んでくれた。
朝食を終え、朝の支度で鏡に映る自分は昨日より幾分か顔色が良いように見えた。
ハルに会ったからかな、とぼんやりと考えているうちに仕上げの髪油の匂いが鼻を掠めた。
「今日もお美しいです」
「ありがとう、トーニャ」
一糸乱れぬ鈍色の真っ直ぐな髪、鏡越しに目線を合わせて笑い合う。
その時、コンコンと控えめなノックにトーニャが離れていく。
なぜだか胸騒ぎがする、こんなことは過去にあっただろうか。
「リディアル様、第二王子殿下がお迎えに参られております」
「ど、うして・・・」
こんなことあったか?一度目は無かった、入学式典の次の日から殿下が迎えに来ることなど・・・。
あぁ思い出せない、混濁していく記憶の中でこんなことがあったような気もするし無かったような気もする。
顔色が良いと思っていた鏡の中の自分が青ざめていく。
「リディアル様?」
「・・・うん、いくよ」
ゆっくりゆっくりと廊下を歩き、ドキドキと跳ねる心臓を押さえつけ一歩一歩確実に階段を下りた。
「リディ」
「お待たせしてしまい申し訳ありません」
「いいんだ、昨日のうちに約束をしようと思っていたのにできなかったから。これからは毎日迎えに来るよ」
「毎日、でございますか?」
そうだよ、と言う殿下に促され馬車へ乗り込んだ。
なぜとどうしてが頭の中をぐるぐると回り、上手く相槌を打てているのか自信がない。
リディ、と名を呼ばれると同時に伸びてきた手に思わず体が竦む。
「昨日の式典で、髪を触っていたね?」
左手で耳にかけられた髪、見られていたのか、それは一体なぜ?どうして見ていた?ひくりと喉が鳴る。
「そう・・・でしたか?」
「あぁ、どうしたのかなと思っていたんだ」
「覚えがないのです。無意識だったのかもしれません」
「そう」
「無作法で申し訳ありませんでした」
頭を下げるとかけられた髪がはらはらと落ちていく、視界に入るのは膝の上で揃えた指先だけだ。
「リディ、顔をあげて?」
はい、とあげると眼前に殿下の薄紫の瞳に映る自分と目が合った。
この瞳に映る自分を見るのは久方ぶりだ、けれど弾む心と裏腹に足先から冷えていく。
対面に座る殿下は腰をあげてこちらへ乗り出していた。
「殿下?どうされまし・・・んっ」
言葉は紡げずに殿下に吸い込まれていった、合わせるだけの口付けに体が冷えていく。
射抜くような殿下の視線、ちろりと唇を這う舌に背筋が凍った。
「到着致しました」
コツコツと小さなノックと共に聞こえた声に殿下の唇が離れていった。
頬を撫でる手は剣だこがあり、細められた目は優しい光を称えている。
「リディ、昼食を一緒に食べようね」
「・・・はい、お供させていただきます」
意図せず震えた声が出て視線はまた指先に落ちる、それを見る殿下がどんな表情だったのかリディアルは知らない。
講義室の窓際の一番前、リディアルはそこに腰を落ち着け今朝方自分の身に起きたことを振り返っていた。
ハルに送った合図、連続で迎えに来た殿下、昼食に誘われて口付けを贈られた。
窓から見える中庭には芝生が青々と敷き詰められ、花壇には色とりどりの花が植わっている。
風にそよぐ芝と花たち、図書館の窓辺に人影は見当たらない。
ハル、貴方に会いたい。
「リディアルさま」
「ハワード様・・・」
「やだなぁ、ミシェルって呼んでください」
花が綻ぶような愛らしい笑み、きっと誰しもが魅了されてしまうだろう。
腹の探り合いばかりの貴族社会では、天真爛漫な彼は新鮮に映る。
「リディアルさま、昼食をご一緒しませんか?」
「もしかして、食堂への行き道をお忘れで?」
「っ、もうっ、リディアルさまは意地悪ですね」
「誰が意地悪だって?」
「フレデリックさま!」
「殿下、ミシェルが昼食を共にしたいと」
ぷくりと膨らませた頬と桃色に染まる目尻、薄く膜の張った瞳は潤み庇護欲をかき立てられるのだろう。
「リディはそれでいいの?」
「えぇ、迷子になられるのもお可哀想です」
「そうか、では行こうか」
はいっと元気よく答えるミシェル、殿下と並び歩くのを一歩下がってリディアルは歩いた。
食堂に殿下が姿を見せるとざわりと空気が動いた、立ち上がろうとする者を片手で制し首を振る。
窓際の一番日当たりの良い場所、前菜とスープ、メインディッシュは鴨のパイ包みだった。
美味しそう!とミシェルの瞳が輝き、それを見守る殿下の表情は柔らかい。
殿下の対面に座るミシェル、ゆっくり食べろという殿下の声にコクリと頷く様は幼子のようで愛らしい。
パイはナイフを入れるとサクリと音をたてて、鴨はしっとりと塩味が効いていた。
微かなざわめきに戸口を見るとハルが笑みを浮かべながら現れたところだった。
食堂を見渡しながらハルは左の耳に触れる、リディアルはそっと右の耳に髪をかけた。
「リディ、どうした?」
「はい、なんでしょう?」
「食事中に髪に触れるなど」
また見られていた、そう思うとゾクリと怖気が体を巡った。
ミシェルを見ていたのではなかったのか?隣に座る自分など眼中にないと思っていたのに。
「申し訳ございません」
頭を深くさげ、ハルに視線を送るとハルの手は結ばれたタイに触れていた。
──うん、ハル。わかってるよ。
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