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リディアルは真新しい制服に身を包み、鏡台の前で侍女に髪をとかされていた。
ほんのりと匂うハーブの香りは頭をスッキリとさせてくれる。
今日、リディアルは貴族学院へ入学する。
「リディアル様。お支度整いました」
「ありがとう、トーニャ」
何度も繰り返す人生だが、全てまったく同じというわけではない。
一度目はこの日、殿下が一緒に行かないか?と突然我が家を訪れ皆を驚かせた。
二度目は訪れなかった、三度目はどうだっただろうか。
終わらない繰り返しに、記憶が覚束無いことの方が多くなってきた。
コンコンと控えめなノックにトーニャが扉を開ける為に離れていくのを鏡越しに見つめる。
幼い頃から世話係としてついていてくれたトーニャ、故郷に自分と同じ年頃の弟がいると語ったトーニャ。
五歳で初めて家庭教師がつき、その厳しさにべそべそと泣いた自分に内緒ですよ、と飴玉をくれたトーニャ。
トーニャを死なせはしない。
──第二王子殿下がリディアル様をお迎えに参られております。
「第二王子殿下がリディアル様をお迎えに参られております」
恭しく告げられたそれは今しがたリディアルが心で思ったものと同じものだ。
すぐ行くよ、と微笑むと家令もトーニャもにこりと笑ってくれた。
主が婚約者に愛されていると思っているのだろう、だからこちらもそう振る舞わねばならない。
「リディ!」
玄関ホールには父を筆頭に屋敷中の者が整然と並んでいた。
四つ歳上の次兄は、本来ならば案内として共に向かう予定であったのだ。
それが殿下の来訪で反故になり、少し不機嫌そうだ。
玄関ホールへの階段をゆっくりと、決して駆け出したりしてはならない。
「お待たせしてしまい申し訳ございません、殿下。この良き日に殿下のお顔を一番に拝見できましたこと、大変嬉しゅうございます」
「私も嬉しいよ。今日は初日だからね、一緒にどうかと思ったんだ」
「はい。お供させていただきます」
殿下にエスコートされて馬車に乗る。
対面に座った殿下はいつになく饒舌で、声音が嬉しそうに聞こえた。
リディアルは結ばれた赤いタイを見ながら相槌を打つ。
「リディ、学院では貴賤なしと言われているだろう?」
「そう言われていますね」
「では学院ではフレデリックと名を・・・」
カタリと小さな音をたてて馬車が止まった。
王族専用の門から入り、また専用の馬車停りに馬車が止まる。
貴賤なし、そうは言われているし実際そういう部分もある。
しかし、全てそうかと言えばやはりそこには微かな線引きがあるのだ。
そう、王族とそれ以外の馬車停りが違うように。
将来の国を担う若人たちの集う学院、未来の縮図、小さな刹那の箱庭。
「到着いたしました」
音もなく開いた扉、リディアルは僅かに目線を伏せて微笑むだけ。
いい加減殿下も呆れてしまっているかもしれない。
けれど、その表情を確認する勇気はない。
降りようとすると殿下に制された。
臣下の自分が先に降りるべきだが、殿下がエスコートするつもりなのだろう。
この先に何があるのかわかっている、だからリディアルは大人しく浮かせた腰をまた落ち着けた。
──あのっ、すみません
──君は?
──講堂までの行き道で迷ってしまって
──新入生か?
──はいっ
──この学院は広いからね。良かったら一緒に行こうか
──良かった。一人だから不安で・・・あなたみたいな優しい人に出会えて良かった
リディアルの頭の中で起こったことが現実でも起こっている。
この日、殿下と共に向かうとここで彼と出会う。
そうでない場合は講堂の前で出会う。
一度目の時、この彼を叱責した。
王族の前でなんたる口のきき方か、殿下を道案内に使うなど許されることではないと。
学院では貴賤なし、殿下の瞳に落胆の色が滲むのをこの時確かに見た。
「あの、差し支えなければお手を」
御者の困った顔、殿下は行ってしまったのだろう。
ありがとう、彼の手を借りて馬車を降りると風が吹き抜けていった。
陽の光を浴びて靡くリディアルの髪は淡く輝いていた。
「行ってらっしゃいませ」
「行ってまいります」
リディアルの心からの笑みに御者は惚け、暫くその場から動けなかった。
講堂までは一人でも迷うことなく行ける、何度も何度も繰り返しているから。
すり鉢状になっているそこは、貴賤なしとは言えど王族専用席があり着席は爵位順だ。
リディアルは侯爵家序列一位、三代公爵家からは今年度は一人だけ入学する。
学院長の挨拶も教師の紹介もなにもかもが同じだ。
自治会長である第一王子殿下のお言葉も諳んじることができる。
「新入生諸君、君たちの入学を心から歓迎する」
居並ぶ顔を見渡す第一王子殿下とカチリと視線が合う、彼はそれとわからぬよう何気なく左の耳に触れた。
それに呼応するように、こちらも左の耳に髪をかける。
──大丈夫?
──はい
問題なしは左を、問題ありは右を、それは二人だけの符丁。
レオンハルト第一王子殿下、漆黒の髪は緩やかに波打ち王族の誰よりも濃い紫瞳をもつ御方。
正妃から生まれた彼と、側妃から生まれた愛しい殿下。
派閥争い、権力闘争、彼もまた断罪され輪廻から抜け出せない。
ほんのりと匂うハーブの香りは頭をスッキリとさせてくれる。
今日、リディアルは貴族学院へ入学する。
「リディアル様。お支度整いました」
「ありがとう、トーニャ」
何度も繰り返す人生だが、全てまったく同じというわけではない。
一度目はこの日、殿下が一緒に行かないか?と突然我が家を訪れ皆を驚かせた。
二度目は訪れなかった、三度目はどうだっただろうか。
終わらない繰り返しに、記憶が覚束無いことの方が多くなってきた。
コンコンと控えめなノックにトーニャが扉を開ける為に離れていくのを鏡越しに見つめる。
幼い頃から世話係としてついていてくれたトーニャ、故郷に自分と同じ年頃の弟がいると語ったトーニャ。
五歳で初めて家庭教師がつき、その厳しさにべそべそと泣いた自分に内緒ですよ、と飴玉をくれたトーニャ。
トーニャを死なせはしない。
──第二王子殿下がリディアル様をお迎えに参られております。
「第二王子殿下がリディアル様をお迎えに参られております」
恭しく告げられたそれは今しがたリディアルが心で思ったものと同じものだ。
すぐ行くよ、と微笑むと家令もトーニャもにこりと笑ってくれた。
主が婚約者に愛されていると思っているのだろう、だからこちらもそう振る舞わねばならない。
「リディ!」
玄関ホールには父を筆頭に屋敷中の者が整然と並んでいた。
四つ歳上の次兄は、本来ならば案内として共に向かう予定であったのだ。
それが殿下の来訪で反故になり、少し不機嫌そうだ。
玄関ホールへの階段をゆっくりと、決して駆け出したりしてはならない。
「お待たせしてしまい申し訳ございません、殿下。この良き日に殿下のお顔を一番に拝見できましたこと、大変嬉しゅうございます」
「私も嬉しいよ。今日は初日だからね、一緒にどうかと思ったんだ」
「はい。お供させていただきます」
殿下にエスコートされて馬車に乗る。
対面に座った殿下はいつになく饒舌で、声音が嬉しそうに聞こえた。
リディアルは結ばれた赤いタイを見ながら相槌を打つ。
「リディ、学院では貴賤なしと言われているだろう?」
「そう言われていますね」
「では学院ではフレデリックと名を・・・」
カタリと小さな音をたてて馬車が止まった。
王族専用の門から入り、また専用の馬車停りに馬車が止まる。
貴賤なし、そうは言われているし実際そういう部分もある。
しかし、全てそうかと言えばやはりそこには微かな線引きがあるのだ。
そう、王族とそれ以外の馬車停りが違うように。
将来の国を担う若人たちの集う学院、未来の縮図、小さな刹那の箱庭。
「到着いたしました」
音もなく開いた扉、リディアルは僅かに目線を伏せて微笑むだけ。
いい加減殿下も呆れてしまっているかもしれない。
けれど、その表情を確認する勇気はない。
降りようとすると殿下に制された。
臣下の自分が先に降りるべきだが、殿下がエスコートするつもりなのだろう。
この先に何があるのかわかっている、だからリディアルは大人しく浮かせた腰をまた落ち着けた。
──あのっ、すみません
──君は?
──講堂までの行き道で迷ってしまって
──新入生か?
──はいっ
──この学院は広いからね。良かったら一緒に行こうか
──良かった。一人だから不安で・・・あなたみたいな優しい人に出会えて良かった
リディアルの頭の中で起こったことが現実でも起こっている。
この日、殿下と共に向かうとここで彼と出会う。
そうでない場合は講堂の前で出会う。
一度目の時、この彼を叱責した。
王族の前でなんたる口のきき方か、殿下を道案内に使うなど許されることではないと。
学院では貴賤なし、殿下の瞳に落胆の色が滲むのをこの時確かに見た。
「あの、差し支えなければお手を」
御者の困った顔、殿下は行ってしまったのだろう。
ありがとう、彼の手を借りて馬車を降りると風が吹き抜けていった。
陽の光を浴びて靡くリディアルの髪は淡く輝いていた。
「行ってらっしゃいませ」
「行ってまいります」
リディアルの心からの笑みに御者は惚け、暫くその場から動けなかった。
講堂までは一人でも迷うことなく行ける、何度も何度も繰り返しているから。
すり鉢状になっているそこは、貴賤なしとは言えど王族専用席があり着席は爵位順だ。
リディアルは侯爵家序列一位、三代公爵家からは今年度は一人だけ入学する。
学院長の挨拶も教師の紹介もなにもかもが同じだ。
自治会長である第一王子殿下のお言葉も諳んじることができる。
「新入生諸君、君たちの入学を心から歓迎する」
居並ぶ顔を見渡す第一王子殿下とカチリと視線が合う、彼はそれとわからぬよう何気なく左の耳に触れた。
それに呼応するように、こちらも左の耳に髪をかける。
──大丈夫?
──はい
問題なしは左を、問題ありは右を、それは二人だけの符丁。
レオンハルト第一王子殿下、漆黒の髪は緩やかに波打ち王族の誰よりも濃い紫瞳をもつ御方。
正妃から生まれた彼と、側妃から生まれた愛しい殿下。
派閥争い、権力闘争、彼もまた断罪され輪廻から抜け出せない。
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