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大嫌い!
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あぁ体が喜んでいる、アイザックはそう感じた。
この地上にただ一人の運命の相手が自分を求めている。
体中が歓喜に湧いて背骨からゾワゾワと得体の知れないものが脳みその芯を侵そうと這い上がってくる。
真っ赤な夕陽に照らされた頬が、背中に回る手のひらが熱い。
襲い来る大波に目を閉じる、眼裏にあるのはいつだってリュカだ。
あの夜大きな月の下で出会った、貴族の面を被った清廉なリュカ。
無垢な笑顔、拗ねた顔、はにかんだ顔、呆れた顔、眦を釣り上げて怒った顔、悲しみに沈む顔、へにょりと眉を下げた顔、安心しきった寝顔。
──アイク、大好き
喜びに満ちた輝かんばかりの笑顔が恋しい。
運命的なことなど何もない、あるのは日々送る時間の中に散りばめられた愛しい人だけ。
この先の未来もリュカがいてほしい。
なにを奪われても心までは奪われない。
運命の神がいるならば、人の意志を、愛を侮るなと叫びたい。
「離してくれないか。虫唾が走る」
ピクリと動いたアイザックの指先は次の瞬間には固い握り拳を作った。
刺すような冷たい声音に、ユーリスは自分の耳を疑った。
これが運命の君の声?この凍えるような、嫌悪感を剥き出しにしたこれが?
恐る恐る見上げたその先、ユーリスの息が止まった。
眉間の皺は深く、口の曲がった険しい表情、瞳の中は真っ黒だった。
「な、にを・・・どうして?」
「聞こえなかったか?離せと言ったんだ」
「でも、だって私達は運命でしょう?」
「そうだ。忌々しいな」
アイザックの腕を掴んだユーリスの手が小さく震える。
それを見たアイザックはチッと舌打ちをしてその手を払った。
行き場を失ったユーリスの手がだらりと垂れた。
「どうしてそんなことを言うの?私達は愛し合う運命なんだよ」
「誰が決めた?何者かもわからないモノに従う気はない」
「・・・わかった、誰かに言わされてるんでしょう?ねえ・・・」
そうなんでしょう?とユーリスは言えなかった。
払われた手、刺すような声音、凍りつくような視線に怖気づいてしまった。
ひくっと喉が鳴る、なにが起きているのかわからない。
運命の番にさえ出会えれば至上の愛と幸福が得られる、それだけを信じていた。
なのに、これはなに?
「あなたは、私に愛を、幸せを与えてくれるのではなかったの?」
「私はお前に何ひとつ与えない。そもそも愛も幸せも与えたり、与えられたりするものではない。自分に向けられた視線や仕草、表情、言葉、優しさ、誠実さ、おおらかさ、素直さ、芯の強さ、それら全てを心で昇華して初めて愛になるんだ。愛も幸せも自分の内で作り出すものだ」
どうして立っていられてるのかが不思議だった。
ユーリスは長く伸びていく二人分の影を見ながら、拒絶の言葉を聞いていた。
頭から何もかも否定された、信じていた運命がガラガラと音を立てて崩れていく。
この人に愛を教えたのは誰だろう?愛の何たるかを感じさせたのは誰だろう?
「わかったらお前の融通のきかない父親に伝えろ。私はお前と番う気はこれっぽっちもないと」
「・・・父さんになにを言ったの?」
「釣り合ってないんだ、お前のような混じりあった下賎の血筋の奴と私とではな。わかるだろう?私はこの国でも高位の人間だ。それに比べお前はどうだ?踊り子風情が私と釣り合うとでも思ったか?」
こんな傲慢で不遜な奴が運命の相手なのか、そんな・・・そんなのは・・・。
「っあんたなんかこっちから願い下げだ!黙って聞いていれば偉そうに何様だ!」
ユーリスは声の限りに叫んだ。
掠れたか細い声だったが、それはまっすぐにアイザックに届いた。
「後悔させてやる。私を拒絶したことを、私の父に悪し様に言ったことをっ」
睨め上げた顔はやはり嫌悪感を隠そうともせずに、こちらを見下ろしている。
一時でもこんな奴に焦がれていたなんて虫唾が走るのはこっちの方だ。
「・・・あんたなんか大嫌いだ」
「そりゃ好都合だな」
ユーリスはくるりと背を向けて歩きだす、痺れたように震える足を叱咤しながらずんずんと歩く。
あのクソ野郎覚えてろよ、と心の内で悪態をつく。
けれどこの背中に感じる視線はなんだかさっきと違う。
振り払うように一度だけ振り向いた。
振り向いたその先、それは同時だった。
相手もこちらに背を向けようとしている、その一瞬見えた横顔。
どうしてそんな顔してるの?
歪めていた顔は、安堵と優しさの入り交じった表情に変わっていた。
あの優しさの宿った瞳で見送られていた?
罵倒され侮辱され、ズタズタに傷つけられたのに?
あぁ、そうかそういうことか、受け取ったものをどう昇華するか。
これも、愛か。
運命というものに一欠片の未練も残さないように。
自分の手で未来を掴んでほしい、そういう餞の愛。
その愛を受け入れるのにはまだ時間が足りない。
今の私の器には大きすぎる、いつか、またいつかこの日を思い出にできますように。
ユーリスが涙を溢れさせないように見あげた空は、沈む夕陽と交代するように透明の月が昇っていくところだった。
※ユーリスはこの後、喪失感に苛まれしばらくは抜け殻のように日々を過ごします。
それでもひとつの夢は失いましたが、踊り子としての夢はまだ残っています。
その夢に向かって稽古に励むようになります。
舞のパートナーはザヒートです。
βのザヒートはこれからもずっとユーリスを見守っていきます。
他者の幸せを願ったザヒート、自分の幸せを願ったユーリス。
少しずつその距離が縮まり、いつしか二人でいる幸せを願うようになります。
二人が結ばれるのはこの後10年後くらいです。
二人はお互いを唯一として幸せになり、二人の舞は後世まで語り継がれることになったのでした。
この地上にただ一人の運命の相手が自分を求めている。
体中が歓喜に湧いて背骨からゾワゾワと得体の知れないものが脳みその芯を侵そうと這い上がってくる。
真っ赤な夕陽に照らされた頬が、背中に回る手のひらが熱い。
襲い来る大波に目を閉じる、眼裏にあるのはいつだってリュカだ。
あの夜大きな月の下で出会った、貴族の面を被った清廉なリュカ。
無垢な笑顔、拗ねた顔、はにかんだ顔、呆れた顔、眦を釣り上げて怒った顔、悲しみに沈む顔、へにょりと眉を下げた顔、安心しきった寝顔。
──アイク、大好き
喜びに満ちた輝かんばかりの笑顔が恋しい。
運命的なことなど何もない、あるのは日々送る時間の中に散りばめられた愛しい人だけ。
この先の未来もリュカがいてほしい。
なにを奪われても心までは奪われない。
運命の神がいるならば、人の意志を、愛を侮るなと叫びたい。
「離してくれないか。虫唾が走る」
ピクリと動いたアイザックの指先は次の瞬間には固い握り拳を作った。
刺すような冷たい声音に、ユーリスは自分の耳を疑った。
これが運命の君の声?この凍えるような、嫌悪感を剥き出しにしたこれが?
恐る恐る見上げたその先、ユーリスの息が止まった。
眉間の皺は深く、口の曲がった険しい表情、瞳の中は真っ黒だった。
「な、にを・・・どうして?」
「聞こえなかったか?離せと言ったんだ」
「でも、だって私達は運命でしょう?」
「そうだ。忌々しいな」
アイザックの腕を掴んだユーリスの手が小さく震える。
それを見たアイザックはチッと舌打ちをしてその手を払った。
行き場を失ったユーリスの手がだらりと垂れた。
「どうしてそんなことを言うの?私達は愛し合う運命なんだよ」
「誰が決めた?何者かもわからないモノに従う気はない」
「・・・わかった、誰かに言わされてるんでしょう?ねえ・・・」
そうなんでしょう?とユーリスは言えなかった。
払われた手、刺すような声音、凍りつくような視線に怖気づいてしまった。
ひくっと喉が鳴る、なにが起きているのかわからない。
運命の番にさえ出会えれば至上の愛と幸福が得られる、それだけを信じていた。
なのに、これはなに?
「あなたは、私に愛を、幸せを与えてくれるのではなかったの?」
「私はお前に何ひとつ与えない。そもそも愛も幸せも与えたり、与えられたりするものではない。自分に向けられた視線や仕草、表情、言葉、優しさ、誠実さ、おおらかさ、素直さ、芯の強さ、それら全てを心で昇華して初めて愛になるんだ。愛も幸せも自分の内で作り出すものだ」
どうして立っていられてるのかが不思議だった。
ユーリスは長く伸びていく二人分の影を見ながら、拒絶の言葉を聞いていた。
頭から何もかも否定された、信じていた運命がガラガラと音を立てて崩れていく。
この人に愛を教えたのは誰だろう?愛の何たるかを感じさせたのは誰だろう?
「わかったらお前の融通のきかない父親に伝えろ。私はお前と番う気はこれっぽっちもないと」
「・・・父さんになにを言ったの?」
「釣り合ってないんだ、お前のような混じりあった下賎の血筋の奴と私とではな。わかるだろう?私はこの国でも高位の人間だ。それに比べお前はどうだ?踊り子風情が私と釣り合うとでも思ったか?」
こんな傲慢で不遜な奴が運命の相手なのか、そんな・・・そんなのは・・・。
「っあんたなんかこっちから願い下げだ!黙って聞いていれば偉そうに何様だ!」
ユーリスは声の限りに叫んだ。
掠れたか細い声だったが、それはまっすぐにアイザックに届いた。
「後悔させてやる。私を拒絶したことを、私の父に悪し様に言ったことをっ」
睨め上げた顔はやはり嫌悪感を隠そうともせずに、こちらを見下ろしている。
一時でもこんな奴に焦がれていたなんて虫唾が走るのはこっちの方だ。
「・・・あんたなんか大嫌いだ」
「そりゃ好都合だな」
ユーリスはくるりと背を向けて歩きだす、痺れたように震える足を叱咤しながらずんずんと歩く。
あのクソ野郎覚えてろよ、と心の内で悪態をつく。
けれどこの背中に感じる視線はなんだかさっきと違う。
振り払うように一度だけ振り向いた。
振り向いたその先、それは同時だった。
相手もこちらに背を向けようとしている、その一瞬見えた横顔。
どうしてそんな顔してるの?
歪めていた顔は、安堵と優しさの入り交じった表情に変わっていた。
あの優しさの宿った瞳で見送られていた?
罵倒され侮辱され、ズタズタに傷つけられたのに?
あぁ、そうかそういうことか、受け取ったものをどう昇華するか。
これも、愛か。
運命というものに一欠片の未練も残さないように。
自分の手で未来を掴んでほしい、そういう餞の愛。
その愛を受け入れるのにはまだ時間が足りない。
今の私の器には大きすぎる、いつか、またいつかこの日を思い出にできますように。
ユーリスが涙を溢れさせないように見あげた空は、沈む夕陽と交代するように透明の月が昇っていくところだった。
※ユーリスはこの後、喪失感に苛まれしばらくは抜け殻のように日々を過ごします。
それでもひとつの夢は失いましたが、踊り子としての夢はまだ残っています。
その夢に向かって稽古に励むようになります。
舞のパートナーはザヒートです。
βのザヒートはこれからもずっとユーリスを見守っていきます。
他者の幸せを願ったザヒート、自分の幸せを願ったユーリス。
少しずつその距離が縮まり、いつしか二人でいる幸せを願うようになります。
二人が結ばれるのはこの後10年後くらいです。
二人はお互いを唯一として幸せになり、二人の舞は後世まで語り継がれることになったのでした。
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