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離したくない!
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宿『月華陽』の三階は貴族専用である。
部屋の広さ豪華さ故に三組しか宿泊出来ない。
アイザック、エルドリッジ、ジェラールはひとまずアイザック達の部屋へ集まった。
リュカ達が新しく宿泊する部屋の前から、なかなか動けないでいるアイザックを引きずってきたのはエルドリッジだ。
広い部屋は寒々しく、リュカの気に入っていた壁紙が色褪せて見えた。
放り投げられるように座らされたアイザックは項垂れ、エルドリッジは髪を掻きむしった。
「お前のせいでとんだとばっちりだ」
「・・・すまない」
備え付けの棚からグラスと蒸留酒を出したジェラールも席についた。
アイザック君、とジェラールは酒を注ぎながら言う。
「私はリュカの兄として君に怒りがある。けれど、同じαとしてなら君に同情してしまうよ」
「意思が弱いんだよ、意思が」
「お前も出会ったらわかるよ。あの体と心がバラバラになって釘付けになる感じが」
あの時、舞台が進むにつれ妙な感覚に陥った。
最初は少し寒いか?くらいだったのがそのうち頭だけがカッカッと熱くなり、鳥肌がたち無数の虫が這い回るような大蛇に絡め取られるような、そんな感覚を覚えている。
体だけが準備をし、心が置き去りにされていく。
リュカの手を握ってほっとした。
ペンだこがあり、インクの染み付いた指先、柔い手のひら、そして包みこむ温かさ。
どうしてその手を離してしまったのだろう。
どうして離すことができたのだろう。
悔やんでも悔やみきれない、あの時の自分はどうかしていた。
それが一番しっくりくる。
「強烈なんだな」
「あぁ、リュカがいなければきっとあのまま奪っていたかもしれない」
「運命というものも強固だけれど、番というのもまた強固なものなのだと私は思う」
ジェラールのそれに残りの二人も頷いて、手にあるグラスを揺らした。
「・・・だから、エルドリッジ君。ナルシュを頼むよ。あれはうるさいしいい加減だし、大人しくはないけれど・・・それでも、可愛い弟なんだ」
「義兄上、俺もあれが可愛くて愛しくて仕方ない」
「そうか。あれを可愛いと言えるなら、きっと大丈夫だな」
ジェラールは小さく笑ってグラスを空けた。
「アイザック君もリュカが可愛いかい?」
「はい・・・この先の未来にリュカの笑顔がないなんて考えられない。俺はもう、あの運命とやらの顔も思い出せない。胸にあるのはリュカのくるくると変わる表情だけだ。リュカだけが愛しい」
「近くにいないと感じられない運命なんて、俺はそんなの嫌だね」
エルドリッジは鼻白んでグラスを一気に呷った。
どこにいようと想うのはナルシュだけだ、と思いながら。
「アイザック君、手を離してしまったのならまた繋いでやってほしい。あの子が手を差し出したら今度は離さないでやってくれるかな?」
「はい、必ず・・・」
静かに涙を流しながら、アイザックは膝の上の拳を力強く握った。
その頃、リュカ達はひとつのベッドにぎゅうぎゅうに収まっていた。
「ごめんね、私が大きいから」
眉をへにょりと下げて謝るニコラスに残りの二人は首を振った。
今は皆とずっとひっついていたい気分だから、ちょうどいいくらいだ。
リュカは両側から挟まれて気持ちが温かくなった。
「リュカ、俺と旅に出るか?」
「旅に?」
「そう、楽しいぞ?」
「じゃあ、私は二人の護衛でついて行こうか」
いいな、それとナルシュが笑う。
からからと乾いた笑いが薄闇に響いて、つられてリュカもニコラスも笑った。
「モーティマー公国の都はさ、水路が張り巡らしてあるんだ」
人々はその水路を小舟で移動する、舟の上での商売もあるとナルシュは言う。
陽に反射して輝く水面と気の良い船頭、舟の上で食べた梨は瑞々しくて甘かった。
建屋は白塗りが多く、赤くて大ぶりの花が映えてそれはそれは美しい。
「なんて花なの?」
「なんだったかなぁ。忘れちまった」
「リュカ君、見てみたいね」
「えぇ、知らないことを知るのはわくわくしますね」
「私はね、国を出たことがないんだよ」
ほら、Ωだからとニコラスは密やかに笑った。
ナルシュはすごいね、と付け加えて言う。
「俺はさぁ、Ωっつってもダメな方だから。それなのにそれに縛られんのは嫌でさ・・・学院に入ったら終わりだと思って逃げたんだ」
「そうだったの?」
「あと、勉強もだいっ嫌いだった!」
くすくすと笑いあって、どこに行ってみたい、なにを食べたいと話した。
わかってる、そんなことは叶うことのない夢物語だと三人はよくわかっている。
勉強嫌いと言ったナルシュの淹れた茶は美味しかった。
ニコラスは夢だった騎士を捨てることはできない。
それよりなにより、愛しいと思う人の傍を離れるなんて出来やしない。
それでも、ひそひそと話した。
そうしていなければ今ある不安とまだ見ぬ不安に押しつぶされてしまいそうだったから。
他愛もない会話は空が白むまで続いた。
「お食事の用意ができました」
使用人の声にしょぼしょぼとした目を擦って続き扉を開ける。
食卓には温かいキッシュと紅茶、それに果物の盛り合わせがあった。
キッシュはベーコンとかぼちゃがたっぷり入って、甘みのある匂いが鼻を擽って途端にきゅうと腹が鳴る。
最後に給仕はリュカに一本のマーガレットを渡して退出した。
「なんでリュカだけ花もらうのさ」
ナルシュは口を尖らせ、ニコラスはきょとんと目を丸くした。
リュカはマーガレットを鼻先へ持っていき、目尻にじわりと滲んだ涙を指先で拭う。
「・・・内緒」
首を傾げる二人にリュカは笑った。
部屋の広さ豪華さ故に三組しか宿泊出来ない。
アイザック、エルドリッジ、ジェラールはひとまずアイザック達の部屋へ集まった。
リュカ達が新しく宿泊する部屋の前から、なかなか動けないでいるアイザックを引きずってきたのはエルドリッジだ。
広い部屋は寒々しく、リュカの気に入っていた壁紙が色褪せて見えた。
放り投げられるように座らされたアイザックは項垂れ、エルドリッジは髪を掻きむしった。
「お前のせいでとんだとばっちりだ」
「・・・すまない」
備え付けの棚からグラスと蒸留酒を出したジェラールも席についた。
アイザック君、とジェラールは酒を注ぎながら言う。
「私はリュカの兄として君に怒りがある。けれど、同じαとしてなら君に同情してしまうよ」
「意思が弱いんだよ、意思が」
「お前も出会ったらわかるよ。あの体と心がバラバラになって釘付けになる感じが」
あの時、舞台が進むにつれ妙な感覚に陥った。
最初は少し寒いか?くらいだったのがそのうち頭だけがカッカッと熱くなり、鳥肌がたち無数の虫が這い回るような大蛇に絡め取られるような、そんな感覚を覚えている。
体だけが準備をし、心が置き去りにされていく。
リュカの手を握ってほっとした。
ペンだこがあり、インクの染み付いた指先、柔い手のひら、そして包みこむ温かさ。
どうしてその手を離してしまったのだろう。
どうして離すことができたのだろう。
悔やんでも悔やみきれない、あの時の自分はどうかしていた。
それが一番しっくりくる。
「強烈なんだな」
「あぁ、リュカがいなければきっとあのまま奪っていたかもしれない」
「運命というものも強固だけれど、番というのもまた強固なものなのだと私は思う」
ジェラールのそれに残りの二人も頷いて、手にあるグラスを揺らした。
「・・・だから、エルドリッジ君。ナルシュを頼むよ。あれはうるさいしいい加減だし、大人しくはないけれど・・・それでも、可愛い弟なんだ」
「義兄上、俺もあれが可愛くて愛しくて仕方ない」
「そうか。あれを可愛いと言えるなら、きっと大丈夫だな」
ジェラールは小さく笑ってグラスを空けた。
「アイザック君もリュカが可愛いかい?」
「はい・・・この先の未来にリュカの笑顔がないなんて考えられない。俺はもう、あの運命とやらの顔も思い出せない。胸にあるのはリュカのくるくると変わる表情だけだ。リュカだけが愛しい」
「近くにいないと感じられない運命なんて、俺はそんなの嫌だね」
エルドリッジは鼻白んでグラスを一気に呷った。
どこにいようと想うのはナルシュだけだ、と思いながら。
「アイザック君、手を離してしまったのならまた繋いでやってほしい。あの子が手を差し出したら今度は離さないでやってくれるかな?」
「はい、必ず・・・」
静かに涙を流しながら、アイザックは膝の上の拳を力強く握った。
その頃、リュカ達はひとつのベッドにぎゅうぎゅうに収まっていた。
「ごめんね、私が大きいから」
眉をへにょりと下げて謝るニコラスに残りの二人は首を振った。
今は皆とずっとひっついていたい気分だから、ちょうどいいくらいだ。
リュカは両側から挟まれて気持ちが温かくなった。
「リュカ、俺と旅に出るか?」
「旅に?」
「そう、楽しいぞ?」
「じゃあ、私は二人の護衛でついて行こうか」
いいな、それとナルシュが笑う。
からからと乾いた笑いが薄闇に響いて、つられてリュカもニコラスも笑った。
「モーティマー公国の都はさ、水路が張り巡らしてあるんだ」
人々はその水路を小舟で移動する、舟の上での商売もあるとナルシュは言う。
陽に反射して輝く水面と気の良い船頭、舟の上で食べた梨は瑞々しくて甘かった。
建屋は白塗りが多く、赤くて大ぶりの花が映えてそれはそれは美しい。
「なんて花なの?」
「なんだったかなぁ。忘れちまった」
「リュカ君、見てみたいね」
「えぇ、知らないことを知るのはわくわくしますね」
「私はね、国を出たことがないんだよ」
ほら、Ωだからとニコラスは密やかに笑った。
ナルシュはすごいね、と付け加えて言う。
「俺はさぁ、Ωっつってもダメな方だから。それなのにそれに縛られんのは嫌でさ・・・学院に入ったら終わりだと思って逃げたんだ」
「そうだったの?」
「あと、勉強もだいっ嫌いだった!」
くすくすと笑いあって、どこに行ってみたい、なにを食べたいと話した。
わかってる、そんなことは叶うことのない夢物語だと三人はよくわかっている。
勉強嫌いと言ったナルシュの淹れた茶は美味しかった。
ニコラスは夢だった騎士を捨てることはできない。
それよりなにより、愛しいと思う人の傍を離れるなんて出来やしない。
それでも、ひそひそと話した。
そうしていなければ今ある不安とまだ見ぬ不安に押しつぶされてしまいそうだったから。
他愛もない会話は空が白むまで続いた。
「お食事の用意ができました」
使用人の声にしょぼしょぼとした目を擦って続き扉を開ける。
食卓には温かいキッシュと紅茶、それに果物の盛り合わせがあった。
キッシュはベーコンとかぼちゃがたっぷり入って、甘みのある匂いが鼻を擽って途端にきゅうと腹が鳴る。
最後に給仕はリュカに一本のマーガレットを渡して退出した。
「なんでリュカだけ花もらうのさ」
ナルシュは口を尖らせ、ニコラスはきょとんと目を丸くした。
リュカはマーガレットを鼻先へ持っていき、目尻にじわりと滲んだ涙を指先で拭う。
「・・・内緒」
首を傾げる二人にリュカは笑った。
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