その愛は契約に含まれますか?[本編終了]

谷絵 ちぐり

文字の大きさ
上 下
117 / 190

エルの悲劇あるいは

しおりを挟む
話はミス・ルナテスラの夜まで遡る。

「いいか、見つけ次第確保だ。奴は身軽だから充分気をつけろ」

どこの犯罪者だ、というような言われようのとはあのリュカの次兄だ。
レッドブラウンの髪にリュカより高い身長、同じく木蘭色の瞳。
このリュカの次兄、とんでもない厄介体質らしい。
そして、逃げ足が早い。
今回、新月の晩に行われる闇市の取締りに憲兵に紛れて第一騎士隊も加わることになった。
一番の理由は、リュカの次兄ナルシュの確保だという。

「本音はどうでもいいが一応リュカの兄だしΩだし、なにか事を起こす前に確保してほしい」

とはアイザックの弁だ。
なんだか面白そうだな、と思ったエルドリッジも参加したが予想に反してナルシュは現れなかった。

「おかしいな、あいつの事だから面白がって来そうなものだが」

エルドリッジの兄であり、騎士隊長のリスベルも首を傾げた。
盗品を運び出し、闇市の参加者もほぼ縛に就いたが肝心のナルシュの姿はどこにもなかった。
町外れの廃墟と化した教会の周囲は木が生い茂り、ざわざわと風に葉を揺らしている。
その風に乗ってツンとレモンのような酸っぱい匂いが漂ってきた。
思わず唾液が溢れてきてしまいそうなそれ。
なんだ?どこだ?とエルドリッジはキョロキョロと辺りを見渡すが、明かりのない新月の夜ではよくわからない。
パチパチと篝火の爆ぜる音に紛れてトントンと軽い音がする。
頭上うえか、とエルドリッジが見上げたのと男が屋根から木に飛び移ったのと同時だった。


それから、エルドリッジはその男に気取られないように追ってきた。
男はひょいひょいと木から木へ飛び移り木々を抜けると、周囲を気にする素振りもなく普通に歩いて街に帰ってきた。
迷うことなく裏路地に入り、場末のパブに入っていく。

「あれが、噂の次兄か?」

エルドリッジも少し時間を置いてパブへ入店すると、男が麦芽酒のジョッキを手に客と笑い声をたてていた。

「ナルちゃん、今日もいい飲みっぷりじゃねえか!」
「毎日酒が美味いって幸せだよねぇ。奢ってくれたらもっと幸せ」

えへへと笑う男に酔った爺共も、飲め飲めと男に酒を勧めた。
上唇についた泡をペロリと舐めとる仕草はなかなかに艶かしい。
エルドリッジはカウンターで粗悪な蒸留酒をちびちび飲みながら観察する。

「マスター、あそこで騒いでる奴って」
「ん?あぁ、ナルちゃんね。明るくって楽しい酒しか飲まないから爺共に好かれてるよ」

ナルシュだからナルちゃんか、とエルドリッジは当たりをつけた。
きっとあれが破天荒な次兄なんだろう。
確かにここまで来る道中も、ここで飲んでる姿も誰が貴族だと思うだろうか。

「よっ、オニーサン誰か待ってんの?」

考え込んでいると件のナルシュが声をかけてきた。
まただ、とエルドリッジは鼻を鳴らした。
レモンのようなライムのような瑞々しくも酸っぱい匂い。
じゅるると唾液が溢れてくる。

「あれ?オニーサン、なんか甘い匂いすんね。んー、これは蜂蜜!」
「・・・わかるのか?」
「わかるわかる!このナルちゃんがズバリ当ててみせよう!」

ゴクリと溢れる唾液を飲み込んでエルドリッジは次の言葉を待った。
まさか、まさか運・・・

「オニーサンはどっかの菓子職人だろ?だから、こんな甘い匂いすんだな」

くんくんとナルシュはエルドリッジの首元に鼻を寄せた。
そしてふにゃりと笑う。

「どこの菓子屋?美味しそうな匂いする」
「菓子屋ではない」
「そうなの?じゃ、菓子作りが趣味?うちの弟と一緒じゃん」

うちのは下っ手くそだけどな、と堪えきれずに笑うナルシュ。

「オニーサン、めっちゃかっこいいのにこんな汚ったない飲み屋なんかにきてどうしたの?表通りなら可愛い女の子がいる店もあるよ」
「ナルちゃん、汚いてなんだ」

顔を顰めるマスターに、ごめんごめんとナルシュは全く悪びれずに謝ってへへへと肩を竦めた。
エルドリッジは同じものをおかわりし、そしてナルシュにも振舞った。

「実はさ・・・」
「わーかった!オニーサン失恋したんだ!だから、こんなとこで一人寂しく飲んでんだな」
「は?いや・・・まぁ」
「話してみ?知らん人に話したら楽になることもあるってもんよ」

お前を確保しに来たんだ、とエルドリッジは言えなかった。
好奇心いっぱいにキラキラと輝く瞳は確かにリュカに似ている。
ワクワクと先を待つナルシュにエルドリッジは観念した。

「──いいなって思う人がいて、そいつはもう結婚しててその相手が俺の友人なんだ」
「あれま、それは辛いね」
「けど出会った順番が違っただけで、もしかしたら俺の方が先に出会ってたらって思うと・・・」
「ふんふん、それで?」
「そう言ったら、先に出会っていてもただすれ違っていただけだろうって」

弄んでいたグラスの酒を一気に呷る。
何を言ってるんだ、と自嘲気味に笑って今度こそお前を確保に来たと口を開きかけたその時。

「俺だったらさぁ、オニーサン良い男だからすれ違った後に振り向いちゃうな」

ニシシと白い歯を零していたずらっ子のように笑うナルシュ。
まぁ飲めよ、とバンバン背中を叩かれる。
そこからじんわりと広がる痛みがなぜだか心地よい。
心地よくてもっとこいつのことが知りたい、そう思っても仕方のないことだと後にエルドリッジは振り返る。

しおりを挟む
感想 185

あなたにおすすめの小説

とある文官のひとりごと

きりか
BL
貧乏な弱小子爵家出身のノア・マキシム。 アシュリー王国の花形騎士団の文官として、日々頑張っているが、学生の頃からやたらと絡んでくるイケメン部隊長であるアベル・エメを大の苦手というか、天敵認定をしていた。しかし、ある日、父の借金が判明して…。 基本コメディで、少しだけシリアス? エチシーンところか、チュッどまりで申し訳ございません(土下座) ムーンライト様でも公開しております。

ある日、木から落ちたらしい。どういう状況だったのだろうか。

水鳴諒
BL
 目を覚ますとズキリと頭部が痛んだ俺は、自分が記憶喪失だと気づいた。そして風紀委員長に面倒を見てもらうことになった。(風紀委員長攻めです)

嘘の日の言葉を信じてはいけない

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
嘘の日--それは一年に一度だけユイさんに会える日。ユイさんは毎年僕を選んでくれるけど、毎回首筋を噛んでもらえずに施設に返される。それでも去り際に彼が「来年も選ぶから」と言ってくれるからその言葉を信じてまた一年待ち続ける。待ったところで選ばれる保証はどこにもない。オメガは相手を選べない。アルファに選んでもらうしかない。今年もモニター越しにユイさんの姿を見つけ、選んで欲しい気持ちでアピールをするけれど……。

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

ふしだらオメガ王子の嫁入り

金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか? お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

偽りの僕を愛したのは

ぽんた
BL
自分にはもったいないと思えるほどの人と恋人のレイ。 彼はこの国の騎士団長、しかも侯爵家の三男で。 対して自分は親がいない平民。そしてある事情があって彼に隠し事をしていた。 それがバレたら彼のそばには居られなくなってしまう。 隠し事をする自分が卑しくて憎くて仕方ないけれど、彼を愛したからそれを突き通さなければ。 騎士団長✕訳あり平民

処理中です...