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逃走した兄

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──あーーっ!!ジェラールとニコラスがイチャイチャしてるー!

ナルシュが叫んだ。
それはそれは大きな声で身を寄せ合う二人にビシッと人差し指まで向けて。
その場にいた者の視線がジェラール達に集中する、その僅かな隙をついてナルシュは逃走した。
仁王立ちするリスベルの足の間を潜り抜け、憲兵たちの間をするするとすり抜ける。
あっ、と思った時にはもう遅かった。
壁に登ったか、塀を飛び越えたのかナルシュの姿は夜の闇に消えた。

「・・・あれは本当に貴族の令息なのか?」

思わずといった風に出てきたリスベルの言葉にジェラールは平謝りするのみであった。
ぺこぺこと頭を下げる姿は実に堂に入っており、ジェラールのこれまでの苦労が偲ばれた。

「ジェラール殿が謝られることでは・・・」
「いや、弟が迷惑ばかりかけてしまって・・・ごめんよニコラス君」

謝るジェラールの裾を引くその手を取って首を振る。
その光景をリュカはニヨニヨと眺めていた。
ついに長兄にも春が?とリュカの心にも爽やかな風が吹いた。
だが、爽やかな風が吹いたのは一瞬でふと見上げた先にある顔は凍てつく氷の魔王のようだった。

「リュカ、笑ってるなんて余裕だな」
「とんでもない!これ以上ないくらい反省しております」

しおらしく目を伏せたリュカだったが、頭の中は明後日なことを考えていた。
マント姿のアイザックなんて珍しいものが見れて今日は良かったな、と。





そして、今リュカは盛大に説教をされていた。
誰に?
玄関ホールに集まった使用人総出である。

リュカとナルシュがこっそり出ていった後の邸は天地をひっくり返したような大騒ぎだった。
お茶でもいかがです?と訪れたエマはリュカの不在に慌てふためき、階段から転げ落ちそうになった。
その時カーラは階段下で花瓶に活けられた花の内、悪くなった花を取り除いていた。
そのエマを助けようとカーラが飛び出し、飛び出した拍子に階段下の花瓶にぶつかり大きく高価なそれはあっけなく割れた。
その割れた音にソルジュが何事か!と書斎から駆けつけた際に、割れた花瓶に気づかず花を踏みつけひっくり返った。
ドシンという音に厨房からティムが飛んできたはいいもののその手には包丁が握られており、折り悪く倒れたソルジュと包丁を持つティムを見たマーサが悲鳴を上げた。
その悲鳴に私兵のプラハー達が駆けつけた。
階段の中程では青い顔をしてカーラに支えられているエマ。
割れた花瓶、飛び散る花々、倒れるソルジュ、包丁を持ったティム、血の気を失ったマーサ。

「お、奥様がどこにもいません!!」

エマの悲鳴にも似た叫びがホールに木霊する。
プラハーは現状を鑑みて不届き者が邸内に侵入したに違いない、と思い至った。
なんたる不覚、我々の奥様がまさか安寧の邸内で拐われるとは!

「なんとしてでも探し出せ!」

プラハーの怒号に私兵は散り散りになってリュカを捜索した。
その際、私兵の一人がリュカの私室のバルコニーから一本の縄が垂れ下がっているのを発見。
間違いなくここから拐われたのだ、とプラハーは断定。
縄の着地点から伸びる足跡を追うと既に邸を離れた事がわかった。

「サッチ、騎士団へ要請を!」
「旦那様は?」
「旦那様は今夜極秘の任務があるとかで所在がわからない。なんとしてでも旦那様がお帰りになる前に奥様を見つけ出すのだ!」

溺愛する奥様が誘拐されたと知ったら、あの旦那様ならきっと街ひとつ倒壊させる勢いで探し回るに違いない。
それだけはなんとしてでも避けたい、とプラハーは強く思った。
サッチが騎士団へ馬で駆けて行った後、入れ替わるようにリュカとアイザックが帰宅した。

「奥様!!」

侍女達はリュカの無事に涙をこぼし、私兵達は己たちの不甲斐なさを敬愛する主人に詫びた。
が、アイザックから聞かされた事の真相に皆が眦を吊り上げた。
もちろんマーサから特大のげんこつももらった。

「ごべんだざいーー!!」

えぐえぐとリュカは泣きじゃくり、なぜかアイザックがそれを慰めている。
人とは自分より強い怒りの前には、自分の怒りなど吹き飛ぶものだ。
よしよしと頭を撫でているとガチャリと重い扉が開き、騎士団へ要請を出しに行ったサッチが顔を覗かせた。

「あの、旦那様?」
「あぁ、サッチか。すまなかった、このとおりリュカは無事だ」
「あ、それは、良かった、です」

歯切れの悪いサッチに全員が首を傾げたところで、細く開いた扉が全開しその勢いでサッチがずべっと倒れた。

「なんだ、やっぱり何でもなかったじゃないか」

ニヤニヤ笑いながら佇むその人。
短かった金髪は幾分長くなり切れ長の瞳はますます冴え渡り、けれど軽薄な印象はそのままにひと回り大きくなったような・・・

「エルドリッジ・・・お前、帰還は二日後のはず」
「リュシー、ただいま」
「あ、おかえりなさい」

破顔するエルドリッジにアイザックは渋面を作り、リュカは困惑するしかなかった。


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