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ドッグレースと兄
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遅い、とイライラしながらリュカは玄関ホールをうろうろとしていた。
それを侍女達が心配そうに見守っている。
リュカがコックスヒル邸から帰ってくるとナルシュはまだ帰っていなかった。
仕事は夕方四時までと決まったのにまだ帰って来ない。
「一体なにをしてるの!?あの人は!」
リュカのイライラが最高潮に達した時、ジェリーが飛び込んできた。
「帰って来ました!」
ナルシュはハルフォード商会に赴くにあたり馬車を出してもらっていた。
リュカの兄だし一応Ωだし、とアイザックが取り計らってくれたのだ。
その馬車だが、まさかの空で帰ってきた。
御者がおずおずと差し出した文に書かれた文面を見てリュカはぐしゃりとそれを握り潰した。
──ルイスさんとドッグレース行ってパブで飲んでくる
「あンの人はぁぁぁ!!」
出勤初日にして裏切られたリュカの気持ちは収まらない。
その叫びと共に帰ってきたアイザックは驚いた。
一瞬で自分の行いを思わず振り返ってしまったほどである。
うん、なにもしてない。怒りの原因は他にある、とホッと息を吐いた。
「リュカ?どうした」
「アイク!ドッグレースへ行きましょう」
「今から!?」
詳しく聞いたアイザックはもう放っておいてもいいんじゃないかな?と思った。
「アイク!夜のデートです!」
「行こう」
ジェリーは思った、旦那様は甘すぎると。
リュカは愛用のピコピコのポシェットに縄を入れてドッグレース場へと向かった。
その縄の使い道はもう聞くまい、とアイザックはほんの少しだけナルシュを憐れんだ。
「え?お兄様いなかったのですか?」
「あぁ、今日は尽く入れ違ってな」
「なるほど、それは逃げてます。次から気配を消して行くことをおすすめします」
義兄は野生動物なのか、とアイザックは呆れた。
そろそろ慣れてほしい。
ドッグレース場はリュカの思う賭場の怪しい雰囲気など微塵もなかった。
集まる人々の身なりもそれなりに良いし、至る所に格子状の窓があり換気もされていて動物特有の匂いも少ない。
予想室は広く清潔にしてありバーカウンターまで設置してある。
「アイク、思ってたのと違います」
「どんなの想像してたんだ?」
「こう目が血走って投票券を握りしめた爺たちの集まりです。濁った目の亡者みたいな」
「リュカ、今度はどんな本を読んだんだい?」
声音を落として人ごみをすり抜けながらナルシュを探す。
「いませんね」
「下見場かな?」
「下見場?」
「競走の前に走る犬が見れるんだよ」
へぇ、とリュカは感心しながらアイザックに手を引かれながらついて行く。
予想室とは違い下見場は静かだった。
犬を興奮させない為だそうだ。
下見場では犬が手綱を引かれながらゆっくりと歩いて回っている。
『お静かに』と貼り紙が至る所にある。
どの犬も体躯がよく足の筋肉はその辺の犬よりも盛り上がっている。
鳴き声ひとつあげずに堂々と歩く姿はなるほどかっこいい。
あっ、とリュカが指さしたその先ぐるりと円を描いている下見場の向こう側でナルシュがルイスと一緒に犬を眺めている。
視線を追うと黒犬が頭を垂れて歩いていた。
ブラックスカイ号か、だから来たのかとリュカは合点がいった。
静かに人混みをすり抜けてナルシュに近づいていく。
ブラックスカイ号に夢中のナルシュの肩に手をかけてリュカは出口に向かって顎をしゃくった。
「リュカ!お前も来たのか。どうだ?ブラックスカイ号はかっこいいだろ?」
「なに言ってるの!なんで初日からこんなことするの!」
ドッグレース場のエントランスでリュカは大声をあげた。
怒られている当の本人は飄々としておりまぁまぁとリュカの肩を抱いてこそこそと話す。
「ジェラールの文をかっぱらってきたから」
「ンなっ!なにしてるの!僕だけじゃなく、ルイスさんまで裏切るなんて!」
「大丈夫、大丈夫。明日返しとくから」
へらへら笑う次兄をどうしてくれようとリュカの腹の中はグツグツと煮えたぎっていた。
「リュカ?どうした?」
「あっ、アイク!あの・・・」
言いかけて背後のルイスを見てリュカは言葉を飲み込んだ。
初日でクビも有り得るかもしれない。
その夜、リュカは結局ドッグレースを初めて観戦した。
トラックと呼ばれる円場を犬がおもちゃのうさぎ目掛けて走る。
何周走るか、でレース内容は決められる。
二周のスプリント、五周のミドル、十周のロング。
ブラックスカイ号はミドルの覇者だという。
ゲートと呼ばれる体に沿った箱のようなものに入れられた犬。
大歓声に興奮する犬もいれば落ち着いている犬もいる。
正直リュカはわくわくドキドキとレースを見守った。
ブラックスカイ号は負けた。
「前よりも走りに精彩がないんだよなぁ。もう枯れたのかなぁ」
ナルシュは首を捻る。
確かにブラックスカイ号の目はとろんとして、勝った犬は活き活きと輝いていたように見えた。
犬のやる気だけの問題なのだろうか。
「確かにアリアスの爺が死んでからおかしなレースが多いね」
ルイスも釈然としない様子だ。
金が生まれるところには同じだけ人の悪意も生まれる。
「アイク!調査です!」
「そうくると思った」
少しも大人しくしていてくれないリュカは間違いなくナルシュの弟だ。
やれやれ、とアイザックはこれからの段取りを考えながらリュカの頬を撫でた。
それを侍女達が心配そうに見守っている。
リュカがコックスヒル邸から帰ってくるとナルシュはまだ帰っていなかった。
仕事は夕方四時までと決まったのにまだ帰って来ない。
「一体なにをしてるの!?あの人は!」
リュカのイライラが最高潮に達した時、ジェリーが飛び込んできた。
「帰って来ました!」
ナルシュはハルフォード商会に赴くにあたり馬車を出してもらっていた。
リュカの兄だし一応Ωだし、とアイザックが取り計らってくれたのだ。
その馬車だが、まさかの空で帰ってきた。
御者がおずおずと差し出した文に書かれた文面を見てリュカはぐしゃりとそれを握り潰した。
──ルイスさんとドッグレース行ってパブで飲んでくる
「あンの人はぁぁぁ!!」
出勤初日にして裏切られたリュカの気持ちは収まらない。
その叫びと共に帰ってきたアイザックは驚いた。
一瞬で自分の行いを思わず振り返ってしまったほどである。
うん、なにもしてない。怒りの原因は他にある、とホッと息を吐いた。
「リュカ?どうした」
「アイク!ドッグレースへ行きましょう」
「今から!?」
詳しく聞いたアイザックはもう放っておいてもいいんじゃないかな?と思った。
「アイク!夜のデートです!」
「行こう」
ジェリーは思った、旦那様は甘すぎると。
リュカは愛用のピコピコのポシェットに縄を入れてドッグレース場へと向かった。
その縄の使い道はもう聞くまい、とアイザックはほんの少しだけナルシュを憐れんだ。
「え?お兄様いなかったのですか?」
「あぁ、今日は尽く入れ違ってな」
「なるほど、それは逃げてます。次から気配を消して行くことをおすすめします」
義兄は野生動物なのか、とアイザックは呆れた。
そろそろ慣れてほしい。
ドッグレース場はリュカの思う賭場の怪しい雰囲気など微塵もなかった。
集まる人々の身なりもそれなりに良いし、至る所に格子状の窓があり換気もされていて動物特有の匂いも少ない。
予想室は広く清潔にしてありバーカウンターまで設置してある。
「アイク、思ってたのと違います」
「どんなの想像してたんだ?」
「こう目が血走って投票券を握りしめた爺たちの集まりです。濁った目の亡者みたいな」
「リュカ、今度はどんな本を読んだんだい?」
声音を落として人ごみをすり抜けながらナルシュを探す。
「いませんね」
「下見場かな?」
「下見場?」
「競走の前に走る犬が見れるんだよ」
へぇ、とリュカは感心しながらアイザックに手を引かれながらついて行く。
予想室とは違い下見場は静かだった。
犬を興奮させない為だそうだ。
下見場では犬が手綱を引かれながらゆっくりと歩いて回っている。
『お静かに』と貼り紙が至る所にある。
どの犬も体躯がよく足の筋肉はその辺の犬よりも盛り上がっている。
鳴き声ひとつあげずに堂々と歩く姿はなるほどかっこいい。
あっ、とリュカが指さしたその先ぐるりと円を描いている下見場の向こう側でナルシュがルイスと一緒に犬を眺めている。
視線を追うと黒犬が頭を垂れて歩いていた。
ブラックスカイ号か、だから来たのかとリュカは合点がいった。
静かに人混みをすり抜けてナルシュに近づいていく。
ブラックスカイ号に夢中のナルシュの肩に手をかけてリュカは出口に向かって顎をしゃくった。
「リュカ!お前も来たのか。どうだ?ブラックスカイ号はかっこいいだろ?」
「なに言ってるの!なんで初日からこんなことするの!」
ドッグレース場のエントランスでリュカは大声をあげた。
怒られている当の本人は飄々としておりまぁまぁとリュカの肩を抱いてこそこそと話す。
「ジェラールの文をかっぱらってきたから」
「ンなっ!なにしてるの!僕だけじゃなく、ルイスさんまで裏切るなんて!」
「大丈夫、大丈夫。明日返しとくから」
へらへら笑う次兄をどうしてくれようとリュカの腹の中はグツグツと煮えたぎっていた。
「リュカ?どうした?」
「あっ、アイク!あの・・・」
言いかけて背後のルイスを見てリュカは言葉を飲み込んだ。
初日でクビも有り得るかもしれない。
その夜、リュカは結局ドッグレースを初めて観戦した。
トラックと呼ばれる円場を犬がおもちゃのうさぎ目掛けて走る。
何周走るか、でレース内容は決められる。
二周のスプリント、五周のミドル、十周のロング。
ブラックスカイ号はミドルの覇者だという。
ゲートと呼ばれる体に沿った箱のようなものに入れられた犬。
大歓声に興奮する犬もいれば落ち着いている犬もいる。
正直リュカはわくわくドキドキとレースを見守った。
ブラックスカイ号は負けた。
「前よりも走りに精彩がないんだよなぁ。もう枯れたのかなぁ」
ナルシュは首を捻る。
確かにブラックスカイ号の目はとろんとして、勝った犬は活き活きと輝いていたように見えた。
犬のやる気だけの問題なのだろうか。
「確かにアリアスの爺が死んでからおかしなレースが多いね」
ルイスも釈然としない様子だ。
金が生まれるところには同じだけ人の悪意も生まれる。
「アイク!調査です!」
「そうくると思った」
少しも大人しくしていてくれないリュカは間違いなくナルシュの弟だ。
やれやれ、とアイザックはこれからの段取りを考えながらリュカの頬を撫でた。
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