その愛は契約に含まれますか?[本編終了]

谷絵 ちぐり

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幕間 ニコラスの恋

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ニコラス・ペンブルック、彼はΩである。
背は少し低いが、手足も長くしなやかな筋肉から繰り広げられる剣技は紛うことなき騎士である。
ニコラスは伯爵家の次男としてその生を受けた。
ここコラソンでは長子相続制がとられているため、次男のニコラスは己の力で生計の道を切り開かねばならなかった。
そこで、食いっぱぐれのなさそうな騎士になろうとニコラスは決めた。
しかし、何の因果か十歳でΩと判明した時は絶望した。
騎士の道が絶たれてしまう、と。
しかしニコラスは、騎士になれずとも騎士団の事務官にはなれるのでないか?と己を奮い立たせた。
それからニコラスは鍛錬に勉学にと励んだ。
なぜか鍛えれば鍛えるほど、ニコラスの筋肉はそれに応えた。
それはニコラスにとって至上の喜びだった。
通常Ωには筋肉が付きにくいという。
より良い容姿はより良いαを惹きつける。
そんなことよりニコラスは自分の努力が実を結ぶことの方が嬉しかった。
子ども特有の可愛らしさから抜けだしたニコラスは美しく成長した。
降るような縁談は全て一蹴した。
夢を叶えたい、理由はそれだけだ。

剣技の腕前に加えて事務官志望でもあったニコラスは、書類仕事も難なくこなすので騎士団でも重宝され第二騎士隊の副隊長に上り詰めた。
Ωだと知るのは団長と騎士隊長だけだ。
ニコラスの発情は薬が効かないくらいに重いものだが、その分終わるのは早い。
通常三日から七日とされる発情期は、一日半もあれば終わってしまう。
誰もニコラスがΩとは気づかなかったそんなある日、財務部に提出した予算案が差し戻されてきた。
初めてのことにニコラスは鼻息荒く財務に乗り込んだ。

「どういうことですか?前年度とほぼ変わりありません」
「はい。そうですね」

財務部の男はのんびりとそう言った。
そして、遠征費の項目を指さした。

「今年度から詳しい内訳を添付していただく事になったんですよ」
「え?」
「通達ミスかもしれませんね。申し訳ありません」

男は頭を下げて締切を五日伸ばしてくれた。
騎士団に戻り自分の執務机を見るとごちゃごちゃと本や書類であふれていた。
もしかして、と片付けると案の定通達事項の書類が見つかった。
下げなくて良い頭を下げさせてしまったことに胸が痛んだ。

二日後、大急ぎで予算案をまとめたニコラスは自ら財務部へ赴いた。
いつもなら部下に任せていたところである。

「はい。受け取りました」

前回と変わらぬのんびりとした口調の男。
焦げ茶の髪と木蘭色の瞳、薄い唇に顎には小さな黒子。
ともすれば眠くなりそうな落ち着いた声音。
ふわりと香る香水はなんだろうか。
朝露をたっぷり含んだバーベナのような鼻にスっと抜ける香り。

「あ、あの!」
「はい」
「あ、その、ま、また来てもいいですか?」
「ん?」

謝罪しようと思って開いた口から自分でも思わぬ言葉がついて出た。
首を傾げる顔は訝しげで、ニコラスはいたたまれなくてその場から走って逃げた。

失敗した、失敗した、失敗した──
ただ謝りたかっただけなのに。
もう財務部へはいけない、そう思ったニコラスだった。

それから、それとなく財務部の男について探りをいれれば彼は有名人だった。
普段、騎士団にこもりきりのニコラスは知らなかった。

「宰相補佐様の義兄?」
「知らなかったの?有名じゃん」

ニコラスは走った、背後で同期がおーいと呼んでいたが振り切って走った。
まさか次期宰相の義兄だったなんて、やっぱりきちんと謝罪せねばと頭の中はそれでいっぱいだった。
あの角を曲がれば財務部だ、勢いよく曲がれば出会い頭に誰かにぶつかった。
ぶつかった相手はころりと尻もちをついて呆然としている。

「あ、あ、あぁジェラール様、すみません、すみません」
「あ、あぁ」

動かないのか、動けないのかジェラールは呆然としていた。
その前でニコラスは膝をついて頭を下げた。

「予算案の件も、通達ミスなんかではありませんでした。私がずぼらで書類を見落としてただけだったんです!本当に申し訳ありません!」
「えっと、誰かになにか聞いたのかな?偉いのは義弟で私は偉くないから」
「いえ、違、いや違わな、あの、謝りたかったのは本当なんです」

謝る目尻に涙が溜まるのを見て、わかったよとジェラールは笑った。
ほっと胸を撫で下ろしたニコラスは立ち上がったが、ジェラールはそのまま座り込んでいた。

「ジェラール様?」
「えっと、情けないんだがね?腰が抜けてしまったようだ」
「医務室へ運びます!」

ニコラスはジェラールを横抱きに抱いて医務室へ走った。
うわぁぁとジェラールの悲鳴と、ギュッとしがみついてくる体にニコラスは恋に落ちた。
この時の自分の気持ちは今でもよくわからない。
走り抜ける中庭に咲き誇るバーベナがふと目にとまったことだけは覚えている。
その時なぜかこの人は自分が守らねばならない、そのために騎士になったのだとそう強く思ったのだ。
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