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噂よりも
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貴族食堂では意外な人と出くわした。
こそこそと逃げを打つその人をリュカはニコニコと追い詰めた。
「お兄様」
「わ、私の弟はあのぼんくらだけだ」
「小兄様のことをそんな風に言ってはいけませんよ?」
「リュ、リュカ!お前は何をしたんだ?何をすればお前が伝説の大地に咲く極上の花だと言われるんだ!?兄はぶっ倒れたぞ」
最後はもう涙目の長兄であった。
これを見ろ、と見せられたたんこぶをリュカは優しく撫でた。
魚だと思った噂がもう怪魚の域に達している。
「噂というのは怖いですねぇ。お兄様、大丈夫ですよ。そんな噂、すぐに消えてなくなります」
「な、なんでそんな・・・」
「だって、僕ですよ?一目見たら、噂は噂でしかなかったと皆思うでしょう」
にんまりと笑うリュカは伯爵家にいた頃となんら変わらない弟だった。
「義兄上、お久しぶりです」
「わ、わた、私はもう嫌だー!」
リュカの長兄ジェラール・コックスヒルは、慌てふためき逃げていった。
リュカは腰に回る手に自分の手を重ねて、その手の持ち主を見上げた。
「兄が無作法で申し訳ありません」
「どうしたのだろうな」
「さぁ?普段はあんな兄ではないのですが・・・」
貴族食堂にいる面々はその一部始終を見ていた。
滅多に表舞台に現れない凡庸なリュカとこの先の国を担う宰相補佐。
使用人達の間で流れる噂も鼻であしらっていたが、これは一体どういうことか。
食堂の一角に三人で陣取って食事をする。
白身魚のソテーにはトマトソース。
スライスしたパンにスープ。
エルドリッジはその白身魚をパンに挟んで食べた。
それはとても美味しそうで、リュカは羨ましさと行儀の狭間で揺れていた。
やってみたい。
「リュカも挟むか?」
「いいのですか?」
「畏まった場ではなし、かまわないよ」
では失礼して、とリュカはトマトソースたっぷりに白身魚を挟んで食べた。
ソースがパンに染み込んで魚は柔らかくとても美味しい。
「旨いか?」
もぐもぐと口を動かしかながらリュカは何度も頷き、ゴクリと飲み込んだ後でアイザックに耳打ちした。
「魚屋の倅に教えてあげてもいいかもしれません」
それはいいな、とクスクスと笑い合う。
秘密めいたそれから二人の親密さが窺える。
「エルドリッジ、どうだった?警備の参考になりそうか?」
「あぁ、気づけなかったことにも気づけたよ」
「リュカは何か気になることあったか?」
「そうですねぇ。・・・氷の花と伝説の大地ですかね」
「リュカ・・・」
「あっ、失礼しました」
いけない、アイザックが隣にいるとなんだか気が抜けてしまう。
この美味しい魚もいけない。
埋まりたい。
「氷の花は北の領土の伝承だ。伝説の大地とやらは知らん」
エルドリッジが笑いを堪えながら言う。
「教えていただき感謝致します」
リュカはぺこりと頭を下げた。
ますますもって埋まりたい。
縮こまるリュカにとうとうエルドリッジが笑いだした。
「なるほどな。学院時代、言い寄る奴らをちぎっては投げちぎっては投げしていたアイザックが落ちた訳がわかった気がする」
「もう私の伴侶だ」
「そうだな、よく見つけたな」
人目も憚らずリュカの指先に残ったパンくずを払い、唇に残ったソースを拭ってやるアイザック。
「明日からも頼むよ、リュカ」
「名を呼ぶな!お前より立場が上なのだぞ?エバンズ夫人と呼べ」
「ここでは俺の方が上だ。そうだ、ここは本人に決めてもらおうじゃないか」
「エバンズ夫人とお呼びください」
リュカは即答した。
アイザックの嫌がることはしたくないから。
「聞いただろ?リュカと呼ぶな・・・待て、明日からもってなんだ」
「ん?他にも夫人に見てもらって忌避ない意見を聞こうと思ってな」
夫人を殊更強調してニヤニヤと笑うエルドリッジ。
「無理だ!」
「無理じゃないさ。宰相様からはたっぷりと協力してもらえ、と言われている」
ぐぬぬ、と押し黙るアイザック。
宰相には逆らえない。
「アイク?僕なら大丈夫ですよ?」
違う、そうじゃないんだとアイザックは思った。
休日まであと二日。
あと二日も我慢できる気がしない。
それにエルドリッジの態度も気にかかる。
こうしちゃいられない。
アイザックは勢いよく立ち上がり、リュカの額と両頬にキスをした。
「リュカ、また迎えに来るから!」
そう言い残し慌ただしく去って行った。
残されたリュカは、初めて顔にキスをされたと心臓が爆発しそうだった。
顔に熱が集まり、自分がどんな顔をしてるのかわからない。
心の中は嬉しさと喜びと愛しさと、もう全部の感情が混ざって思わず笑みが零れた。
その笑みを見たエルドリッジ始め、食堂の面々は思った。
──自分もあんな顔をされてみたい
殻を破って恋するリュカはとても魅力的であった。
その後──
リュカの出仕は二、三日に一度になった。
宰相への直談判はアイザックの粘り勝ちに終わった。
苦々しい顔のエルドリッジにアイザックは勝ち誇り、リュカを抱き寄せた。
こそこそと逃げを打つその人をリュカはニコニコと追い詰めた。
「お兄様」
「わ、私の弟はあのぼんくらだけだ」
「小兄様のことをそんな風に言ってはいけませんよ?」
「リュ、リュカ!お前は何をしたんだ?何をすればお前が伝説の大地に咲く極上の花だと言われるんだ!?兄はぶっ倒れたぞ」
最後はもう涙目の長兄であった。
これを見ろ、と見せられたたんこぶをリュカは優しく撫でた。
魚だと思った噂がもう怪魚の域に達している。
「噂というのは怖いですねぇ。お兄様、大丈夫ですよ。そんな噂、すぐに消えてなくなります」
「な、なんでそんな・・・」
「だって、僕ですよ?一目見たら、噂は噂でしかなかったと皆思うでしょう」
にんまりと笑うリュカは伯爵家にいた頃となんら変わらない弟だった。
「義兄上、お久しぶりです」
「わ、わた、私はもう嫌だー!」
リュカの長兄ジェラール・コックスヒルは、慌てふためき逃げていった。
リュカは腰に回る手に自分の手を重ねて、その手の持ち主を見上げた。
「兄が無作法で申し訳ありません」
「どうしたのだろうな」
「さぁ?普段はあんな兄ではないのですが・・・」
貴族食堂にいる面々はその一部始終を見ていた。
滅多に表舞台に現れない凡庸なリュカとこの先の国を担う宰相補佐。
使用人達の間で流れる噂も鼻であしらっていたが、これは一体どういうことか。
食堂の一角に三人で陣取って食事をする。
白身魚のソテーにはトマトソース。
スライスしたパンにスープ。
エルドリッジはその白身魚をパンに挟んで食べた。
それはとても美味しそうで、リュカは羨ましさと行儀の狭間で揺れていた。
やってみたい。
「リュカも挟むか?」
「いいのですか?」
「畏まった場ではなし、かまわないよ」
では失礼して、とリュカはトマトソースたっぷりに白身魚を挟んで食べた。
ソースがパンに染み込んで魚は柔らかくとても美味しい。
「旨いか?」
もぐもぐと口を動かしかながらリュカは何度も頷き、ゴクリと飲み込んだ後でアイザックに耳打ちした。
「魚屋の倅に教えてあげてもいいかもしれません」
それはいいな、とクスクスと笑い合う。
秘密めいたそれから二人の親密さが窺える。
「エルドリッジ、どうだった?警備の参考になりそうか?」
「あぁ、気づけなかったことにも気づけたよ」
「リュカは何か気になることあったか?」
「そうですねぇ。・・・氷の花と伝説の大地ですかね」
「リュカ・・・」
「あっ、失礼しました」
いけない、アイザックが隣にいるとなんだか気が抜けてしまう。
この美味しい魚もいけない。
埋まりたい。
「氷の花は北の領土の伝承だ。伝説の大地とやらは知らん」
エルドリッジが笑いを堪えながら言う。
「教えていただき感謝致します」
リュカはぺこりと頭を下げた。
ますますもって埋まりたい。
縮こまるリュカにとうとうエルドリッジが笑いだした。
「なるほどな。学院時代、言い寄る奴らをちぎっては投げちぎっては投げしていたアイザックが落ちた訳がわかった気がする」
「もう私の伴侶だ」
「そうだな、よく見つけたな」
人目も憚らずリュカの指先に残ったパンくずを払い、唇に残ったソースを拭ってやるアイザック。
「明日からも頼むよ、リュカ」
「名を呼ぶな!お前より立場が上なのだぞ?エバンズ夫人と呼べ」
「ここでは俺の方が上だ。そうだ、ここは本人に決めてもらおうじゃないか」
「エバンズ夫人とお呼びください」
リュカは即答した。
アイザックの嫌がることはしたくないから。
「聞いただろ?リュカと呼ぶな・・・待て、明日からもってなんだ」
「ん?他にも夫人に見てもらって忌避ない意見を聞こうと思ってな」
夫人を殊更強調してニヤニヤと笑うエルドリッジ。
「無理だ!」
「無理じゃないさ。宰相様からはたっぷりと協力してもらえ、と言われている」
ぐぬぬ、と押し黙るアイザック。
宰相には逆らえない。
「アイク?僕なら大丈夫ですよ?」
違う、そうじゃないんだとアイザックは思った。
休日まであと二日。
あと二日も我慢できる気がしない。
それにエルドリッジの態度も気にかかる。
こうしちゃいられない。
アイザックは勢いよく立ち上がり、リュカの額と両頬にキスをした。
「リュカ、また迎えに来るから!」
そう言い残し慌ただしく去って行った。
残されたリュカは、初めて顔にキスをされたと心臓が爆発しそうだった。
顔に熱が集まり、自分がどんな顔をしてるのかわからない。
心の中は嬉しさと喜びと愛しさと、もう全部の感情が混ざって思わず笑みが零れた。
その笑みを見たエルドリッジ始め、食堂の面々は思った。
──自分もあんな顔をされてみたい
殻を破って恋するリュカはとても魅力的であった。
その後──
リュカの出仕は二、三日に一度になった。
宰相への直談判はアイザックの粘り勝ちに終わった。
苦々しい顔のエルドリッジにアイザックは勝ち誇り、リュカを抱き寄せた。
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