その愛は契約に含まれますか?[本編終了]

谷絵 ちぐり

文字の大きさ
上 下
34 / 190

噂よりも

しおりを挟む
貴族食堂では意外な人と出くわした。
こそこそと逃げを打つその人をリュカはニコニコと追い詰めた。

「お兄様」
「わ、私の弟はあのぼんくらだけだ」
小兄様しょうにいさまのことをそんな風に言ってはいけませんよ?」
「リュ、リュカ!お前は何をしたんだ?何をすればお前が伝説の大地に咲く極上の花だと言われるんだ!?兄はぶっ倒れたぞ」

最後はもう涙目の長兄であった。
これを見ろ、と見せられたたんこぶをリュカは優しく撫でた。
魚だと思った噂がもう怪魚の域に達している。

「噂というのは怖いですねぇ。お兄様、大丈夫ですよ。そんな噂、すぐに消えてなくなります」
「な、なんでそんな・・・」
「だって、僕ですよ?一目見たら、噂は噂でしかなかったと皆思うでしょう」

にんまりと笑うリュカは伯爵家にいた頃となんら変わらない弟だった。

義兄上あにうえ、お久しぶりです」
「わ、わた、私はもう嫌だー!」

リュカの長兄ジェラール・コックスヒルは、慌てふためき逃げていった。
リュカは腰に回る手に自分の手を重ねて、その手の持ち主を見上げた。

「兄が無作法で申し訳ありません」
「どうしたのだろうな」
「さぁ?普段はあんな兄ではないのですが・・・」


貴族食堂にいる面々はその一部始終を見ていた。
滅多に表舞台に現れない凡庸なリュカとこの先の国を担う宰相補佐。
使用人達の間で流れる噂も鼻であしらっていたが、これは一体どういうことか。

食堂の一角に三人で陣取って食事をする。
白身魚のソテーにはトマトソース。
スライスしたパンにスープ。
エルドリッジはその白身魚をパンに挟んで食べた。
それはとても美味しそうで、リュカは羨ましさと行儀の狭間で揺れていた。
やってみたい。

「リュカも挟むか?」
「いいのですか?」
「畏まった場ではなし、かまわないよ」

では失礼して、とリュカはトマトソースたっぷりに白身魚を挟んで食べた。
ソースがパンに染み込んで魚は柔らかくとても美味しい。

「旨いか?」

もぐもぐと口を動かしかながらリュカは何度も頷き、ゴクリと飲み込んだ後でアイザックに耳打ちした。

「魚屋の倅に教えてあげてもいいかもしれません」

それはいいな、とクスクスと笑い合う。
秘密めいたそれから二人の親密さが窺える。

「エルドリッジ、どうだった?警備の参考になりそうか?」
「あぁ、気づけなかったことにも気づけたよ」
「リュカは何か気になることあったか?」
「そうですねぇ。・・・氷の花と伝説の大地ですかね」
「リュカ・・・」
「あっ、失礼しました」

いけない、アイザックが隣にいるとなんだか気が抜けてしまう。
この美味しい魚もいけない。
埋まりたい。

「氷の花は北の領土の伝承だ。伝説の大地とやらは知らん」

エルドリッジが笑いを堪えながら言う。

「教えていただき感謝致します」

リュカはぺこりと頭を下げた。
ますますもって埋まりたい。
縮こまるリュカにとうとうエルドリッジが笑いだした。

「なるほどな。学院時代、言い寄る奴らをちぎっては投げちぎっては投げしていたアイザックが落ちた訳がわかった気がする」
「もう私の伴侶だ」
「そうだな、よく見つけたな」

人目も憚らずリュカの指先に残ったパンくずを払い、唇に残ったソースを拭ってやるアイザック。

「明日からも頼むよ、リュカ」
「名を呼ぶな!お前より立場が上なのだぞ?エバンズ夫人と呼べ」
「ここでは俺の方が上だ。そうだ、ここは本人に決めてもらおうじゃないか」
「エバンズ夫人とお呼びください」

リュカは即答した。
アイザックの嫌がることはしたくないから。

「聞いただろ?リュカと呼ぶな・・・待て、明日からってなんだ」
「ん?他にもに見てもらって忌避ない意見を聞こうと思ってな」

夫人を殊更強調してニヤニヤと笑うエルドリッジ。

「無理だ!」
「無理じゃないさ。宰相様からはと協力してもらえ、と言われている」

ぐぬぬ、と押し黙るアイザック。
宰相には逆らえない。

「アイク?僕なら大丈夫ですよ?」

違う、そうじゃないんだとアイザックは思った。
休日まであと二日。
あと二日も我慢できる気がしない。
それにエルドリッジの態度も気にかかる。
こうしちゃいられない。
アイザックは勢いよく立ち上がり、リュカの額と両頬にキスをした。

「リュカ、また迎えに来るから!」

そう言い残し慌ただしく去って行った。
残されたリュカは、初めて顔にキスをされたと心臓が爆発しそうだった。
顔に熱が集まり、自分がどんな顔をしてるのかわからない。
心の中は嬉しさと喜びと愛しさと、もう全部の感情が混ざって思わず笑みが零れた。

その笑みを見たエルドリッジ始め、食堂の面々は思った。

──自分もあんな顔をされてみたい

殻を破って恋するリュカはとても魅力的であった。



その後──
リュカの出仕は二、三日に一度になった。
宰相への直談判はアイザックの粘り勝ちに終わった。
苦々しい顔のエルドリッジにアイザックは勝ち誇り、リュカを抱き寄せた。

しおりを挟む
感想 185

あなたにおすすめの小説

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

狂わせたのは君なのに

白兪
BL
ガベラは10歳の時に前世の記憶を思い出した。ここはゲームの世界で自分は悪役令息だということを。ゲームではガベラは主人公ランを悪漢を雇って襲わせ、そして断罪される。しかし、ガベラはそんなこと望んでいないし、罰せられるのも嫌である。なんとかしてこの運命を変えたい。その行動が彼を狂わすことになるとは知らずに。 完結保証 番外編あり

【運命】に捨てられ捨てたΩ

雨宮一楼
BL
「拓海さん、ごめんなさい」 秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。 「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」 秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。 【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。 なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。 右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。 前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。 ※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。 縦読みを推奨します。

白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。  無言で睨む夫だが、心の中は──。 【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】 4万文字ぐらいの中編になります。 ※小説なろう、エブリスタに記載してます

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです

王子のこと大好きでした。僕が居なくてもこの国の平和、守ってくださいますよね?

人生1919回血迷った人
BL
Ωにしか見えない一途な‪α‬が婚約破棄され失恋する話。聖女となり、国を豊かにする為に一人苦しみと戦ってきた彼は性格の悪さを理由に婚約破棄を言い渡される。しかしそれは歴代最年少で聖女になった弊害で仕方のないことだった。 ・五話完結予定です。 ※オメガバースで‪α‬が受けっぽいです。

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

それ以上近づかないでください。

ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」 地味で冴えない小鳥遊凪は、ある日、憧れの人である蓮見馨に不意に告白をしてしまい、2人は付き合うことになった。 まるで夢のような時間――しかし、その恋はある出来事をきっかけに儚くも終わりを迎える。 転校を機に、馨のことを全てを忘れようと決意した凪。もう二度と彼と会うことはないはずだった。 ところが、あることがきっかけで馨と再会することになる。 「本当に可愛い。」 「凪、俺以外のやつと話していいんだっけ?」 かつてとはまるで別人のような馨の様子に戸惑う凪。 「お願いだから、僕にもう近づかないで」

処理中です...