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甘くて苦い

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いいのか?これは、とリュカは目の前の男をまじまじと眺めた。

「どこかおかしいか?」
「いえ、大変お似合いです」

『貴族が街にお忍びできました』が丸わかりなエバンズ公爵。
飾り気のない装いだが、隠しきれない貴族の雰囲気。
きっとなにを着ても変わらないだろうな、とリュカは思った。

「行きましょうか」



貴族街を抜けたところで馬車を降りる。
ポンポンと腕を叩いているエバンズ公爵の腕に自分のそれを絡ませて歩く。
特にエスコートが必要だとは思わないが、そんなことはエバンズ公爵の顔を見ると言えない。
ワクワクが止まらない、という顔。
迷子になられても困るから仕方ない。

「アイザック様は、」
「リュカ、アイクと呼んでくれ」
「なぜでしょう?」
「私が貴族だと気づかれるかもしれない」

リュカはポカーンと空いた口が塞がらない。
どう見ても貴族のお忍びですよ。
はは、と呆れ笑いがポロリと落ちる。

「リュカも、もっとざっけなく話してほしい」
「わかりました、アイク」

満足気に笑むのを見てリュカは思う、変わったお人だと。


ショコラパイは『甘美な瑠璃色茶屋』という店にある。
歩き着いたそこは、すでに行列ができていた。

「並ぶのか?」
「そうですよ」
「知っていたら誰かに並ばせたのに」
「アイク、並んで待つというのもまた楽しいのです」

並んだことなどないであろうエバンズ公爵は驚いたが、大人しく列に加わった。
すぐに背後にも人が来て、人気店だということがよくわかる。
居心地悪くもぞもぞとするエバンズ公爵にリュカの笑みが零れた。

「アイク、並んでる人達の顔を見てください。これから楽しむ時間を期待して嬉しそうです」
「ん?あぁ、まぁそう見えるな」
「次に出てくる人を見てください。満足そうに皆、顔が綻んでます。ますます期待が高まります」

こそこそと耳元で話すとエバンズ公爵は擽ったそうに身を捩った。

「あそこの客を見てください。きっとデートですよ。あ、ほら、髪に口付けてます」

恥ずかしそうな女を愛おしげに見つめる男。
それを好奇心旺盛いっぱいで眺める。
あぁ、書き留めたい!とリュカはうずうずした。

「元気出しなよ。今日は僕が奢るよ」
「うん」
「甘いものでも食べてさ、次いこうよ」
「うん、そうだよね!また誰か好きになれるよね」
「その意気だよ」

背後の二人の会話が聞こえてくる。
失恋でもしてしまったのだろうか、そしてそれを慰める友人。
それは、まさに今の自分たちにも当てはまるのでは?

「アイク・・・」
「何も言うな」
「元気だしてくださいね」

エバンズ公爵のなんとも言えないくしゃりと歪んだ顔。
じりじりと進む列。
特上ショコラパイを召し上がっていただこうとリュカは決意した。


案内された席は小さな丸いテーブルに向かいあわせで座る席。

「小さくないか?」
「こんなものですよ」
「アイクは特上にしましょう」
「特上とは?」
「普通の二倍の大きさです」
「普通でいい」

メニューを真ん中に顔を付き合わせて相談する。
リュカの慰める気持ちは呆気なく却下されてしまった。
運ばれてきたパイは丸くて表面がピカリと光るくらい艶々だった。
ナイフをいれるとサクッと音がして、中からとろりと溶けたショコラが溢れてくる。
歯触りのいいパイをそれに絡ませて食べる。

「あぁー、おいしいっ」
「リュカ、口の端についてるぞ」

これは失礼、とリュカは端についたショコラをペロリと舐めとった。
無作法なそれにエバンズ公爵は目を丸くしているが、今日くらいいいだろう。

「美味しかったですねぇ」
「そうだな」

最近出回り始めた珈琲は大層苦い。
だが、それが甘いショコラによく合う。

「アイク、別れましょうか?」

ゲホッゴホッと咳き込むエバンズ公爵。

「大丈夫ですか?」
「なぜ、そ、そのような」
「列に並んでいるときに聞いたでしょう?アイクも次に目を向けるべきかなぁと」
「・・・リュカはそうしたいのか?」
「んー、そうですねぇ」

離れ家の暮らしに文句はない、むしろ快適だ。
煩わしいこともなく執筆できる環境はとても良い。
グレイの造るこぢんまりした庭もいいし、マーサについて厨房に入るのも楽しい。
ジェリーの作ったベンチも質素だけれど頑丈で座り心地は悪くない。
出来ればもう少しあそこにいたい。
それに・・・・

「まだ別れたくない!」
「え?あ、はい。ではそれで」

それに、なんだったろうか。
なにかが心を掠めたのにエバンズ公爵の大声で霧散してしまった。
ざわついていた店内の注目を一身に集めている。
美形が何を血迷ったか、真偽はともかく地味男に別れたくないと縋っているのだ。
そりゃ、見るだろう。
自分でも注目して、あれやこれやと想像してしまう場面だ。
ずずずっと珈琲に口をつけながら見るエバンズ公爵はあからさまに安堵の表情を浮かべている。
さすがに三年もたずに離縁は外聞が悪いか、とリュカは納得した。

ショコラのない珈琲はひどく苦くて、リュカは顔を顰めて思う存分砂糖を入れた。

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