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新しい生活

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リュカの離れ家での生活は順風満帆だった。
庭師のグレイは寡黙で庭仕事から力仕事までなんでもできる。
その妻のマーサはリュカの乳母のようなもので幼いころからずっとリュカに付いていた侍女。
その息子のジェリーはグレイについて庭仕事を手伝っている。
ジェリーはリュカより三つ歳上で、街にある食堂の給仕をしている娘と恋仲だ。
この惚気話を聞くのもリュカは好きだ。
三人は契約結婚のことを知ると仰天した。
マーサは青ざめオロオロし、普段落ち着いてるグレイですら狼狽えていた。
ジェリーだけは大笑いして、リュカ様らしいやと言った。
公爵家の使用人はいない。
情がうつるとやはり後々困ると思ったし、市井でやっていくには自分のことは自分でできるようにならなければいけない。
なので、マーサについて厨房にも入るし箒も持って掃除もする。
公爵家には内緒だがリュカは仕事もしている。

伯爵家から持参した自分の物書き机。
飴色のそれは年季が入っていて亡き母の形見のようなものだ。
大きな本棚は半分ほど埋まっており、多種多様な文献や辞書、図鑑や大衆小説が入っている。
その中の三冊──
『ナリスの冒険』
『炎の山と氷の姫様』
『空に浮かぶ島の花嫁』
これらはリュカが書いたものだ。
リュカは児童文学を書く小説家だった。
だが、児童文学一本では厳しく出版社から恋愛ものを書かないかと言われたのが一年前。
そう、エバンズ公爵から契約結婚を提案された時期だ。
話の種にもなるような気がしたし、何より先立つものは必要なのでリュカはその提案に乗った。
エバンズ公爵の三角関係はなかなかに良い種だと思ったが、なかなか筆が進まない。
なんだか忍びないのだ。
一枚隔てたどこかから見る他者の恋愛と、生々しく近くで感じる恋愛模様。
血の通ったそれを書くのは気が引ける。
真っ白な原稿用紙を前にむむむと悩む日々が続いている。
ので、リュカはマーサに教わりながら菓子を焼いたりする。
硬いクッキーは今は少しだけサクサクになった。
マーサと同じようにしているのになぜ?と今日もリュカはクッキーをかじる。


王太子殿下の婚姻から二月が経った。
エバンズ公爵も後処理などの多忙な日々が終わったのか、リュカの目の前にいる。
一月に一度のお手当ての日、いつもならソルジュが離れ家にやってくる。
それ以外にも御用聞きと称してソルジュはしょっちゅう離れ家にやってくるが、エバンズ公爵が来るのは初めてだ。
リュカは、どうしたのだろうと思いながら手ずから茶を淹れて茶菓子のクッキーを並べる。
エバンズ公爵はクッキーを一枚食べるとニコリと笑った。

「リュカ、腕を上げたな。美味い」
「それはマーサが焼いたものでございます」

なんとも奇妙な沈黙が流れた。
エバンズ公爵は気まずそうに目を伏せていたが、ぱっと顔をあげて言う。

「ソルジュにはリュカの作ったものを出しているんだろう?」
「えぇ、けれどなかなか上手くいきませんで・・・ソルジュの歯は手強いです」
「・・・そうか」
「残務処理の方は落ち着かれたのですか?」
「あぁ、やっと通常に戻った」
「それは何よりでございますね」

その後当たり障りのない話をして、エバンズ公爵は本邸に戻っていった。
それからも月に一度のお手当ての日にエバンズ公爵はやってくる。
その日が駄目なら、わざわざ日にちをずらしてやってくる。
城の話などは面白いし、話の種にもなるのでリュカとして否やを唱えることはない。
しかし、これはどういう風の吹き回しだろう。
形ばかりといっても顔を合わさないのはまずいと思ったのだろうか。
上流の人の考えはわからないなぁ、とリュカは考えることをやめた。

そんなある日、お手当ての日でもないのにエバンズ公爵がやってきた。
その手には招待状があり、それは王太子妃殿下からのものだった。

「すまない。ずっと断っていたんだが、正式に招待されるとなると私ではとめられない」
「それは、まぁそうでしょうね」

社交は最小限、をエバンズ公爵は守ってくれている。
茶会の招待状などは山のように来るが、そのどれもが公爵より下の爵位なので断るのは簡単だ。
断れないのは、同じ公爵家と侯爵家の一部位のものだろう。
まさか王家からくるとは、とリュカは嘆息した。

「旦那様もご一緒されるので?」
「アイザックと」
「あぁ、アイザック様」
「いや、私は招待されていない。君とベルの二人だけだ」
「それはまた・・・」

リュカは黙り込んだ。
一体何用だろうか、形ばかりの婚姻がバレたのかと不安になる。

「これは断れませんので参ります」
「すまない。恩に着る」
「いいえ。伴侶としての役目、全うさせていただきます」

リュカは腹を括って、とんと胸を叩いて請け負った。
茶会は一月後、婚姻を結んで八ヶ月後のことだった。
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