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提案される昼
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リュカは今、庭の草むしりをしている。
麦わら帽子をすっぽりと被って庭師のグレイと共にわしわしとむしっている。
伯爵令息であるリュカがすることではない。
だがリュカは土から顔を出すみみずや、草の葉に乗っているてんとう虫、ひらひらと舞う蝶が好きだった。
「リュカ」
「お父様、どうされました?」
「それはこっちが聞きたい」
ん?とリュカは首を傾げて立ち上がった。
パンパンと両手の土を落としながら父に近づいていく。
「エバンズ公爵から先触れがあった。これよりお前に会いにいらっしゃる」
「公爵様が?」
「リュカ、何をしたんだ」
「何もしておりません!」
訝しげな父の視線から逃げるようにリュカは屋敷に走った。
私室で着替えながらリュカは思う、10人いたら10人が次の日には忘れてしまうという当たり障りのないこの顔でよくリュカの家がコックスヒル伯爵家だとわかったなと。
姿見に映る凡庸な男。
市井に下りても誰も元貴族だとは思うまい。
あの夜、『月下の会』から10日は経っている。
リュカと公爵の接点はあの夜交わした会話だけだ。
一体何用だろうか、とリュカは首を傾げた。
コックスヒル家の門から玄関までのさほど長くないアプローチを二頭立ての馬車がゆっくり入ってくる。
馬車にはエバンズ家の梟の紋章がきっちり入っており父共々目を剥いた。
正式な訪問の証であるそれに、リュカは服選びを間違ったかなと悔いた。
ジャケットは羽織っているがやはり礼装した方が良かっただろうか、と考えているうちに馬車からエバンズ公爵が降りてきてしまった。
挨拶もそこそこにリュカはサロンにエバンズ公爵と二人で向かいあっていた。
「リュカと二人で話がしたい」
吹けば飛ぶような弱小伯爵家当主の父の威厳などこの歳若い公爵家当主の前ではなんの意味も無かった。
口に合うといいけれど、とリュカは手ずから茶を淹れる。
茶菓子はなんの素っ気もない丸いクッキーで、それは今朝方リュカが焼いたもの。
紅茶を一口含んでから、エバンズ公爵は切り出した。
「リュカ、私と婚姻を結んでくれないだろうか」
「はぁ・・・」
人というものは驚きすぎると、なんの反応もできないのだなぁとリュカは思った。
それを心の帳面に書き残しておく。
「それは承知したということでいいかい?」
「公爵様に逆らうことなどできませんので」
なにがおかしいのかエバンズ公爵は、それもそうかとくつくつと笑う。
からかいにいらっしゃるほど暇な方ではないはずだけれど、とリュカは笑みを貼り付ける。
これは一つ提案なんだが、と前置きをしてエバンズ公爵はまた紅茶を口に含む。
「私は、まあ自分で言うのもなんだが引く手数多だ」
でしょうねぇ、とリュカは自分で焼いたクッキーをポリポリと食べる。
「だが、心に想う人がいる。きっともうその人以外は愛せないと思うんだ」
なるほどねぇ、とリュカは紅茶のおかわりを自分のカップに注ぐ。
「その人とはもうどうにもならない。だが私の立場上、一生独り身というわけにはいかない」
公爵家当主ですからねぇ、と思いながらリュカは頷いた。
「君はあの夜、婚約解消されて市井に下ると言ったね?その前に一つ仕事をしないか?期限は三年、私と契約結婚してもらいたい。もちろん報酬は払うよ。市井に下っても充分やっていける額だ」
エバンズ公爵は紅茶をクイッと飲み干してニヤリと笑った。
「君は私の事など眼中に無いだろう?」
「いきなり婚姻を結ぶといっても周りは納得しませんでしょう。そうですね、婚約期間を一年設けましょう。その後、公爵様の気持ちが変わらなければ契約結婚を履行するというのはどうでしょうか?」
「話が早いね」
リュカは空になったエバンズ公爵のカップに茶を注ごうとして制された。
「これから登城だ。細かい話はまた次の機会でもいいかな?そうだな、また10日後に今度はうちにきてくれないか?」
「承知いたしました」
リュカは頭を下げた。
貴族の礼ではなく、ただのお辞儀だったがエバンズ公爵は頷いた。
「服装もね、畏まらなくてかまわないから」
そう言ってエバンズ公爵はコックスヒル家を去った。
出迎えの時に服装を気にしていたのがバレていたらしい。
リュカは恥ずかしく思いながら、去っていく馬車に胸の内でペロリと舌を出した。
麦わら帽子をすっぽりと被って庭師のグレイと共にわしわしとむしっている。
伯爵令息であるリュカがすることではない。
だがリュカは土から顔を出すみみずや、草の葉に乗っているてんとう虫、ひらひらと舞う蝶が好きだった。
「リュカ」
「お父様、どうされました?」
「それはこっちが聞きたい」
ん?とリュカは首を傾げて立ち上がった。
パンパンと両手の土を落としながら父に近づいていく。
「エバンズ公爵から先触れがあった。これよりお前に会いにいらっしゃる」
「公爵様が?」
「リュカ、何をしたんだ」
「何もしておりません!」
訝しげな父の視線から逃げるようにリュカは屋敷に走った。
私室で着替えながらリュカは思う、10人いたら10人が次の日には忘れてしまうという当たり障りのないこの顔でよくリュカの家がコックスヒル伯爵家だとわかったなと。
姿見に映る凡庸な男。
市井に下りても誰も元貴族だとは思うまい。
あの夜、『月下の会』から10日は経っている。
リュカと公爵の接点はあの夜交わした会話だけだ。
一体何用だろうか、とリュカは首を傾げた。
コックスヒル家の門から玄関までのさほど長くないアプローチを二頭立ての馬車がゆっくり入ってくる。
馬車にはエバンズ家の梟の紋章がきっちり入っており父共々目を剥いた。
正式な訪問の証であるそれに、リュカは服選びを間違ったかなと悔いた。
ジャケットは羽織っているがやはり礼装した方が良かっただろうか、と考えているうちに馬車からエバンズ公爵が降りてきてしまった。
挨拶もそこそこにリュカはサロンにエバンズ公爵と二人で向かいあっていた。
「リュカと二人で話がしたい」
吹けば飛ぶような弱小伯爵家当主の父の威厳などこの歳若い公爵家当主の前ではなんの意味も無かった。
口に合うといいけれど、とリュカは手ずから茶を淹れる。
茶菓子はなんの素っ気もない丸いクッキーで、それは今朝方リュカが焼いたもの。
紅茶を一口含んでから、エバンズ公爵は切り出した。
「リュカ、私と婚姻を結んでくれないだろうか」
「はぁ・・・」
人というものは驚きすぎると、なんの反応もできないのだなぁとリュカは思った。
それを心の帳面に書き残しておく。
「それは承知したということでいいかい?」
「公爵様に逆らうことなどできませんので」
なにがおかしいのかエバンズ公爵は、それもそうかとくつくつと笑う。
からかいにいらっしゃるほど暇な方ではないはずだけれど、とリュカは笑みを貼り付ける。
これは一つ提案なんだが、と前置きをしてエバンズ公爵はまた紅茶を口に含む。
「私は、まあ自分で言うのもなんだが引く手数多だ」
でしょうねぇ、とリュカは自分で焼いたクッキーをポリポリと食べる。
「だが、心に想う人がいる。きっともうその人以外は愛せないと思うんだ」
なるほどねぇ、とリュカは紅茶のおかわりを自分のカップに注ぐ。
「その人とはもうどうにもならない。だが私の立場上、一生独り身というわけにはいかない」
公爵家当主ですからねぇ、と思いながらリュカは頷いた。
「君はあの夜、婚約解消されて市井に下ると言ったね?その前に一つ仕事をしないか?期限は三年、私と契約結婚してもらいたい。もちろん報酬は払うよ。市井に下っても充分やっていける額だ」
エバンズ公爵は紅茶をクイッと飲み干してニヤリと笑った。
「君は私の事など眼中に無いだろう?」
「いきなり婚姻を結ぶといっても周りは納得しませんでしょう。そうですね、婚約期間を一年設けましょう。その後、公爵様の気持ちが変わらなければ契約結婚を履行するというのはどうでしょうか?」
「話が早いね」
リュカは空になったエバンズ公爵のカップに茶を注ごうとして制された。
「これから登城だ。細かい話はまた次の機会でもいいかな?そうだな、また10日後に今度はうちにきてくれないか?」
「承知いたしました」
リュカは頭を下げた。
貴族の礼ではなく、ただのお辞儀だったがエバンズ公爵は頷いた。
「服装もね、畏まらなくてかまわないから」
そう言ってエバンズ公爵はコックスヒル家を去った。
出迎えの時に服装を気にしていたのがバレていたらしい。
リュカは恥ずかしく思いながら、去っていく馬車に胸の内でペロリと舌を出した。
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