不香の花の行く道は

谷絵 ちぐり

文字の大きさ
上 下
5 / 17

白井広樹

しおりを挟む
雷に打たれたような、という言葉があるのを知ったのはだいぶ大人になってからでそれを知ったと同時に納得した。
頭のてっぺんから足の爪先までビリビリと痺れるが駆け抜けた。

「…ジュン、こしのじゅん」

玄関先で母親の影に隠れて顔を半分だけ出したその子はそう言った。
隣家に引っ越してきたその子、艶々の黒い髪の一部がぴょこりと跳ねていた。

向かいの家に住む雪成と純、そして広樹の三人はその物理的な距離の近さから日々顔を合わせ仲良くなっていった。
幼稚園で遠巻きにされていた雪成、『みんないっしょに、みんななかよく』というスローガンは時に異物を排除するものに取って代わる。
祖父がスウェーデン人だという雪成の瞳は水色で髪は明るいオレンジ色、それに加えて子どもらしからぬ美しさでもってその対象になった。
それを救ったのが純だ。

『ユキちゃん。だーいすき』

キラキラとした眼差しでそう言う純にもやもやとした何かが渦巻いた。
それがなにかわからないまま小学校に進級し、初めての夏休みには起こった。

公園でのラジオ体操からの帰り道、三人で遊ぶ約束をした。

「暑いから家で遊んだら?」

その母の言葉を聞き入れていれば良かった、そう悔やんでももう遅かった。
水筒にたっぷり麦茶を入れてもらって駆けていった公園、へたりこんで泣いている純が目に入った。
どんな時でも最初に目に入るのは純だ、ぼたぼたと涙を垂れ流し酸欠の金魚のように口をパクパクさせていた。

「…ジュンちゃん?」

純の見開いた目のその先、ぷらぷらと揺れる爪先…雪成の首を持って持ち上げている男。
ゴトンだかガシャンだか水筒が肩から滑り落ちたと思った時には走り出して男に体当たりしていた。
男の手から離れた雪成はそのまま砂場に落ちた。

「ジュンちゃん!だれかおとなの人よんできて!!早く!ユキちゃんが死んじゃう!!」

ふらふらと走り出した純の背中が遠ざかって、気づけば男はいなくなっていた。
ぐったりと力の抜けた雪成、一気に肺に空気が入りこんだせいかなんのか、ごぼりとなにかを吐き出した。
血にまみれたそれは素麺で、ユキちゃん家のお昼は素麺だったんだなぁとぼんやりと思った。
そのことが唐突に日常を突きつけられた気がして広樹も遅れて嘔吐した。




「───…んでそんなこと言うの!!」

高校生活もあと僅かとなった冬の日、朝から純が喚いていた。
なにがあったのか聞かなくてもわかる、きっと雪成が純から離れようとしたのだ。
あの夏の日から純は雪成を危険な目にあわせた罪悪感から、助けてもらった恩義から、そしてなにより大好きな雪成から離れない。

「ジュン、遅刻しちゃうよ?」
「ヒロ…だって、ユキちゃんがっ」

目に溜まった涙がぽろりと零れて、その背中をそっと撫でさする。
これまでもこんなことはあった、純は雪成を心配するあまりに縛って閉じ込めてきた。
新しい友だちができるのを嫌い、雪成へ秋波を送る者は容赦なく貶めた。
美しく成長していく雪成に惹かれる者は多い、その度に純はそれを排除してきた。
そう、文字通り排除したのだ。
ある時、雪成の体操服が無くなった、それは雪成を想う男の鞄から出てきた。
雪成の給食にまち針が入っていた時には、給食係を糾弾した。
オメガ性が判明した時に親身になってくれた担任には、小児趣味であると根も葉もない噂を流した。
そのうち雪成に関わると良くないことが起きると囁かれるようになり、それと共に雪成からは表情が失われ、いつしか人形のような微笑を浮かべるだけになった。
純は自分が正義だと思っている、あの夏の日の出来事が純から離れない。
誰が何を言っても聞かない、それどころか取り乱し喚き散らす。
目の前で雪成が死んでしまう、何も出来なかった自分を純は取り戻したいのだ。
そして正義のヒーローである広樹と雪成が結ばれるのを願っている。

「ユキ、大丈夫だから」
「…うん」

もう限界だと雪成は感じている、わかるよ、このままではいられない。


その次の日、夜半から降り続いた雪が朝方には降り止んで、一面を真っ白に覆った雪が朝焼けにキラキラと輝いていた。

「…ユキ」
「ヒロ、おはよう」
「行くのか?」
「うん、ジュンちゃんのためにも僕がここにいちゃいけないから」

雪成は高校に入ってから少しづつ距離を置いてきた、部活にも入らずにアルバイトまでして。
それでも純は変わらなかった、変わらずに激昂した。

「アキラには?」
「なにも」
「なにか伝えることは?」
「……寂しくなかったよ、って」

そう言って笑った雪成の瞳は久しぶりに見た水色で、夏の陽射しのように眩しかった。
サクサクと音を立てて、真っ白な道に足跡を残していく。
卒業を待たずに小さなボストンバッグひとつ持って雪成は家を出た。

ぶるりと身が震えたのは寒さからじゃない、ようやくこの時がきたのだという思いからだ。
純の雪成への苛烈な思いを自分に向けることができる、五歳から数えて十三年、あの夏の日から十一年。
狂ってしまった本能を正す時がきた、純の中に眠るオメガの血を呼び起こすのだ。
アルファと診断されてから、純と初めて会った時のことを何度も思いだす。
雷に打たれたようなあの感覚はきっと運命、それを取り戻す。

白井広樹はひっそりと笑って隣家を見上げた。


しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

彼の理想に

いちみやりょう
BL
あの人が見つめる先はいつも、優しそうに、幸せそうに笑う人だった。 人は違ってもそれだけは変わらなかった。 だから俺は、幸せそうに笑う努力をした。 優しくする努力をした。 本当はそんな人間なんかじゃないのに。 俺はあの人の恋人になりたい。 だけど、そんなことノンケのあの人に頼めないから。 心は冗談の中に隠して、少しでもあの人に近づけるようにって笑った。ずっとずっと。そうしてきた。

僕の番

結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが―― ※他サイトにも掲載

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

付き合って一年マンネリ化してたから振られたと思っていたがどうやら違うようなので猛烈に引き止めた話

雨宮里玖
BL
恋人の神尾が突然連絡を経って二週間。神尾のことが諦められない樋口は神尾との思い出のカフェに行く。そこで神尾と一緒にいた山本から「神尾はお前と別れたって言ってたぞ」と言われ——。 樋口(27)サラリーマン。 神尾裕二(27)サラリーマン。 佐上果穂(26)社長令嬢。会社幹部。 山本(27)樋口と神尾の大学時代の同級生。

言い逃げしたら5年後捕まった件について。

なるせ
BL
 「ずっと、好きだよ。」 …長年ずっと一緒にいた幼馴染に告白をした。 もちろん、アイツがオレをそういう目で見てないのは百も承知だし、返事なんて求めてない。 ただ、これからはもう一緒にいないから…想いを伝えるぐらい、許してくれ。  そう思って告白したのが高校三年生の最後の登校日。……あれから5年経ったんだけど…  なんでアイツに馬乗りにされてるわけ!? ーーーーー 美形×平凡っていいですよね、、、、

白い部屋で愛を囁いて

氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。 シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。 ※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。

処理中です...