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白井広樹
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雷に打たれたような、という言葉があるのを知ったのはだいぶ大人になってからでそれを知ったと同時に納得した。
頭のてっぺんから足の爪先までビリビリと痺れるなにかが駆け抜けた。
「…ジュン、こしのじゅん」
玄関先で母親の影に隠れて顔を半分だけ出したその子はそう言った。
隣家に引っ越してきたその子、艶々の黒い髪の一部がぴょこりと跳ねていた。
向かいの家に住む雪成と純、そして広樹の三人はその物理的な距離の近さから日々顔を合わせ仲良くなっていった。
幼稚園で遠巻きにされていた雪成、『みんないっしょに、みんななかよく』というスローガンは時に異物を排除するものに取って代わる。
祖父がスウェーデン人だという雪成の瞳は水色で髪は明るいオレンジ色、それに加えて子どもらしからぬ美しさでもってその対象になった。
それを救ったのが純だ。
『ユキちゃん。だーいすき』
キラキラとした眼差しでそう言う純にもやもやとした何かが渦巻いた。
それがなにかわからないまま小学校に進級し、初めての夏休みにそれは起こった。
公園でのラジオ体操からの帰り道、三人で遊ぶ約束をした。
「暑いから家で遊んだら?」
その母の言葉を聞き入れていれば良かった、そう悔やんでももう遅かった。
水筒にたっぷり麦茶を入れてもらって駆けていった公園、へたりこんで泣いている純が目に入った。
どんな時でも最初に目に入るのは純だ、ぼたぼたと涙を垂れ流し酸欠の金魚のように口をパクパクさせていた。
「…ジュンちゃん?」
純の見開いた目のその先、ぷらぷらと揺れる爪先…雪成の首を持って持ち上げている男。
ゴトンだかガシャンだか水筒が肩から滑り落ちたと思った時には走り出して男に体当たりしていた。
男の手から離れた雪成はそのまま砂場に落ちた。
「ジュンちゃん!だれかおとなの人よんできて!!早く!ユキちゃんが死んじゃう!!」
ふらふらと走り出した純の背中が遠ざかって、気づけば男はいなくなっていた。
ぐったりと力の抜けた雪成、一気に肺に空気が入りこんだせいかなんのか、ごぼりとなにかを吐き出した。
血にまみれたそれは素麺で、ユキちゃん家のお昼は素麺だったんだなぁとぼんやりと思った。
そのことが唐突に日常を突きつけられた気がして広樹も遅れて嘔吐した。
「───…んでそんなこと言うの!!」
高校生活もあと僅かとなった冬の日、朝から純が喚いていた。
なにがあったのか聞かなくてもわかる、きっと雪成が純から離れようとしたのだ。
あの夏の日から純は雪成を危険な目にあわせた罪悪感から、助けてもらった恩義から、そしてなにより大好きな雪成から離れない。
「ジュン、遅刻しちゃうよ?」
「ヒロ…だって、ユキちゃんがっ」
目に溜まった涙がぽろりと零れて、その背中をそっと撫でさする。
これまでもこんなことはあった、純は雪成を心配するあまりに縛って閉じ込めてきた。
新しい友だちができるのを嫌い、雪成へ秋波を送る者は容赦なく貶めた。
美しく成長していく雪成に惹かれる者は多い、その度に純はそれを排除してきた。
そう、文字通り排除したのだ。
ある時、雪成の体操服が無くなった、それは雪成を想う男の鞄から出てきた。
雪成の給食にまち針が入っていた時には、給食係を糾弾した。
オメガ性が判明した時に親身になってくれた担任には、小児趣味であると根も葉もない噂を流した。
そのうち雪成に関わると良くないことが起きると囁かれるようになり、それと共に雪成からは表情が失われ、いつしか人形のような微笑を浮かべるだけになった。
純は自分が正義だと思っている、あの夏の日の出来事が純から離れない。
誰が何を言っても聞かない、それどころか取り乱し喚き散らす。
目の前で雪成が死んでしまう、何も出来なかった自分を純は取り戻したいのだ。
そして正義のヒーローである広樹と雪成が結ばれるのを願っている。
「ユキ、大丈夫だから」
「…うん」
もう限界だと雪成は感じている、わかるよ、このままではいられない。
その次の日、夜半から降り続いた雪が朝方には降り止んで、一面を真っ白に覆った雪が朝焼けにキラキラと輝いていた。
「…ユキ」
「ヒロ、おはよう」
「行くのか?」
「うん、ジュンちゃんのためにも僕がここにいちゃいけないから」
雪成は高校に入ってから少しづつ距離を置いてきた、部活にも入らずにアルバイトまでして。
それでも純は変わらなかった、変わらずに激昂した。
「アキラには?」
「なにも」
「なにか伝えることは?」
「……寂しくなかったよ、って」
そう言って笑った雪成の瞳は久しぶりに見た水色で、夏の陽射しのように眩しかった。
サクサクと音を立てて、真っ白な道に足跡を残していく。
卒業を待たずに小さなボストンバッグひとつ持って雪成は家を出た。
ぶるりと身が震えたのは寒さからじゃない、ようやくこの時がきたのだという思いからだ。
純の雪成への苛烈な思いを自分に向けることができる、五歳から数えて十三年、あの夏の日から十一年。
狂ってしまった本能を正す時がきた、純の中に眠るオメガの血を呼び起こすのだ。
アルファと診断されてから、純と初めて会った時のことを何度も思いだす。
雷に打たれたようなあの感覚はきっと運命、それを取り戻す。
白井広樹はひっそりと笑って隣家を見上げた。
頭のてっぺんから足の爪先までビリビリと痺れるなにかが駆け抜けた。
「…ジュン、こしのじゅん」
玄関先で母親の影に隠れて顔を半分だけ出したその子はそう言った。
隣家に引っ越してきたその子、艶々の黒い髪の一部がぴょこりと跳ねていた。
向かいの家に住む雪成と純、そして広樹の三人はその物理的な距離の近さから日々顔を合わせ仲良くなっていった。
幼稚園で遠巻きにされていた雪成、『みんないっしょに、みんななかよく』というスローガンは時に異物を排除するものに取って代わる。
祖父がスウェーデン人だという雪成の瞳は水色で髪は明るいオレンジ色、それに加えて子どもらしからぬ美しさでもってその対象になった。
それを救ったのが純だ。
『ユキちゃん。だーいすき』
キラキラとした眼差しでそう言う純にもやもやとした何かが渦巻いた。
それがなにかわからないまま小学校に進級し、初めての夏休みにそれは起こった。
公園でのラジオ体操からの帰り道、三人で遊ぶ約束をした。
「暑いから家で遊んだら?」
その母の言葉を聞き入れていれば良かった、そう悔やんでももう遅かった。
水筒にたっぷり麦茶を入れてもらって駆けていった公園、へたりこんで泣いている純が目に入った。
どんな時でも最初に目に入るのは純だ、ぼたぼたと涙を垂れ流し酸欠の金魚のように口をパクパクさせていた。
「…ジュンちゃん?」
純の見開いた目のその先、ぷらぷらと揺れる爪先…雪成の首を持って持ち上げている男。
ゴトンだかガシャンだか水筒が肩から滑り落ちたと思った時には走り出して男に体当たりしていた。
男の手から離れた雪成はそのまま砂場に落ちた。
「ジュンちゃん!だれかおとなの人よんできて!!早く!ユキちゃんが死んじゃう!!」
ふらふらと走り出した純の背中が遠ざかって、気づけば男はいなくなっていた。
ぐったりと力の抜けた雪成、一気に肺に空気が入りこんだせいかなんのか、ごぼりとなにかを吐き出した。
血にまみれたそれは素麺で、ユキちゃん家のお昼は素麺だったんだなぁとぼんやりと思った。
そのことが唐突に日常を突きつけられた気がして広樹も遅れて嘔吐した。
「───…んでそんなこと言うの!!」
高校生活もあと僅かとなった冬の日、朝から純が喚いていた。
なにがあったのか聞かなくてもわかる、きっと雪成が純から離れようとしたのだ。
あの夏の日から純は雪成を危険な目にあわせた罪悪感から、助けてもらった恩義から、そしてなにより大好きな雪成から離れない。
「ジュン、遅刻しちゃうよ?」
「ヒロ…だって、ユキちゃんがっ」
目に溜まった涙がぽろりと零れて、その背中をそっと撫でさする。
これまでもこんなことはあった、純は雪成を心配するあまりに縛って閉じ込めてきた。
新しい友だちができるのを嫌い、雪成へ秋波を送る者は容赦なく貶めた。
美しく成長していく雪成に惹かれる者は多い、その度に純はそれを排除してきた。
そう、文字通り排除したのだ。
ある時、雪成の体操服が無くなった、それは雪成を想う男の鞄から出てきた。
雪成の給食にまち針が入っていた時には、給食係を糾弾した。
オメガ性が判明した時に親身になってくれた担任には、小児趣味であると根も葉もない噂を流した。
そのうち雪成に関わると良くないことが起きると囁かれるようになり、それと共に雪成からは表情が失われ、いつしか人形のような微笑を浮かべるだけになった。
純は自分が正義だと思っている、あの夏の日の出来事が純から離れない。
誰が何を言っても聞かない、それどころか取り乱し喚き散らす。
目の前で雪成が死んでしまう、何も出来なかった自分を純は取り戻したいのだ。
そして正義のヒーローである広樹と雪成が結ばれるのを願っている。
「ユキ、大丈夫だから」
「…うん」
もう限界だと雪成は感じている、わかるよ、このままではいられない。
その次の日、夜半から降り続いた雪が朝方には降り止んで、一面を真っ白に覆った雪が朝焼けにキラキラと輝いていた。
「…ユキ」
「ヒロ、おはよう」
「行くのか?」
「うん、ジュンちゃんのためにも僕がここにいちゃいけないから」
雪成は高校に入ってから少しづつ距離を置いてきた、部活にも入らずにアルバイトまでして。
それでも純は変わらなかった、変わらずに激昂した。
「アキラには?」
「なにも」
「なにか伝えることは?」
「……寂しくなかったよ、って」
そう言って笑った雪成の瞳は久しぶりに見た水色で、夏の陽射しのように眩しかった。
サクサクと音を立てて、真っ白な道に足跡を残していく。
卒業を待たずに小さなボストンバッグひとつ持って雪成は家を出た。
ぶるりと身が震えたのは寒さからじゃない、ようやくこの時がきたのだという思いからだ。
純の雪成への苛烈な思いを自分に向けることができる、五歳から数えて十三年、あの夏の日から十一年。
狂ってしまった本能を正す時がきた、純の中に眠るオメガの血を呼び起こすのだ。
アルファと診断されてから、純と初めて会った時のことを何度も思いだす。
雷に打たれたようなあの感覚はきっと運命、それを取り戻す。
白井広樹はひっそりと笑って隣家を見上げた。
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