不香の花の行く道は

谷絵 ちぐり

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高二 秋

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ギリギリと太い指が細い首を掴んで、爪が食いこんでいく。
息が止まって苦しくて、それでも雪成は噛み付いた手首から離れなかった。
ぎゅっと目を瞑ると涙が溢れてくる。

──ジュンちゃん逃げて

そう言いたいのに今この手首を離したらそれが純に襲いかかりそうでそれが出来ない。
もう無理だと力が抜けていく、倒れる刹那に見たのは砂場にへたりこんで大粒の涙を流す純だった。
なにか言ってる、大きく口を開いてなにか言ってるけどなにも聞こえない。

──泣かないでジュンちゃん、僕の大好きな…



雪成のアルバイト先は通う高校からひとつ先の駅前の大通りから外れた場所にある。
ぼんやりと車窓を眺めているとあっという間に着いてしまう距離だ。

「おはようございます」
「ユキくん、おはよー」

サイフォンから溢れる珈琲の匂いがふわりと雪成の鼻腔をくすぐる。
素っ気ない黒色のエプロン、腰でリボン結びにしながら雪成は鼻を鳴らした。

「飲む?」
「うん」
「じゃ、マグカップ持ってきな」

はい、と雪成はスタッフ用の食器棚から緑色のマグカップを取り出した。
温かい珈琲を入れると緑が消えて四葉のクローバーが浮かびあがる。
角砂糖をひとつ入れてほんのりと甘いそれを飲む。
雪成のアルバイト先『collar』はオメガ専用の喫茶倶楽部で、夜になるとメニューに酒が加わる小さな店だ。

雪成がアルバイトを探し始めた時に出会った店、どうしてあの時この大通りから外れた脇道に入ったのかわからない。
呼ばれたんじゃない?と揶揄うように笑うのは店長の観月みつきだ。
それが苗字なのか下の名なのかわからないが、皆は『観月さん』と呼ぶ。
高校生のアルバイト募集はたくさんある、けれどそこにオメガが加わるとその募集はぐっと減る。
そんな時に見つけたのがこの店だ、あちこちヒビが入っている古ぼけた雑居ビルの一階、チョコレート色のドアには金プレートに『オメガ専用喫茶倶楽部』と掲げてあった。
通りに面した窓は全て磨りガラスで中が見えない、そこにアルバイト募集と貼り紙がしてある。

「おい、働きたいのか?」

高校生でも大丈夫かな、とぼんやりとそれを眺めていた時にかけられた声は煙草の匂いがした。
咥え煙草に無精髭、手にはコンビニの袋を持って足元はサンダル姿で雪成はびくりと肩を震わせた。
そんな雪成の様子を横目に男はチョコレート色のドアを開ける。
リンと鳴った鈴、ふわりと珈琲の匂いが鼻先を掠めた。

「観月、仕事教えてやれ」
「オーナー、また拾ってきたの?」
「いや、そこに突っ立ってた」

じゃあな、と男は紫煙をくゆらせ店の脇にある階段を登っていく。

「…オーナー?」
「そ、この店のオーナーの鴨井かもいさん。おいで」
「あ、いや、でも…」

いいから、と店内に招かれてあっという間に採用された。
履歴書も面接もない、休みも自由にとれるしいつでも辞めていいという気軽さ。
アルファもベータも入店禁止のこの店に純が入店することはできない。
雪成の拠り所になるのは当然の結果だった。

「ユキくん、はどう?」
「観月さん、オーナーとどう?」

「「 相変わらず 」」

お互い同じことを言って笑い合う、オーナーは変人のアルファで観月のアプローチに全く靡かないらしい。
観月は後天性オメガという珍しいケースで、ずっとベータで生きてきた全てが崩れたという。
そこを拾ったのがオーナーで、それから観月はずっとオーナーに恋をしている。

「原因?さあ、医者の受け売りだけど未熟な時期に肉体的や精神的に強い衝撃があった場合にそういうことが起こるらしいよ。僕の場合は多分だけどちっちゃい頃に自動車事故にあってね、色んな器官がまだ未熟だった時に強い衝撃を受けたからじゃないかって」

後天性オメガについて観月はそう言っていた。



水草がゆらゆらと揺れているだけの金魚鉢で泳ぐ金魚に餌をやる。
あの夏祭りの次の日の夜、この金魚鉢を携えて晃はやってきた。

「……何しにきたの?」
「んー、ナニしに?」

へらと笑って雪成の頬に軽く触れる。
それから晃は気まぐれに訪れては雪成を抱いた。
最初の激しさはなりを潜めて、優しくゆっくりと抱く。
欠けたものを埋めるように、胸底にしまいこんだものを呼び起こすように。

「畳に布団ってなんかエロいよね」
「…そういうもの?」
「うん、多分」

抱きしめられて眠るのは居間の隣にある元は祖母の部屋だ。
雪成が産まれたと同時に亡くなった母、父と祖母との三人暮らしは次第に祖母との二人暮らしになっていった。

「風鈴、外さねぇの?」
「うん…いい音が、するから」

夏とは違うさらりとした風にチリンと鳴る風鈴の音色に雪成はうとうとと微睡んだ。
疲れ果てた体では夢を見ることさえもできない。
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