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諦めがつかない
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──僕はいつあなたを奪ったのですか?
誰しもが大和の言葉に対する返答を待っていた。
きょとんとする大和と、膝の上に握り拳を作り俯く男。
長いような短いような沈黙の末に響いたのは、キュウゥウという切ない音だった。
「シュウ、お腹空いてきた」
ハッと時計を見るともう十七時を回っていた。
武尊が腹を撫でて眉を下げている、これは早くご飯を作らねば!と周平は立ち上がった。
「あっくん!」
「ん、米あらうわ」
「和明君はどうする?食べていく?」
「お前は爺と食え。おかずは持たせてやっから」
すたすたと二人して夕飯の段取りをつけながらキッチンへと向かう。
また武さんの好きなもんばっかかよ、と侑の声があがった。
「卯花編集長も食べていきます?」
大和は俯く卯花に声をかけた。
ふるふると小さく首をふる卯花の肩をぽんと叩いて、食べていってと大和もキッチンへと向かう。
和明はこたつに出しっぱなしの参考書やペンケースを片付けながら、いい大人が正座で項垂れているのを横目に見ていた。
「和明君、侑君はいい匂いだった?」
「…は?」
「さっき嗅いでたでしょ」
「はぁ、まぁまぁ」
ニヤニヤと笑う武尊に苛立ちながら和明は答えた。
見られていたのか、という羞恥心もある。
実際まぁまぁどころかすごくいい匂いがした。
たまごボーロのようなふんわりと甘く優しい匂いは、心に染み込んでいる。
見透かしたように笑う武尊に更に苛立って、意趣返しのように和明は言い返した。
「そういえば周平さんもいい匂いしますよね?」
「君にシュウの匂いはわからない」
「…どういうこと?」
「──…九鬼の、人間だから」
項垂れた卯花が呟いた声を拾った和明は、くき?と首を傾げそのまま武尊を見てゾッとした。
卯花を射抜くような目と薄く笑う唇は不気味としか言いようがなかった。
「曾祖母の血が濃く出ただけで僕は桐生の人間です」
「そうだったな」
静まるリビングとは正反対にキッチンからはかしましい声とカチャカチャトントンと音がする。
三人は言葉を発さず、ただその音に耳を傾けた。
こたつの上には大皿に入った麻婆豆腐と鶏皮餃子、きゅうりとささみの中華サラダとわかめスープが並べられていく。
「なんでだよ!ちょ、おいっ…」
「和明君なんて?」
縁側から戻ってきた侑はいつもの席に座りながら言う。
「飯食べたらまたこっち来るって」
「なんで?」
「明日が日曜だからとか、爺が早寝だからとか言ってたけど、休みもなにもあいつ夏休みじゃん」
「一人だと退屈なのかもな」
「受験勉強しとけ」
「息抜きも必要だよ、みんなで映画でも見る?」
アクションがいい!と言う侑に笑いながら、大和はどうぞと箸を卯花に渡した。
「口の中は切れてませんか?」
「多分、大丈夫」
良かった、と大和は言う、麻婆豆腐は刺激があるから、と。
内緒話のように言って小さく笑うのを見て卯花の目からポロリと涙が零れた。
「どうして、怒らない?」
「だって、なにもわからないから。知らないから、卯花編集長のこと。だから、まずはご飯を食べましょう」
「じゃあ、いただきまーす」
侑はご飯に麻婆豆腐をかけて食べる、大和と周平は別で。
中華サラダは武尊の分だけ別盛りで鷹の爪がたっぷり入っていた。
あらかた食べ終わったところで侑が口を開いた。
「で、結局さ、なんだったわけ?」
「…松下君は巻き込まれただけだ。俺の問題で、本当に悪いことをしたと思っている。許してもらえるとは思っていない」
「あのポーチを裂いたのは卯花編集長なんですか?」
「違う、ただ原因は俺にある」
うーんと腕を組んで大和は考えた、何度考えても疑問は最初に戻るのだ。
「僕はその元恋人の方を知りませんし、なにか行き違いがあったのでは?」
「てか、なんで元恋人なんかがしゃしゃり出てくるわけ?」
「元だから関係ないんじゃないの?ねぇ?」
周平が武尊を見上げると、そうだねと声が降ってくる。
じっと注目を浴びて卯花はポツリポツリと話した。
元恋人との歪な関係を、二番目の自分のことを。
大和の刺繍作品を買い占めていたのはやはり広海だった。
自宅に押しかけ、嫌がる広海を押しのけ家探しの末クローゼットから見つけた大和の刺繍作品。
高木のヘアゴムを褒めて情報を引き出し大和を特定、刺繍作家として名を上げることも卯花が大和に惹かれていることもなにもかもが嫌だった、とそう言った。
「ゲラを見せてもらったけど、あの子の作品が誰かを笑顔にすることはないよ。私が全部壊すから。嫌?あの子が可哀想?じゃあ、今まで通り広海が一番だよって言って?」
「広海が一番…だったよ」
「なんで!?あんな子、敬ちゃんに似合わない。オメガの癖に大きくて、美しくない。家だって普通の家の子だよ?」
「似合うとか似合わないとかじゃないんだ。あの子は関係ないだろう?文句があるなら俺に直接言えばいい」
「言ってどうにかなった?敬ちゃんが一番嫌なことをしないと意味ないでしょ。これ、鋏を入れられたくなかったら戻ってきて」
森を模したような美しい刺繍が施されているポーチ、紙袋からこぼれ落ちたそれを広海は離さない。
「もう…俺を解放してくれ」
どうしても頷けなかった、あの日広海のことは諦めがついた。
今回は諦めがつかない、それが大和を傷つけるとわかっていても。
誰しもが大和の言葉に対する返答を待っていた。
きょとんとする大和と、膝の上に握り拳を作り俯く男。
長いような短いような沈黙の末に響いたのは、キュウゥウという切ない音だった。
「シュウ、お腹空いてきた」
ハッと時計を見るともう十七時を回っていた。
武尊が腹を撫でて眉を下げている、これは早くご飯を作らねば!と周平は立ち上がった。
「あっくん!」
「ん、米あらうわ」
「和明君はどうする?食べていく?」
「お前は爺と食え。おかずは持たせてやっから」
すたすたと二人して夕飯の段取りをつけながらキッチンへと向かう。
また武さんの好きなもんばっかかよ、と侑の声があがった。
「卯花編集長も食べていきます?」
大和は俯く卯花に声をかけた。
ふるふると小さく首をふる卯花の肩をぽんと叩いて、食べていってと大和もキッチンへと向かう。
和明はこたつに出しっぱなしの参考書やペンケースを片付けながら、いい大人が正座で項垂れているのを横目に見ていた。
「和明君、侑君はいい匂いだった?」
「…は?」
「さっき嗅いでたでしょ」
「はぁ、まぁまぁ」
ニヤニヤと笑う武尊に苛立ちながら和明は答えた。
見られていたのか、という羞恥心もある。
実際まぁまぁどころかすごくいい匂いがした。
たまごボーロのようなふんわりと甘く優しい匂いは、心に染み込んでいる。
見透かしたように笑う武尊に更に苛立って、意趣返しのように和明は言い返した。
「そういえば周平さんもいい匂いしますよね?」
「君にシュウの匂いはわからない」
「…どういうこと?」
「──…九鬼の、人間だから」
項垂れた卯花が呟いた声を拾った和明は、くき?と首を傾げそのまま武尊を見てゾッとした。
卯花を射抜くような目と薄く笑う唇は不気味としか言いようがなかった。
「曾祖母の血が濃く出ただけで僕は桐生の人間です」
「そうだったな」
静まるリビングとは正反対にキッチンからはかしましい声とカチャカチャトントンと音がする。
三人は言葉を発さず、ただその音に耳を傾けた。
こたつの上には大皿に入った麻婆豆腐と鶏皮餃子、きゅうりとささみの中華サラダとわかめスープが並べられていく。
「なんでだよ!ちょ、おいっ…」
「和明君なんて?」
縁側から戻ってきた侑はいつもの席に座りながら言う。
「飯食べたらまたこっち来るって」
「なんで?」
「明日が日曜だからとか、爺が早寝だからとか言ってたけど、休みもなにもあいつ夏休みじゃん」
「一人だと退屈なのかもな」
「受験勉強しとけ」
「息抜きも必要だよ、みんなで映画でも見る?」
アクションがいい!と言う侑に笑いながら、大和はどうぞと箸を卯花に渡した。
「口の中は切れてませんか?」
「多分、大丈夫」
良かった、と大和は言う、麻婆豆腐は刺激があるから、と。
内緒話のように言って小さく笑うのを見て卯花の目からポロリと涙が零れた。
「どうして、怒らない?」
「だって、なにもわからないから。知らないから、卯花編集長のこと。だから、まずはご飯を食べましょう」
「じゃあ、いただきまーす」
侑はご飯に麻婆豆腐をかけて食べる、大和と周平は別で。
中華サラダは武尊の分だけ別盛りで鷹の爪がたっぷり入っていた。
あらかた食べ終わったところで侑が口を開いた。
「で、結局さ、なんだったわけ?」
「…松下君は巻き込まれただけだ。俺の問題で、本当に悪いことをしたと思っている。許してもらえるとは思っていない」
「あのポーチを裂いたのは卯花編集長なんですか?」
「違う、ただ原因は俺にある」
うーんと腕を組んで大和は考えた、何度考えても疑問は最初に戻るのだ。
「僕はその元恋人の方を知りませんし、なにか行き違いがあったのでは?」
「てか、なんで元恋人なんかがしゃしゃり出てくるわけ?」
「元だから関係ないんじゃないの?ねぇ?」
周平が武尊を見上げると、そうだねと声が降ってくる。
じっと注目を浴びて卯花はポツリポツリと話した。
元恋人との歪な関係を、二番目の自分のことを。
大和の刺繍作品を買い占めていたのはやはり広海だった。
自宅に押しかけ、嫌がる広海を押しのけ家探しの末クローゼットから見つけた大和の刺繍作品。
高木のヘアゴムを褒めて情報を引き出し大和を特定、刺繍作家として名を上げることも卯花が大和に惹かれていることもなにもかもが嫌だった、とそう言った。
「ゲラを見せてもらったけど、あの子の作品が誰かを笑顔にすることはないよ。私が全部壊すから。嫌?あの子が可哀想?じゃあ、今まで通り広海が一番だよって言って?」
「広海が一番…だったよ」
「なんで!?あんな子、敬ちゃんに似合わない。オメガの癖に大きくて、美しくない。家だって普通の家の子だよ?」
「似合うとか似合わないとかじゃないんだ。あの子は関係ないだろう?文句があるなら俺に直接言えばいい」
「言ってどうにかなった?敬ちゃんが一番嫌なことをしないと意味ないでしょ。これ、鋏を入れられたくなかったら戻ってきて」
森を模したような美しい刺繍が施されているポーチ、紙袋からこぼれ落ちたそれを広海は離さない。
「もう…俺を解放してくれ」
どうしても頷けなかった、あの日広海のことは諦めがついた。
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