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涙と発熱と
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病院、特に病室には独特の雰囲気が漂っていると侑は思う。
あっちとこっちを切り離されたような空気感がする。
四人部屋の一室、窓から差す陽はとっくに朱くなっていた。
「足、捻挫してるってよ。あと熱中症」
「お前こそ、その腕はどうした」
「窓に鍵かかってたから、叩き割った」
「そうか」
「怒んねぇの?」
侑の右腕には手首から腕にかけて包帯が巻いてある。
鍵を開けようと割れたガラス窓に腕を突っ込んだせいだ。
退院したらな、と爺はまた目を閉じた。
「柳楽さん、寝ちゃった?」
「うん、来てくれたのか」
「さっきな」
仕切りのカーテンを開けたのは周平で、その後ろには大和もいた。
周平の表情は沈んでいて、大和も同じように眉を下げている。
「つかまんねぇの?」
「うん、柳楽の婆ちゃんが生きてたときになにかあったらって、電話番号教えてもらってたんだけど繋がんない。一応、留守電にメッセージは入れておいたけど…」
柳楽家と竹田家は隣同士でそれなりに付き合いがあった。
といっても周平の祖母と柳楽家の婆だけだったが。
柳楽家の息子明のことを周平は知らない。
周平が物心ついた時には大学進学で家を出ていたから。
「あっくん、腕…」
「たいしたことない」
ポトリポトリと落ちる点滴と、隣のベッドから漏れ聞こえてくる小さなテレビの声、上下する爺の胸、ガチャガチャと何かが近づいてくる。
「あっくん、完全看護だからもう帰らないと」
「うん」
「明日、また来よう?」
「うん」
うんうんと頷きはするもののじっと動かない侑を、大和が立たせて病室を後にした。
廊下にあったワゴンには食事トレーがたくさん乗っていた。
爺は今日はきっと食べられないだろうな、と侑は思った。
帰りのタクシーでは侑を挟んで座る、ぎゅうとその腕を抱いて。
ポツポツと雨が降り出し、帰り着く頃には土砂降りになっていた。
タクシーを降りた侑は一目散に庭へ駆け出し、ビールケースへと向かって行く。
そこには雨ざらしになった『Mignon』があった。
「やまち、ごめん」
「そんなの、また買えばいいよ」
「でも、ごめん」
雑誌を抱きしめながら見つめるのは塀の向こう。
割れたガラス窓にはダンボールが貼り付けられて、その上からビニールがかけてあった。
「あっくん、良かったね」
「うん」
「すぐに帰ってくるよ」
「うん」
侑の涙は雨と共に流れ落ち、泣き声は雨音にかき消され、二人はびしょ濡れになった。
次の日、昨夜の雨はどこへやら快晴になったこの日も周平はマナベで働いていた。
オーナーは配達に、つる婆はマルトミスーパーへ買い物に行っていて店には二人きりだ。
誰かというと、もちろん武尊だ。
「武さん、仕事は?」
「帰ったらする」
「どっちに帰んの?」
「シュウのとこ」
シュウといると仕事が捗る、と言われてしまえば周平も黙るしかない。
物好きな人だなぁ、と周平は相変わらず思っていた。
柳楽家の窓にダンボールを貼り付けて応急処置をしたのも武尊だ。
夕飯は何にしようかな、と品出しをする武尊を眺めていたところピコンとスマホが鳴った。
──やまち、熱がでたから迎えにきて
「武さん、病院にやまち迎えに行って」
「どうしたんですか?」
「熱でたって。昨夜、濡れちゃったからかも」
「タクシーで帰ればいいのでは?」
「一人で帰らせるの?俺は店空けられないし、あっくんは爺についてたいだろうし、武さんて薄情なんだね」
「行きます!」
冷たい視線を浴びた武尊は一目散に駆け出した。
単純だなぁ、と周平は笑ってその背中を見送った。
武尊が病院に着くと待合ロビーで大和はぐったりしていた。
顔を赤らめふうふうと浅い呼吸を繰り返すのをみると、かなり熱が高そうだ。
「大和君、大丈夫?」
「診てもらったけどただの風邪だって。ごめん、爺の家族がもしかしたら来るかもって思ったら離れられなくて」
「あぁ、いいよ。シュウに頼まれたから連れて帰るよ」
どことなくドヤ顔の武尊に、侑は半ば呆れながら大和を預けた。
病院から竹田家までタクシーで二十分程、その短い距離がもどかしく感じるくらい大和の容態は悪そうに見えた。
「大和君、もう着いたよ」
声をかけても聞こえていないのか、話す気も起きないのか大和は答えなかったがフラリと足を踏み出した。
たたらを踏みそうになるのを支えて玄関へ向かうと先客がいた。
驚きの表情を隠そうともしないその男を武尊は知らない。
「どなたですか?」
「君こそ」
「僕はこの家の者です。今、取り込んでますので出直していただけますか?」
「え、松下君?」
男の視線が武尊から、浅い呼吸を繰り返す大和へ移る。
熱で朦朧とした大和は何が起こっているのかよくわかっていない。
「は、やく、ねたい…」
「そういうわけなんで、どいてくれます?」
その瞬間、アルファの威圧フェロモンが武尊に襲いかかった。
一方その頃、侑も一人の男と対峙していた。
あっちとこっちを切り離されたような空気感がする。
四人部屋の一室、窓から差す陽はとっくに朱くなっていた。
「足、捻挫してるってよ。あと熱中症」
「お前こそ、その腕はどうした」
「窓に鍵かかってたから、叩き割った」
「そうか」
「怒んねぇの?」
侑の右腕には手首から腕にかけて包帯が巻いてある。
鍵を開けようと割れたガラス窓に腕を突っ込んだせいだ。
退院したらな、と爺はまた目を閉じた。
「柳楽さん、寝ちゃった?」
「うん、来てくれたのか」
「さっきな」
仕切りのカーテンを開けたのは周平で、その後ろには大和もいた。
周平の表情は沈んでいて、大和も同じように眉を下げている。
「つかまんねぇの?」
「うん、柳楽の婆ちゃんが生きてたときになにかあったらって、電話番号教えてもらってたんだけど繋がんない。一応、留守電にメッセージは入れておいたけど…」
柳楽家と竹田家は隣同士でそれなりに付き合いがあった。
といっても周平の祖母と柳楽家の婆だけだったが。
柳楽家の息子明のことを周平は知らない。
周平が物心ついた時には大学進学で家を出ていたから。
「あっくん、腕…」
「たいしたことない」
ポトリポトリと落ちる点滴と、隣のベッドから漏れ聞こえてくる小さなテレビの声、上下する爺の胸、ガチャガチャと何かが近づいてくる。
「あっくん、完全看護だからもう帰らないと」
「うん」
「明日、また来よう?」
「うん」
うんうんと頷きはするもののじっと動かない侑を、大和が立たせて病室を後にした。
廊下にあったワゴンには食事トレーがたくさん乗っていた。
爺は今日はきっと食べられないだろうな、と侑は思った。
帰りのタクシーでは侑を挟んで座る、ぎゅうとその腕を抱いて。
ポツポツと雨が降り出し、帰り着く頃には土砂降りになっていた。
タクシーを降りた侑は一目散に庭へ駆け出し、ビールケースへと向かって行く。
そこには雨ざらしになった『Mignon』があった。
「やまち、ごめん」
「そんなの、また買えばいいよ」
「でも、ごめん」
雑誌を抱きしめながら見つめるのは塀の向こう。
割れたガラス窓にはダンボールが貼り付けられて、その上からビニールがかけてあった。
「あっくん、良かったね」
「うん」
「すぐに帰ってくるよ」
「うん」
侑の涙は雨と共に流れ落ち、泣き声は雨音にかき消され、二人はびしょ濡れになった。
次の日、昨夜の雨はどこへやら快晴になったこの日も周平はマナベで働いていた。
オーナーは配達に、つる婆はマルトミスーパーへ買い物に行っていて店には二人きりだ。
誰かというと、もちろん武尊だ。
「武さん、仕事は?」
「帰ったらする」
「どっちに帰んの?」
「シュウのとこ」
シュウといると仕事が捗る、と言われてしまえば周平も黙るしかない。
物好きな人だなぁ、と周平は相変わらず思っていた。
柳楽家の窓にダンボールを貼り付けて応急処置をしたのも武尊だ。
夕飯は何にしようかな、と品出しをする武尊を眺めていたところピコンとスマホが鳴った。
──やまち、熱がでたから迎えにきて
「武さん、病院にやまち迎えに行って」
「どうしたんですか?」
「熱でたって。昨夜、濡れちゃったからかも」
「タクシーで帰ればいいのでは?」
「一人で帰らせるの?俺は店空けられないし、あっくんは爺についてたいだろうし、武さんて薄情なんだね」
「行きます!」
冷たい視線を浴びた武尊は一目散に駆け出した。
単純だなぁ、と周平は笑ってその背中を見送った。
武尊が病院に着くと待合ロビーで大和はぐったりしていた。
顔を赤らめふうふうと浅い呼吸を繰り返すのをみると、かなり熱が高そうだ。
「大和君、大丈夫?」
「診てもらったけどただの風邪だって。ごめん、爺の家族がもしかしたら来るかもって思ったら離れられなくて」
「あぁ、いいよ。シュウに頼まれたから連れて帰るよ」
どことなくドヤ顔の武尊に、侑は半ば呆れながら大和を預けた。
病院から竹田家までタクシーで二十分程、その短い距離がもどかしく感じるくらい大和の容態は悪そうに見えた。
「大和君、もう着いたよ」
声をかけても聞こえていないのか、話す気も起きないのか大和は答えなかったがフラリと足を踏み出した。
たたらを踏みそうになるのを支えて玄関へ向かうと先客がいた。
驚きの表情を隠そうともしないその男を武尊は知らない。
「どなたですか?」
「君こそ」
「僕はこの家の者です。今、取り込んでますので出直していただけますか?」
「え、松下君?」
男の視線が武尊から、浅い呼吸を繰り返す大和へ移る。
熱で朦朧とした大和は何が起こっているのかよくわかっていない。
「は、やく、ねたい…」
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