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「アーディル」
陣幕に戻ると、セスリーン殿下が僕の近くに身を寄せて、心配そうに声をかけてきた。
「やはり、降参しましょう」
「まだ、戦えます」
再度降参を提案する殿下に、僕は息を乱しながらもそう答えた。
その言葉に嘘はない。
確かに体力の消耗は激しいが、まだ気力でどうにかなる範囲だ。
気力や根性ではどうしようもなく体を動かせなくなる、そんな本当の限界にはまだ達してはいない。
勝ち目は、全くなくなっているわけではない。
「あなたの気持ちは嬉しく思います。けれど嫌な予感がするの。何か嫌な予感が……」
そう告げる殿下の目は貴賓席の方を向いていた。
僕も、そちらに目を向ける。そして、無礼にならない程度に皇后陛下の様子を伺った。
陛下は機嫌良さそうな笑みを見せている。
そして、ふと気がつくと、審判の近くに誰かがいる。審判に何かを告げているようだ。
確かに嫌な感じだ。
けれど僕にはここで退く気はない。
「殿下、私は今、生涯で最も幸福な時間を過ごしています。殿下の為に戦えているからです。
どうか私に、この幸福な時を、今しばし続けさせてください。
そして、願わくば、戦うなではなく、勝て、とお命じください」
「……アーディル」
殿下はそう呟いて口をつぐんでしまった。少なくとも降参という言葉が出なくて良かった。
「西軍先鋒、東軍大将、試合場に上がりなさい」
審判の声が響いた。
「行って参ります」
僕はそう言って、殿下に背を向けると試合場へ向かう。
「勝って、アーディル」
殿下がそう声をかけてくれた。
胸が熱くなる。殿下に勝利を願われて戦う。これほど喜ばしい事があるだろうか。
僕は軽く振り返り、殿下に一礼してから闘技場に上がった。
ファヴァルさんは既に闘技場に上がっていた。
板金鎧を着ているが、その佇まいは重い鎧を着ていると思えないものだ。
手にする両手剣は僕が持つ物よりもかなり大振りで、刃が潰されているといっても、鈍器としてみても相当の殺傷力を有するだろう。
「始め!」
そして、速やかに試合が開始された。
「やはり、実力を隠していたか」
ファヴァルさんが、両手剣を構えつつそう声をかけてきた。
「……あなたの目を誤魔化す事はできていませんでしたか」
僕は最大限の警戒をしつつそう答えた。
戦いを始める前に多少なりとも時間をかけることが出来れば、その方が僕にとって有利だ。その事に変わりはない。
「まあ、違和感程度だったがな。
それに、これほどとも思ってはいなかった。出来れば、互角の状況で戦いたかったよ」
そして、心底残念そうにそう告げると、ファヴァルさんも守り重視の構えをとった。
当然予想できたことではあるが、これは正直に言って厳しい。
ファヴァルさんほどの実力者に守りを固められては、攻撃を当てるのは難しい。そうこうする内に僕の体力が尽き、ファヴァルさんは容易く勝利するだろう。
「さっさと叩き潰せッ!」
と、その時、東軍の陣幕からオストロス殿がそんな声を上げた。
ファヴァルさんは、一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、それは直ぐに笑みに変わった。
「将帥にああ言われては仕方がないな」
そして、そう言うと構えを下段に変える。それは、むしろ攻撃を重視したものだった。
もし今の一幕が策でないなら、オストロス殿の発言は愚かの極みだ。
僕の体力を消耗させて確実に勝つという方針は、当然陣営で共有されていたはずだ。それなのに、オストロス殿はそれを否定する発言をしたことになる。
まあ、先ほどからのオストロス殿の言葉を顧みると、彼は最初からこの作戦に納得していなかったのかもしれない。
と、間をおかずファヴァルさんが鋭く踏み込み、僕を狙って剣を振り上げる。渾身の力が込められた一撃だ。
オストロス殿の愚かさが証明された。
僕は身を退けてその攻撃をかわし、ファヴァルさんの剣が行き過ぎるのにあわせて前進し、右から左へと横薙ぎに剣を振るう。
剣はあたった。だが、ファヴァルさんは全く怯まず、両手剣を振り下ろす。
「くッ」
僕は思わずそんな声を漏らした。ファヴァルさんの振り下ろしの鋭さは想定以上のもので、必死にかわそうとする僕の右肩を捉えた。
直撃ではない、腕を動かす事は出来る。だが、僕が負ったダメージは相当のものだ。
ファヴァルさんは不敵な笑みを浮かべていた。
そして、猛烈な攻撃を繰り出してきた。
続けざまに振るわれる攻撃に、僕も必死に対抗する。
避け、弾き、そして反撃。
剣の技量はファヴァルさんの方が上だ。攻撃の威力については、更に圧倒的に差がある。
僕が勝るのは実戦経験くらいだろう。
僕は己の出来うる事全てを使って戦い続けた。
攻撃を当てた数は僕の方が多い。しかし、こちらも無傷とは行かない。
そしてまた、ファヴァルさんの剣が、横薙ぎに僕の左脇腹に迫った。
(後退するだけでは避けられない)
そう感じた僕は、身体を右に回転させ、懸命に剣から逃れる。
だが、それでも完全にかわすことは出来なかった。
ファヴァルさんの剣は僕の身体をかすめる。それだけでも、受けたダメージは相当のものだ。
僕はそのまま、当てられた衝撃すら使って、身体を回転させ、その勢いを乗せてファヴァルさんの右脇腹を狙う。
狙い過たず、僕の両手剣はファヴァルさんを打った。今までの攻撃で最も有効なダメージを与えられた手ごたえがある。
しかし、それでも僕が受けたダメージのほうが大きい。
僕が受けたダメージは、ほとんど限界に近いものだった。
ファヴァルさんの顔からも、既に笑みは消えていた。だが、彼の動きは衰えない。
ファヴァルさんの剣が左袈裟切りに迫る。
後退して避ける。
直ぐに切り返しが来る。
更に後退しようとしたところで、足がもつれた。最早体力が追いついていない。
ファヴァルさんの剣は僕の左脇腹を斜め下から打った。
僕は弾かれ、そのまま倒れそうになる。倒れれば、最早立ち上がれない。そのことが分かった。
「頑張って! アーディル」
声が聞こえた。セスリーン殿下のものだ。
その声が、僕に最後の気力を与えてくれる。
僕は両足に渾身の力を込める。
そして、踏みとどまった。踏みとどまる事ができた。
ファヴァルさんは、今の一撃で勝負ありと思ったのか、追撃を放とうとしていない。
(隙!)
僕はほとんど本能的に剣を突き出した。
剣はファヴァルさんの鳩尾を捉えた。
そこは、可動性を確保する為に、薄い板金が何枚も組み合わされている場所だ。その分攻撃が通りやすい。
「がッ」
ファヴァルさんがそんな声をあげ、一瞬動きが止まる。僕の一撃は、板金の一枚を折り曲げ、ファヴァルさんの身体を打って、少なくない衝撃を与えた。
だが、ファヴァルさんもその程度では終わらない。
次の瞬間には、上段から袈裟切りに剣が振り下ろされる。
僕は剣を引き、再度突き出す。それ以上の動きをすることは、もう出来ない。直前に効果が切れた錬生術もかけなおした。これでマナも尽きた。
間一髪、僕の方が早かった。
僕の剣は、再度ファヴァルさんの鳩尾の、折れた板金を突く。
ファヴァルさんの体が揺らぎ、その剣は僕の眼前をかすめて空をきる。彼はそのまま仰向けに倒れ、動かなくなった。
「そこまで! 勝者、西軍先鋒、アーディル・ハバージュ!」
審判の声が響いた。
陣幕に戻ると、セスリーン殿下が僕の近くに身を寄せて、心配そうに声をかけてきた。
「やはり、降参しましょう」
「まだ、戦えます」
再度降参を提案する殿下に、僕は息を乱しながらもそう答えた。
その言葉に嘘はない。
確かに体力の消耗は激しいが、まだ気力でどうにかなる範囲だ。
気力や根性ではどうしようもなく体を動かせなくなる、そんな本当の限界にはまだ達してはいない。
勝ち目は、全くなくなっているわけではない。
「あなたの気持ちは嬉しく思います。けれど嫌な予感がするの。何か嫌な予感が……」
そう告げる殿下の目は貴賓席の方を向いていた。
僕も、そちらに目を向ける。そして、無礼にならない程度に皇后陛下の様子を伺った。
陛下は機嫌良さそうな笑みを見せている。
そして、ふと気がつくと、審判の近くに誰かがいる。審判に何かを告げているようだ。
確かに嫌な感じだ。
けれど僕にはここで退く気はない。
「殿下、私は今、生涯で最も幸福な時間を過ごしています。殿下の為に戦えているからです。
どうか私に、この幸福な時を、今しばし続けさせてください。
そして、願わくば、戦うなではなく、勝て、とお命じください」
「……アーディル」
殿下はそう呟いて口をつぐんでしまった。少なくとも降参という言葉が出なくて良かった。
「西軍先鋒、東軍大将、試合場に上がりなさい」
審判の声が響いた。
「行って参ります」
僕はそう言って、殿下に背を向けると試合場へ向かう。
「勝って、アーディル」
殿下がそう声をかけてくれた。
胸が熱くなる。殿下に勝利を願われて戦う。これほど喜ばしい事があるだろうか。
僕は軽く振り返り、殿下に一礼してから闘技場に上がった。
ファヴァルさんは既に闘技場に上がっていた。
板金鎧を着ているが、その佇まいは重い鎧を着ていると思えないものだ。
手にする両手剣は僕が持つ物よりもかなり大振りで、刃が潰されているといっても、鈍器としてみても相当の殺傷力を有するだろう。
「始め!」
そして、速やかに試合が開始された。
「やはり、実力を隠していたか」
ファヴァルさんが、両手剣を構えつつそう声をかけてきた。
「……あなたの目を誤魔化す事はできていませんでしたか」
僕は最大限の警戒をしつつそう答えた。
戦いを始める前に多少なりとも時間をかけることが出来れば、その方が僕にとって有利だ。その事に変わりはない。
「まあ、違和感程度だったがな。
それに、これほどとも思ってはいなかった。出来れば、互角の状況で戦いたかったよ」
そして、心底残念そうにそう告げると、ファヴァルさんも守り重視の構えをとった。
当然予想できたことではあるが、これは正直に言って厳しい。
ファヴァルさんほどの実力者に守りを固められては、攻撃を当てるのは難しい。そうこうする内に僕の体力が尽き、ファヴァルさんは容易く勝利するだろう。
「さっさと叩き潰せッ!」
と、その時、東軍の陣幕からオストロス殿がそんな声を上げた。
ファヴァルさんは、一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、それは直ぐに笑みに変わった。
「将帥にああ言われては仕方がないな」
そして、そう言うと構えを下段に変える。それは、むしろ攻撃を重視したものだった。
もし今の一幕が策でないなら、オストロス殿の発言は愚かの極みだ。
僕の体力を消耗させて確実に勝つという方針は、当然陣営で共有されていたはずだ。それなのに、オストロス殿はそれを否定する発言をしたことになる。
まあ、先ほどからのオストロス殿の言葉を顧みると、彼は最初からこの作戦に納得していなかったのかもしれない。
と、間をおかずファヴァルさんが鋭く踏み込み、僕を狙って剣を振り上げる。渾身の力が込められた一撃だ。
オストロス殿の愚かさが証明された。
僕は身を退けてその攻撃をかわし、ファヴァルさんの剣が行き過ぎるのにあわせて前進し、右から左へと横薙ぎに剣を振るう。
剣はあたった。だが、ファヴァルさんは全く怯まず、両手剣を振り下ろす。
「くッ」
僕は思わずそんな声を漏らした。ファヴァルさんの振り下ろしの鋭さは想定以上のもので、必死にかわそうとする僕の右肩を捉えた。
直撃ではない、腕を動かす事は出来る。だが、僕が負ったダメージは相当のものだ。
ファヴァルさんは不敵な笑みを浮かべていた。
そして、猛烈な攻撃を繰り出してきた。
続けざまに振るわれる攻撃に、僕も必死に対抗する。
避け、弾き、そして反撃。
剣の技量はファヴァルさんの方が上だ。攻撃の威力については、更に圧倒的に差がある。
僕が勝るのは実戦経験くらいだろう。
僕は己の出来うる事全てを使って戦い続けた。
攻撃を当てた数は僕の方が多い。しかし、こちらも無傷とは行かない。
そしてまた、ファヴァルさんの剣が、横薙ぎに僕の左脇腹に迫った。
(後退するだけでは避けられない)
そう感じた僕は、身体を右に回転させ、懸命に剣から逃れる。
だが、それでも完全にかわすことは出来なかった。
ファヴァルさんの剣は僕の身体をかすめる。それだけでも、受けたダメージは相当のものだ。
僕はそのまま、当てられた衝撃すら使って、身体を回転させ、その勢いを乗せてファヴァルさんの右脇腹を狙う。
狙い過たず、僕の両手剣はファヴァルさんを打った。今までの攻撃で最も有効なダメージを与えられた手ごたえがある。
しかし、それでも僕が受けたダメージのほうが大きい。
僕が受けたダメージは、ほとんど限界に近いものだった。
ファヴァルさんの顔からも、既に笑みは消えていた。だが、彼の動きは衰えない。
ファヴァルさんの剣が左袈裟切りに迫る。
後退して避ける。
直ぐに切り返しが来る。
更に後退しようとしたところで、足がもつれた。最早体力が追いついていない。
ファヴァルさんの剣は僕の左脇腹を斜め下から打った。
僕は弾かれ、そのまま倒れそうになる。倒れれば、最早立ち上がれない。そのことが分かった。
「頑張って! アーディル」
声が聞こえた。セスリーン殿下のものだ。
その声が、僕に最後の気力を与えてくれる。
僕は両足に渾身の力を込める。
そして、踏みとどまった。踏みとどまる事ができた。
ファヴァルさんは、今の一撃で勝負ありと思ったのか、追撃を放とうとしていない。
(隙!)
僕はほとんど本能的に剣を突き出した。
剣はファヴァルさんの鳩尾を捉えた。
そこは、可動性を確保する為に、薄い板金が何枚も組み合わされている場所だ。その分攻撃が通りやすい。
「がッ」
ファヴァルさんがそんな声をあげ、一瞬動きが止まる。僕の一撃は、板金の一枚を折り曲げ、ファヴァルさんの身体を打って、少なくない衝撃を与えた。
だが、ファヴァルさんもその程度では終わらない。
次の瞬間には、上段から袈裟切りに剣が振り下ろされる。
僕は剣を引き、再度突き出す。それ以上の動きをすることは、もう出来ない。直前に効果が切れた錬生術もかけなおした。これでマナも尽きた。
間一髪、僕の方が早かった。
僕の剣は、再度ファヴァルさんの鳩尾の、折れた板金を突く。
ファヴァルさんの体が揺らぎ、その剣は僕の眼前をかすめて空をきる。彼はそのまま仰向けに倒れ、動かなくなった。
「そこまで! 勝者、西軍先鋒、アーディル・ハバージュ!」
審判の声が響いた。
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