君の手の温もりを、永遠に忘れないように

矢田川いつき

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6.ばいばい

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 朝の電車とは打って変わって、帰りの電車はかなり混んでいた。
 夕焼けに照らされた車内は多くの人で溢れ、俺は楓を庇うようにして必死に吊り革につかまっていた。楓は小柄なため、俺の服にしがみついていた。
 微かな甘い匂いが鼻孔をくすぐる。いつもなら赤面して心臓がどきどきと情けない音を立てているところだが、今はべつの意味で高鳴りをあげていた。

「人、多いけど大丈夫か?」

「うん、ありがとう。大丈夫……だよ」

 胸のあたりから声がする。多くの人に後ろから押されているため、彼女の顔はうかがい知れないが、声の様子から察するに少し疲れているようだった。心配もさることながら、俺は何度も固めた覚悟をもう一度固め直して、彼女に提案した。

「そうだ。良かったらさ、次の駅で降りないか?」

「え?」

「いいから。行こうぜ」

 言い切ると同時に、炭酸の抜けるような音を立ててドアが開いた。俺は楓の返事を待つことなく、彼女の手を引いて電車を降りた。あと4回。
 気づかれないように、深呼吸をする。
 本来降りる駅よりも前だけど、ここでいい。
 インターネットで調べた、比較的高台にある見晴らしのいい駅だった。

「わぁ……海が見える」

「なんか、そこそこ有名なフォトスポットなんだってさ」

 海風が少し冷たかった。けれど、満員電車で火照った顔にはちょうどいい。広々としたホームを歩きながら、彼女の手を握る。あと3回。

「夕陽も、すっごく綺麗だね。確かに、写真撮りたくなってくるね」

「撮らないの?」

「んー。それよりも、俊哉くんと一緒にいる今この瞬間を目に焼き付けておきたい、かな?」

 ちくり、と心が痛む。
 楓が、甘えるように俺の手を包み込んだ。あと2回。
 
 さすがに、もう言わないといけない。

 この場所を選んだ、本当の理由。
 見晴らしのいい駅。二度と来ることはないであろう駅。
 デートスポットのひとつであるかのようで、実は俺たちの関係の終着駅。
 普段の生活では絶対に来ない、目につかない場所で、すべてを終わらせたかった。

 この場所で、俺は楓に別れを告げる。
 次の電車が来て、発車する直前に。
 嫌いになったのだと。恋人関係を終わらせたいのだと。もう、会いたくないのだと、はっきり告げる。

「俊哉くん、今日は本当にありがとね。私、すっごく楽しかった」

 きゅっと胸が締め付けられる。知らない。きっと、これは気のせい。もしくは、余命の終わりが近づいているせい。
 死神の言ったことが本当なら、俺は楓と手を100回繋いだら死んでしまう。
 それならば、100回目を迎えるわけにはいかない。
 楓の前で、死ぬわけにはいかない。
 電車の到着を知らせる、アナウンスが鳴った。

「俊哉くんと一緒にいると、本当に幸せなんだ。今日だけじゃない。いつも、頼りない私のそばにいてくれて、本当にありがとう」

 そんなの、俺が言いたいことだ。
 いつも、俺のそばにいてくれて、寄り添ってくれて、ありがとう。
 本当に幸せで、満たされて、ずっと一緒にいたい。

 でも、だけど……手を繋げるのは、次が最後。
 俺の余命はあと僅かで、君をこの先幸せにすることは叶わなくて、素直に気持ちを伝えてくれる君を傷つける、最低最悪の人間。
 本当に、ごめん……。

「楓、その……言いたいことがあるんだ」

 電車がホームに入ってくる。扉が開き、なかから数人の人が降りてきて、足早に改札のほうへ向かっていく。

「俺、楓のことが――」

 発車のメロディが鳴る。俺は、もう何度目になるかわからない頼りない覚悟を決めて、口を開いた。


「――私ね、俊哉くんと別れたい」


 今まで聞いたことのない、はっきりとした楓の声が聞こえた。彼女の感触が、離れていく。

「え?」

「このままだと私、成長できないから。俊哉くん、今までありがとう。ばいばい」

 電車の扉が閉まる直前。
 小柄な彼女はその合間を縫って車内に乗り込む。

「待って!」

 彼女の手を掴む。けれど、大好きな温もりはするりと、俺の指の間を抜けていった。

 あと、1回。

 聞くはずのなかった電車の走行音と風音だけが、虚しくホームに響いていた。
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