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第2章 友達以上、恋人以下
第15話 それぞれの恋心
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翌日。
相変わらず険悪な両親の空気に辟易としつつ、私はいつもより三十分早く家を出た。
「……はふっ」
あくびが出た。
正直、眠い。
重いまぶたを擦り、続けて押し寄せるあくびを今度はかみ殺す。昨日は両親の喧嘩もそうだが、結局どうにも考えがまとまらなかった。優柔不断で物事を決めきれない己の性格が恨めしい。
でも、早く決めないと。
あとになればなるほど、断るのが難しくなる。どんなに遅くても、高坂くんの次の部活休みまでにははっきりさせないといけない。
「はぁ……」
家を出た時とはべつの理由に頭を悩ませながら生徒玄関をくぐると、奥にある角で見覚えのある後ろ姿が見えた。
「あれは、美菜?」
首を傾げる。あんなところでなにをしてるんだろうか。
確かあの先は、体育祭や文化祭などのイベント用具がしまわれている倉庫と通用口くらいしかなかったはずだ。普段は立ち寄らない場所で、なにやら体が右に左に揺れている。
角に、隠れている……?
後ろでひとつにまとめられた髪が左に垂れており、どうやらなにかをのぞき見しているようだった。私はそっと近づくと、その背中を軽くたたいた。
「美菜?」
「……ぇっ!? ……っと、なんだ紫音か。しーーっ!」
「え、なにが……もごっ」
口を塞がれた。そしてささやき声の美菜に手招きされ、私も彼女の陰から顔をのぞかせる。
廊下の角を曲がった先。奥まったところにある人目のつかない場所には、二人の生徒が向かい合って立っていた。
え、うそ……。
驚きのあまり声が出そうになり、慌てて今度は自分で口を塞ぐ。
そこにいたのは、高坂くんとひとりの女子生徒だった。名前は忘れたけど、確か同じ陸上部の子でマネージャーをしていたはずだ。清潔感のある綺麗な子で、かなり人気もあった気がする。
「え? なに? これ、どんな状況?」
ただならぬ雰囲気を察知し、私は小声で美菜に訊く。
「見てわかるでしょ。告白だよ。こ、く、は、く」
美菜も声をひそめて答えた。
「私も今さっき来たとこなの。高坂と村瀬さんがなんか二人でこっちに歩いて行って、ピーンときたんだ」
「そ、そうなんだ」
さすがのアンテナだ。そして思い出した、そうだ村瀬さんだ。クラスの男子たちもたまに名前を出していた。
「あ、見て!」
ちょんちょんと肩をたたかれる。それに呼応して、悪いとは思いつつも私は再度向かい合う二人に視線を向けた。
「あのね……あたし、高坂のこと好きなんだ。いつも一生懸命に走ってる高坂のこと、ずっと見てて、かっこいいなって」
村瀬さんはたどたどしく、けれどはっきりとした声で話す。見ているこっちまで緊張してきた。ってなんで私までのぞき見しているんだろうか。
「そんな高坂のこと、あたし、もっと知りたい。高坂にも、あたしのこと、もっと知ってほしい。だから、あたしと……恋人になってください!」
わっ……言った!
また危うく声が漏れそうになった。
そのくらい、気持ちが真っ直ぐに伝わってくる告白だった。
高坂くん、なんて答えるんだろ。
いつもとは違ったドキドキが、私の中で大きくなっていく。それと同時に、得体の知れないモヤモヤとした感情も膨れ上がった。
緊張と、嫉妬。
さすがに、自分でもわかった。
「ありがとう、村瀬。その気持ちは、すごく嬉しい」
高坂くんの爽やかな声が響いた。どくんと一際大きく心臓が跳ねる。
「でも、ごめん。俺、ほかに好きな人がいるんだ」
あ……。
なにかが、私の中で剥がれ落ちた。
「だから、悪いけど村瀬の気持ちには応えられない。本当にごめん。でも、ありがとう」
憑き物が落ちたような感覚。
心の重石が取り除かれたような感覚。
息苦しさがとれたような感覚。
なんて表現すればいいのかわからないけれど、とにかく私は、ホッとしていた。
「……そっか。わかった」
村瀬さんはそれだけ言うと、通用口から外へ駆け出した。泣いているのが、遠目から見てもわかった。
「……」
「……」
私と美菜は無言のまま、ほとんど同時に角に隠れた。顔を見合わせると、そろそろとその場から退散する。そして生徒玄関近くまで戻ってきてから、大きく息をついた。
「はぁーーっ、どきどきしたー!」
「ほんとだよ~~。心臓の音で気づかれるんじゃないかって思った」
胸のあたりでは、まだ高鳴りが続いている。いつの間にか頬は熱を帯び、手にもじんわりと汗をかいていた。それは美菜も同じようで、パタパタと首元をあおいでいる。
「でも村瀬さん、高坂のこと好きだったのかー。てっきり私は藤村のこと好きなんだと思ってた」
「え、そうなの?」
「だって村瀬さん、よく藤村と話してたみたいだから。今にして思えば、高坂のこと訊いてたんだろうけど」
そうだったのか。全然知らなかった。
改めて、先ほどの告白を思い出してみる。
村瀬さんは、真剣に自分の気持ちと向き合っていた。だからこそ、高坂くんと仲の良い藤村くんと話して情報を集め、きっと私の知らないところで何度もアプローチをし、満を持して告白をしたんだろう。
それなのに私は、いつまでも中途半端だ。
「それで、どうするの?」
「え?」
私が自分の中に巣食う葛藤と戦っていると、ふいに美菜が私の顔をのぞきこんできた。
「高坂のことだよ。ほかに好きな人がいるって言ってたけど、まさかそれだけで諦めたりしないよね?」
「いや、ええと」
ごめんなさい。たぶんそれ、私です。
なんて言えるはずもない。事実告白されたとはいえ、何様なセリフだ。それに私はまだ高坂くんのことを美菜には言っていない。
どう答えようか考えていると、続けて美菜が口を開いた。
「私が訊いてこようか? 村瀬さんじゃないけど、高坂の好きな人の情報を掴めたらなにか変わるかもしれないし。それに私も、藤村と話せるし」
「いやいや、待って。さすがにそれは」
「――俺と藤村が、なんだって?」
美菜に詮索されないよう釘を刺そうしたところで、突然後ろから声をかけられた。私と美菜は二人して「ひょわっ!?」と情けない声をあげる。
「え、高坂くん!?」
「よっ。おはよ、春見。野々村も」
振り返ると、先ほどの深刻そうな表情を微塵も感じさせない柔らかな笑顔の高坂くんが立っていた。思ったよりも近くにいたせいか、私はほとんど無意識のうちにひと一人分ほど距離をとる。
今の話、もしかして聞かれてた?
ようやく落ち着きかけていた鼓動が再び早くなる。
もし聞かれていたなら……かなり問題だ。あれだけ聞くとまるで私が高坂くんに片想いをしているみたいだ。いや事実として好きは好きなんだけど、問題はそこじゃない。もし高坂くんが今の美菜との話を聞いていたとしたら、私が高坂くんの告白を断った理由が説明できなくなる。不幸の青い糸の話なんてしても信じてもらえないだろうし、なんて説明すれば……。
「高坂、はよ~。最初に謝っておくけど、私と紫音は偶然にも今しがたの現場を目撃しちゃいましたー。ごめんね」
私が脳内会議を急ピッチで進めていると、美菜はいつの間にか体勢を立て直し、しれっと驚愕の言葉を投げかけた。慌てて美菜のほうに視線を向けると、なにやら目配せをされた。え、なに。
「あ、その、ご、ごめんなさい。高坂くん」
わけもわからず、とりあえず私も謝る。すると、しばらく固まっていた高坂くんが途端にあたふたと慌て始めた。
「え、マジで? 二人とも、見ちゃったの?」
「うん、マジで見ちゃった。誰にも言わないから、そこは安心して」
安心して、と言うわりには全く安心できない意地の悪い笑みをたたえて、美菜はずいっと高坂くんとの距離を詰める。むむ。
「それで? ぶっちゃけ高坂は誰が好きなの?」
「ちょっ、美菜!?」
小さな小さな嫉妬が生まれそうになった矢先、美菜はさらに追撃をしかけた。ほとんど美菜の問いかけをかき消すようにして私は高坂くんから美菜を引き剥がす。
「えーいいじゃん。紫音だって気になるでしょー?」
「き、訊いていいことと悪いことがあるでしょ!」
「これはダメなことなの?」
「ダメなことです!」
「ははっ、まあその辺は秘密ってことで」
空気を読んでくれたのか、高坂くんは小さく笑って誤魔化した。美菜は不満そうにしていたが、私はこっそりと胸を撫で下ろす。
ここにいたら心臓がいくつあっても足りない……。
早々にこの場から離れようと決め、教室に向かうべく私は美菜に声をかけようと口を開いた。
「じゃあさー。好きな人教えてもらわなくていいから、私の恋を応援してよ。ね、二人とも」
開いただけで、私の口から言葉は発せられなかった。
「「え?」」
代わりに戸惑いの声が二人分。
私と高坂くんはほとんど同時に聞き返した。
私たちの視線の先には、勝ち誇った美菜の表情があるばかりだった。
相変わらず険悪な両親の空気に辟易としつつ、私はいつもより三十分早く家を出た。
「……はふっ」
あくびが出た。
正直、眠い。
重いまぶたを擦り、続けて押し寄せるあくびを今度はかみ殺す。昨日は両親の喧嘩もそうだが、結局どうにも考えがまとまらなかった。優柔不断で物事を決めきれない己の性格が恨めしい。
でも、早く決めないと。
あとになればなるほど、断るのが難しくなる。どんなに遅くても、高坂くんの次の部活休みまでにははっきりさせないといけない。
「はぁ……」
家を出た時とはべつの理由に頭を悩ませながら生徒玄関をくぐると、奥にある角で見覚えのある後ろ姿が見えた。
「あれは、美菜?」
首を傾げる。あんなところでなにをしてるんだろうか。
確かあの先は、体育祭や文化祭などのイベント用具がしまわれている倉庫と通用口くらいしかなかったはずだ。普段は立ち寄らない場所で、なにやら体が右に左に揺れている。
角に、隠れている……?
後ろでひとつにまとめられた髪が左に垂れており、どうやらなにかをのぞき見しているようだった。私はそっと近づくと、その背中を軽くたたいた。
「美菜?」
「……ぇっ!? ……っと、なんだ紫音か。しーーっ!」
「え、なにが……もごっ」
口を塞がれた。そしてささやき声の美菜に手招きされ、私も彼女の陰から顔をのぞかせる。
廊下の角を曲がった先。奥まったところにある人目のつかない場所には、二人の生徒が向かい合って立っていた。
え、うそ……。
驚きのあまり声が出そうになり、慌てて今度は自分で口を塞ぐ。
そこにいたのは、高坂くんとひとりの女子生徒だった。名前は忘れたけど、確か同じ陸上部の子でマネージャーをしていたはずだ。清潔感のある綺麗な子で、かなり人気もあった気がする。
「え? なに? これ、どんな状況?」
ただならぬ雰囲気を察知し、私は小声で美菜に訊く。
「見てわかるでしょ。告白だよ。こ、く、は、く」
美菜も声をひそめて答えた。
「私も今さっき来たとこなの。高坂と村瀬さんがなんか二人でこっちに歩いて行って、ピーンときたんだ」
「そ、そうなんだ」
さすがのアンテナだ。そして思い出した、そうだ村瀬さんだ。クラスの男子たちもたまに名前を出していた。
「あ、見て!」
ちょんちょんと肩をたたかれる。それに呼応して、悪いとは思いつつも私は再度向かい合う二人に視線を向けた。
「あのね……あたし、高坂のこと好きなんだ。いつも一生懸命に走ってる高坂のこと、ずっと見てて、かっこいいなって」
村瀬さんはたどたどしく、けれどはっきりとした声で話す。見ているこっちまで緊張してきた。ってなんで私までのぞき見しているんだろうか。
「そんな高坂のこと、あたし、もっと知りたい。高坂にも、あたしのこと、もっと知ってほしい。だから、あたしと……恋人になってください!」
わっ……言った!
また危うく声が漏れそうになった。
そのくらい、気持ちが真っ直ぐに伝わってくる告白だった。
高坂くん、なんて答えるんだろ。
いつもとは違ったドキドキが、私の中で大きくなっていく。それと同時に、得体の知れないモヤモヤとした感情も膨れ上がった。
緊張と、嫉妬。
さすがに、自分でもわかった。
「ありがとう、村瀬。その気持ちは、すごく嬉しい」
高坂くんの爽やかな声が響いた。どくんと一際大きく心臓が跳ねる。
「でも、ごめん。俺、ほかに好きな人がいるんだ」
あ……。
なにかが、私の中で剥がれ落ちた。
「だから、悪いけど村瀬の気持ちには応えられない。本当にごめん。でも、ありがとう」
憑き物が落ちたような感覚。
心の重石が取り除かれたような感覚。
息苦しさがとれたような感覚。
なんて表現すればいいのかわからないけれど、とにかく私は、ホッとしていた。
「……そっか。わかった」
村瀬さんはそれだけ言うと、通用口から外へ駆け出した。泣いているのが、遠目から見てもわかった。
「……」
「……」
私と美菜は無言のまま、ほとんど同時に角に隠れた。顔を見合わせると、そろそろとその場から退散する。そして生徒玄関近くまで戻ってきてから、大きく息をついた。
「はぁーーっ、どきどきしたー!」
「ほんとだよ~~。心臓の音で気づかれるんじゃないかって思った」
胸のあたりでは、まだ高鳴りが続いている。いつの間にか頬は熱を帯び、手にもじんわりと汗をかいていた。それは美菜も同じようで、パタパタと首元をあおいでいる。
「でも村瀬さん、高坂のこと好きだったのかー。てっきり私は藤村のこと好きなんだと思ってた」
「え、そうなの?」
「だって村瀬さん、よく藤村と話してたみたいだから。今にして思えば、高坂のこと訊いてたんだろうけど」
そうだったのか。全然知らなかった。
改めて、先ほどの告白を思い出してみる。
村瀬さんは、真剣に自分の気持ちと向き合っていた。だからこそ、高坂くんと仲の良い藤村くんと話して情報を集め、きっと私の知らないところで何度もアプローチをし、満を持して告白をしたんだろう。
それなのに私は、いつまでも中途半端だ。
「それで、どうするの?」
「え?」
私が自分の中に巣食う葛藤と戦っていると、ふいに美菜が私の顔をのぞきこんできた。
「高坂のことだよ。ほかに好きな人がいるって言ってたけど、まさかそれだけで諦めたりしないよね?」
「いや、ええと」
ごめんなさい。たぶんそれ、私です。
なんて言えるはずもない。事実告白されたとはいえ、何様なセリフだ。それに私はまだ高坂くんのことを美菜には言っていない。
どう答えようか考えていると、続けて美菜が口を開いた。
「私が訊いてこようか? 村瀬さんじゃないけど、高坂の好きな人の情報を掴めたらなにか変わるかもしれないし。それに私も、藤村と話せるし」
「いやいや、待って。さすがにそれは」
「――俺と藤村が、なんだって?」
美菜に詮索されないよう釘を刺そうしたところで、突然後ろから声をかけられた。私と美菜は二人して「ひょわっ!?」と情けない声をあげる。
「え、高坂くん!?」
「よっ。おはよ、春見。野々村も」
振り返ると、先ほどの深刻そうな表情を微塵も感じさせない柔らかな笑顔の高坂くんが立っていた。思ったよりも近くにいたせいか、私はほとんど無意識のうちにひと一人分ほど距離をとる。
今の話、もしかして聞かれてた?
ようやく落ち着きかけていた鼓動が再び早くなる。
もし聞かれていたなら……かなり問題だ。あれだけ聞くとまるで私が高坂くんに片想いをしているみたいだ。いや事実として好きは好きなんだけど、問題はそこじゃない。もし高坂くんが今の美菜との話を聞いていたとしたら、私が高坂くんの告白を断った理由が説明できなくなる。不幸の青い糸の話なんてしても信じてもらえないだろうし、なんて説明すれば……。
「高坂、はよ~。最初に謝っておくけど、私と紫音は偶然にも今しがたの現場を目撃しちゃいましたー。ごめんね」
私が脳内会議を急ピッチで進めていると、美菜はいつの間にか体勢を立て直し、しれっと驚愕の言葉を投げかけた。慌てて美菜のほうに視線を向けると、なにやら目配せをされた。え、なに。
「あ、その、ご、ごめんなさい。高坂くん」
わけもわからず、とりあえず私も謝る。すると、しばらく固まっていた高坂くんが途端にあたふたと慌て始めた。
「え、マジで? 二人とも、見ちゃったの?」
「うん、マジで見ちゃった。誰にも言わないから、そこは安心して」
安心して、と言うわりには全く安心できない意地の悪い笑みをたたえて、美菜はずいっと高坂くんとの距離を詰める。むむ。
「それで? ぶっちゃけ高坂は誰が好きなの?」
「ちょっ、美菜!?」
小さな小さな嫉妬が生まれそうになった矢先、美菜はさらに追撃をしかけた。ほとんど美菜の問いかけをかき消すようにして私は高坂くんから美菜を引き剥がす。
「えーいいじゃん。紫音だって気になるでしょー?」
「き、訊いていいことと悪いことがあるでしょ!」
「これはダメなことなの?」
「ダメなことです!」
「ははっ、まあその辺は秘密ってことで」
空気を読んでくれたのか、高坂くんは小さく笑って誤魔化した。美菜は不満そうにしていたが、私はこっそりと胸を撫で下ろす。
ここにいたら心臓がいくつあっても足りない……。
早々にこの場から離れようと決め、教室に向かうべく私は美菜に声をかけようと口を開いた。
「じゃあさー。好きな人教えてもらわなくていいから、私の恋を応援してよ。ね、二人とも」
開いただけで、私の口から言葉は発せられなかった。
「「え?」」
代わりに戸惑いの声が二人分。
私と高坂くんはほとんど同時に聞き返した。
私たちの視線の先には、勝ち誇った美菜の表情があるばかりだった。
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