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第3章 浴衣の夕べ、淫花は薫りて咲き乱れ

予期せぬ遭遇

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 約束していた週末。
 仕事を定時で上がった俊平が美亜を迎えに行くと、彼女の姿はマンションのエントランス前にあった。

「あ、シュン君! お仕事、お疲れ様~。ごめんね、家まで寄ってもらっちゃって」
「ああ、うん。それは別にいいんだけど、それって……」
「えへへ、どうかな。似合う?」

 開いたカーウィンドウから顔を覗かせ、そのまま呆然と固まってしまった俊平を愉快そうに眺めた美亜は、その場でくるりと優雅に一回転をした。
 彼女が身にまとっていたのは、華やかに花と蝶をあしらった浴衣だった。
 楚々と合わせられた襟元に涼し気な袖がふわりと舞い、下駄はカランコロンと可愛げな音を立てる。華奢な胴をきゅっと締める半幅帯は彼女が好きな若葉色で、街灯にきらりと煌めくのは飾り紐のトンボ玉。いつもはショートボブの髪も今日ばかりはシニヨンに結い上げられて、いつも以上に少女を大人っぽく見せていた。

「ほら、ボーっとしてないで。感想は?」

 可愛らしく小首をかしげて微笑むのは、やはりいつもの美亜だった。だがそれでも、俊平は容易に言葉が出てこないほどの驚きから中々帰ってこられない。

「あ、あぁ。そうだな、すごく似合ってる。可愛いよ」
「ふふ、ありがと。でも、シュン君、なんだか動揺してない?」
「いや、それはその、美亜の浴衣姿を見るのなんて初めてだったからさ。驚きの方が大きいというか
「なぁに、それ? 馬子にも衣裳、って言いたいわけ?」

 わざとらしく唇を尖らせる美亜は、助手席の方に回って車に乗り込んできた。彼女愛用のコロンの香りが鼻腔をくすぐり、不本意にもそれだけでドキリとさせられる。ただ、それを悟られないように落ち着き払ってみせるのはもう慣れたものだ。

「まぁ、いつもだったらそう言って揶揄ってやったかもな」
「じゃあ、今日は違うんだ?」
「……あんなに見惚れたあとで、そんなこと恥ずかしくて言えねぇだろ」
「あはは、だよね~♪」

 恋人の潔い完敗宣言に、美亜はすっかりご満悦のスマイルを浮かべた。
 しかし、俊平としてはとても心中穏やかではいられない。

(あぁもう、コイツってこんなに可愛かったか……?)

 付き合い始めてからというもの、すっかり乙女モード全開な美亜。合宿の夜の件もそうだが、男心にクリティカルヒットを決めてくる彼女の純粋無垢なあざとさに、年上彼氏はすっかりタジタジになっていた。
 もちろん、彼女が誰の目から見ても魅力的な女の子であることは十分すぎるほどに知っていた。けれども、恋人として一直線に好意を向けてくるとなるとここまで違うものとは俊平も思っていなかったのだ。
 今のところは何とか気合で大人の体面を保ってはいるものの、ことあるごとに抱き締めてどうにかしてやりたいという野卑な衝動に駆られる。中学生男子でもあるまいに、アラサーにもなって今更そんな苦労をさせられようとは。惚れた弱みというものの怖さを、俊平は今まさに味わうような心地だった。

「それよりほら、早く出発しようよ。急がないと花火始まっちゃうよ?」

 そんな葛藤を俊平が抱えていることなど露知らず、シートベルトを締めた美亜はしびれを切らしたようだった。
 そうだ、肝心なことを忘れてはいけない。デート本番はこれからなのだ。
 俊平は何とか頭を花火大会に切り替える。愛車のアクセルを踏み込み、夕闇近づく街の中をゆっくりと走りだした。

「――わぁ、思ってたより人多いね」

 そうしておよそ40分余り。会場に到着し、川の堤防沿いに設けられた臨時駐車場で空きスペースを探していると、キョロキョロとあたりを見渡していた美亜が感嘆の声を漏らした。
 その感想には俊平も大いに同意だった。季節外れの花火大会にもかかわらず、駐車スペースはほぼ満車。その上、『シャトルバス発着場』の立て看板も見かけたので、どうやら駅から臨時バスでやってくる観客もいるらしい。これほどまでの大きなイベントとは思ってもなかった俊平は、少しばかり己の事前調査不足を悔い始めていた。
 誘導員の指示でようやく空きスペースにスポーツワゴンを滑り込ませると、待ちきれない様子で美亜が助手席のドアを開けた。

「ごめん、ちょっと。少し待っててくれる?」

 そう言って彼女が指差す方には公衆トイレがあった。この人出もあってか、男女ともに行列をなしている。おそらく美亜が帰ってくるのにも相当時間がかかるだろう。

「わかった。その辺ブラブラしてるから、慌てなくていいぞ」

 手提げの巾着袋を受け取り、俊平は小走りで遠のいていく美亜の背中を見送った。

「さて、と。待っている間に出店でも見て回るとしますか」
「あ、あの」
「うん?」

 メイン会場である河川敷まで、遊歩道沿いにはおびただしい数の出店が軒を連ねていた。駐車場まで漂ってくる美味しそうな匂いが仕事上がりの俊平の食欲を刺激し、ポップな暖簾に目移りしてしまう。
 と、そんな彼に誰か声をかけてくるものがあった。
 見れば、そこにいたのはちょうど美亜と同年代くらいの少女二人組だった。

「いきなりごめんなさい。あの、私たちは……」
「さっきから見てましたけど、お兄さんって、もしかしなくても美亜の彼氏さんですよね~?」
「ちょ、ちょっと香澄ってば」
「え、ええと……?」

 最初に声をかけてきた優等生然としたメガネ少女を遮って、活発そうなポニーテールの少女がいきなりとんでもないことを訊いてきた。
 どうして、彼女らが美亜のことを知っているのか?
 どうして、自分たちの関係をズバリ言い当てたのか?
 そもそも彼女らは一体何者なのか?
 大量のハテナが渦巻く中、ともかくも美亜の早期帰還を願う俊平なのだった。

 ***

「シュン君、ゴメンねっ! だいぶ混んでたからすっかり遅く――って、あれ? もしかして香澄に弓ちゃん?」

 結局美亜が帰ってきたのは、その後十五分はゆうに経とうかという頃だった。アラサー一人と少女二人が一斉に振り向くと、浴衣少女は思わずたじろいだ様子だった。

「あっ、美亜じゃん。悪いけど、今彼氏さん借りてるよ~」
「あはは。ごめんね、美亜ちゃんのいない間に声かけちゃった」
「え、えっ。どういうこと? どうして二人ともここに?」

 思ってもみなかった知り合いとの遭遇に、美亜はすっかり混乱してしまったようだ。とりあえず頼みの綱とばかりに俊平のもとへ駆け寄ると、知人二人に見られていることにも気を留めず、彼の耳元に困惑たっぷりの小声でまくしたて始めた。

「あの、えっと、どうして二人とシュン君が? というかこの二人のこと、シュン君は知らないよね? 香澄と弓ちゃんっていうんだけど、二人とも学校のクラスメートで、バトミントン部でも一緒で、それで、あと――」
「美亜、まずは落ち着けって。その辺の事情はさっき二人から聞いたから」
「で、でも、さっきシュン君のこと彼氏だって。そんなこと二人には全然言ってないのに、どうして知って……?」
「……あー、それは、うん。とりあえず、ドンマイ」

 オロオロと可哀想にうろたえる恋人の頭を、俊平は慰めるようにポンポンと撫でた。
 嘘が壊滅的に下手な彼女のことだ。先ほどの決定的場面を目撃されたのが最大の失態とはいえようが、常日頃から本人もそれと気づかぬままボロを出し続けてきたのだろう。学校での美亜のことは俊平もよく知らないけれど、その有様だけはありありと想像できた。

「うわぁ~、頭ポンポンって! ねぇ弓子っ、なんか美亜がいつになく可愛いんだけどっ!」
「やめなよ、香澄。流石に可哀想だって。……というか美亜ちゃん、あれで隠してたつもりだったんだね。そっちの方が私はびっくりだよ」

 完全に面白がっているポニーテール少女と、何気に辛辣なメガネ少女。それぞれ宮代香澄、熊井弓子という名前だということは、俊平も本人たちから聞いていた。どちらとも美亜とは彼女が話した通りの関係だ。
 まさか初デートの場で、交際を秘密にしていた(つもりの)友人二人組と出くわすとは。雰囲気ぶち壊しもいいところだが、されど美亜の日常を気まずいものにすることもできず、いつしか話の流れはしばし同行する方向へと向かってしまうのだった。

「――じゃあ、美亜が度々言ってた『師匠』って住谷さんだったんですね!」
「美亜ちゃん、仲良くなった時から『師匠が~』『師匠は~』ってよく話してくれたんですよ。お名前まで聞かせてくれたことはありませんでしたけど」
「ねぇ、二人とももうやめない? また今度、ちゃんと白状するからさぁ」

 結局、人でごった返す出店通りを、俊平はJK三人組を引き連れて歩くことになった。
 類は友を呼ぶとはよく言ったものだけれど、美亜の友人たちもそれぞれにタイプの違う美人だった。かたや若い活力に満ちたスポーツ少女、かたや大人びた清楚なメガネ少女である。その上、浴衣姿のハーフ美少女である美亜まで一緒なのだ。すれ違う老若男女の視線を自然と引き寄せ、時々羨望と嫉妬のこもった舌打ちまで頂戴する羽目になるのはもう致し方のないことだった。

「それにしても、いつの間にかこんな大人な彼氏作っちゃうなんて。普段恋愛に興味ないなんて顔してるくせに、美亜も隅に置けないな~?」
「今日は都合があるって言っていたけど、こういうことだったんだ。ふふ、可愛い浴衣まで着ちゃって。本当にごめんね? デートの邪魔をしちゃったみたいで」
「わかってるならもう勘弁してよぉ、弓ちゃん。香澄だって、何だかいつも以上に悪ノリし過ぎだし」
「だって、こんな美亜ちゃん、普段はなかなか見られないんだもの。もう少しだけだから、お師匠さんから私たちの知らないお話、聞かせて?」
「そうそう。さっき住谷さんから聞いた美亜の武勇伝なんて、自分からは話してくれないじゃん? 将棋が強いのは知ってたけど、男子もボコボコにするレベルなんて初耳だったんだから」
「あぁもうっ、全然聞いてくれないし! ねぇ、シュン君からも何とか言ってよぉ!」

 クラスメート二人にすっかり遊ばれ、降伏間近の美亜が困り眉で俊平に助けを求めてきた。
 とはいえ、彼とて若い女子の好奇心を上手に逸らせるほど女性慣れはしていない。
 さてどうしようかと考えるうち、ふと思いついたことを口に出してしまっていた。

「でも、俺は逆に普段の美亜のことを全然知らないからな」
「普段の美亜ちゃん、ですか?」
「……あっ、いや」

 言ってしまってから、美亜の顔色がさっと青ざめたのに気づいて、失言を自覚した。
 取り消しに動こうとしたが、時すでに遅し。美亜の友人二人は怪しげなアイコンタクトを取り交わし、口元を不吉に緩めていた。

「心配なさらなくても、美亜ちゃんはとってもいい子ですよ。授業も真面目に受けていますし、私も欠席した時なんかはノート見せてもらって助けられていますから」
「案外運動神経もいいしね。この子将棋部のくせに、球技大会とかクラスの主力選手ですよ?」
「こんな風に見た目だっていいのに、それを鼻にかけることもないですし。むしろどこか放っておけない感じ、愛嬌があるっていうか」
「男子も結構狙ってるって聞くんですよねぇ。告白のために呼び出されたのなんて、ウチらが知ってるだけでもう数えきれないくらい。でも全部断ってるっていうんだから、そっちの気があるんじゃないかって噂になってて……」
「香澄ったら、余計なことは言わないで!」

 美亜は香澄の肩をガクガクと揺さぶり、必死に哀訴の声を上げた。
 俊平も滅多に聞いたことのない彼女の恋愛事情。香澄の口から聞いたその内容は、彼が薄々予想していた通りで特に意外な感はなかった。むしろ、他の男たちのアタックに対して、自分への一途な思いを貫いてくれた美亜が愛おしいとさえ思えてくる。
 けれど、美亜の方はどうやら違うらしかった。
 自分が告白されていたことを黙っていたことに罪悪感でもあるのか、伏せがちの目でチラチラと俊平の方を気にしてくる。
 そんなことを今更気にする必要などないのに。
 そう言ってやりたかったが、一度咲いた話の花は早々には打ち止めとはならない。

「あぁ美亜、ゴメンゴメン。でもウチは、美亜がいかに住谷さん一筋だったのか、それをしっかりお伝えしなきゃっていう一心で――」
「それにしたって限度があるでしょ! いくらなんでも話盛りすぎ!」
「そうかなぁ。私は別に大げさだとは思わないけど」
「えっ?」
「あんなに師匠、師匠って事あるごとに言っていた美亜ちゃんだもの。私たちが好きな今の美亜ちゃんがいるのは、そんな大切な人のおかげ。そういうの、私は素敵なことだと思うよ?」
「弓ちゃん……」

 振り返った弓子がにこやかに呟いた言葉に、美亜はしばし押し黙った。
 自分がやってきたことは間違いではなかったのだと、俊平もそう言われたような心地で話の行く末を見守っていた。
 ――だが。

「……もしかしてだけど、何かいい話っぽくして誤魔化そうとしてない?」
「あ、バレた?」
「もう、弓ちゃんってば!」

 小さく舌を出した弓子の瞳が、レンズの奥で悪戯っぽく笑った。
 憤りと共に美亜が叫び、俊平の肩からはガクリと力が抜けた。
 やはり彼女たちはJKなのだ。若いからといって甘く見てはいけないし、逆に買いかぶりすぎてもいけない。世の男どもには容易に解せない、難しい年頃の女の子たちなのだった。
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