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第3章 浴衣の夕べ、淫花は薫りて咲き乱れ
デートプラン
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地方の街の風景とは、今どきどこも似たようなものだという。
各種チェーン店の看板が競り合うように立ち並ぶ、色とりどりで雑多な街並み。
あるいは、自家用車での来客を大前提として設けられた広大な駐車場群。
まさに典型的な田舎の街のロードサイド。そんな表通りを脇道一本入ったところに、俊平が勤めるホームセンターもあった。
この日は週の中日ということもあってか、客の姿はまばらで、店はいつになく穏やかな昼下がりを迎えていた。とはいえ、決して暇な時間というわけでもない。現場で働く側とすれば、平常は接客に追われておざなりな業務を一気に片付けてしまうチャンスでもあるからだ。
この店舗で園芸部門主任を務める俊平も、それはまたしかり。ひとりバックヤードに引きこもって、この三〇分ばかりPCと睨めっこをして過ごしていた。
「あとは店長に計画書をメールして、と。……よし、これでひとまずは終わりだな」
ひっそりとした事務室で一人きりともなると、知らず知らずのうちに独り言が多くなってしまうものなのだろうか。
発注作業にひと段落がつき、彼は両手を天井に突き上げて大きく伸びをした。
壁にかかった時計をみやると、時刻はちょうど休憩開始時間に差し掛かっていた。店内の監視カメラ映像が移るモニターを見てもやはり客はまばらで、このまま休憩に入っても問題はないだろう。
彼は外の空気を吸いに、店の裏口へと向かった。スタッフ専用出入口のすぐ外には、スチール屋根だけの自転車小屋をそのまま使った休憩スペースがあった。
まだ自分のほかには誰もいない。
そのはずだったが、ひとり見知った顔がベンチに座って煙草をくゆらせていた。
「あれ、誰かと思えば石村さんじゃないですか」
「よぉ、住谷。お前も休憩か?」
石村卓。
すらりとした長身に、スポーツマン風の端正な顔立ち。歳は四〇代半ばとのことだが、30代で通じるほどに若々しい。それでも彼は、この辺りの店舗を束ねる地域統括マネージャーである。直接とはないとはいえ、俊平の上司にあたる人物だ。
「お、なんだかコーヒーの一本でも飲みたそうな顔してるな」
「いいんですか? ちょうど、ブラックの一本でも飲んで頭をすっきりさせたい気分だったんですよ」
「ちっ、そう言われると奢るしかなくなるじゃねえかよ」
「あはは。石村マネージャー、ゴチになります」
「調子いいなぁ、ったく。こっちは小遣い制なんだから、察してくれよな~?」
そんな不満たらたらのように見えて、後輩に奢りたくてたまらない上司はいつもの調子で財布を開き、自販機に硬貨を投入した。
恒例となったこのやり取り。相も変わらずな大根芝居だが、実利がある以上、俊平もあえて止めようとは思わない。よく冷えたコーヒーを受け取って対面のベンチに腰を下ろすと、石村はまだ長さのある煙草をもみ消した。
「それで、最近はどうだ。仕事は順調か?」
「まあ、ボチボチですね。最近暑さが和らいだので、外仕事でもだいぶ助かっているのは確かですけど」
「今年の夏はまた一段と酷かったからな。他の店の連中もみんなボヤいてたよ」
そんな何気ないやり取りから、最近の仕事の様子などを話し出す。
上司との面談というわけではなく、あくまでもざっくばらんに、世間話くらいのスタンスで。堅苦しい雰囲気にならないのは、きっと石村の兄貴分的な人柄がなせる業なのだろう。現場の声を聞く貴重な機会という狙いあっての振る舞いなのだとは察しもつくが、わざとらしくない話の回し方はなかなか真似できそうにない。
そうして話題が俊平のもう一つの担当である店舗公式SNSアカウントの活用について移ったとき、石村がふと首を傾げた。
「……ところでさ。住谷お前、最近なんかいいことでもあったか?」
「ええと、それはどういう意味で」
「いや、そのまんまの意味だけども。なんとなく表情が充実してる感じというか、今まで以上にやる気が感じられるというか。……さては彼女でもできたか?」
折悪く口にしていたコーヒーを、俊平は思わず吹き出しそうになった。
だって、そうだろう。石村の勘が一足飛びに核心を突き過ぎなのだから。
「おっ、わっかりやすいなぁ。しかし、いいことだぜ。住谷って確か、前の彼女とは別れて長かったはずだろ」
「ま、まあ。その節は大変お世話になりまして」
「ハハハっ、アレは思い出したくもない黒歴史、だろ?」
俊平が元カノと別れて間もない頃、傷心のために仕事でミスを繰り返す様子を見かね、石村が飲みに連れ出してくれたことがあった。その席で俊平は散々に痛飲し、上司に向かってみっともなく愚痴を吐き散らかした、らしい。
「らしい」というのは、ヤケ酒のために前後不覚に陥ったからだ。
俊平は後日、思い出し笑いを抑えきれない石村から事の次第を聞かされ、真っ青になって平謝りした経緯がある。とはいえ、彼を煽って飲ませた張本人はやはり石村だったから、実際は半ば共犯みたいなものなのだが。
「だがしかし、実際良いことだと思うぜ。プライベートが充実していれば、自然と仕事にも張り合いが出る。格好つけたい相手がいる場合は、特にな」
そう言って、石村はまるで自分事かのように感慨深げな笑みを浮かべた。
この石村という男、仕事もできるが実は立派な家庭人でもある。
なにしろ奥さんとの月一デートは何があっても欠かさないというし、多少無理なスケジュールでも娘の学校行事に合わせて休みをねじ込むともっぱらの評判を持つ、社内でも有名な愛妻家にして子煩悩なのだ。
だからこそ、なのだろう。
俊平としては美亜との交際がスタートして何か気持ちが改まったという覚えはない。それでも、充実した家庭に支えられている上司の言葉は、妙な納得感とともに素直に受け止めることができたのだった。
「それで、どうなんだい。その新しい彼女とは」
「え?」
「もう一度や二度はデートしただろう。そうじゃないのか?」
「いえ、実はそれが全くで……」
そこでふと、俊平は重大な事実に気がついた。
美亜と付き合い始めてもう一か月が過ぎるというのに、まだデートの一つもできていないことに。
全く考えていなかったわけではないのだが、美亜が受験を控えた大事な時期ということもあって先延ばしにしていたのは確かだ。唯一の例外として、富永道場の合宿に一緒に参加したことはあったけれど、アレではデートと言えないだろう。
とはいえ、そんな細かい事情までは頼りになる石村相手でも明かすことはできなかった。
この上司も年頃の娘を持つ身である。下手に墓穴は掘りたくない。
そんなこんなで俊平が答えあぐねていると、石村は察したように呆れ交じりのため息をついた。
「それじゃあダメだな。忙しさにかまけて、大切な相手をないがしろにする。――よく聞く話ではあるけれども、きっと分かってくれるって希望的観測だけじゃ長続きしないぜ? 肝心なのは、適度に一緒の時間を過ごして、楽しいことも苦しいことも分かち合うこと。そのためには、待ってるだけじゃ不味い。自分から積極的に動いていかないと」
「いや、あ~全くその通りではあるんですが、なかなかお互いのタイミングが合わなくて」
「ん、そうかぁ。じゃあ、例えばアレはどうだ。ほら、廊下の掲示ボードに貼ってあった。今週末に隣の市であるやつだろう、あの花火大会」
石村にそう言われて思い出したのは、従業員向け掲示板に誰かが貼り出していたあるポスターだった。
納涼花火大会と称されたそれは、毎年九月も半ばとなったこの時期に催されるちょっと珍しい花火イベントだ。俊平も名前だけは聞いたことがあったけれど、これまで連れ立っていく相手がいなかったこともあり、足を運んだことはない。
だが、もう夏休みを終わって二学期も始まったこの時期に、美亜を誘ってもいいものだろうか? 勉強の邪魔になって、迷惑ではないだろうか?
そんな逡巡に陥りかける俊平に対し、石村としてはもう誘うことは確定事項のようだった。
「あんまりあれこれ考えるより、まずは動いてみなよ。付き合い始めなんて何事も新鮮なもんなんだから、思い悩みすぎるなって」
きっと彼の頭の中で、俊平の新しい恋人は同年代の社会人女性ということになっているのだろう。まさか一回りも離れた現役JKだとは夢にも思うまい。
そのときちょうど従業員無線で呼び出しがかかり、俊平はベンチから立ち上がった。
売り場に向かう、その背中にかけられた気楽げなアドバイス。軽く頭を下げて応じながら俊平は、美亜に送るメッセージの文面に考えを巡らせ始めていた。
***
結局、俊平は美亜を花火大会に誘うことにした。
受験生の恋人をデートに誘うことには、もちろん躊躇もあった。けれど、悩み過ぎて踏み出すことができないのは彼自身、近頃自覚している悪癖でもある。
そもそもが急な話だし、美亜の都合が悪ければ諦めればいい。
仕事終わり、気楽な心持ちでメッセージを打ち込んだ。
――そんなタイミングだった。美亜から連絡がきたのは。
『お疲れ様。もうお仕事終わった?
時間があれば会いたいんだけど、どうかな?』
女子高生らしい絵文字交じりに、美亜のメッセージが画面に浮かぶ。
すぐさま返事をしたかったが、アラサーの指先はJKのようにしなやかに動いてはくれず、じれったくなり電話に切り替えた。呼び出し音はワンコールで途切れ、まもなく美亜が電話口に出た。
「びっくりした。いつもはこんなに早く反応してくれないのに。今日はどうしたの~?」
「いや、すまん。ちょうど俺も美亜に連絡しようとしていたところだったからさ」
先ほどメッセージにしたためようとしていた誘い文句を思い出しつつ、俊平は唇を湿らせた。
デートの誘いなんて、もう何年振りのことだろう?
しかも相手は、ついこの間まで妹のような存在だった美亜なのだ。そんな彼女を改まってデートに誘うのは、何だか妙にこそばゆい気分だった。
「――花火大会?」
「ああ。美亜も忙しいだろうし、もしよければなんだけど」
「出店もあるんだよね? なら行ってみたいっ。そうだよ、今年花火見に行けてないもん。大会や勉強のことですっかり忘れてた!」
「花火、花火♪」と嬉しそうに口ずさみ、既にその気になっている美亜と待ち合わせの約束を取り交わす。そのまま他愛無い話を少しばかり挟み、俊平が名残惜しさを覚えだしたころ、家族に呼ばれたらしく彼女の声は慌てた様子でフェードアウトしていった。
通話終了。そのボタンを押すとともに、俊平は小さく安堵のため息をついた。
そして、自然と口元が緩んでくるのも自覚した。きっと今の自分は誰にも見せられないニヤケ顔だ。傍目には不審者と間違えられてもしょうがないだろう。
「今度石村さんと会ったときは、コーヒーくらい渡さないとだな」
的確なアドバイスをくれた人生の大先輩へ静かに感謝の祈りを捧げ、いつになく胸を躍らせながら俊平は帰り支度を整える。
と、そのときふと些細な疑問がわいた。
「それにしたってアイツ、どうして急にあんなメッセージ送ってきたんだ?」
少し気まぐれなところがある彼女だが、これまで平日の仕事終わりを狙って連絡してくることはなかった気がする。それが少し引っかかる部分だった。
とはいえ、今のふたりは恋人同士である。これまでとは距離感が変わってきても、別におかしくはないのかもしれない。
(美亜もあれで、俺のこと恋しがってくれてたり?)
そんな甘い考えを抱いていると、ポケットの中でスマホが再び短く震えた。
――また美亜だろうか?
俊平は慌ててポケットに手を伸ばす。だが、画面に映ったメッセージの送り主の名は彼女ではなく、富永だった。
電子機器に少々疎い彼らしい、極めて端的な文章。
その内容に俊平は目を見張った。すぐさま「このあと道場に寄ります」とだけ返信し、急いでロッカールームから駆け出して行く。
そのときにはもう、先ほどの疑問など頭の中から抜け落ちてしまっていた。
各種チェーン店の看板が競り合うように立ち並ぶ、色とりどりで雑多な街並み。
あるいは、自家用車での来客を大前提として設けられた広大な駐車場群。
まさに典型的な田舎の街のロードサイド。そんな表通りを脇道一本入ったところに、俊平が勤めるホームセンターもあった。
この日は週の中日ということもあってか、客の姿はまばらで、店はいつになく穏やかな昼下がりを迎えていた。とはいえ、決して暇な時間というわけでもない。現場で働く側とすれば、平常は接客に追われておざなりな業務を一気に片付けてしまうチャンスでもあるからだ。
この店舗で園芸部門主任を務める俊平も、それはまたしかり。ひとりバックヤードに引きこもって、この三〇分ばかりPCと睨めっこをして過ごしていた。
「あとは店長に計画書をメールして、と。……よし、これでひとまずは終わりだな」
ひっそりとした事務室で一人きりともなると、知らず知らずのうちに独り言が多くなってしまうものなのだろうか。
発注作業にひと段落がつき、彼は両手を天井に突き上げて大きく伸びをした。
壁にかかった時計をみやると、時刻はちょうど休憩開始時間に差し掛かっていた。店内の監視カメラ映像が移るモニターを見てもやはり客はまばらで、このまま休憩に入っても問題はないだろう。
彼は外の空気を吸いに、店の裏口へと向かった。スタッフ専用出入口のすぐ外には、スチール屋根だけの自転車小屋をそのまま使った休憩スペースがあった。
まだ自分のほかには誰もいない。
そのはずだったが、ひとり見知った顔がベンチに座って煙草をくゆらせていた。
「あれ、誰かと思えば石村さんじゃないですか」
「よぉ、住谷。お前も休憩か?」
石村卓。
すらりとした長身に、スポーツマン風の端正な顔立ち。歳は四〇代半ばとのことだが、30代で通じるほどに若々しい。それでも彼は、この辺りの店舗を束ねる地域統括マネージャーである。直接とはないとはいえ、俊平の上司にあたる人物だ。
「お、なんだかコーヒーの一本でも飲みたそうな顔してるな」
「いいんですか? ちょうど、ブラックの一本でも飲んで頭をすっきりさせたい気分だったんですよ」
「ちっ、そう言われると奢るしかなくなるじゃねえかよ」
「あはは。石村マネージャー、ゴチになります」
「調子いいなぁ、ったく。こっちは小遣い制なんだから、察してくれよな~?」
そんな不満たらたらのように見えて、後輩に奢りたくてたまらない上司はいつもの調子で財布を開き、自販機に硬貨を投入した。
恒例となったこのやり取り。相も変わらずな大根芝居だが、実利がある以上、俊平もあえて止めようとは思わない。よく冷えたコーヒーを受け取って対面のベンチに腰を下ろすと、石村はまだ長さのある煙草をもみ消した。
「それで、最近はどうだ。仕事は順調か?」
「まあ、ボチボチですね。最近暑さが和らいだので、外仕事でもだいぶ助かっているのは確かですけど」
「今年の夏はまた一段と酷かったからな。他の店の連中もみんなボヤいてたよ」
そんな何気ないやり取りから、最近の仕事の様子などを話し出す。
上司との面談というわけではなく、あくまでもざっくばらんに、世間話くらいのスタンスで。堅苦しい雰囲気にならないのは、きっと石村の兄貴分的な人柄がなせる業なのだろう。現場の声を聞く貴重な機会という狙いあっての振る舞いなのだとは察しもつくが、わざとらしくない話の回し方はなかなか真似できそうにない。
そうして話題が俊平のもう一つの担当である店舗公式SNSアカウントの活用について移ったとき、石村がふと首を傾げた。
「……ところでさ。住谷お前、最近なんかいいことでもあったか?」
「ええと、それはどういう意味で」
「いや、そのまんまの意味だけども。なんとなく表情が充実してる感じというか、今まで以上にやる気が感じられるというか。……さては彼女でもできたか?」
折悪く口にしていたコーヒーを、俊平は思わず吹き出しそうになった。
だって、そうだろう。石村の勘が一足飛びに核心を突き過ぎなのだから。
「おっ、わっかりやすいなぁ。しかし、いいことだぜ。住谷って確か、前の彼女とは別れて長かったはずだろ」
「ま、まあ。その節は大変お世話になりまして」
「ハハハっ、アレは思い出したくもない黒歴史、だろ?」
俊平が元カノと別れて間もない頃、傷心のために仕事でミスを繰り返す様子を見かね、石村が飲みに連れ出してくれたことがあった。その席で俊平は散々に痛飲し、上司に向かってみっともなく愚痴を吐き散らかした、らしい。
「らしい」というのは、ヤケ酒のために前後不覚に陥ったからだ。
俊平は後日、思い出し笑いを抑えきれない石村から事の次第を聞かされ、真っ青になって平謝りした経緯がある。とはいえ、彼を煽って飲ませた張本人はやはり石村だったから、実際は半ば共犯みたいなものなのだが。
「だがしかし、実際良いことだと思うぜ。プライベートが充実していれば、自然と仕事にも張り合いが出る。格好つけたい相手がいる場合は、特にな」
そう言って、石村はまるで自分事かのように感慨深げな笑みを浮かべた。
この石村という男、仕事もできるが実は立派な家庭人でもある。
なにしろ奥さんとの月一デートは何があっても欠かさないというし、多少無理なスケジュールでも娘の学校行事に合わせて休みをねじ込むともっぱらの評判を持つ、社内でも有名な愛妻家にして子煩悩なのだ。
だからこそ、なのだろう。
俊平としては美亜との交際がスタートして何か気持ちが改まったという覚えはない。それでも、充実した家庭に支えられている上司の言葉は、妙な納得感とともに素直に受け止めることができたのだった。
「それで、どうなんだい。その新しい彼女とは」
「え?」
「もう一度や二度はデートしただろう。そうじゃないのか?」
「いえ、実はそれが全くで……」
そこでふと、俊平は重大な事実に気がついた。
美亜と付き合い始めてもう一か月が過ぎるというのに、まだデートの一つもできていないことに。
全く考えていなかったわけではないのだが、美亜が受験を控えた大事な時期ということもあって先延ばしにしていたのは確かだ。唯一の例外として、富永道場の合宿に一緒に参加したことはあったけれど、アレではデートと言えないだろう。
とはいえ、そんな細かい事情までは頼りになる石村相手でも明かすことはできなかった。
この上司も年頃の娘を持つ身である。下手に墓穴は掘りたくない。
そんなこんなで俊平が答えあぐねていると、石村は察したように呆れ交じりのため息をついた。
「それじゃあダメだな。忙しさにかまけて、大切な相手をないがしろにする。――よく聞く話ではあるけれども、きっと分かってくれるって希望的観測だけじゃ長続きしないぜ? 肝心なのは、適度に一緒の時間を過ごして、楽しいことも苦しいことも分かち合うこと。そのためには、待ってるだけじゃ不味い。自分から積極的に動いていかないと」
「いや、あ~全くその通りではあるんですが、なかなかお互いのタイミングが合わなくて」
「ん、そうかぁ。じゃあ、例えばアレはどうだ。ほら、廊下の掲示ボードに貼ってあった。今週末に隣の市であるやつだろう、あの花火大会」
石村にそう言われて思い出したのは、従業員向け掲示板に誰かが貼り出していたあるポスターだった。
納涼花火大会と称されたそれは、毎年九月も半ばとなったこの時期に催されるちょっと珍しい花火イベントだ。俊平も名前だけは聞いたことがあったけれど、これまで連れ立っていく相手がいなかったこともあり、足を運んだことはない。
だが、もう夏休みを終わって二学期も始まったこの時期に、美亜を誘ってもいいものだろうか? 勉強の邪魔になって、迷惑ではないだろうか?
そんな逡巡に陥りかける俊平に対し、石村としてはもう誘うことは確定事項のようだった。
「あんまりあれこれ考えるより、まずは動いてみなよ。付き合い始めなんて何事も新鮮なもんなんだから、思い悩みすぎるなって」
きっと彼の頭の中で、俊平の新しい恋人は同年代の社会人女性ということになっているのだろう。まさか一回りも離れた現役JKだとは夢にも思うまい。
そのときちょうど従業員無線で呼び出しがかかり、俊平はベンチから立ち上がった。
売り場に向かう、その背中にかけられた気楽げなアドバイス。軽く頭を下げて応じながら俊平は、美亜に送るメッセージの文面に考えを巡らせ始めていた。
***
結局、俊平は美亜を花火大会に誘うことにした。
受験生の恋人をデートに誘うことには、もちろん躊躇もあった。けれど、悩み過ぎて踏み出すことができないのは彼自身、近頃自覚している悪癖でもある。
そもそもが急な話だし、美亜の都合が悪ければ諦めればいい。
仕事終わり、気楽な心持ちでメッセージを打ち込んだ。
――そんなタイミングだった。美亜から連絡がきたのは。
『お疲れ様。もうお仕事終わった?
時間があれば会いたいんだけど、どうかな?』
女子高生らしい絵文字交じりに、美亜のメッセージが画面に浮かぶ。
すぐさま返事をしたかったが、アラサーの指先はJKのようにしなやかに動いてはくれず、じれったくなり電話に切り替えた。呼び出し音はワンコールで途切れ、まもなく美亜が電話口に出た。
「びっくりした。いつもはこんなに早く反応してくれないのに。今日はどうしたの~?」
「いや、すまん。ちょうど俺も美亜に連絡しようとしていたところだったからさ」
先ほどメッセージにしたためようとしていた誘い文句を思い出しつつ、俊平は唇を湿らせた。
デートの誘いなんて、もう何年振りのことだろう?
しかも相手は、ついこの間まで妹のような存在だった美亜なのだ。そんな彼女を改まってデートに誘うのは、何だか妙にこそばゆい気分だった。
「――花火大会?」
「ああ。美亜も忙しいだろうし、もしよければなんだけど」
「出店もあるんだよね? なら行ってみたいっ。そうだよ、今年花火見に行けてないもん。大会や勉強のことですっかり忘れてた!」
「花火、花火♪」と嬉しそうに口ずさみ、既にその気になっている美亜と待ち合わせの約束を取り交わす。そのまま他愛無い話を少しばかり挟み、俊平が名残惜しさを覚えだしたころ、家族に呼ばれたらしく彼女の声は慌てた様子でフェードアウトしていった。
通話終了。そのボタンを押すとともに、俊平は小さく安堵のため息をついた。
そして、自然と口元が緩んでくるのも自覚した。きっと今の自分は誰にも見せられないニヤケ顔だ。傍目には不審者と間違えられてもしょうがないだろう。
「今度石村さんと会ったときは、コーヒーくらい渡さないとだな」
的確なアドバイスをくれた人生の大先輩へ静かに感謝の祈りを捧げ、いつになく胸を躍らせながら俊平は帰り支度を整える。
と、そのときふと些細な疑問がわいた。
「それにしたってアイツ、どうして急にあんなメッセージ送ってきたんだ?」
少し気まぐれなところがある彼女だが、これまで平日の仕事終わりを狙って連絡してくることはなかった気がする。それが少し引っかかる部分だった。
とはいえ、今のふたりは恋人同士である。これまでとは距離感が変わってきても、別におかしくはないのかもしれない。
(美亜もあれで、俺のこと恋しがってくれてたり?)
そんな甘い考えを抱いていると、ポケットの中でスマホが再び短く震えた。
――また美亜だろうか?
俊平は慌ててポケットに手を伸ばす。だが、画面に映ったメッセージの送り主の名は彼女ではなく、富永だった。
電子機器に少々疎い彼らしい、極めて端的な文章。
その内容に俊平は目を見張った。すぐさま「このあと道場に寄ります」とだけ返信し、急いでロッカールームから駆け出して行く。
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