優しい嘘

Sweet World

文字の大きさ
上 下
12 / 15

運命の日

しおりを挟む
ついに母の番が回ってきた。1人ずつ音楽関係者の前で歌唱をすることになっていたので、母も数人の審査員の前に立たされた。母はその視線に、打ちのめされそうになりながらもなんとか簡単な自己紹介を終え、課題曲のイントロが流れ始めた。そして、歌唱が始まろうとしていた。その時突然、母は心臓の鼓動が異様に早くなるのを感じた。喉の奥が苦しくなり、声を発することができなくなった。出そうとしても出てこない声の代わりに、止まらない息の音が母の耳の奥で鳴り響いた。曲のサビになっても歌唱が始まらないので、現場も動揺し始めていた。「これはなしかな。」、「もう次いこうか」そんな声が出始めていた。
『やっぱり、無理かもしれない。』
諦めかけたその時、途端に現場が真っ暗になった。「停電?」現場にいた一同がその状況を理解できずにざわつき始めた。
しばらくして、明かりがつくと、
「すみません、ちょっとよろけちゃって、照明のスイッチ切っちゃいました。」と1人の男が言った。
「お前なぁ、今審査中だったんだぞ。わかってるのか。」彼の上司にあたる人物が、顔を真っ赤にして彼を責め立てた。
「まあまあまあ、仕方ないですよ。」審査員の1人がなだめた。
「でも困りましたね、どうしますこれ?」現場に困惑の空気が漂った。
男が口火を切った。
「あの、今のは僕のミスなので、もう一回審査してあげられないでしょうか?」男の問いに、上司は強い口調で「お前もう黙ってろ。」と返したが、男は怯むことなく、「どんな思いかは分からないけど、ここに来てるってことは歌に対する強い思いがあるからだと思います。それを自分のミスで台無しにしたくはないです。すみません、責任はきっちり僕が取ります。だから、審査してあげてください。僕も聞きたいです。彼女の歌を。」と言って、頭を下げた。それを聞いた審査員の1人は、母をじっと見て、「君はやりたい?」と尋ねた。
母の思い。願い。それは自分の歌をみんなに届けること。自分の歌でみんなを笑顔にすること。そのために、ここにいるんだ。
「やりたいです。」強く答えた。
そして2度目のイントロが流れ始めた。母は目を瞑って想像した。伝えたいという思いの先にいる人達。それは歌を聞きたいと言ってくれた父、そして会ったことのないたくさんの人。みんなに自分の歌を届けよう、その強い思いで歌い始めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

トラガールは、 道の果てに夢を見る。

舟津湊
ライト文芸
様々な経緯でトラックドライバーになって出会った、五人の女性たちの群像、連作ショートストーリーです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

長谷川さんへ

神奈川雪枝
ライト文芸
不倫シリーズ

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...