上 下
18 / 44
第二章 切断された首についての考察

探索②

しおりを挟む
 12月26日。
 午後1時40分。

「やあ助手ちゃん」

 厨房にいたのは飯田だった。
 飯田はどんぶりを抱えるようにして、巨大な鍋の前でカレーを食べている。口の周りはカレーで酷く汚れていた。

「……まさか一人でこの量を?」

「腹が減っては推理は出来ぬ」
 飯田はわたしの方にスプーンを握った拳を突き出して、親指を立てた。満面の笑みなのはいいが、行儀が悪い。

「……はァ」

 流し台には既に空になった釜が幾つも置かれている。ここまでくると、もはや感心するしかない。
 大食い探偵の異名に違わぬ食べっぷりだ。

「良かったら助手ちゃんも食べてく?」

「え?」

 飯田からの思わぬ申し出に、わたしはゴクリと唾を飲み込んだ。
 さっきから唾液の分泌が止まらない。
 身体は正直である。

「ええ、飯田さんさえ良ければ」

 本来ならこんなところで仲良く和気藹々わきあいあいと昼食をとっている場合ではないのだが、目の前のカレーの誘惑には敵わなかった。

 それに飯田の持つ独特の緩い雰囲気に、わたしはつい烏丸が尋常ではない殺され方をしていたことを忘れてしまっていた。

「円でいいよ」

「え?」

「呼び名。歳は助手ちゃんの方が少し上なんだからさ、『飯田さん』じゃなくて『円』って呼んでよ」

「いや、流石にそれは……」

 わたしは困ってしまう。
 幾ら年下でも、飯田はキャリアでも実力でもわたしよりずっと上、雲の上の存在なのだ。そう親しげに呼ぶわけにもいかない。

「呼んでくれなきゃカレーあげないよー」

「うぅッ……」

 仕方がない。カレーの為だ。
 わたしは渋々飯田の申し出を了承した。

「ねぇ、円」
「なーにー?」

 飯田はキラキラと目を輝かせてこっちを見ている。名前で呼ばれたことが余程嬉しいと見える。

「…………」
 何となくやりずらい。
 しかし、今ならどんな質問にも答えてくれそうだ。飯田から情報を引き出すチャンスかもしれない。

「……素朴な疑問なんだけど、円はあのとき何故わたしたちの分の寿司まで食べてくれたの?」

 残酷館に集められた七人の名探偵。
 その中でも最も謎めいているのが飯田円と言っも過言ではない。

 わたしと城ヶ崎と切石の三人が寿司を食べず、鮫島と言い争いになったあのとき、飯田は躊躇なく残りの寿司を全て口に入れた。
 あの段階では寿司に毒が盛られてある可能性もあったにも拘らず、だ。

「ああ、あれねー」
 思った通り、飯田は上機嫌で答える。

「答えは簡単だよー。何せ私には残りの寿司に毒が入っていないことが分かっていたからね」

「それって……」

 わたしの頭の中で一つの仮説が組み上がる。
 飯田円は館の主人。
 だからこそ、残りの寿司が安全であることを知り得たのではないか?

「匂いだよー。私には食べられるものと、食べられないものが匂いで分かるの。あの寿司に仕込まれていたのは、青酸系の毒だったみたいだしね。どれに毒が盛ってあるか、匂いですぐに分かったよ」

「匂い?」

 それは俄かには信じ難い話だった。
 もしそれが本当なら、飯田には犬並みの嗅覚が備わっていることになる。

「ま、別に信じてくれなくてもいいけどさー」

 飯田はそう言って背中を丸めると、そっぽを向いてしまった。

「ご、ごめん、円」

 どちらにせよ、飯田が只者ではないことに変わりはなさそうだ。

「んじゃ助手ちゃん、後片付けよろしくー」

「……え?」

 やられた。
 わたしにカレーを勧めてきたのも恐らくこの為だったのだろう。
 飯田はふらりと厨房を後にし、残されたわたしはカレーのこびりついた鍋と格闘するハメになる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

雨の向こう側

サツキユキオ
ミステリー
山奥の保養所で行われるヨガの断食教室に参加した亀山佑月(かめやまゆづき)。他の参加者6人と共に独自ルールに支配された中での共同生活が始まるが────。

紙の本のカバーをめくりたい話

みぅら
ミステリー
紙の本のカバーをめくろうとしたら、見ず知らずの人に「その本、カバーをめくらない方がいいですよ」と制止されて、モヤモヤしながら本を読む話。 男性向けでも女性向けでもありません。 カテゴリにその他がなかったのでミステリーにしていますが、全然ミステリーではありません。

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

無限の迷路

葉羽
ミステリー
豪華なパーティーが開催された大邸宅で、一人の招待客が密室の中で死亡して発見される。部屋は内側から完全に施錠されており、窓も塞がれている。調査を進める中、次々と現れる証拠品や証言が事件をますます複雑にしていく。

マクデブルクの半球

ナコイトオル
ミステリー
ある夜、電話がかかってきた。ただそれだけの、はずだった。 高校時代、自分と折り合いの付かなかった優等生からの唐突な電話。それが全てのはじまりだった。 電話をかけたのとほぼ同時刻、何者かに突き落とされ意識不明となった青年コウと、そんな彼と昔折り合いを付けることが出来なかった、容疑者となった女、ユキ。どうしてこうなったのかを調べていく内に、コウを突き落とした容疑者はどんどんと増えてきてしまう─── 「犯人を探そう。出来れば、彼が目を覚ますまでに」 自他共に認める在宅ストーカーを相棒に、誰かのために進む、犯人探し。

旧校舎のフーディーニ

澤田慎梧
ミステリー
【「死体の写った写真」から始まる、人の死なないミステリー】 時は1993年。神奈川県立「比企谷(ひきがやつ)高校」一年生の藤本は、担任教師からクラス内で起こった盗難事件の解決を命じられてしまう。 困り果てた彼が頼ったのは、知る人ぞ知る「名探偵」である、奇術部の真白部長だった。 けれども、奇術部部室を訪ねてみると、そこには美少女の死体が転がっていて――。 奇術師にして名探偵、真白部長が学校の些細な謎や心霊現象を鮮やかに解決。 「タネも仕掛けもございます」 ★毎週月水金の12時くらいに更新予定 ※本作品は連作短編です。出来るだけ話数通りにお読みいただけると幸いです。 ※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。 ※本作品の主な舞台は1993年(平成五年)ですが、当時の知識が無くてもお楽しみいただけます。 ※本作品はカクヨム様にて連載していたものを加筆修正したものとなります。

影の多重奏:神藤葉羽と消えた記憶の螺旋

葉羽
ミステリー
天才高校生・神藤葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共に平穏な日常を送っていた。しかし、ある日を境に、葉羽の周囲で不可解な出来事が起こり始める。それは、まるで悪夢のような、現実と虚構の境界が曖昧になる恐怖の連鎖だった。記憶の断片、多重人格、そして暗示。葉羽は、消えた記憶の螺旋を辿り、幼馴染と共に惨劇の真相へと迫る。だが、その先には、想像を絶する真実が待ち受けていた。

若月骨董店若旦那の事件簿~水晶盤の宵~

七瀬京
ミステリー
 秋。若月骨董店に、骨董鑑定の仕事が舞い込んできた。持ち込まれた品を見て、骨董屋の息子である春宵(しゅんゆう)は驚愕する。  依頼人はその依頼の品を『鬼の剥製』だという。  依頼人は高浜祥子。そして持ち主は、高浜祥子の遠縁に当たるという橿原京香(かしはらみやこ)という女だった。  橿原家は、水産業を営みそれなりの財産もあるという家だった。しかし、水産業で繁盛していると言うだけではなく、橿原京香が嫁いできてから、ろくな事がおきた事が無いという事でも、有名な家だった。  そして、春宵は、『鬼の剥製』を一目見たときから、ある事実に気が付いていた。この『鬼の剥製』が、本物の人間を使っているという事実だった………。  秋を舞台にした『鬼の剥製』と一人の女の物語。

処理中です...