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第二章 切断された首についての考察
それ以外の者
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屋上から降りると、再び一階の探索を続ける。
鉄の処女側、つまり大階段を挟んで左の通路を進むと、厨房が見えてくる。広さは食堂の半分程度だが、残酷館の規模を考えるとそれでも広過ぎるくらいだ。巨大な冷凍庫の中には肉や魚が大量に備蓄されていた。
ファラリスの雄牛側の通路には応接室がある。革張りのソファとテーブルが並んでいる他に特筆すべき点はない。窓や換気口の類もなかった。
「次はトイレだな」
トイレは応接室の先に位置する。シャワー室が隣接しており、無論、男女別室になっている。
「先生、まさか女子トイレまで調べるおつもりですか?」
「当然だ、調べるからには全て見ておかないと意味がない」
「それもそうですが……」
わたしは渋々、城ケ崎の後に続いて女子トイレに入っていった。
トイレとシャワー室の中は男女共に小さな換気扇があるだけで、窓はどこにもない。
一階の中央部にある一番広い部屋は娯楽室だ。とはいっても、それらしいのは部屋の隅に一台だけ置かれたビリヤード台くらいのもので、その他は椅子と観葉植物があるだけのつまらない部屋だった。
そして、最後に城ヶ崎の部屋の中だ。部屋の扉は顔認証をパスすると音もなくスライドして開き、きっかり五秒後に閉まる。
部屋の中はベッドや小型の冷蔵庫など、必要最低限のものしか置かれていない。
ベッドの上に立って漸く手の届く位置に小さな換気窓があるが、窓枠が狭くて、とても人間の肩幅が通り抜けるのは無理だろう。
こうして、館から脱出することは不可能であるという結論に至った。
館内を歩き回って疲れ切ったわたしは、ベッドに倒れ込んで城ヶ崎を見上げた。
自然と目が合う。
「……そういえば先生、夕食のとき烏丸さんに質問してましたけど、あれってどういうことだったんですか?」
城ケ崎の質問は、能面のように感情が読めない烏丸を唯一動揺させた言葉だった。
あのとき、城ケ崎は何を考えていたのか?
「別に。意味なんてないさ」
城ヶ崎は面倒臭そうに言って、わたしから目を逸らした。
「意味がない?」
「ただ死刑執行前夜の囚人の気持ちが知りたくてね。興味本位で訊いてみたまでだ。それ以上の意味はない」
烏丸は自身の死を受け入れているようだった。
だが、本当にそうなのだろうか?
城ケ崎の言葉に反応したことこそ、烏丸がまだ生に執着する証拠ではないのか?
否、そんなことは関係ない。今まさにわたしたちの眼前で殺人が行われようとしているのだ。
許されていい筈がない。
「あの、わたしたち、止めなくてもいいのでしょうか?」
「……止めるって何をだ?」
「決まってるじゃないですか、殺人をです。だって、烏丸さんが今夜殺されることは既に分かってるんですよ? そんなことをみすみす許してしまってもいいんですか?」
城ヶ崎は目を閉じると、大きく息を吐きだした。
「……それは烏丸が最も望まない展開だろうな。目を見て分かったよ、あいつは最初の犠牲者になることまで含めて館の主人に雇われたのだ。どんな事情があるかまでは知らんが、恐らく死後に莫大な報酬を受け取る用意があるのだろう」
「莫大な報酬?」
わたしは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「そう。例えば烏丸には難病を抱える家族がいて、その手術にその報酬が必要なのだとしたら?」
城ケ崎の話にわたしは慄然とする。
確かにあり得る話だ。
「しかし……」
「それに今は他人の心配をしている場合ではない。烏丸の次はオレやお前が殺される番かもしれないんだからな。助かるには殺される前に犯人を見つけ出すしか方法はない。今は少しでも手掛かりが欲しいところなのだ」
それはつまり、手掛かりを得る為に烏丸を見殺しにするという意味だ。
「しかし、そんなことが許されるのでしょうか?」
「許されるも許されないもない。烏丸は自分が殺されることを承知でここに来たのだからな。今更後悔したとしても自業自得だ」
城ヶ崎の言い分は冷徹極まりない。
だが、まだ望みはある筈だ。
「先生なら既に犯人の目星が付いているのではないですか?」
わたしがそう言うと、城ヶ崎はまるで珍獣でも見るような顔をした。
「まだ事件も起きていないうちから犯人が分かるようなら、探偵などという職業は存在しない」
「それはまァそうなんですけど」
「現状でこちらから打てる手はない」
「……はァ」
城ヶ崎の言うことは正論ではある。
しかし、出来ることがないからといって、このまま手を拱いているのは癪だった。
館の主人の思い通りにことを運ばせない為に、考えられることは全て考えておいた方がいい。
「今のところ犯人探しの手掛かりになりそうなのは、全員が参加した『寿司アンルーレット』くらいです。あのとき、不審な行動をとった者はいなかったでしょうか?」
まず最初に寿司に手をつけたのは綿貫リエだ。
ここで彼女は毒で死ぬ演技を見せ、気が緩んだ鮫島吾郎、支倉貴人、飯田円、不破創一らがそれに続く。
そして結局寿司を食べずにいたのが城ヶ崎九郎、切石勇魚、鈴村眉美の三人。
犯人は予めどの寿司が毒入りか知っていた可能性が高い。よって寿司を食べた者も食べなかった者も、等しく疑わしいことになる。
「……ダメだ。犯人どころか容疑者を絞り込むことすら出来ない」
わたしは自分の無力さにほとほと嫌気がさした。
城ケ崎のやり方を非難しておきながら、自分一人では何もすることが出来ない。
「いいや、そうでもないさ」
城ヶ崎は詰将棋の問題集を眺めながら言った。
「これまでの各々の行動から犯人を炙り出すという、発想自体はそう悪くない」
「どういうことです?」
わたしは城ケ崎に期待を込めた眼差しを向ける。
「寿司を食べた者も食べていない者もどちらも疑わしいのなら、それ以外の者を探せばいい」
「…………」
今度はわたしが怪訝な顔をする番だった。
「あのですね先生。寿司は食べ物ですから、食べるか食べないかしか出来ないんですよ。それから何か分かっているのなら、もっと分かり易く仰って貰えませんかね」
「ここではオレとお前は同じ事件を扱う競争相手なのだから、別に分かり易く説明してやる義理はないのだが?」
城ケ崎は咳払いをして、口元に拳を押し当てている。
「……分かりました。何でも言うことを聞くので、知っていることがあるなら教えて下さい。これでいいですか?」
わたしが口を尖らせると、城ヶ崎は満足そうに頷いた。
「とは言っても、オレだってまだ犯人が誰かなんてことは分かっていない。だが、逆に犯人では有り得ない人物になら一人だけ心当たりがある」
「誰なんです、それは?」
「奇術探偵、不破創一」
わたしはすぐさま銀髪の老探偵の顔を思い浮かべた。
集まった探偵たちの中で最年長でかつ大ベテランだが、物腰は柔らかく紳士的だ。温和な性格で、争い事を好まない印象がある。
「うーん、確かに不破さんは好々爺といった感じで、凶悪な殺人犯には見えませんでしたけどねー」
「好々爺? とんでもない。オレは犯人以外であの爺さんが一番厄介だと睨んでいる」
「どうしてです?」
「何故なら、不破は寿司を食べてなんかいない。消したんだよ、奇術を使ってね」
「消した?」
わたしは意味が分からず大きく目を見開いた。
「探偵として三十年以上のキャリアを持つ不破創一が、何の勝算もなく自身の生き死にの懸かったギャンブルをするとは思えなかったからな。不破を怪しいと踏んでなければオレでも見逃す早業だったよ。そしてもし不破が犯人なら、そんなことをする必要はない。毒を避けて食べるか、オレたちと同じように食べなければいいんだからな」
確かに天才マジシャンである不破創一なら方法は見当もつかないが、それくらいの芸当はやってのけるかもしれない。
「兎も角、犯人である可能性が低いとはいえ、不破には要注意だ。奴の動向はつぶさに観察することにしよう」
何時の間にか時計の針は午前0時を回っていた。
今夜は城ヶ崎の部屋で眠るしかなさそうだ。
鉄の処女側、つまり大階段を挟んで左の通路を進むと、厨房が見えてくる。広さは食堂の半分程度だが、残酷館の規模を考えるとそれでも広過ぎるくらいだ。巨大な冷凍庫の中には肉や魚が大量に備蓄されていた。
ファラリスの雄牛側の通路には応接室がある。革張りのソファとテーブルが並んでいる他に特筆すべき点はない。窓や換気口の類もなかった。
「次はトイレだな」
トイレは応接室の先に位置する。シャワー室が隣接しており、無論、男女別室になっている。
「先生、まさか女子トイレまで調べるおつもりですか?」
「当然だ、調べるからには全て見ておかないと意味がない」
「それもそうですが……」
わたしは渋々、城ケ崎の後に続いて女子トイレに入っていった。
トイレとシャワー室の中は男女共に小さな換気扇があるだけで、窓はどこにもない。
一階の中央部にある一番広い部屋は娯楽室だ。とはいっても、それらしいのは部屋の隅に一台だけ置かれたビリヤード台くらいのもので、その他は椅子と観葉植物があるだけのつまらない部屋だった。
そして、最後に城ヶ崎の部屋の中だ。部屋の扉は顔認証をパスすると音もなくスライドして開き、きっかり五秒後に閉まる。
部屋の中はベッドや小型の冷蔵庫など、必要最低限のものしか置かれていない。
ベッドの上に立って漸く手の届く位置に小さな換気窓があるが、窓枠が狭くて、とても人間の肩幅が通り抜けるのは無理だろう。
こうして、館から脱出することは不可能であるという結論に至った。
館内を歩き回って疲れ切ったわたしは、ベッドに倒れ込んで城ヶ崎を見上げた。
自然と目が合う。
「……そういえば先生、夕食のとき烏丸さんに質問してましたけど、あれってどういうことだったんですか?」
城ケ崎の質問は、能面のように感情が読めない烏丸を唯一動揺させた言葉だった。
あのとき、城ケ崎は何を考えていたのか?
「別に。意味なんてないさ」
城ヶ崎は面倒臭そうに言って、わたしから目を逸らした。
「意味がない?」
「ただ死刑執行前夜の囚人の気持ちが知りたくてね。興味本位で訊いてみたまでだ。それ以上の意味はない」
烏丸は自身の死を受け入れているようだった。
だが、本当にそうなのだろうか?
城ケ崎の言葉に反応したことこそ、烏丸がまだ生に執着する証拠ではないのか?
否、そんなことは関係ない。今まさにわたしたちの眼前で殺人が行われようとしているのだ。
許されていい筈がない。
「あの、わたしたち、止めなくてもいいのでしょうか?」
「……止めるって何をだ?」
「決まってるじゃないですか、殺人をです。だって、烏丸さんが今夜殺されることは既に分かってるんですよ? そんなことをみすみす許してしまってもいいんですか?」
城ヶ崎は目を閉じると、大きく息を吐きだした。
「……それは烏丸が最も望まない展開だろうな。目を見て分かったよ、あいつは最初の犠牲者になることまで含めて館の主人に雇われたのだ。どんな事情があるかまでは知らんが、恐らく死後に莫大な報酬を受け取る用意があるのだろう」
「莫大な報酬?」
わたしは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「そう。例えば烏丸には難病を抱える家族がいて、その手術にその報酬が必要なのだとしたら?」
城ケ崎の話にわたしは慄然とする。
確かにあり得る話だ。
「しかし……」
「それに今は他人の心配をしている場合ではない。烏丸の次はオレやお前が殺される番かもしれないんだからな。助かるには殺される前に犯人を見つけ出すしか方法はない。今は少しでも手掛かりが欲しいところなのだ」
それはつまり、手掛かりを得る為に烏丸を見殺しにするという意味だ。
「しかし、そんなことが許されるのでしょうか?」
「許されるも許されないもない。烏丸は自分が殺されることを承知でここに来たのだからな。今更後悔したとしても自業自得だ」
城ヶ崎の言い分は冷徹極まりない。
だが、まだ望みはある筈だ。
「先生なら既に犯人の目星が付いているのではないですか?」
わたしがそう言うと、城ヶ崎はまるで珍獣でも見るような顔をした。
「まだ事件も起きていないうちから犯人が分かるようなら、探偵などという職業は存在しない」
「それはまァそうなんですけど」
「現状でこちらから打てる手はない」
「……はァ」
城ヶ崎の言うことは正論ではある。
しかし、出来ることがないからといって、このまま手を拱いているのは癪だった。
館の主人の思い通りにことを運ばせない為に、考えられることは全て考えておいた方がいい。
「今のところ犯人探しの手掛かりになりそうなのは、全員が参加した『寿司アンルーレット』くらいです。あのとき、不審な行動をとった者はいなかったでしょうか?」
まず最初に寿司に手をつけたのは綿貫リエだ。
ここで彼女は毒で死ぬ演技を見せ、気が緩んだ鮫島吾郎、支倉貴人、飯田円、不破創一らがそれに続く。
そして結局寿司を食べずにいたのが城ヶ崎九郎、切石勇魚、鈴村眉美の三人。
犯人は予めどの寿司が毒入りか知っていた可能性が高い。よって寿司を食べた者も食べなかった者も、等しく疑わしいことになる。
「……ダメだ。犯人どころか容疑者を絞り込むことすら出来ない」
わたしは自分の無力さにほとほと嫌気がさした。
城ケ崎のやり方を非難しておきながら、自分一人では何もすることが出来ない。
「いいや、そうでもないさ」
城ヶ崎は詰将棋の問題集を眺めながら言った。
「これまでの各々の行動から犯人を炙り出すという、発想自体はそう悪くない」
「どういうことです?」
わたしは城ケ崎に期待を込めた眼差しを向ける。
「寿司を食べた者も食べていない者もどちらも疑わしいのなら、それ以外の者を探せばいい」
「…………」
今度はわたしが怪訝な顔をする番だった。
「あのですね先生。寿司は食べ物ですから、食べるか食べないかしか出来ないんですよ。それから何か分かっているのなら、もっと分かり易く仰って貰えませんかね」
「ここではオレとお前は同じ事件を扱う競争相手なのだから、別に分かり易く説明してやる義理はないのだが?」
城ケ崎は咳払いをして、口元に拳を押し当てている。
「……分かりました。何でも言うことを聞くので、知っていることがあるなら教えて下さい。これでいいですか?」
わたしが口を尖らせると、城ヶ崎は満足そうに頷いた。
「とは言っても、オレだってまだ犯人が誰かなんてことは分かっていない。だが、逆に犯人では有り得ない人物になら一人だけ心当たりがある」
「誰なんです、それは?」
「奇術探偵、不破創一」
わたしはすぐさま銀髪の老探偵の顔を思い浮かべた。
集まった探偵たちの中で最年長でかつ大ベテランだが、物腰は柔らかく紳士的だ。温和な性格で、争い事を好まない印象がある。
「うーん、確かに不破さんは好々爺といった感じで、凶悪な殺人犯には見えませんでしたけどねー」
「好々爺? とんでもない。オレは犯人以外であの爺さんが一番厄介だと睨んでいる」
「どうしてです?」
「何故なら、不破は寿司を食べてなんかいない。消したんだよ、奇術を使ってね」
「消した?」
わたしは意味が分からず大きく目を見開いた。
「探偵として三十年以上のキャリアを持つ不破創一が、何の勝算もなく自身の生き死にの懸かったギャンブルをするとは思えなかったからな。不破を怪しいと踏んでなければオレでも見逃す早業だったよ。そしてもし不破が犯人なら、そんなことをする必要はない。毒を避けて食べるか、オレたちと同じように食べなければいいんだからな」
確かに天才マジシャンである不破創一なら方法は見当もつかないが、それくらいの芸当はやってのけるかもしれない。
「兎も角、犯人である可能性が低いとはいえ、不破には要注意だ。奴の動向はつぶさに観察することにしよう」
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