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西瓜割り
第13話
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すゥっ息を吸い込むと、何故か西瓜の匂いがした。
吉岡常生は頭から血を流して倒れている。頭を斧でかち割られたのだ。どくどくと流れ出る夥しい量の血液とは対照的に、吉岡の顔は血の気を失っていて青白い。
――まるで、割れた西瓜のようだった。
さっき西瓜の匂いがしたのはその所為かもしれない。
教室の隅で音無先輩が蹲って震えている。
私は音無先輩の栗色の柔らかそうな髪を、そっと撫でた。
〇 〇 〇
――夏休み。
正式名称を夏季休業という。
校舎に冷房施設のない学校では太平洋高気圧支配下での授業が困難である為、その期間を休業とする、という趣旨だったように思う。
にも関わらず、私は下敷きをうちわ代わりにパタパタ扇ぎながら、数学教師が黒板に書き連ねる文字や数式を一字一句逃さずノートに書き写している。
――夏期補習。
一学期の成績が不振であった生徒は漏れなく強制参加させられるという、地獄のイベントだ。取り敢えず出席しておかないと最悪留年する。それだけは何としても避けねばならない。
教室の中には二十人弱の生徒が集まっている。一年生のクラスは全部で八クラスあるから、一クラス当たり二、三人が選ばれた計算になる。どの顔もまるでやる気が感じられない。生きた屍とはこのことだ。
しかしそうなるのも無理もない話で、今日はこの夏一番の猛暑だった。こうして授業を受けているだけでも額からじわりと汗が滲んでくる。さっきから頭がボーっとする。そもそもこの教室にいるのは最初から勉強する気のない者ばかりなのだ。
言わば成績不振者の精鋭。赤点の星なのだ。
顔を上げると、溝口先生の馬のように長い顔がこちらを睨んでいた。辺りは時が止まったように静まりかえっていて、遠くで鳴いていた筈の蝉まで今は鳴くのを止めている。
どうやら当てられていたらしい。
「何だ大崎、聞いていなかったのか? 仕方のない奴だな」
「……すみません」
クスクスと何人かの笑い声が聞こえる。
溝口先生が呆れながらもう一度同じ質問を繰り返そうとした。
そのときだった。
「x=4」
背後から小さな声がした。
小さいとは言っても、それは教室中に聞こえる必要最小限の音量だったという意味で、決して私にだけ答えを耳打ちしてくれたというわけではなさそうだった。
小林声。
少年のようなベリー・ショートの髪。小柄で見た目は小学生くらいに見えるけれど、歴とした高校一年生。私のクラスメイトだ。
同じ補習を受ける赤点の星でも、小林さんと私とでは少々事情が異なる。小林さんの場合、成績が悪いというより出席日数自体が足りないのだ。
噂では有名な私立探偵の下で助手をしているとのことだった。終業式で事件解決に貢献したことを警察から表彰されていたことは記憶に新しい。事件があれば授業があろうがすっとんで現場に向かう。
お陰で遅刻や早退は日常茶飯事だった。
小林さんとは四月の委員会決めで同じ図書委員になってからも、まだ殆ど口を利いたことがない。小林さんは何時だって他人を寄せ付けない、不思議な雰囲気を纏っていた。
「さっきはありがとう」
授業が終わって、私は後ろの席の小林さんに一応礼を言う。
「別に。お前を助けるつもりで言ったわけではない」
小林さんはそれだけ言うと、荷物をまとめてそそくさと教室を出ていった。
「あの、待って」
私は慌てて小林さんの後を追う。
「何だ、まだ私に用か? 大崎美和」
私は名前を呼ばれて殆ど反射的に頷いた。
「……了解した。話を伺おう」
小林さんはそう言うと、それきり無言で廊下をスタスタ歩いていく。私はその間何か話しかけようと思ったのだけれど、何を話せばいいのか分からず、結局無言のまま彼女の後をついて歩いた。
吉岡常生は頭から血を流して倒れている。頭を斧でかち割られたのだ。どくどくと流れ出る夥しい量の血液とは対照的に、吉岡の顔は血の気を失っていて青白い。
――まるで、割れた西瓜のようだった。
さっき西瓜の匂いがしたのはその所為かもしれない。
教室の隅で音無先輩が蹲って震えている。
私は音無先輩の栗色の柔らかそうな髪を、そっと撫でた。
〇 〇 〇
――夏休み。
正式名称を夏季休業という。
校舎に冷房施設のない学校では太平洋高気圧支配下での授業が困難である為、その期間を休業とする、という趣旨だったように思う。
にも関わらず、私は下敷きをうちわ代わりにパタパタ扇ぎながら、数学教師が黒板に書き連ねる文字や数式を一字一句逃さずノートに書き写している。
――夏期補習。
一学期の成績が不振であった生徒は漏れなく強制参加させられるという、地獄のイベントだ。取り敢えず出席しておかないと最悪留年する。それだけは何としても避けねばならない。
教室の中には二十人弱の生徒が集まっている。一年生のクラスは全部で八クラスあるから、一クラス当たり二、三人が選ばれた計算になる。どの顔もまるでやる気が感じられない。生きた屍とはこのことだ。
しかしそうなるのも無理もない話で、今日はこの夏一番の猛暑だった。こうして授業を受けているだけでも額からじわりと汗が滲んでくる。さっきから頭がボーっとする。そもそもこの教室にいるのは最初から勉強する気のない者ばかりなのだ。
言わば成績不振者の精鋭。赤点の星なのだ。
顔を上げると、溝口先生の馬のように長い顔がこちらを睨んでいた。辺りは時が止まったように静まりかえっていて、遠くで鳴いていた筈の蝉まで今は鳴くのを止めている。
どうやら当てられていたらしい。
「何だ大崎、聞いていなかったのか? 仕方のない奴だな」
「……すみません」
クスクスと何人かの笑い声が聞こえる。
溝口先生が呆れながらもう一度同じ質問を繰り返そうとした。
そのときだった。
「x=4」
背後から小さな声がした。
小さいとは言っても、それは教室中に聞こえる必要最小限の音量だったという意味で、決して私にだけ答えを耳打ちしてくれたというわけではなさそうだった。
小林声。
少年のようなベリー・ショートの髪。小柄で見た目は小学生くらいに見えるけれど、歴とした高校一年生。私のクラスメイトだ。
同じ補習を受ける赤点の星でも、小林さんと私とでは少々事情が異なる。小林さんの場合、成績が悪いというより出席日数自体が足りないのだ。
噂では有名な私立探偵の下で助手をしているとのことだった。終業式で事件解決に貢献したことを警察から表彰されていたことは記憶に新しい。事件があれば授業があろうがすっとんで現場に向かう。
お陰で遅刻や早退は日常茶飯事だった。
小林さんとは四月の委員会決めで同じ図書委員になってからも、まだ殆ど口を利いたことがない。小林さんは何時だって他人を寄せ付けない、不思議な雰囲気を纏っていた。
「さっきはありがとう」
授業が終わって、私は後ろの席の小林さんに一応礼を言う。
「別に。お前を助けるつもりで言ったわけではない」
小林さんはそれだけ言うと、荷物をまとめてそそくさと教室を出ていった。
「あの、待って」
私は慌てて小林さんの後を追う。
「何だ、まだ私に用か? 大崎美和」
私は名前を呼ばれて殆ど反射的に頷いた。
「……了解した。話を伺おう」
小林さんはそう言うと、それきり無言で廊下をスタスタ歩いていく。私はその間何か話しかけようと思ったのだけれど、何を話せばいいのか分からず、結局無言のまま彼女の後をついて歩いた。
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