上 下
7 / 69
湯を沸かして水にする

第7話

しおりを挟む
 404号室の死体は結局自殺として処理されるようだ。俺は簡単な事情聴取を受けただけで解放され、報酬の五十万円を手に入れた。

 何だか狐に摘ままれたような気分である。

 そのまま直帰しようとしたところで再びスマホが震える。今度は小林こばやしからだ。お化けは怖くても、やはりこの件が気になったらしい。

鏑木かぶらき、無事か?」
「ああ、俺は何ともないよ。そんなことより……」

 俺は浴室で発見した西條《さいじょう》アキラの死体の様子と、浴槽になみなみと張られていた湯のことを話した。

「……なるほど、大体事情は把握した。鏑木、今すぐ404号室に戻って桶狭間おけはざま警部に伝えてくれ。これは自殺なんかではない。殺人事件だ」
「へ?」

 俺は思わず間の抜けた声が出てしまう。

「それはどういうことだよ小林?」
「まだ気付かないのか? お前は田原たはらに利用されたんだよ」

 小林の声が鼓膜を通り過ぎても、脳が情報を上手く処理できない。

「そもそも向こうから日時を指定しておいて、当日になって急用で来れないというところからして妙ではないか。田原は最初からお前と一緒に404号室に行く気などなかった。そして事故物件の調査という依頼の真の目的は、お前を死体の第一発見者にすることだったのだ」

「俺に死体を発見させて、それで田原にどんなメリットがあるんだよ?」

「自殺に偽装してはいるが、万が一のときの為にアリバイが欲しかったのだろう。お前の話では死体発見時、西條アキラの死体は死後三十分以内だったというじゃないか。名古屋にいる田原には、西條アキラを練炭自殺にみせかけて殺すことは不可能だ」
「なるほど」

 確かに俺が偶然あのタイミングで404号室を訪ねなければ、西條の死亡推定時刻はここまで正確に絞れず、田原にはっきりしたアリバイはなかったかもしれない。

「だが、田原が名古屋にいたことは事実なんだろう?」

 俺は電話で話しただけだが、そんなことは警察が後で裏を取るに決まっている。すぐに見破られる嘘をつくことに意味はない。

「それはまァそうだな」
 これには小林も反論しない。

「それじゃあ田原にアリバイがあることは確かなんじゃないのか?」
「そんなことはない。浴槽の中の湯。田原のアリバイを崩す鍵はそこにある」
「…………」

 俺も浴槽に張られた湯については不自然だと考えていた。しかし本当にそれだけで田原のアリバイが崩せるのか?

「田原の行動を順を追って説明しよう。まず田原は甥のアキラを薬で眠らせて浴室に運ぶ。このとき、自殺に見せかける為に石炭をたっぷり入れた七輪に火を入れる。そして、浴室を締め切って浴槽に湯を溜める」

「何の為に?」

「浴槽に溜まった湯は蒸発して気体になり、天井まで上昇する。天井まで上った水蒸気は冷えて液体に戻り、水滴となる」

「あッ!」
 俺は思わず声を上げる。

 ――浴槽の湯は時限装置だったのだ。

「そして、田原は眠らせたアキラを巨大なシャボン玉で覆っていた」

「シャボン玉?」

「浴室に充満していた煙は、このシャボンのバリアの中には入らない。つまり、シャボン玉の中だけが綺麗な空気のある安全地帯となる。しかし天井から落ちてくる水滴でバリアは破られ、アキラは一酸化炭素中毒で結局死ぬことになる。これが田原の仕掛けたアリバイトリックだ」

 なるほど。このトリックを成功させるには、事前に何度も実験を繰り返す必要があるだろうが、あのマンションは田原の所有物なのだ。同じ条件で何度も実験することも充分可能である。

「浴室を詳しく調べればトリックの痕跡が見つかる筈だ」
「とはいっても、浴室に石鹸の泡が残っていても普通のことじゃないか?」

「その通り。そこがこのアリバイトリックの良く出来ている点だ。だがそう簡単に割れるようなシャボン玉ではトリックに使えないだろうから、グリセリンか砂糖をシャボン液に混ぜている可能性が高い。それに仮に浴室に証拠が残っていなかったとしても、奴のアリバイは既に破られたも同然。死亡推定時刻の二時間前の田原の行動を付近の防犯カメラや目撃情報で抑えれば、チェックメイトだ」

 ――圧巻。

 ものの五分もしない間に本当に田原の鉄壁のアリバイを崩してしまった。

「でも小林、田原は金払いのいい上客だぞ。それに俺は死体の第一発見者にはなったが、警察から厳しい取り調べを受けたわけでもないし、何らかの損害を被ったわけでもない」
「……鏑木、お前何が言いたい?」
「見逃してやってもいいんじゃないか?」

 電話の向こうから溜息が聞こえる。

「これだからお前は三流なのだ。依頼人に騙されて犯罪の片棒を担がされる探偵がどこにいる? あまつさえ、それに気付いていながら目を瞑るなど探偵の風上にも置けない奴め。恥を知れ、恥を!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

『量子の檻 -永遠の観測者-』

葉羽
ミステリー
【あらすじ】 天才高校生の神藤葉羽は、ある日、量子物理学者・霧島誠一教授の不可解な死亡事件に巻き込まれる。完全密室で発見された教授の遺体。そして、研究所に残された謎めいた研究ノート。 幼なじみの望月彩由美とともに真相を追う葉羽だが、事態は予想外の展開を見せ始める。二人の体に浮かび上がる不思議な模様。そして、現実世界に重なる別次元の存在。 やがて明らかになる衝撃的な真実―霧島教授の研究は、人類の存在を脅かす異次元生命体から世界を守るための「量子の檻」プロジェクトだった。 教授の死は自作自演。それは、次世代の守護者を選出するための壮大な実験だったのだ。 葉羽と彩由美は、互いへの想いと強い絆によって、人類と異次元存在の境界を守る「永遠の観測者」として選ばれる。二人の純粋な感情が、最強の量子バリアとなったのだ。 現代物理学の限界に挑戦する本格ミステリーでありながら、壮大なSFファンタジー、そしてピュアな青春ラブストーリーの要素も併せ持つ。「観測」と「愛」をテーマに、科学と感情の境界を探る新しい形の本格推理小説。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

処理中です...