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STAGE 1
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その夜、わたしはアパートの自分の部屋で一人、気分よく餃子をつまみながらビールで祝杯を上げていた。
デビュー作『血煙館の殺人』に次ぐ第二作『血眼館の殺人』が完成したのだ。嵐の山荘で次々に殺人事件が起こる本格ミステリ小説で、今回も名探偵・嵐山吹雪(著者と同姓同名)が快刀乱麻の活躍をみせる自信作だ。
そこへ、電話がかかってくる。
「こんばんは嵐山センセ、箱庭出版の馬場です」
担当の編集者からだ。正直、わたしはこの馬場という男のことが苦手である。数多の新人賞の応募作からわたしの作品を見出してくれたことには感謝しているが、どうにも好きになれない。
まず第一にこの「センセ」という呼び方が気に入らない。完全にこちらを馬鹿にしているようにしか聞こえない。というか、馬鹿にしている。
「夜分遅くにどうもすみません」
馬場は少しもすまさそうではない声音でそう言った。
「いえ、何かありましたか?」
「たった今、センセの最新作『血眼館の殺人』を拝読させて戴きました」
「え、もう?」
原稿をメールで送ったのは今から二時間前である。流石はプロの編集者。読むスピードが化物じみている。
だが、これは丁度いい。馬場の賛辞を肴にビールを飲むというのも悪くない。
「で、どうでした?」
わたしは期待に胸を高鳴らせて訊いてみた。
「まず前作を読んだときも思いましたけど、嵐山センセって感性が恐ろしく古いですよね。木製の吊り橋でしか往来が出来ない、スマホもネットも使えない陸の孤島だなんて、今時そんな場所あると思ってるんですか? 今はどんなド田舎でもネットくらい繋がりますよ。もし日本の何処かにまだそんな秘境が残っていたとしても、誰がそんな場所に好き好んで行きますか。自殺志願者の集まりというんならギリギリ納得しますけどね。それから疑問なんですけど、何でわざわざ容疑者が限定されるような場所で殺人を犯す必要があるんです? その癖アリバイについては妙に計画的だったりします。この犯人は賢いのか間抜けなのか、読んでいて段々わからなくなる」
「…………」
わたしは怒りと羞恥で、一気に酔いが醒めてしまっていた。
「あのね、クローズド・サークルは舞台設定という枠組みを超えて、もはやミステリの一つのジャンルなんです。このジャンルから過去どれだけの名作、傑作が生まれたか。それを『古い』の一言で片付けるだなんてあまりにも無礼ですよ。偉大な先人たちに謝ってください!」
「いや、別に謝りませんけど。僕が貶めているのは偉大な先人たちではなくて、嵐山センセ個人なので」
「はァ!?」
これには流石のわたしもキレそうになる。
「過去の作品の中でクローズド・サークルの設定が使われていることが問題ではないんです。問題なのは昔のクローズド・サークルを今もそのまま使っちゃっているセンセのセンスです」
何が可笑しいのか馬場はクスクス笑っている。
「……クローズド・サークルが現代の設定で使えないっていうなら、時代設定を昔にすれば」
「あのですね、過去の名作の劣化版を読むくらいだったら、最初から名作を読みます。読者も馬鹿じゃない」
「それは、そうですけど……」
「嵐山センセが偉大な先人たちに唯一アドバンテージをとれるのは、今を生きているという一点だけです。それ以外は、文章力もアイデアも全部負けています」
「ほっとけ」
「それなのに、センセの小説には『今』が描かれていない。読者が過去の名作ではなくまだ見ぬ未知の新人が書いた小説を読むのは『今』の小説を求めるからなんです」
「……うーん」
そう言われてもイマイチピンと来ない。
「でも、わたしはわたしが面白いと感じるものしか書けませんよ。そしてわたしが魅力を感じるのは、制限されたルール内で如何にして読者の予想を超えるかという物語なんです。その制限を設ける上で、クローズド・サークルは外せない要素なんです」
「僕はね、嵐山センセには新しいクローズド・サークルを書いて欲しいと思っているんです」
馬場は益々愉快そうだ。
「……新しいクローズド・サークル?」
反対に、わたしはそれが面白くない。
「そんなの思い付くならもうとっくに書いてますよ」
「なに、うってつけの方法があります。仮想空間の中で殺人事件を起こすんです」
「仮想空間って、ゲームとかの、ですか?」
「そうです。ゲームの世界の中に館を建てて、そこで事件が起きる。これなら無理なく外界から閉ざされた舞台を用意出来ますし、何人殺しても警察が事件を捜査することもない。これぞ、新しいクローズド・サークルの形です」
「いやいや、クローズド・サークルで実際に人が死なないだなんて、地味というか盛り上がりに欠けるというか……」
小説自体がフィクションなのに、その中で更に架空の殺人を起こすだなんてナンセンス極まりない。
「だったら実際に試してみましょう」
わたしが気乗りしないでいると、馬場は挑発するように言った。
「これから、ある仮想空間に館を二つ用意します。そこで僕と嵐山センセ、それぞれが自分の館で殺人事件を起こす。その後、お互いが相手の館に移動して、相手の使った殺人トリックを推理し合うのです」
「殺人トリック?」
「この場合、犯人は僕とセンセに決まっていますからね。殺人は密室状況で行うという取り決めにしておきましょうか。そして、密室トリックを相手より早く見破った方の勝ちとします」
何だか勝手に話を進められているのが気に入らない。
「それをやることで、何かわたしにメリットはあるんですか?」
「むしろメリットしかありません。まず嵐山センセが勝てば、僕のこれまでの発言を全面的に撤回します。その上で一つ、センセの言うことを何でも聞いて差し上げましょう」
これは願ってもないチャンスかもしれない。
「わたしが負けたときは?」
「センセが負けた場合、次回作はウチで仮想空間を題材にした短編を一本書いて戴きます。もし負けても、嵐山センセには仕事が手に入る。勝っても負けても悪い話じゃないでしょう?」
馬場は尚も上機嫌だ。
「……その話が本当なら、確かにそうですね」
「疑り深いなァ」
これでもミステリ作家の端くれなのだ。疑り深くもなる。
「ま、嵐山センセが僕に勝つなんてことは万に一つもあり得ませんがね」
その一言が決定打だった。
「面白い。馬場さん、その勝負受けて立ちましょう」
デビュー作『血煙館の殺人』に次ぐ第二作『血眼館の殺人』が完成したのだ。嵐の山荘で次々に殺人事件が起こる本格ミステリ小説で、今回も名探偵・嵐山吹雪(著者と同姓同名)が快刀乱麻の活躍をみせる自信作だ。
そこへ、電話がかかってくる。
「こんばんは嵐山センセ、箱庭出版の馬場です」
担当の編集者からだ。正直、わたしはこの馬場という男のことが苦手である。数多の新人賞の応募作からわたしの作品を見出してくれたことには感謝しているが、どうにも好きになれない。
まず第一にこの「センセ」という呼び方が気に入らない。完全にこちらを馬鹿にしているようにしか聞こえない。というか、馬鹿にしている。
「夜分遅くにどうもすみません」
馬場は少しもすまさそうではない声音でそう言った。
「いえ、何かありましたか?」
「たった今、センセの最新作『血眼館の殺人』を拝読させて戴きました」
「え、もう?」
原稿をメールで送ったのは今から二時間前である。流石はプロの編集者。読むスピードが化物じみている。
だが、これは丁度いい。馬場の賛辞を肴にビールを飲むというのも悪くない。
「で、どうでした?」
わたしは期待に胸を高鳴らせて訊いてみた。
「まず前作を読んだときも思いましたけど、嵐山センセって感性が恐ろしく古いですよね。木製の吊り橋でしか往来が出来ない、スマホもネットも使えない陸の孤島だなんて、今時そんな場所あると思ってるんですか? 今はどんなド田舎でもネットくらい繋がりますよ。もし日本の何処かにまだそんな秘境が残っていたとしても、誰がそんな場所に好き好んで行きますか。自殺志願者の集まりというんならギリギリ納得しますけどね。それから疑問なんですけど、何でわざわざ容疑者が限定されるような場所で殺人を犯す必要があるんです? その癖アリバイについては妙に計画的だったりします。この犯人は賢いのか間抜けなのか、読んでいて段々わからなくなる」
「…………」
わたしは怒りと羞恥で、一気に酔いが醒めてしまっていた。
「あのね、クローズド・サークルは舞台設定という枠組みを超えて、もはやミステリの一つのジャンルなんです。このジャンルから過去どれだけの名作、傑作が生まれたか。それを『古い』の一言で片付けるだなんてあまりにも無礼ですよ。偉大な先人たちに謝ってください!」
「いや、別に謝りませんけど。僕が貶めているのは偉大な先人たちではなくて、嵐山センセ個人なので」
「はァ!?」
これには流石のわたしもキレそうになる。
「過去の作品の中でクローズド・サークルの設定が使われていることが問題ではないんです。問題なのは昔のクローズド・サークルを今もそのまま使っちゃっているセンセのセンスです」
何が可笑しいのか馬場はクスクス笑っている。
「……クローズド・サークルが現代の設定で使えないっていうなら、時代設定を昔にすれば」
「あのですね、過去の名作の劣化版を読むくらいだったら、最初から名作を読みます。読者も馬鹿じゃない」
「それは、そうですけど……」
「嵐山センセが偉大な先人たちに唯一アドバンテージをとれるのは、今を生きているという一点だけです。それ以外は、文章力もアイデアも全部負けています」
「ほっとけ」
「それなのに、センセの小説には『今』が描かれていない。読者が過去の名作ではなくまだ見ぬ未知の新人が書いた小説を読むのは『今』の小説を求めるからなんです」
「……うーん」
そう言われてもイマイチピンと来ない。
「でも、わたしはわたしが面白いと感じるものしか書けませんよ。そしてわたしが魅力を感じるのは、制限されたルール内で如何にして読者の予想を超えるかという物語なんです。その制限を設ける上で、クローズド・サークルは外せない要素なんです」
「僕はね、嵐山センセには新しいクローズド・サークルを書いて欲しいと思っているんです」
馬場は益々愉快そうだ。
「……新しいクローズド・サークル?」
反対に、わたしはそれが面白くない。
「そんなの思い付くならもうとっくに書いてますよ」
「なに、うってつけの方法があります。仮想空間の中で殺人事件を起こすんです」
「仮想空間って、ゲームとかの、ですか?」
「そうです。ゲームの世界の中に館を建てて、そこで事件が起きる。これなら無理なく外界から閉ざされた舞台を用意出来ますし、何人殺しても警察が事件を捜査することもない。これぞ、新しいクローズド・サークルの形です」
「いやいや、クローズド・サークルで実際に人が死なないだなんて、地味というか盛り上がりに欠けるというか……」
小説自体がフィクションなのに、その中で更に架空の殺人を起こすだなんてナンセンス極まりない。
「だったら実際に試してみましょう」
わたしが気乗りしないでいると、馬場は挑発するように言った。
「これから、ある仮想空間に館を二つ用意します。そこで僕と嵐山センセ、それぞれが自分の館で殺人事件を起こす。その後、お互いが相手の館に移動して、相手の使った殺人トリックを推理し合うのです」
「殺人トリック?」
「この場合、犯人は僕とセンセに決まっていますからね。殺人は密室状況で行うという取り決めにしておきましょうか。そして、密室トリックを相手より早く見破った方の勝ちとします」
何だか勝手に話を進められているのが気に入らない。
「それをやることで、何かわたしにメリットはあるんですか?」
「むしろメリットしかありません。まず嵐山センセが勝てば、僕のこれまでの発言を全面的に撤回します。その上で一つ、センセの言うことを何でも聞いて差し上げましょう」
これは願ってもないチャンスかもしれない。
「わたしが負けたときは?」
「センセが負けた場合、次回作はウチで仮想空間を題材にした短編を一本書いて戴きます。もし負けても、嵐山センセには仕事が手に入る。勝っても負けても悪い話じゃないでしょう?」
馬場は尚も上機嫌だ。
「……その話が本当なら、確かにそうですね」
「疑り深いなァ」
これでもミステリ作家の端くれなのだ。疑り深くもなる。
「ま、嵐山センセが僕に勝つなんてことは万に一つもあり得ませんがね」
その一言が決定打だった。
「面白い。馬場さん、その勝負受けて立ちましょう」
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