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第一部 夜明け
夜明け
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第一部 夜明け
――闇から闇へと葬られた歴史がある。
彼らの存在は、決して露見することは無い。
なぜなら「草」は人であって人ではないからだ。
私の祖父は、古文書や文献を解読する仕事をしていた。便宜上は某大学の名誉教授扱いだが、その実は単なる年金生活の一般市民に過ぎない。私は歴史好きが高じて、カビと劣化した紙の匂いがする祖父の仕事部屋に入り浸っている。
「むう……」
「おじいちゃん、また熱中しすぎたら血圧あがるよ」
「むう……いや、しかし……ふうむ」
「聞いてないな、こりゃ」
祖父が今、一番熱を上げているのが戦国時代の雄・伊達政宗の草についてだった。「草の者」とは、俗に言う「忍者」のことだ。伊達政宗に関する資料の中には「黒脛巾組」という忍び隊を創設したとあるが、これは江戸時代から突如現れたので、その史実が正しいとは一概には言えない。
だが、祖父が熱心に調べているのは、黒脛巾組にも属さない、意図的に名前が消された痕跡のある伊達政宗直筆の手紙の中から見つかった「村咲」と記された草のことである。
伊達政宗公が家臣である片倉景綱に送った書状の欠片から見つけたこの草の名前に祖父は滾り、もう食事も仕事部屋である書斎で取るようになってしまった。
「綾希!!」
「はいはい、なんですか?」
やっと反応を示した祖父は、丸眼鏡を光らせて私を呼んだ。こういった反応も慣れたものだ。私は適当な返事をして祖父の机に向かう。
「見ろ!! 政宗公の御世に記されたと思わしい手記や文には、隠語こそ使われているが村咲を示す草のことが多数記されている!! 政宗公の父君である輝宗公の時代のものにもじゃ。もしかすると村咲は幼少時から政宗公の護衛を勤める草だったのかもしれん!」
鼻息荒く、ガラスケースに入れられた茶色く変色した紙を指し示す。
「ここ!! ここじゃ!」
少年のようにきらきらとした眼で、御年八十になる祖父は私に文献を見せてくれた。
「真実はともかくさあ、実在したなら、真田十勇士みたいに名前が残っていてもおかしくないんじゃないの?」
「いや、当時の草はな、使い捨ての道具と同じじゃ。名前どころか、身分も下の下。真田十勇士も殆どが真実も怪しい。そんな哀しい存在だったんじゃよ」
「ふうん。じゃあ、この村咲って草は、なんでこんなにも文の遣り取りにまで登場するの?」
「それだけ政宗公に深く係わる人物じゃったんじゃろう。推測とは言え、幼少期から側仕えをしていたんじゃ。重宝されていてもおかしくはあるまいて」
「子供の頃から一緒にいてくれた忍びは人間扱いすらされない、か。……なんだか哀しいね」
「群雄割拠の時代の常識じゃったことよ。なにもお前が哀しむことはない」
そう言って、祖父は私の頭を撫でてくれた。ごつごつとした固い手が、今でも忘れられない。
結局、祖父は「村咲」のことは学会には発表しなかった。曖昧な点が多すぎることと――資料を漁る力も無く、真実に行き当たる前に祖父は、冥土へと旅立ってしまったからだ。
祖父の葬儀を終えて、私は迷った。
ちょうど高校を卒業し、史学部に入った私は祖父が最期まで確かめたかった、あの草の研究をするか否か、と。
物心つく頃から、祖父に古文書を見せられていた私は、古文書の解読はできないが読むだけならできた。それ以外に特筆した才能は無かったが。祖父が亡くなってもそのままにされていた仕事部屋に、何度も足を踏み入れてはなんの成果も得ることなく出て行く、その繰り返しだった。
大学で新たな人間関係を構築するのに忙しかった、という言い訳もあった。だが、志半ばで逝った祖父の想いを忘れたことはない。
「あー!! もう、仕方がないな!! 二年も無駄にしちゃった。ごめんね。おじいちゃん……村咲については、私ができるところまでやってやんよ!!」
飾り立てたピアスもネックレスも引き千切るようにして、私は二十歳の夏、誰かに背を押されたように祖父の研究を引き継ぐ決意をした。この二年、バイトで貯めた貯蓄も躊躇いなく、研究に使った。
そんな私を両親が理解を示してくれることなど無く、喧嘩は日常茶飯事。二日以上の休みがあれば、仙台のみならず、伊賀、甲賀、戸隠、甲斐、越後と忍びの伝説が僅かでも残っている地域へ赴き、全国津々浦々、気がつけば日本全国を制覇していた。
「あー……我ながら、なんでも中途半端な私がよくやるわ。しっかし、ここまで調べ上げても爪の先ほども足跡がないとなると、いっそ清々しいね。……さすが忍者」
方々を歩き、伊達家所縁の者の子孫であれば、足軽であったという怪しげな情報にすら縋って訪ね歩いた。勿論、冷たい目で見られ、すげなくされた回数など指では数え切れない。
気がつけば五年が過ぎていた。大学に残り、あいもかわらず「村咲」の研究しかしない私を、家族はとうに見放していた。
一念発起し、祖父の書斎だけをまるごと貰って家を出た。研究とアルバイトの両立は困難を極めたが、窮屈な家よりはまだ自由を感じられた。
特にアパートの近くにあった祖父の墓があるお寺では住職さんとも顔見知りになり、祖父とも交流があった住職は私の訪問を快く受け入れてくれた。
「いつもお邪魔しちゃってすいません」
「いやいや、ゲンさんの研究を、まさか一番若いお孫さんの綾希ちゃんが受け継ぐとはねえ。世の中、解らないもんだ。今は実在したかも解らない忍者について調べまわっているんだって? 君のご両親が『綾希におじいちゃんが憑りついた』なんて、大騒ぎでうちに駆け込んできたこともあったよ」
「……お騒がせしました」
「いやいや、それは良いとしてね、今日は綾希ちゃんに見せたいものがあるんだよ。うちの檀家さんから預かった古書と布きれなんだがねぇ。檀家さんが調べてもらったら、戦国時代のものらしいから、綾希ちゃんにも見てもらおうと思ってね」
住職さんがそう前置きして差し出したのは、変色した桐の箱だった。大きさは綾希の両手ほどだ。赤い紐で止めてあるだけで、箱には墨書も花押かおうもない。――だが、綾希は胸騒ぎを覚えた。
「これなんだが……」
中から出てきたのは、着物の切れ端と思わしき紅白の少々長めの布が二本だった。よくよく目を凝らせば、菊や毬、牡丹に桜と女物であることが解る。
「中に手紙……というか、書きつけですね。これも拝見しても構いませんか?」
「かまわんよ。気が済むまで見ると良い」
私は鞄から白の手袋とピンセット、そしてルーペを出し、ぼろぼろの書きつけを、細心の注意を払って読んだ。
「……これ、恋文……違う……。え、なによ……これ……! ちょっと、め、メモ!!」
その書きつけは二枚あった。一枚は欠損が激しく、とても読めたものではないが「暇乞い」のようだ。問題はもう一枚だった。
この布の持ち主の死を悼む、ある意味では恋文とも取れる歌であった。そして、名前こそ秘しているが、薄く伊達家の花押が押印されている。そして、長年祖父の研究を共にしてきた私だからこそ解った。
――これは伊達政宗公直筆の唄である、と。
心臓が早鐘を打つ。
早く真実に辿りつけと急き立てられる。
さすがに陽が傾いた時には、住職に礼を言い、部屋に閉じこもった。許可を貰った写真とメモに取った部分を解読することに没頭した。
ああでもない、こうでもないと、私は寝食すら忘れて解読を試みること約三日。
天啓のように一つの事実が浮かび上がった。
「……これ、政宗公の一番身近にいた草の「暇乞い」なんだ……自分の死期が近いから、お傍を去ることをお許しください、と。それに深く嘆いた政宗公がこの歌を詠んだ。……ま、待って……おじいちゃんは「村咲」を公の幼少期からの側仕えだって言っていた。それに女物の布切れが二枚……草はなにも残してはいけない。なのに、この布を遺した? まだ、まだ何かが足りないんだ!! でも、もしこの仮定が正しければ……これが「村咲」の遺品だったとしたら……村咲は、女の人ってこと!? なんで、この布を遺したんだろう。うー……この手紙、全容が知りたい!! なんとかならないかな……!!」
まる三日風呂にも入らずにいた頭を私は掻いた。別段、痒かったわけではない。じれったかったのだ。
だが、疲れもピークを迎え、目がぼんやりしてきたので、いい加減に仮眠を取ることにした。
その時だった。「暇乞い」の方に、見落としていた小さな一行を見つけてしまった。半分近く読み取れないが、しかし、それが示していた事実に私は飛びついた。
「……ええっと……この、目隠し、だけが、支え、でございました……かな。……ってことは、なに!? この布切れは目隠し布!? しかも草に政宗公が直々に贈ったってこと!?」
この時の衝撃はよく覚えている。
ありえないことだ。
身分社会であった、戦国の世に、まさか一国一城の主が、草に贈り物をするなど異例にも程がある。
「……おじいちゃん……これ、私の憶測が正しかったら、どうしよう……。政宗公にとっても、「村咲」は特別な存在だったってことなのかな……」
祖父が最期まで、公の場で「村咲」という草のことを話さなかったことを、私は痛烈に理解した瞬間だった。
これは表に出してはいけないのだ。
仮に「村咲」ないしは、この目隠し布の持ち主が政宗公から下賜された物を返上した物だとしても、この女性は主の目を眩ますように死んだのだ。そして、政宗公は残してはいけないと知りつつも、この目隠し布を彼女の遺書と共に保管するほどに大切な存在だったのだろう。
「哀しい歌……私を照らす月は叢雲の向こうに隠れてもう見つからない、か。……どんな想いで、この歌を詠んだんだろう」
それは幼少期からの重臣を失った哀しみか、それとも淡い恋が隠れていたのか。
私には、どちらの気持ちも判じかねた。
結局、私は祖父と同じく、この目隠しと二通の手紙を学会には発表しなかった。
なぜか――と問われれば、この草は静かに眠ったのだ。主に貰ったたった一つの遺品さえ返上して、なにも持たずにあの世へ行った。
そんな人の安寧を、妨げたくはなかったからだ。
こうして、私のたった一人の草についての調査は終わった。
後に、住職を通して、あの桐の箱を譲り受けたが――簡易の金庫の中で眠っている。
――草は、闇から闇へと消えていくのだから。
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――闇から闇へと葬られた歴史がある。
彼らの存在は、決して露見することは無い。
なぜなら「草」は人であって人ではないからだ。
私の祖父は、古文書や文献を解読する仕事をしていた。便宜上は某大学の名誉教授扱いだが、その実は単なる年金生活の一般市民に過ぎない。私は歴史好きが高じて、カビと劣化した紙の匂いがする祖父の仕事部屋に入り浸っている。
「むう……」
「おじいちゃん、また熱中しすぎたら血圧あがるよ」
「むう……いや、しかし……ふうむ」
「聞いてないな、こりゃ」
祖父が今、一番熱を上げているのが戦国時代の雄・伊達政宗の草についてだった。「草の者」とは、俗に言う「忍者」のことだ。伊達政宗に関する資料の中には「黒脛巾組」という忍び隊を創設したとあるが、これは江戸時代から突如現れたので、その史実が正しいとは一概には言えない。
だが、祖父が熱心に調べているのは、黒脛巾組にも属さない、意図的に名前が消された痕跡のある伊達政宗直筆の手紙の中から見つかった「村咲」と記された草のことである。
伊達政宗公が家臣である片倉景綱に送った書状の欠片から見つけたこの草の名前に祖父は滾り、もう食事も仕事部屋である書斎で取るようになってしまった。
「綾希!!」
「はいはい、なんですか?」
やっと反応を示した祖父は、丸眼鏡を光らせて私を呼んだ。こういった反応も慣れたものだ。私は適当な返事をして祖父の机に向かう。
「見ろ!! 政宗公の御世に記されたと思わしい手記や文には、隠語こそ使われているが村咲を示す草のことが多数記されている!! 政宗公の父君である輝宗公の時代のものにもじゃ。もしかすると村咲は幼少時から政宗公の護衛を勤める草だったのかもしれん!」
鼻息荒く、ガラスケースに入れられた茶色く変色した紙を指し示す。
「ここ!! ここじゃ!」
少年のようにきらきらとした眼で、御年八十になる祖父は私に文献を見せてくれた。
「真実はともかくさあ、実在したなら、真田十勇士みたいに名前が残っていてもおかしくないんじゃないの?」
「いや、当時の草はな、使い捨ての道具と同じじゃ。名前どころか、身分も下の下。真田十勇士も殆どが真実も怪しい。そんな哀しい存在だったんじゃよ」
「ふうん。じゃあ、この村咲って草は、なんでこんなにも文の遣り取りにまで登場するの?」
「それだけ政宗公に深く係わる人物じゃったんじゃろう。推測とは言え、幼少期から側仕えをしていたんじゃ。重宝されていてもおかしくはあるまいて」
「子供の頃から一緒にいてくれた忍びは人間扱いすらされない、か。……なんだか哀しいね」
「群雄割拠の時代の常識じゃったことよ。なにもお前が哀しむことはない」
そう言って、祖父は私の頭を撫でてくれた。ごつごつとした固い手が、今でも忘れられない。
結局、祖父は「村咲」のことは学会には発表しなかった。曖昧な点が多すぎることと――資料を漁る力も無く、真実に行き当たる前に祖父は、冥土へと旅立ってしまったからだ。
祖父の葬儀を終えて、私は迷った。
ちょうど高校を卒業し、史学部に入った私は祖父が最期まで確かめたかった、あの草の研究をするか否か、と。
物心つく頃から、祖父に古文書を見せられていた私は、古文書の解読はできないが読むだけならできた。それ以外に特筆した才能は無かったが。祖父が亡くなってもそのままにされていた仕事部屋に、何度も足を踏み入れてはなんの成果も得ることなく出て行く、その繰り返しだった。
大学で新たな人間関係を構築するのに忙しかった、という言い訳もあった。だが、志半ばで逝った祖父の想いを忘れたことはない。
「あー!! もう、仕方がないな!! 二年も無駄にしちゃった。ごめんね。おじいちゃん……村咲については、私ができるところまでやってやんよ!!」
飾り立てたピアスもネックレスも引き千切るようにして、私は二十歳の夏、誰かに背を押されたように祖父の研究を引き継ぐ決意をした。この二年、バイトで貯めた貯蓄も躊躇いなく、研究に使った。
そんな私を両親が理解を示してくれることなど無く、喧嘩は日常茶飯事。二日以上の休みがあれば、仙台のみならず、伊賀、甲賀、戸隠、甲斐、越後と忍びの伝説が僅かでも残っている地域へ赴き、全国津々浦々、気がつけば日本全国を制覇していた。
「あー……我ながら、なんでも中途半端な私がよくやるわ。しっかし、ここまで調べ上げても爪の先ほども足跡がないとなると、いっそ清々しいね。……さすが忍者」
方々を歩き、伊達家所縁の者の子孫であれば、足軽であったという怪しげな情報にすら縋って訪ね歩いた。勿論、冷たい目で見られ、すげなくされた回数など指では数え切れない。
気がつけば五年が過ぎていた。大学に残り、あいもかわらず「村咲」の研究しかしない私を、家族はとうに見放していた。
一念発起し、祖父の書斎だけをまるごと貰って家を出た。研究とアルバイトの両立は困難を極めたが、窮屈な家よりはまだ自由を感じられた。
特にアパートの近くにあった祖父の墓があるお寺では住職さんとも顔見知りになり、祖父とも交流があった住職は私の訪問を快く受け入れてくれた。
「いつもお邪魔しちゃってすいません」
「いやいや、ゲンさんの研究を、まさか一番若いお孫さんの綾希ちゃんが受け継ぐとはねえ。世の中、解らないもんだ。今は実在したかも解らない忍者について調べまわっているんだって? 君のご両親が『綾希におじいちゃんが憑りついた』なんて、大騒ぎでうちに駆け込んできたこともあったよ」
「……お騒がせしました」
「いやいや、それは良いとしてね、今日は綾希ちゃんに見せたいものがあるんだよ。うちの檀家さんから預かった古書と布きれなんだがねぇ。檀家さんが調べてもらったら、戦国時代のものらしいから、綾希ちゃんにも見てもらおうと思ってね」
住職さんがそう前置きして差し出したのは、変色した桐の箱だった。大きさは綾希の両手ほどだ。赤い紐で止めてあるだけで、箱には墨書も花押かおうもない。――だが、綾希は胸騒ぎを覚えた。
「これなんだが……」
中から出てきたのは、着物の切れ端と思わしき紅白の少々長めの布が二本だった。よくよく目を凝らせば、菊や毬、牡丹に桜と女物であることが解る。
「中に手紙……というか、書きつけですね。これも拝見しても構いませんか?」
「かまわんよ。気が済むまで見ると良い」
私は鞄から白の手袋とピンセット、そしてルーペを出し、ぼろぼろの書きつけを、細心の注意を払って読んだ。
「……これ、恋文……違う……。え、なによ……これ……! ちょっと、め、メモ!!」
その書きつけは二枚あった。一枚は欠損が激しく、とても読めたものではないが「暇乞い」のようだ。問題はもう一枚だった。
この布の持ち主の死を悼む、ある意味では恋文とも取れる歌であった。そして、名前こそ秘しているが、薄く伊達家の花押が押印されている。そして、長年祖父の研究を共にしてきた私だからこそ解った。
――これは伊達政宗公直筆の唄である、と。
心臓が早鐘を打つ。
早く真実に辿りつけと急き立てられる。
さすがに陽が傾いた時には、住職に礼を言い、部屋に閉じこもった。許可を貰った写真とメモに取った部分を解読することに没頭した。
ああでもない、こうでもないと、私は寝食すら忘れて解読を試みること約三日。
天啓のように一つの事実が浮かび上がった。
「……これ、政宗公の一番身近にいた草の「暇乞い」なんだ……自分の死期が近いから、お傍を去ることをお許しください、と。それに深く嘆いた政宗公がこの歌を詠んだ。……ま、待って……おじいちゃんは「村咲」を公の幼少期からの側仕えだって言っていた。それに女物の布切れが二枚……草はなにも残してはいけない。なのに、この布を遺した? まだ、まだ何かが足りないんだ!! でも、もしこの仮定が正しければ……これが「村咲」の遺品だったとしたら……村咲は、女の人ってこと!? なんで、この布を遺したんだろう。うー……この手紙、全容が知りたい!! なんとかならないかな……!!」
まる三日風呂にも入らずにいた頭を私は掻いた。別段、痒かったわけではない。じれったかったのだ。
だが、疲れもピークを迎え、目がぼんやりしてきたので、いい加減に仮眠を取ることにした。
その時だった。「暇乞い」の方に、見落としていた小さな一行を見つけてしまった。半分近く読み取れないが、しかし、それが示していた事実に私は飛びついた。
「……ええっと……この、目隠し、だけが、支え、でございました……かな。……ってことは、なに!? この布切れは目隠し布!? しかも草に政宗公が直々に贈ったってこと!?」
この時の衝撃はよく覚えている。
ありえないことだ。
身分社会であった、戦国の世に、まさか一国一城の主が、草に贈り物をするなど異例にも程がある。
「……おじいちゃん……これ、私の憶測が正しかったら、どうしよう……。政宗公にとっても、「村咲」は特別な存在だったってことなのかな……」
祖父が最期まで、公の場で「村咲」という草のことを話さなかったことを、私は痛烈に理解した瞬間だった。
これは表に出してはいけないのだ。
仮に「村咲」ないしは、この目隠し布の持ち主が政宗公から下賜された物を返上した物だとしても、この女性は主の目を眩ますように死んだのだ。そして、政宗公は残してはいけないと知りつつも、この目隠し布を彼女の遺書と共に保管するほどに大切な存在だったのだろう。
「哀しい歌……私を照らす月は叢雲の向こうに隠れてもう見つからない、か。……どんな想いで、この歌を詠んだんだろう」
それは幼少期からの重臣を失った哀しみか、それとも淡い恋が隠れていたのか。
私には、どちらの気持ちも判じかねた。
結局、私は祖父と同じく、この目隠しと二通の手紙を学会には発表しなかった。
なぜか――と問われれば、この草は静かに眠ったのだ。主に貰ったたった一つの遺品さえ返上して、なにも持たずにあの世へ行った。
そんな人の安寧を、妨げたくはなかったからだ。
こうして、私のたった一人の草についての調査は終わった。
後に、住職を通して、あの桐の箱を譲り受けたが――簡易の金庫の中で眠っている。
――草は、闇から闇へと消えていくのだから。
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