KARMA

紺坂紫乃

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第四部 血染めの十字架篇

【番外編】「仮面舞踏会(マスカレード)」 後篇

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【番外編】「仮面舞踏会マスカレード」後篇


 林檎の匂いを追って、茂みに身を潜めていた刹那と左文字は、一人の男の姿を庭園の中心にある小型の噴水前で発見した。音も無く二人は近寄り、そろりと抜刀した『籠釣瓶』の透明な鞘を男の頭に投げつけた。

「うわあ!!」

 吃驚した男は、バランスを崩して尻餅をついた。噴水にはまるかと思ったが、身体がするりと噴水も、そこにたまる水すら通過してしまった。

「お前……アルフレッドか!?」

 三日前に刑事部屋でアランからこの依頼を聞いていた時に冷やかした歯の黄ばんだ老年刑事がそこには座り込んで項垂れていた。

「貴殿が怪盗ロベス・ピエールか? どうにも今回の話はおかしな点が多すぎるのだが」

 腹の出たアルフレッドは草露にイヴニングスーツが濡れるのも厭わず、刹那と左文字の前で真実を語り始めた。

「……なんで解ったんだ?」

「整髪料のポマードの匂いだな。近年は動物性油脂を原料にしたものが主流だ。元は林檎を使っていたと言うが、年配の者の中にはまだ林檎のポマードを好むものがいる。その匂いを追ってきたが、そもそも怪盗も、被害届の話もでっちあげなのではないか?」

 刹那の指摘にアルフレッドは視線を逸らして沈黙を決め込む。無言は肯定だ。

「なんで被害届まででっちあげる必要があるんだ?」

「被害届の全ては虚構では無い。一件だけは真実だ。自身の異能力を試したかったのだろう。透明化ではない。ただ物質や水すらもすり抜ける。この能力を最初に発見してしまったら、人間の取る行動はおおよそ決まる。刑事でありながら、どこかから金品を盗んでしまった。それを怪盗のせいにしたかったのだ」

 予定が狂ってしまったのは最初の一件を誤魔化す為にグランゼ伯爵邸に送った予告状の件で、アランが左文字達に依頼してしまったことだった。仕方なく、アルフレッドは計画を実行に移した。
 しかし、それが裏目に出て現在の状態となってしまったということだ。

「……アランがお前らにさえ依頼しなけりゃ、何もしなかったのに……」

 まるで反省の色が見られないアルフレッドに左文字の豪快な拳が頬に放たれた。刹那は止めるでもなく、ただその様子を見物するに徹した。おそらくはの一本は折れているだろうが、同情の余地はない。

「けっ、見損なったぜ。刑事が泥棒になりさがっておきながら反省も無しかよ」

 左文字の一発で気絶しているアルフレッドは、とてもヴィドックにはなれはしなかった。

「お主も、これで安請け合いはするなよ。いい教訓になったろう」

 刹那は噴水近辺に落ちている『籠釣瓶』の鞘を拾うと、抜き身の刀身を鞘に納めた。

「で、こいつはどうするんだ?」

「中にアラン刑事がいるはずだ。伝えて豚箱行きだな。我々はせっかくだ。舞踏会を楽しもう。パートナーをほったらかしにしたなどとデュークにバレたら、説教コースだ」

 その後は、アラン刑事に詳細を話して気絶しているアルフレッドをアラン刑事に引き渡し、料理を楽しんでいたアーヤと葵の下へと戻った。

「あら、随分早かったのね」
「まあな。ところでアンリ、お主も一人か? デュークはまさか……」
「うん。厨房を見てくるって」

 やっぱりか、と彼の料理への飽くなき探求心に驚きを隠せない。リチャードとルイーズは、二人でダンスフロアに行ってしまったらしい。

「ふむ。あの二人の独壇場も悪くはないが、せっかくなので我らも行こうか。アンリ、どうする?」
「あ、ダンスに参加するの? じゃあ、三組で誰が一番上手だったか、審査してあげるよ」

 勝負事となれば左文字も無言でアーヤの手を取った。葵は「わ、私、社交ダンスはできません!!」と尻込みするので刹那は仮面越しに目を細めた。

「私は多少心得がある。リードするゆえ、ゆっくりで構わぬ。空気を楽しめ」

 新たな二組がダンスフロアに入って、ざわめきが大きくなった。葵はたどたどしく刹那の手を取り、広い背に手を回してゆっくりとステップを踏む。刹那が耳元でレクチャーするのがくすぐったくてならない。

「……刹那さん」

「どうした?」

「えっと、一歩分の距離……超えてしまっていますよ?」

「言ったろう? 空気を楽しむといい。今は私もそういうことは考えてはおらぬよ。楽しいか?」

「洋式は恥ずかしいです。でも今は刹那さんに近づけて、本音では心のそこから喜んでいます」

 葵の正直な回答に、刹那も笑みが零れた。


「ちょっと意外」

「なにが?」

「粗野なあんたがダンスなんかできたことよ」

「……こっちに来たばかりの時に刹那と一緒にバイト先で教わったんだよ。女に足を踏まれまくったがな」

 左文字が苦々しい顔をするので、アーヤはぷっと笑ったが、なにか面白くないものを感じてわざと左文字の手に爪を立てた。だが、けろっとして「なんだ?」と平然と返された。

「別に」

「それより、帰ったらまたローブ着ろよな」

「言われなくてもそうするわよ。寒いんだもん」

 目のやりどころに困る、と左文字は口にはせずにアーヤの手を握ってステップを踏んだ。



 隠れ家に帰宅すると「三組ともそれなりに良かったけど、やっぱり自然だったのは左文字とアーヤかな」と厳しい評価が待っていた。
 慣れないイヴニングコートとポマードで固められた髪をかしたくて、左文字と刹那は競ってバスルームに飛び込んだ。やはり力では左文字に勝てず、刹那はとりあえずスーツから長着には着替えて、暖炉の前に座った。

「デューク、新作の料理の参考になったか?」
「素晴らしい収穫であった。そちらも、事件は無事解決したようで何より」

 暖炉の前を通りかかったデュークに、刹那は「では、新作を楽しみにしておこう」と子供のような眼つきをした。

「私達、本当になにもしてなかったよね」
「元々、左文字にやらせる案件だった。お主らが気にすることではないさ。舞踏会は楽しんだなら、それで充分」

 ルイーズとリチャードは刹那と談笑しながら、左文字が風呂から上げるのを待った。葵は知ってしまった一歩分の向こう側に、複雑な心境を噛みしめている。
 アーヤは髪を下ろすと、やはりローブでもこもこになった。アンリが「えー、せっかくのおっぱい……」と名残を惜しむと、「見世物じゃないの!!」とサラサラの金髪を一束引っ張られた。


 
 パリの冬は深まる。今日は雪が降らなかったが、じきにノエル (クリスマス)が控えている。
 聖夜に神様とのデートを楽しむような殊勝な者はここにはいないが、皆がノエルに待っている。デュークの魂が込められた料理が待ち受けていることを知って、それを心待ちにしているのだった。
 

――温かい仮初の家の深き『カルマ』を背負った仲間達。夜が明けたらマロニエのいがを拾ってリースを作る準備をしよう、と皆は口々にノエルを待ちわびるのだった。


★了...
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