KARMA

紺坂紫乃

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第四部 血染めの十字架篇

4-ep.

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epilogue.


 葵が動けるようになってから、ルイーズはルィアン伝えに聞いた申し出を受けた。
 同時にモンマルトルの補修工事も終わったとのことなので、全員がサクレ・クール寺院で木の長椅子に腰掛けている一人の老爺ろうやに会った。

 ――冬の寒気が本格的にパリに訪れた曇天の日の事だった。



「お待たせ致しました」

 ルィアンがそう声を掛けると、老爺はゆっくりと立ち上がった。ルイーズはリチャードの服の裾を握ったまま、一歩前に出た。
 相対した男は、予想に反して随分と背が高い。厳しい印象を受けるが、ルイーズを一目見ると「おお……」とくしゃりと笑う。目尻に小皺が寄ったその笑顔はとても温厚な印象だった。

「はじめまして、と言っておこうか。……ああ、あの子と同じ栗毛だね。面影も、懐かしい」

 祖父と孫くらいの年齢差がある。ルイーズは真実、この男が自身の父親なのかと視線を下げてしまった。
 すっかり萎縮してしまった娘の姿に、男は寂しそうに笑って「困らせるつもりはなかった。すまないね」と謝罪を口にし、ルイーズが失くしたロザリオを差し出した。

「話はそこの情報屋さんから聞いている。随分と危険な目にあったと。このロザリオが君の身を守るようにと彼女に――君の母御に託したのだが……それが裏目に出てしまった」

「要りません」

 ルイーズは差し出されたロザリオを拒んだ。

「……私には、もう必要の無い物です。それの代わりを……寒空の下、夜中にコートも着ないで駆けずり回って探してくれた人に貰ったロザリオの方が大切なので。貴方のロザリオは、もう私には必要はありません。ご自身のお立場もあるのでしょう。どうか、もう私にはかかわらないで下さい――お元気で」

「ルイーズ」と、男は終始視線を合わせようとしない娘の名を呼んだ。ルイーズは俯いたまま、手を差し出そうとした男から逃れるように寺院を出て行った。
 刹那が手で「問題ない」と合図をしたので、リチャードが「あの」と男に呼びかける。

「俺……私は、イギリスに逃れてきた彼女が使用人をしていた家の者です。猊下げいか、彼女は充分すぎるくらいに泣いて苦しんで、それでも人生を放棄せず生きてきました。イギリスでも、フランスでも……。彼女自身が傷つけられたこともあった。しかし、親友や親しい人々が傷つけられる度に泣いて、魔女だと罵られて……。仲間と生きることをこの地で見つけた彼女を、どうかこれ以上心を揺さぶらないでやってください!! 僭越ながら……お願い申し上げます」

 ルイーズに代わって頭を下げた青年に、男は目を丸くする。しばしの沈黙の後、「君の名は?」と尋ねられた。

「リ、リチャード……申し訳ありません。サブネームは諸事情で名乗れないのですが」
「君が、君達が、これからはあの子に寄り添ってやってくれるのだね。最初から私の出る幕では無かった。いたずらに可愛い娘を混乱させてしまったな。もう二度と逢うことはあるまい、と伝えてくれたまえ」

 哀しそうに男はそう告げると、リチャードの隣を通り過ぎて行った。きっとあの青年が娘に寄り添ってくれるのだ。自身は拒否されてしまったが、彼女や母親に受け入れてもらおうなどと望んだのが傲慢だったのだ。とても今更父親面などする資格はないのに――。
 娘の姿と彼女をおもんぱかる人々に、彼女は囲まれている。未練は断ち切って、ただ神に帰依しようと、男は冷たいサクレ・クール寺院の石段を一段ずつ降りて行った。石段の下では黒服の男達が男を車に乗せて連れて行ってしまった。

 隠れていたルイーズは隣の葵に尋ねる。

「アオイちゃん……アオイちゃんのお父さんって、どんな方だった?」
「うちの父は……難しいですね。褒められるような人じゃありませんでしたよ」
「仲が悪かったの?」
「うーん……そうですね。下級役人だったのですが、私は見ての通り、剣術に生きる娘でしたから……世間体とか周囲の目を気にする両親でした。特にうちは相馬の叔父さん――遠縁にあたる方が刹那さんと同じ逆賊のまま切腹なさったので余計に過敏でした。ですから、家族が苦手でこちらに半分逃げるように出奔しゅっぽんしたんです」

 葵は困ったように苦笑して「家族って難しいですね」とルイーズに同意を求めた。ルイーズはそっと「うん……難しいや」とブラウスの中に入れているロザリオを握った。

 なぜこのメンバーは赤の他人の集いなのに、家族以上に心地いいのだろうか。家族じゃないから、心地いいのかもしれない。誰もが訳ありで、決して深入りしようとしないからここは心地がいいのだ、とルイーズは結論付けた。

「二人してここに居たか。――帰ろう。身体が冷えてしまう」

 刹那の言葉は白いかすみに覆われて、耳にそっと響く。

「刹那、前髪伸びたね。出逢った頃を思い出すよ」
「やはり傷持ちの異人はな、風当たりが強いゆえ。長年これで居たから、私もこちらが落ちつくのだ」

 快活に笑う刹那にルイーズはやっと笑顔が戻った。葵に手を引かれ、モンマルトルのアパルトマンを目指した。

 ――帰ろう。大好きな人たちとの家族ごっこでいい。仮初かりそめの家では、彼も待ってくれているから。
 


 長くモンマルトルを離れていたせいか、部屋の内装は破壊された絵画や壺などの骨董品以外はそのままだった。

「俺達が死ぬ気で集めた補修費は足りたんだろうな?」
「ギリギリね。どちらかと言うと、一番稼いでくれたのはアオイちゃんよ」
「え、私……何もしていませんよ……?」
 
 左文字と葵が揃って首を傾げる。
 二人は知らない。葵から明かされたマデリカの情報料と見舞金と称された多額の寄付が、とある組織のボス直々にアーヤに手渡されていたなど……。
 大まかな察しがついていた刹那は、歯噛みするリチャードとアンリをなだめながら真実は黙秘する。

「『夢幻泡影』などとは違った敵の財布を漁る俺達の浅ましさに涙したことをアーヤに伝えるべきではないのか!?」
「……どっちがマフィアなんだかわからないね」
「切々と話したところで、あのアーヤが何か気遣うと思うか? 知らぬが花だ」

 リチャードとアンリは並んでアーヤを睨みつけるが、わざと知らぬ存ぜぬを通すアーヤに、刹那とデュークの二人が「若いと血気盛んだな」と達観して見守る。

「君も充分若いのだが……その落ち着きゆえだろうか。吾輩よりも年嵩としかさに思う事がある」

 デュークのこの一言はさすがの刹那にも痛恨の一撃だったらしい。刹那はソファにもたれてぐったりと意気消沈してしまった。確かにこの問題児共の保護者感覚になってきていたが、若さとはなんだろうかと刹那は悩む。

「一人でなにを百面相してんだ?」

 左文字が影を背負っている相方に問うた。

「左文字、私は若さを取り戻すにはどうしたら良いと思う?」

 真剣な表情でそんなことを訊くので、左文字はとりあえず葵を手招く。やはり犬のように駆けてくる。

「なんでしょう?」
「とりあえず葵もソファに座れ。よし、この位置な――刹那、動くなよ」

 半人分開いた距離で二人座らせると左文字は側面から刹那に張り手をする。当然ながらバランスを崩した刹那は重力のまま倒れた。

「え!?」

 驚いたのは葵だった。要するに膝枕だ。スカートの布地一枚を隔てられただけで柔らかい感触が待ち受けていた。

「太もも好きのお前にはピッタリじゃねえか」
「あー、良いなあ。セツナ、次は僕ね」

 真っ赤になって両手で顔を覆っている葵と、目をみはったまま人形のようになっている刹那の対比に、ルイーズやリチャードもぎょっとする。
 ひやかしの左文字とアンリはにたにたと上から覗き込み、アーヤは「あほらしい」と欠伸をして直ったばかりの自室へ昼寝をしに入って行った。

「……左文字」

 やっと刹那が口を開いた。

「これは……なかなか良いぞ」

「実はむっつり助平だよな、お前」

 知っていたとばかりに左文字は狐のように笑う。しかし、赤くなりすぎて涙さえ浮かべた葵の姿を見て、調子に乗ってふざけていた三人は葵のご機嫌取りに転じた。

 ――太陽が地平線へと沈んでいく。西日を受けたルイーズは、やはりここが好いのだと茜色を受け止めながら笑い続けた。


★続...
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