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第四部 血染めの十字架篇
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十四、
――間が悪い、と全員が思った。叶うことなら彼女の耳には入れたくはなかったのだが、後悔は先には立たない。
ルイーズはくるりと身を翻した。左文字がリチャードの背を押す。
リチャードはたたらを踏みつつもルイーズの後を追った。
「我々の部屋を使うといい」
通りすがりにからりと乾いたシーツを大量に持った刹那がそう囁いた。リチャードは頷くと、女性用の寝室に一人籠もろうとしていたルイーズの手首を捕えて、刹那達が使っている寝室に入った。
「……私、そんなに悪いことして生きてきたのかなあ……? いくらリチャードの御家は中道だったからって、一言で世界中の何億人の人を動かせるような、雲の上の人にさえ『死ね』って言われるくらい……私は存在自体が罪なの?」
自身を嘲笑いながら、ルイーズはぼろぼろと大粒の涙を零した。リチャードは彼女の手首を握ったまま「そうじゃない」とルイーズの言葉を真っ向から強く否定した。
「俺の言葉は薄っぺらいかもしれないが、君の出生を断罪する者などここにはいない」
「ねえ、リチャードはどうして私を恨まないの? ご家族まで……私のせいでリチャードの家は全員殺されたんだよ!? 関係のない執事長さんやリズさん達まで。ただ私が居ただけで!!」
「彼らの死で憎むべきはヴァチカンだ。君じゃない。俺は誰を憎むべきかを見誤るほど愚かじゃないぞ」
無理やりに後頭部ごと引き寄せれば、ルイーズはリチャードの灰色のベストに縋りついて声を上げて泣き始めた。
――心が引き裂かれそうだとルイーズは思った。きっとここの優しい人達はリチャードのようにルイーズではなくヴァチカンに刃を向けるに違いない。
ルイーズはそれが恐ろしくてならなかった。
ヴァチカンを敵に回すとは、世界の十億という未知の数の人間が敵になることと同義だ。事実、アンリも刹那も左文字も葵ですら指名手配犯になってしまった。申し訳なくて心が張り裂けそうなのに、誰一人としてルイーズを責めはしない。
「……どうしたら良いのかなあ……頭がぐちゃぐちゃで解らないよ……」
「怖気づくな。胸を張っていれば良い――無情にも君を責める人間を、皆は許しはしないから。たったの数か月でも、俺達はそういう人間関係を築いてきただろう?」
頷けなかったのは、きっと恐ろしかったせいだ。
リチャードはルイーズが落ちつくまで、ベッドに腰掛けたまま、ずっと抱き寄せて離さなかった。
◇
一時間もした頃、控えめなノックと共に刹那が「夕飯ができたが、ルイーズ、食べられそうか? 無理強いはせぬゆえ、なんならここに運ぶが……」と覗き込む。
日の落ちた部屋に明かりさえ入れていなかった。薄くぼんやりと見える刹那にさえ、ルイーズの瞼の腫れあがりは見ていて可哀想だ。足音を殺して、部屋に入ってきた刹那は冷たいタオルをくれた。その様子があまりに平時と変わらなくて、またルイーズは涙が浮かんだ。
ルイーズ――誉れ高き戦い。
眼の前の優しい剣士は以前、ルイーズの名の意味を噛みしめるように「母親に愛されて付けられた名前なのだろう」と言ってくれた。
「ううん、皆のところに行くよ。セツナ、ありがとう……」
「私は何もしていない。今日の夕飯も豪勢だぞ。きっとデュークは君の喜ぶ顔が見たいのだ」
刹那からタオルを受け取って、リチャードに促されるように立ち上がったルイーズは、そろりとダイニングに向かう。なぜか既に左文字が猛獣化していて、またいつもの如くアーヤに鋼鉄の太いケーブルで椅子に縛り付けられていた。
「待ちわびたぞ、さて頂こうか」
なぜか客体のルィアンがもうナプキンをつけて、両手にナイフとフォークを持って、今か今かと無表情でそわそわとしている姿が可笑しかった。
刹那の言葉通り、今日も食卓は彩りに溢れている。やはり冬なので身体が温まるものばかりだ。
左文字対策と思われる巨大なローストビーフは甘めのマデラソースで。サラダも温野菜がゴロゴロと、ほっこりと温かい蕪のスープとルイーズの好きなくるみパンと白パン、デザートも葵とルイーズが大好きなタルト生地のチョコレートチーズケーキと青りんごのシブースト。
「ルイーズ、今日のチーズケーキはいつもと一味変えてみたのだが、また後でアオイと共に意見をくれたまえ」
デュークはアンリやルイーズに食事の意見を求める。こんな日にまでカトリック教徒であるデュークはいつもと変わらない。
「うん、私で良ければ」
「君だから頼んでいる」
ルィアン並に表情が動かないデュークだが、この絶対の信頼がルイーズの胸を震わせた。食卓に座ったルイーズは涙を解き放たれた左文字の姿を器用にも食べながらいなす刹那達を笑うことで誤魔化した。
外は木枯らしの音が聞こえる。だが、部屋の中は笑い声と叫び声に包まれ、暖炉よりも柔らかなぬくもりを与えてくれた。
◇
「『ドクトル』」と、呼ばれた痩躯の老人は、フランスから変わり果てた姿で帰ってきたボスの姿に「安心せい」としっかりした低い声で強気な発言をした。
「ベレッチ猊下の後ろ盾が無くなったのは痛手じゃ。しかし、切り札とは敵の中核を掴み、戦意を挫く為のもの。なにも力量だけで切り札とするのではない。使い処は……選ばぬとなあ」
瓶底のような厚い眼鏡を押し上げて白衣の小さな老人は笑った。くつくつと、足元から確実に敵を切り崩す。
ビニは『ドクトル』の言葉に口角を引きあげ、息を引き取った。
◇
木枯らしの音が強くなった。窓がガタガタと不穏に揺れる。
「なんだか不気味ですね……」
「うん。変な胸騒ぎがする」
葵とルイーズは風呂上りに部屋で、今、湯を使っているアーヤが戻ってくるまで、毎夜と同じようにパジャマ姿で語り合っていた。
「それにしても羨ましいです。アンリくんは『喧嘩されたら面倒かもね』って言っていましたが、やはり恋仲のになられた方々が四人もなんて」
少女特有の花が咲いたように語る葵は、年相応に愛らしく、彼女が話すだけで華やぐ気がしていた。ルイーズにとっては初めての同じ歳の友人である。
「葵ちゃんは……セツナの傍に居られるだけで本当に良いの?」
虚しくはならないのだろうか、とルイーズは純粋に疑問だった。三人しかいない女の中で、二人も連れ合いができたとなったら、居心地は悪いのではないか、と。
葵は「そりゃあ、私も人間ですから羨ましいですよ」と頬を膨らましたが、それも瞬時に解かれて「でもね」と大人びた笑みを作った。
「今日改めて刹那さんに告白したんです」
「……強者だよね、葵ちゃん。セツナはなんて?」
「心はやれぬ」と言った刹那の申し訳なさそうな声音が今でも耳にこびりついている。白いシーツがはためく中で彼は葵に正面からそう告げた。
「心はやれぬ。相方にすら頑固者と言われたが、これだけはな……やはり理屈ではないのだ。だが、傍に居て、笑ってくれるだけでも私には充分だ。君は物足りない。すべてが欲しいと思うやもしれぬが、この距離感で許してくれるなら……今まで通り、私は君とこの距離で傍に立っている」
シーツを取り込む前に葵の細い両の手を壊れ物のように取った刹那は、今日まで絶対に近寄ろうとしなかった距離を縮めてくれた。二人の距離は一歩だけ――距離にして三十センチも無かった。
葵はそれがもどかしかったが、必死で「いいえ……!! この距離でもお傍に置いてください!!」と、半ば叫ぶように懇願した。
刹那は「なら、この距離は葵だけの物だ。アーヤの髪結いだけは許してくれ……あれも一人でできるようになって欲しいのだがなあ」と刹那は眉尻を下げる。
葵も同じように眉尻を下げて、冬晴れの青空の下で笑い合った。
「一歩分を許されたのが、とても嬉しいのです」
奥ゆかしい愛情の形だとルイーズは思った。葵は自分やアーヤのように直情的にはきっとならない。
そう断言できる。
「あー、さっぱり」
アーヤが長い黒髪をタオルで乾かしながら部屋の扉を開けた時だった。
「アーヤさん、おかえりなさ――」
きっかけなど無かった。だが、葵は急激な頭痛に襲われて座っていたベッドに頭を押さえながら倒れた。
「葵ちゃん、どうしたの!?」
「アオイちゃん……!?」
ルイーズとアーヤの声が遠くに聴こえる。
頭が割れそうな強烈な痛みに葵はのたうちまわる。
――コロセ。
それが誰の声なのかは解らなかった。女部屋の騒ぎを聞きつけてきたのか、刹那や左文字達も集まってきた。
「葵、どうした!? 聞こえるか――?」
刹那とルイーズが目に映った瞬間、葵はベッド脇に立て掛けてあった刀に手を伸ばした。
「葵!!」
「刹那、催眠術だわ!! 離れて!!」
アーヤが左文字の腕の中で叫んだ。
「……嫌」
「どうした……!? なにが嫌なのだ。教えてくれ」
刹那は左手に刀を取り、抜刀寸前の柄を押し返している。この細い腕のどこにそんな力があるのかと問いたいくらい葵の力は刹那の制止を振り切ろうとする。
――が、葵自身も右手は抜刀しようとする自身に抗っていた。
「……せっかく、やっと刹那さんのお傍を認められたんです。誰も傷つけたくない……!!」
葵の眼から滴り落ちる涙に、刹那は背後に叫んだ。
「アーヤ、催眠術は解けないのか!?」
「近寄らなければ無理よ!! ルィアンさん達に救助を送るから、もう少しだけ待って!!」
――コロセ。
葵は激しく頭を振った。
「嫌です……!!」
――コロセ。オマエ モ。
濡れた眼をみはった葵は刹那を突き飛ばして、刀を抜き払った。
そしてガタガタと揺れる窓枠までよろけて背を壁に打つ。
正眼に構えられた刀に、刹那は籠釣瓶を抜くか迷った。ルィアンが来るまでの時間稼ぎでも葵相手にただ攻撃を受け続けなければならない。広い場所ならともかく、この狭い室内でどこまで無傷でいられるか。刀を取る刹那に迷いが生まれる。
「刹那、代われ!! 俺なら白刃取りできるから、時間稼ぎにはうってつけだ!!」
左文字がそう叫んだが「否、交代のいとますらあるまい」と、葵と対峙した。
しかし、葵の取った行動は予想外だった。
「……刹那さん、皆さん、ごめんなさい……。もう、気づいてしまったからには、お傍に居られないんです――嬉しかったです、お近くに、いることを……許されて……」
「やめてくれ、あお、い――!!」
なぜ、いつも見えているのに手が届かない。
神速の剣などと、とんだお笑い草だ。
葵の剣先は刹那から、自身の白い首に当てられ――走った。
最期に小首を傾げて笑った彼女との距離は一歩分。
倒れる葵を抱き止めながら、刹那は土方を喪った日のように膝から崩れる。
顔を濡らす赤い飛沫が生暖かくて――眉間の傷が痛んだ気がした。
★続...
――間が悪い、と全員が思った。叶うことなら彼女の耳には入れたくはなかったのだが、後悔は先には立たない。
ルイーズはくるりと身を翻した。左文字がリチャードの背を押す。
リチャードはたたらを踏みつつもルイーズの後を追った。
「我々の部屋を使うといい」
通りすがりにからりと乾いたシーツを大量に持った刹那がそう囁いた。リチャードは頷くと、女性用の寝室に一人籠もろうとしていたルイーズの手首を捕えて、刹那達が使っている寝室に入った。
「……私、そんなに悪いことして生きてきたのかなあ……? いくらリチャードの御家は中道だったからって、一言で世界中の何億人の人を動かせるような、雲の上の人にさえ『死ね』って言われるくらい……私は存在自体が罪なの?」
自身を嘲笑いながら、ルイーズはぼろぼろと大粒の涙を零した。リチャードは彼女の手首を握ったまま「そうじゃない」とルイーズの言葉を真っ向から強く否定した。
「俺の言葉は薄っぺらいかもしれないが、君の出生を断罪する者などここにはいない」
「ねえ、リチャードはどうして私を恨まないの? ご家族まで……私のせいでリチャードの家は全員殺されたんだよ!? 関係のない執事長さんやリズさん達まで。ただ私が居ただけで!!」
「彼らの死で憎むべきはヴァチカンだ。君じゃない。俺は誰を憎むべきかを見誤るほど愚かじゃないぞ」
無理やりに後頭部ごと引き寄せれば、ルイーズはリチャードの灰色のベストに縋りついて声を上げて泣き始めた。
――心が引き裂かれそうだとルイーズは思った。きっとここの優しい人達はリチャードのようにルイーズではなくヴァチカンに刃を向けるに違いない。
ルイーズはそれが恐ろしくてならなかった。
ヴァチカンを敵に回すとは、世界の十億という未知の数の人間が敵になることと同義だ。事実、アンリも刹那も左文字も葵ですら指名手配犯になってしまった。申し訳なくて心が張り裂けそうなのに、誰一人としてルイーズを責めはしない。
「……どうしたら良いのかなあ……頭がぐちゃぐちゃで解らないよ……」
「怖気づくな。胸を張っていれば良い――無情にも君を責める人間を、皆は許しはしないから。たったの数か月でも、俺達はそういう人間関係を築いてきただろう?」
頷けなかったのは、きっと恐ろしかったせいだ。
リチャードはルイーズが落ちつくまで、ベッドに腰掛けたまま、ずっと抱き寄せて離さなかった。
◇
一時間もした頃、控えめなノックと共に刹那が「夕飯ができたが、ルイーズ、食べられそうか? 無理強いはせぬゆえ、なんならここに運ぶが……」と覗き込む。
日の落ちた部屋に明かりさえ入れていなかった。薄くぼんやりと見える刹那にさえ、ルイーズの瞼の腫れあがりは見ていて可哀想だ。足音を殺して、部屋に入ってきた刹那は冷たいタオルをくれた。その様子があまりに平時と変わらなくて、またルイーズは涙が浮かんだ。
ルイーズ――誉れ高き戦い。
眼の前の優しい剣士は以前、ルイーズの名の意味を噛みしめるように「母親に愛されて付けられた名前なのだろう」と言ってくれた。
「ううん、皆のところに行くよ。セツナ、ありがとう……」
「私は何もしていない。今日の夕飯も豪勢だぞ。きっとデュークは君の喜ぶ顔が見たいのだ」
刹那からタオルを受け取って、リチャードに促されるように立ち上がったルイーズは、そろりとダイニングに向かう。なぜか既に左文字が猛獣化していて、またいつもの如くアーヤに鋼鉄の太いケーブルで椅子に縛り付けられていた。
「待ちわびたぞ、さて頂こうか」
なぜか客体のルィアンがもうナプキンをつけて、両手にナイフとフォークを持って、今か今かと無表情でそわそわとしている姿が可笑しかった。
刹那の言葉通り、今日も食卓は彩りに溢れている。やはり冬なので身体が温まるものばかりだ。
左文字対策と思われる巨大なローストビーフは甘めのマデラソースで。サラダも温野菜がゴロゴロと、ほっこりと温かい蕪のスープとルイーズの好きなくるみパンと白パン、デザートも葵とルイーズが大好きなタルト生地のチョコレートチーズケーキと青りんごのシブースト。
「ルイーズ、今日のチーズケーキはいつもと一味変えてみたのだが、また後でアオイと共に意見をくれたまえ」
デュークはアンリやルイーズに食事の意見を求める。こんな日にまでカトリック教徒であるデュークはいつもと変わらない。
「うん、私で良ければ」
「君だから頼んでいる」
ルィアン並に表情が動かないデュークだが、この絶対の信頼がルイーズの胸を震わせた。食卓に座ったルイーズは涙を解き放たれた左文字の姿を器用にも食べながらいなす刹那達を笑うことで誤魔化した。
外は木枯らしの音が聞こえる。だが、部屋の中は笑い声と叫び声に包まれ、暖炉よりも柔らかなぬくもりを与えてくれた。
◇
「『ドクトル』」と、呼ばれた痩躯の老人は、フランスから変わり果てた姿で帰ってきたボスの姿に「安心せい」としっかりした低い声で強気な発言をした。
「ベレッチ猊下の後ろ盾が無くなったのは痛手じゃ。しかし、切り札とは敵の中核を掴み、戦意を挫く為のもの。なにも力量だけで切り札とするのではない。使い処は……選ばぬとなあ」
瓶底のような厚い眼鏡を押し上げて白衣の小さな老人は笑った。くつくつと、足元から確実に敵を切り崩す。
ビニは『ドクトル』の言葉に口角を引きあげ、息を引き取った。
◇
木枯らしの音が強くなった。窓がガタガタと不穏に揺れる。
「なんだか不気味ですね……」
「うん。変な胸騒ぎがする」
葵とルイーズは風呂上りに部屋で、今、湯を使っているアーヤが戻ってくるまで、毎夜と同じようにパジャマ姿で語り合っていた。
「それにしても羨ましいです。アンリくんは『喧嘩されたら面倒かもね』って言っていましたが、やはり恋仲のになられた方々が四人もなんて」
少女特有の花が咲いたように語る葵は、年相応に愛らしく、彼女が話すだけで華やぐ気がしていた。ルイーズにとっては初めての同じ歳の友人である。
「葵ちゃんは……セツナの傍に居られるだけで本当に良いの?」
虚しくはならないのだろうか、とルイーズは純粋に疑問だった。三人しかいない女の中で、二人も連れ合いができたとなったら、居心地は悪いのではないか、と。
葵は「そりゃあ、私も人間ですから羨ましいですよ」と頬を膨らましたが、それも瞬時に解かれて「でもね」と大人びた笑みを作った。
「今日改めて刹那さんに告白したんです」
「……強者だよね、葵ちゃん。セツナはなんて?」
「心はやれぬ」と言った刹那の申し訳なさそうな声音が今でも耳にこびりついている。白いシーツがはためく中で彼は葵に正面からそう告げた。
「心はやれぬ。相方にすら頑固者と言われたが、これだけはな……やはり理屈ではないのだ。だが、傍に居て、笑ってくれるだけでも私には充分だ。君は物足りない。すべてが欲しいと思うやもしれぬが、この距離感で許してくれるなら……今まで通り、私は君とこの距離で傍に立っている」
シーツを取り込む前に葵の細い両の手を壊れ物のように取った刹那は、今日まで絶対に近寄ろうとしなかった距離を縮めてくれた。二人の距離は一歩だけ――距離にして三十センチも無かった。
葵はそれがもどかしかったが、必死で「いいえ……!! この距離でもお傍に置いてください!!」と、半ば叫ぶように懇願した。
刹那は「なら、この距離は葵だけの物だ。アーヤの髪結いだけは許してくれ……あれも一人でできるようになって欲しいのだがなあ」と刹那は眉尻を下げる。
葵も同じように眉尻を下げて、冬晴れの青空の下で笑い合った。
「一歩分を許されたのが、とても嬉しいのです」
奥ゆかしい愛情の形だとルイーズは思った。葵は自分やアーヤのように直情的にはきっとならない。
そう断言できる。
「あー、さっぱり」
アーヤが長い黒髪をタオルで乾かしながら部屋の扉を開けた時だった。
「アーヤさん、おかえりなさ――」
きっかけなど無かった。だが、葵は急激な頭痛に襲われて座っていたベッドに頭を押さえながら倒れた。
「葵ちゃん、どうしたの!?」
「アオイちゃん……!?」
ルイーズとアーヤの声が遠くに聴こえる。
頭が割れそうな強烈な痛みに葵はのたうちまわる。
――コロセ。
それが誰の声なのかは解らなかった。女部屋の騒ぎを聞きつけてきたのか、刹那や左文字達も集まってきた。
「葵、どうした!? 聞こえるか――?」
刹那とルイーズが目に映った瞬間、葵はベッド脇に立て掛けてあった刀に手を伸ばした。
「葵!!」
「刹那、催眠術だわ!! 離れて!!」
アーヤが左文字の腕の中で叫んだ。
「……嫌」
「どうした……!? なにが嫌なのだ。教えてくれ」
刹那は左手に刀を取り、抜刀寸前の柄を押し返している。この細い腕のどこにそんな力があるのかと問いたいくらい葵の力は刹那の制止を振り切ろうとする。
――が、葵自身も右手は抜刀しようとする自身に抗っていた。
「……せっかく、やっと刹那さんのお傍を認められたんです。誰も傷つけたくない……!!」
葵の眼から滴り落ちる涙に、刹那は背後に叫んだ。
「アーヤ、催眠術は解けないのか!?」
「近寄らなければ無理よ!! ルィアンさん達に救助を送るから、もう少しだけ待って!!」
――コロセ。
葵は激しく頭を振った。
「嫌です……!!」
――コロセ。オマエ モ。
濡れた眼をみはった葵は刹那を突き飛ばして、刀を抜き払った。
そしてガタガタと揺れる窓枠までよろけて背を壁に打つ。
正眼に構えられた刀に、刹那は籠釣瓶を抜くか迷った。ルィアンが来るまでの時間稼ぎでも葵相手にただ攻撃を受け続けなければならない。広い場所ならともかく、この狭い室内でどこまで無傷でいられるか。刀を取る刹那に迷いが生まれる。
「刹那、代われ!! 俺なら白刃取りできるから、時間稼ぎにはうってつけだ!!」
左文字がそう叫んだが「否、交代のいとますらあるまい」と、葵と対峙した。
しかし、葵の取った行動は予想外だった。
「……刹那さん、皆さん、ごめんなさい……。もう、気づいてしまったからには、お傍に居られないんです――嬉しかったです、お近くに、いることを……許されて……」
「やめてくれ、あお、い――!!」
なぜ、いつも見えているのに手が届かない。
神速の剣などと、とんだお笑い草だ。
葵の剣先は刹那から、自身の白い首に当てられ――走った。
最期に小首を傾げて笑った彼女との距離は一歩分。
倒れる葵を抱き止めながら、刹那は土方を喪った日のように膝から崩れる。
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