KARMA

紺坂紫乃

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第二部 悲愴のワルキューレ篇

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七、


 アンリが発した一言で「今夜は荒れるな」と考えた刹那は、風呂から上がった後に寝間着である藍染めの単衣だけで外に出た。
月も高く昇る時刻に、ふらりと行きつけのバーでワインとスコッチを数本購入する。
 パリの都市開発が進む中、農村部はどんどんと追いやられ、今ではモンマルトルの一部にだけ緑が広がる。湿気を含まないパリの夏の風は青々とした緑の匂いが濃くて、心地が良い。
故郷の京よりも、この空気と風は紅緒と語らった箱館の方を思い出す。のんびりと堪能したいところだが、今日は待ち人が居るのでそうも言っていられない。
 アパルトマンに戻ると、寝室である男部屋に直行したいところだが、キッチンからグラスを三つ拝借したところをアーヤに目撃された。

「……ある意味、あんたって苦労性よね」

 酒の意味を語らずとも覚ったアーヤから同情の溜息が漏れる。刹那は「それが私の性分ゆえ致し方あるまい」と苦笑して、就寝の挨拶を告げて男部屋に向かうと、予想通り、左文字が必死に沈んでいるリチャードを慰めていた。

「遅せえ」

「すまぬ。途中、アーヤに捕まった」

 刹那の顔を見るなり、意気消沈していたリチャードは目を潤ませる。

「セツナ……やはりこいつでは駄目だ。相談をしているのに根性論しか出てこない」

「てめえ……!! 人が苦手な恋愛の話を聞いてやってるってのに!!」

 ベッドの上に胡坐をかいて、深緑の甚平を着た左文字が素足で白いパジャマ姿のリチャードを足蹴にする。
 喧嘩が始まりそうなところに刹那がグラスを差し出して「まあまあ」と仲裁し、後はそれぞれ手酌で飲み進めていく。
 まだグラスに半分しか飲んでいないのに、赤ら顔になったリチャードは饒舌になる。

「で、話の続きだけどよお。お前、イギリスで親父が決めた女と結婚するんじゃねえの? なのに、勝手に帰らないって決めて良いのかよ」

「……帰って結婚したところで異能がある限り、俺は家督を継げない。姉の夫が公爵になるんだ。ならフランスで自由にさせてもらおう、と思っていたところにアンリが……」

 「さっきからこの調子だ」と左文字が刹那に唇の動きだけで伝える。刹那はグラスのスコッチを飲みながら首肯する。

「婚約者殿には逢ったことはないのか?」

「無い。……そもそも異能使いの妻になる女性が見つかるかも定かではないだろうな」

 ふむ、と刹那はぬるいスコッチを味わいながら「では、お主がフランスに身を置くことには問題はない訳だな」と口にする。

「ルイーズに家族はいないのか?」

 ルイーズの名前にびくりと肩を跳ねさせ、視線を明後日の方向に向ける。

「あーあ、その様子じゃあ、ルイーズのことはなんにも知らねえんだろ……?」

 その様子に左文字が追い打ちをかけた。リチャードは途端に居心地が悪くなって「聞いた事が無いんだ」とグラスの縁に歯を立てる。

「彼女も積極的に話すような性格ではないから、リチャードが知らぬことがあっても不思議はないので、ひとまず彼女の事情と気持ちは置いておこう。問題はリチャードだ。ルイーズを娶(めと)ることはやぶさかではないのだろう?」

 空になったグラスにスコッチを追加しながら、刹那はさらりと本心ついた。
 散々もたついた末にやっと首を縦に振ったリチャードを見て、左文字は「さすが亀の甲より年の功だな」と思いつつ、辛口のワインを流しこむ。
 直球すぎる左文字ではこうも自然な誘導尋問はできない。

「では、残る問題はやはりルイーズか」

 彼女は素直な反面、色々と溜め込んでいる節がある。それがリチャードに対する事なのは明白なのだが、如何せん、刹那も聞きだすタイミングを見計らっている。
 おそらくは異能に関する『何か』なのは違いないと目算は付けている。あくまでリチャードの従者の位置に座る彼女は、自身の異能がリチャードよりも強い事実に負い目を感じているからだ。

「リチャード、ルイーズの異能についてはどう考える?」

 刹那の少しズレた質問に、左文字も首を傾げた。既にできあがって目がすわっているリチャードから聞きだすのは容易かった。

「どうもこうも……最初は腹が立ったが、俺が第一カルマでルイーズが第三カルマなのは変えようのない現実だ。それに異能は使い方次第で強くなれる。今はコンプレックスも何も感じないが……それがどうかしたのか?」

「気にするな。個人的な興味だ」

 左文字は意味深な視線を向けてくるが、酒が回っているリチャードは「そうか」と歯牙にもかけない。

「セツナはともかく……俺ばかりでお前の話は一向に聞かない。いつも無駄に殴られてくるだけじゃないか」

 しゃっくりをしながら左文字を睨むリチャードは絡み酒のようだ。矛先を向けられた左文字は「面倒くせえな」と思いながらもスコッチをくるくると弄びながら、頭の中で実際に付き合ったのは何人だったか、と計算する。

「あー……二十を超えてからは数えてねえからなあ。最長で半年、だったか?」

「……おい、それは付き合った女の数か?」

「それ以外に何があんだよ」

 「ちなみにこの十年で平手の痕は通算で五十を超えたな」と刹那が合いの手を入れると、リチャードが声を荒げる。

「き、貴様……!! この女の敵がー!!」

「馬鹿、声がでけえ……!! アンリ達が起きるだろうが!! ただでさえ、デュークの耳に入ったら説教コース確定なんだから黙ってろ!!」

 憤慨するリチャードを刹那が抑えつけて左文字の弁護に入る。

「こやつは何も不誠実な訳ではないのだ。数だけ聞けばただれていると思われがちだが、付き合っている時の左文字はちゃんと相手のことを考えて行動するし、逢う時間も増やす。だが、気の利いたプレゼントができないことで振られたり、逢引の最中に助けられた女性が迫ってきて修羅場になり振られたり……。それが積もった数なだけでな」

 刹那のフォローに助けられたが、あまり思い出したくない過去なので左文字は一気にグラスを開けた。

「……デュークがいうような、歯の浮く台詞なんか言えるかよ。俺には逆立ちしても無理だっ……!!」

「それに関しては私もお手上げだが、褒められて嬉しくない女性はいない。これに性別は関係ないとは思うが、褒め過ぎると言葉が薄っぺらになる。塩梅が難しい」

 リチャードはゆらゆらと頭を揺らしながら「セツナでも無理なのか」と呂律の回っていない疑問を口にした。

「欧米式の褒め方は気恥ずかしいなあ。私でもせいぜい『今日の着物は似合っている』とか『髪飾りはこれの方が良い』とかその程度だ。とてもじゃないが、吟遊詩人が口にするような賛美の語句は捻り出せんよ。気心の知れている相手なら尚更だ」
 
 「確かにそうかもしれない」と何度も頷いていたリチャードはそのまま寝息を立て始めた。話題の中心であるリチャードが眠ってしまったので、グラスを取り上げて刹那と左文字はそのままリチャードをベッドに転がした。

「ちっ、いつルイーズに突撃させるかまで決めようと思ってたのに早々に潰れやがって」

「それは無粋だ。我々は見守るしかあるまい」
 ハイペースで飲んでいたリチャードとは対照的に余裕がある二人は残った酒を傾けて、まだまだ酒宴は続いた。



 翌朝、二日酔いで頭を押さえながら起きてきたリチャードにたらふく水を飲ませた。
 刹那と左文字は平時と変わらなかったので、やはり飲み方だろう。
 朝食の席でぐったりとしているリチャードにルイーズが「大丈夫?」と声を掛けると、がばりと起き上がって「なんでもない!!」と叫ぶ。
 これは道程が長そうだ、とアーヤ以外の全員が二人の成り行きを見守る。

「うーん……」

 一足先に食事を終えたアーヤが広げたカードに、難しい顔をしていた。今日の対戦相手を占っているはずだが、頬杖をついて芳しくない顔をする。

「どうした?」

「今日の対戦相手が映らないのよ。何回やっても結果がうやむやで……嫌な予感がする」

 刹那に問われたアーヤはカードを数枚めくりながら、お手上げ状態のようだった。

「場所は指定してんだ。残りは俺かルイーズかデュークだろ? バスティーユ付近を歩いていたら、当たった奴が応戦すればいいだけじゃねえか」

「まあ、そうなんだけど……」

 いつもなら喧嘩になるところを、左文字の言葉もアーヤはうわの空で聞き流す。
 相手が知れないのは痛手だ。しかし、戦い慣れしているメンバーからすれば、標的にされる人間は決まっているのだから気を抜かなければいい話だ、と支度を整えて、いつも通りアーヤに見送られて出陣しようとした。

 その時、刹那は背骨を尖った指でなぞられる様な感覚に、不可視となっている籠釣瓶に手をかけた。

「刹那?」

 勢いよく振り向いた刹那の異変に、アーヤが尋ねる。

「……何か、いる」

 刹那は短く答えて気配を辿る。そして、『それ』――左文字とデュークの肩口に伸びあがった黒い影が確かに笑った。


「左文字、デュー、く……!!」

 二人に注意を促そうとする刹那。

 ――だが、赤い絨毯にぽっかりと不自然に浮き上がった影が、背面から刹那の腹を貫いた。

「セツナ!!」

 アーヤの叫びが響く。

「……ぐっ……!!」

 反射で、籠釣瓶を抜いて刹那は自身に穴を開けた影の先端を斬った。
 
 影の中から「ぎゃっ!!」と女らしい声が聴こえた。

 斬り落とした影からも紅い血が流れている。

 刹那は籠釣瓶を絨毯に突きさして、浅い息と脂汗をかいてしゃがみこんだ。

 どくどくと血が溢れる刹那の腹に駆け寄ったアーヤが手を当てるが血は止まるどころか、溢れる一方だ。


「……どういうこと……? 私の治癒術が効かない――!?」

 こんな事例は初めてだ。アーヤは動揺に顔を歪める。

「アーヤ、吾輩が変わろう。止血程度ならできるかもしれん」

 とうとう力尽きて倒れた刹那の腹にデュークが手を当てると、なんとか流血だけは止まった。

「アンリ、ひとっ走り上に行って『ZERO』を呼んで来い!!」

「わかった!!」

 左文字の一喝で、アンリは部屋を飛び出す。

「ルイーズはソファにシーツを敷いてくれ。リチャードは刹那をソファまで運ぶから肩を貸せ」

「あ、ああ……!!」

 意識が朦朧としている刹那をソファに寝かせ、左文字は血溜まり付近を足で探って籠釣瓶を見つける。

 見えない刀を手にして刹那の着物を裂いた。

 アーヤは刹那が斬った影の一部を拾って検分している。

 それは熱を持ち、質感は人肌に触れているようだった。アーヤはその黒い物体を強く握って苦々しく「何なのよ、これ……?」と呟いた。





 キリークは熱の籠った息を吐きだした。

「笠木刹那……あの一瞬で、切っ先だけでも斬るとは、少々甘く見過ぎていたか……」

 紅い血の溢れる右肩を押さえる。平たい編み笠と血で五芒星を書いた顔を覆う布、狩衣にも似た衣装に身を包んだキリークは苔むした石壁にずるずると背を預けた。
 布のせいでその表情は窺えない。
 座り込んだキリークの足元を、一匹の鼠が走った。

★続... 
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