Psychedelic Opera

紺坂紫乃

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3、星は光りぬ

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 都内某所――コカインの運び屋をしているパレモディオン歌劇団の稽古場にたどり着いたヴェルディは困っている。

(……変装もせずに来てしまった……)

 しかもサングラスを「タンホイザー」に置いてきてしまったので、生まれつき光に弱い目が少々痛む。仕方なく、近くにあったドラッグストアでサングラスとヘアワックスを買った。
 残金は二百三十一円だ。
 ドラッグストアのトイレで、髪を無造作にくしゃくしゃと癖を付け、サングラスを外して、顔を片手で上から下へと撫でれば、全くの別人に変貌する。
 今日はミステリアスな雰囲気を纏った青年に仕上がった。この能力だけは保有者であるヴェルディが最も不思議だと思っている。

「……なんとかなるもんだな……」

 仕上がりに納得したヴェルディは、稽古場にさも当然のように入っていった。
    長年の経験から、下手に言い訳をする方が不審感を与えてしまうので、警備員に止められても、首を傾げる。すると「あの劇団の団員かよ」と勝手に判断してくれるので、稽古場に潜入できた。
 スーツでは目立つので、ジャケットとシャツを脱いでタンクトップとスラックスだけになる。脱いだ衣類を持ってうろついていると、大量の書類を持った女性スタッフに呼び止められた。

「ねえ、君は劇団の人よね? 日本語か英語は話せる?」

 「少しなら」と日本語で誤魔化せば、女性はぱっと安堵したように笑った。

「イタリア語の通訳をお願いできる? 私はオーケストラの事務で、台本の変更になった部分を印刷してきたんです」

 女性に頷き、書類の半分を持って団員に配っていく。
 名前を尋ねられたので「フランチェスコ」と名乗った。色素の薄い目のおかげで、特に咎められることもない。イタリア語は「ヴェルディ」を名乗るにあたって、猛勉強したので話せる。
 こうして三日間、オーケストラと歌劇団の橋渡し役をこなした。夜中にこっそりと劇団員の部屋にも「エキストラ役」と偽って潜入した。
 夜中に毎日ルーイとワーグナーに劇団の雰囲気やその日にあった出来事をメッセージで報告する。まだコカインにはたどり着けていなくても、メッセージを送り続けた。
 三日も寝食を共にすれば、コカインの話も出る――というより、あまりにも寡黙なヴェルディに、酔っ払った団員が「お前もやれば気分が上がって話すだろう」と吸入している現場を見せられたのだ。
 本命が来た。しかし、ヴェルディは平素と何も変わらない。

『手慣れているな。商品に手を出しても叱られないのか?』

『団員が使う量は、団長が数字を誤魔化して報告してくれている。どうせマリオの家には百キロ近いコカインの結晶があるんだぜ。数十グラム程度、捨てたところで痛くもないさ』

『そうか。ありがたいことだな』

 コカインで陽気になっている男は、他にもぺらぺらと話してくれた。
 配役への不満から始まり、働きの割に給料が上がらないこと。
 コカインの現物支給が年々減っていること。
 団長のルチアーノ・チェーロスが、特にマリオ・ビスコンティというスポンサーが自由が丘の家の地下に隠しているコカインの貯蔵庫も見せてもらったと自慢していたこと。

 男がすっかり眠りついた夜の二時、ヴェルディはコカインの小袋を一つ抜き取り、ついでにマリオ・チェーロスの情報も拝借して「タンホイザー」に帰ってきたのは夜の三時。ワーグナーだけが起きて、店のラスト作業をしていた。

「お疲れ様、ヴェル。収穫はあった?」

「……かなりあった。ルーイには電話で話してある。三日も安物のサングラスで過ごしたせいで目が痛い。俺は寝る。残りの調査はお前とルーイに任せるからな」

「そんなに話すってことは、疲れがピークね……。部屋の前に、スポーツドリンクとサプリとゼリー飲料を置いておくから、ちゃんと腹に入れなさいよ」

「わかった」

 そう言い残して、ヴェルディはワーグナーとシェアしている部屋の一室に消えた。   
    予想通り、まる三日間出てこなかった。
 部屋の前にはゼリーと空のペットボトルが山積みになっているので、最低限の栄養は摂取しているようだ。しかし、ヴェルディは自室の掃除などしないので、彼が出てきた後の掃除を考えるとワーグナーは胃が痛む。

「ヴェルってちゃんとしてそうだけど、違うの?」

「アマっちも一度でいいから、ポンコツ期間が終わったヴェルの部屋に入るといいわ」

「俗に言う汚部屋おへやかあ……」

「……あたしがゴキブリとキノコに耐性ができたのはあいつのせいよ」

 「絶対に掃除は手伝わない」とアマデウスは顔を歪めた。仕込みまで終わらせたら、ワーグナーはスマホを取り出した。

『アロー』

「ルーイ、ヴェルが帰ってきたわよ。話は聞いてるんでしょ? そっちはどうなの?」

『ヴェルがくれた報告の裏付けを取っているよ。ボスと話し合った結果、この件はうちと君達で処理する。警察は介入しない。ヴェルが回復する頃には、こちらも完全な包囲網ができあがるだろう――舞台がはねたら「抹消」をして』

「了解。念の為に訊くけど、母さんは本当に介入してこないんでしょうね?」

『しないよ。警察の麻薬捜査班も、この歌劇団とスポンサーの把握はしていても手出しはできないもの。だからうちに回ってきたんだよ』

「情報を回したのはシノ?」

『せいかーい』

「そ。じゃあね」

 アマデウスが「シノって誰?」とロリポップキャンディで緑色になった舌を覗かせて尋ねる。

「『JOKERS』の監視と交渉を専門にしている二係の刑事で、あたしの母の元上司。定年前なのに、まだ裏世界に顔をつっ込んでるの。その内、逢えるわ」

「別に会いたくはないんだけど……ふうん、やっぱり『JOKERS』って大規模なんだ」

 アマデウスは、ぴらりとルーイから送られてきた白い封筒を取り出して眺める。

「本物のオペラを鑑賞後の仕事って初めてだね。すごいな。全部S席だよ」

「伊達や酔狂だけで不老不死の集団の幹部を務めつつ、国一つを牛耳ってないってこと。感動しているところに水を差して悪いけど、この案件は簡単には終わらない気がするのよねえ」

 ルーイが持ってくる仕事は大概厄介だ。日本では数少ないオペラが観賞できて、尚且つこちらも楽しめると言うのに、ワーグナーはあまり気乗りではないようだ。アマデウスはそれが何故なのか興味はなかった。
 上の階で、泥のように眠るヴェルディは知っているのかもしれないが、基本的に他のチームとの連携など歯牙にもかけない、自己世界で完結しているアマデウスは、ワーグナーの憂鬱など見えないのだ。 





 薬物汚染は別問題として、パレモディオン歌劇団の『トスカ』は連日大賑わいだった。やはり本物のオペラは最高だ。本日で千秋楽だったが、連日満員御礼だった。
 起き上がってきたヴェルディも感動に打ち震えている。
 美麗にして壮大な世界観とセット、朗々と響き渡る歌姫の声、巧みなライトアップ、オーケストラの生演奏――絵画の世界が生きて動いている。
 表情が芳しくなかったワーグナーも、今は頬を紅潮させて熱気を手うちわで発散させていた。

「どうして日本にはオペラハウスが無いのかしら……!!」

「神戸にさ、オペラハウスに形が何となく似ているホテルがあるよね。あれをオペラハウスにすればいいと思う」

「アマっち、天才ね。実現されたら「タンホイザー」は神戸に移るけどね。あたしが神戸に移住するからっ!!」

「いいよ。僕らもついていけばいい話だ――ね、ヴェル」

 自動販売機で買った缶コーヒーを飲んでいたヴェルも首肯する。この三人の腐れ縁は移住くらいでは切れそうにない。
 第三幕が始まるアナウンスが入ると、三人は席に戻る。その前にワーグナーがスマホをチェックすると、ルーイが『包囲完了』と送ってきた。
 「二人とも、舞台がはねたら仕事よ」とワーグナーは努めて事務的に伝えた。

 主人公のトスカが衛兵に追い詰められ、城壁から飛び降り自殺するラストでは三人ともトスカの情熱に感極まり、涙に塗れた。最後の舞台挨拶まで拍手と声援を送り、三人はきちんと意識を切り替える。

「――さて、今日はどんな色で装飾しようかな?」

 アマデウスは首をこきこきと鳴らして、三人はタクシーで自由が丘に向かった。
 マリオ・チェーロの豪奢な邸宅では、先客が居た。

「や、いい舞台だったね」

 ルーイと、アマデウスと同じ年頃の少年と少女――『JOKERS』がすでにマリオの身柄を確保していた。彼が保管していた大量のコカインもだ。

「げっ、キョウとラヴィニア……!!」

 ワーグナーと『JOKERS』の三人は睨み合う。

「胸糞悪い奴が来た」

「ねえ、ルーイ、俺達はまだ撤収しちゃいけないの?」

 キョウと言われた少年はルーイのローブを引いて、甘えた声を出す。

「うん、君達には悪いが僕は『抹消屋』の最後を見届けなきゃいけないもの」

 キョウは「ちぇっ」と唇を尖らせる。そのあざとい仕草がアマデウスの勘に障る。彼が最も嫌いとするタイプだ。
 前に出ようとするアマデウスの首根っこをヴェルディが引き留めた。

「なんで止めるのさ!?」

「……『トスカ』の最期は自分で決着をつけた。これは俺達の出る幕じゃない。ワーグナーの仕事だ」

 疲れてもいないのに、ヴェルが口を開いた。そんなことに驚いている場合ではない。ワーグナーは哀しく笑って、ルーイが待つ場所へと進んでいった。

「タイトルは、そうね――E lucevan le stelle星は光りぬ

 天を仰いだワーグナーが右手を差し出す。
 天井を群青の天幕で覆い、部屋には流星群が具現化される。
 コカインの結晶も、縛られ猿轡さるぐつわを噛まされていたマリオの身体も発光しだす。
 膨張した光は二十畳以上ある部屋いっぱいに広がって、ヴェルディもアマデウスも立っているのがやっとだった。
 最大値を超えた光は飽和して、風船のように弾けて霧散した――。

 ワーグナーの目は一筋の涙を流した。
 ルーイは立ち尽くすワーグナーの頭を抱きしめて「上出来だよ。ありがとう」と淡い笑みで労った。
 キョウとラヴィニアはあからさまに顔を顰め、理解が追い付かないアマデウスはヴェルディを仰ぎ見た。

「……おそらくコカインの販売ルートも、団員の身体からも薬物反応も記憶も消えた。歌劇団は今後も素晴らしい演技を世界中で開催する。でも、これは一部分の一欠片に過ぎない。合法ドラッグなんてものも存在する世の中。ワーグナーが哀しいのは、コカイン生成に関わった貧困層から収入源を奪ってしまった事実。彼らには、『抹消』の恩恵は与えられない。そこをカバーするのは俺達ではなく『JOKERS』だ」

 ヴェルディの告白は、アマデウスにとっては衝撃だった。ワーグナーが最初にルーイに提案した『JOKERS』のバックアップとは、おそらくこの件も含まれているのだろう。
 そんな部分にまで視野に入れていなかったアマデウスにとって、この事件は苦い思い出になった。

「……後は任せていいいのよね?」

「もちろん。君の憂鬱も僕が背負うよ。報酬はいつもの口座に振り込んでおく――気を付けてお帰り」

 ルーイはどこまでもワーグナーに優しかった。彼が一人息子を可愛がれば、可愛がるほど、キョウとラヴィニアの憎悪は深まる。
 ルーイはそれすら笑顔で黙らせて「僕らも仕上げだ」と、ワーグナー達を見送った後の片づけに着手した。
 「ねえ、ワーグナーが『JOKERS』に嫌われてる理由ってさ」と帰りのタクシーでアマデウスが後部座席から助手席に問うた。

「あたしがルーイの息子だからよ。あいつらの方が、何十年も付き合いがあるのに、赤子同然のあたしにルーイが仕事を回すから嫌われてるの。あたしはその理不尽な嫌悪に対抗してるだけ」

 「子供は親を選べないのにね」と言ったワーグナーは車窓から真っ暗な空を見上げた。

 ――この街では、星は光っているのに見えない。

 明くる日、何事もなかったかのように、またルーイが「タンホイザー」に現れた。しかもアマデウスとヴェルディがいない時刻を狙っての確信犯的行動だ。

「聞いてよ。明松かがりさんに怒られちゃった」

「あんたら、別れた割には頻繁に逢ってるわよね……どうせまた余計なことを言ったんでしょ?」

 ワーグナーは酒の在庫確認をしながら片手間にルーイの相手をする。

「君をちょこっと泣かせちゃったって正直に言っただけだよ」

「それが余計だって学びなさいよ!!」

 ルーイはワーグナーに叱られながらも「ふふっ」と笑った。
 ワーグナーがこのキャラクターを演じているのは母親からのお見合い攻撃を避ける為だけではない。
 父親であるルーイが身を置くアンダーグラウンドの視点を知る目的もあると――。
 愛した女性と年輪を重ねられないルーイにも、母親の立場にもなれるメリット。
 そして『抹消』という善にも悪にもなる能力を肯定的に捉える為なのだ。

「優しい子に育ったよねえ……」

「なに、気持ち悪いわね……!! あたしはいつでも優しいわ。それよりも、二度とキョウとラヴィには顔を合わせないようにしてよ!!」

 ルーイが「はーい」と気の抜ける返事をした時、カウベルが鳴ってヴェルとアマデウスが帰ってきた。
 今宵も空に星は見えない。

to be continued...
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