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第一部 風の魔物と天狗の子
第四話 閉じられた門
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僧正坊に促されるまま、鞍馬山から南に飛ぶこと一時間弱。羅天は真っ暗な伏見稲荷大社の中腹で、己の視野の狭さを恥じていた。
「……忘れてた……ここは人間どもが肝試しをする場所にしてるってこと。再三、聞かされてきたのに、俺の馬鹿……!!」
つまり参道にまだ人間が存在するのだ。厄介なことに、もうすぐ夜の二時――丑の刻と言われる人間界と人ならざる者が住まう幽界の境が曖昧になる時刻だ。人間は本当に神隠しにあったり、妖を見たりしようものなら大騒ぎするにも拘わらず、一方でそれを楽しむ節がある。
「滝丸みたいだな。根性がねじくれている感じ。……早く帰ってくれねえと俺の目的が果たせないんだけどなあ」
千本鳥居の中からは甲高い女の声が聞こえる。夜目が利く羅天は中空に胡坐をかいて少しでも人が減るのを待った。だが、なかなか人間達は去ろうとしない。稲荷明神はお怒りにならないのだろうか。不敬にも程があるというのに、と羅天は独り言ちる。
やっと人間たちから「早く帰ろう」と聞こえた時、下りの参道から肝試しをしていた人間達の悲鳴があがる。なにごとかと羅天が急いで参道の出口に降り立つと、一人の少女が腰を抜かしていた。
羅天の視線に気づいたのか、二人の視線が交わると少女はまた叫んだ。
「――ぎゃああ!! 今度は鳥人間!?」
「あ、しまった……」
姿を隠すことを忘れて少女に近づけば、少女は後退る。羅天はぽりぽりと後頭部を掻いた。こういう時は記憶を消すに限るのだが、それを行使するには少女に近づかなければならない。蒼褪めて池の鯉のように口をパクパクとしている人間に、羅天は触れるどころか、近づくこともためらわれた。
「おい、とっとと楽にしてやるから近寄らせろ」
「しゃ、喋った……!!」
「天狗が喋るのは当たり前だ!!」
「……あんた、天狗なの!? 羽根はあるけど嘴も無いし、若いし、鼻も長くないじゃん!?」
「お前、烏天狗と木の葉天狗の知識がごちゃ混ぜだな。……って、人間で区別がつく方が珍しいか。まあ、いいや。俺は忙しいんだ。下の境内までは連れて行ってやるから、早く帰れ」
少女はぽかんとしていたが、今度はむくれて「帰る場所なんかないもん」とぐずり始めた。
「はあ?」
「だから!! 帰ろうにも門が閉められちゃって帰るに帰れないの!!」
いよいよ羅天も困惑を極めた。こんな夜半に出歩いたから、家の門扉を親に閉められてしまったのか。それは自業自得ではないのか。そう告げようとしたら、少女が「あの世に繋がる門が……有名な死者が逃げ出しちゃったとかで、つい昨日交通事故で死んだ私は入れないんだって」ととんでもない事実を暴露した。
「お前、死人かよ!! それよりも隠り世が閉じている……? そんなの、いの一番に太郎坊様の耳に入るだろうに。なんで誰も知らないんだ……?」
「知らない。門番も『開けられない』の一点張りで、私みたいにあの世に行けない連中がうようよしてる」
『刻渡りの時計』が盗まれただけでも危急を要する案件なのに「隠り世」から死者が脱走し、死者があの世に行けないなど前代未聞だ。最澄について調べるのも、照魔鏡探しも、全部後回しだ。羅天は早急に鞍馬山へとってかえそうと羽根を広げたが、なにかが飛行を阻む。見れば、少女の浮遊霊が羅天の袴の片足に抱きついていた。
「馬鹿!! なにやってんだ、離せ!!」
「離さない!! 天狗だろうが、ちゃんと相手してくれたのはあんたが初めてなんだもん!!」
先刻の人間達よりも騒がしい二人の「離せ」「離さない」の大騒ぎを聞きつけたのか、狐火が二人を取り囲み始めた。
「し、しまった……!!」
「明神様のお膝下で騒ぐのはおやめください」
狐火を引き連れてやってきたのは獅子ほどもある大きな体躯をした真珠色の白狐だった。羅天らとは対照的に静かな声で二人を諫める。
羅天は膝を折り、急いで地に頭が付きそうなほど頭を下げた。
「申し訳ございません!! 俺……いや、私は鞍馬天狗衆の末席に名を連ねる羅天と申す者。此度は仲間の仇である風魔の足跡を追ってこの地に参りました。時刻もわきまえず、明神様の地をお騒がせしましたこと、平にお詫び申し上げます……!!」
正座をして謝る羅天の後ろに隠れて、浮遊霊の少女は「今度は喋る狐ぇ……?」と涙声で羅天の背後で呟く。
稲荷明神の使いはふうと悩まし気な息を吐くと、憂いを帯びた青い目を細めた。
「風魔の陰陽師殿と鞍馬天狗の諍いは聞き及んでおります。彼ならば、明神様に預けておられた霊符を取りにいらしてからは消息はしれません。ですが、そこな娘――あの世の門が閉じられている、というのは詳しく説明願えませんか?」
「あ、あたし……!? あ、あたしは京都国際大学付属高校の二年生で、伏見区に住んでいた木下祭です。昨日、学校からの帰り道に駅から家まで歩いていたら突っ込んできた車に跳ねられました。今日がお葬式で、昼にあの世の門の前に送られたのに門番に入れて貰えなくて、仕方なくお稲荷様にあちらに入れてもらえるようにお祈りしにきました。騒いでごめんなさい」
祭という少女の説明に、明神の使いはまたふうと息を吐いた。羅天は正直なところ、一刻も早く鞍馬山にこの事を知らせたくてそわそわとしている。それを見破った白狐が「落ち着かれませ」と羅天を諭す。
「隠り世は隠蔽体質がありますゆえ、死者が脱走したなど公表は致しません。問題は誰が逃げ出したのかということ。祭とやら、門番は他に何も言っておりませんでしたか?」
「ええっと、脱走を手引きしたやつがいるとかいないとか……あたしが知っているのはこれくらいです」
「充分有益な情報です。ご協力感謝致します。一刻も早く、貴女があの世に行けるよう、明神様にお願い致しましょう――ところで羅天殿」
「はい」
「この事態を八大天狗様にお伝えくださいまし。我々は安倍清明様にご助力を乞います。隠り世の門がいつから閉じているのかを可及的速やかに判明させねばなりません。ここまで申し上げれば、解りますね」
最澄は狐に大きく頷いた。昨日死んだ祭が現世を彷徨っているのならば、『刻渡りの時計』を盗んだ羅天の異母兄・滝丸の霊魂もまだ現世に留まっている可能性が高い。黒幕を吐かせる好機だ、と羅天はまた使いの狐に深々と礼をして祭に居直る。
「貴重な情報をありがとうな。ちゃんと言ってなかったけど、俺は鞍馬天狗の羅天だ。お前がきちんとあの世で幸せになれるように祈ってる――じゃあな」
なにかを言いかけた祭を振り払い、羅天は高々と再び空に舞い上がった。羅天が北の一番星の方にあっという間に消えてしまい、祭は「忙しいなあ……。人の話は最後まで聞きなさいよ」と唇を尖らせたのを羅天は知らない。
◇
伏見行きの時よりも速く、疾風が如く――翼が傷んでも羅天は鞍馬山の霊殿に向かって飛んだ。一時間近くかかった往路に対して、復路は四十分ほどで鞍馬山の霊殿に転がり込んだ。
「おい、大丈夫か!?」
「い、いいから……そ、じょうぼ、さま、たち、を……げほっ!!」
痛む喉や血が滲む羽根の付け根に構わず、八大天狗の招集を頼んだ。世話焼きの仲間に瓢箪に入った神水を無理やり飲まされて、喉はなんとか回復した。しかし、歩みは足がもつれるので水を飲ませてくれた年長の天狗に担がれるように羅天は霊殿に連れてこられた。
「いったい伏見で何があったというんじゃ、羅天よ」
「僧正坊様、隠り世から死者が脱走した為に門が閉じられて、最近の死者は中に入れないそうです。もしかしたら滝丸の霊魂もまだ現世にあるかも……!! 見つけ出したら『時計』を盗んだ犯人も付き止められるかと、明神様のお使いがおっしゃっていました」
「隠り世の門が閉じておるじゃと……!? 黄泉大神様からそんな話は一言も届いてはおらぬぞ。誰ぞ、八大天狗を主殿に集めよ!! それと五人衆へも伝令じゃ!!」
僧正坊にこれ以上の負担を強いたくは無かったが、今はそんな悠長なことは言っていられない状況である。羅天はずきずきと痛む羽根の治療を断り、僧正坊の後に続いて霞む視界を擦って霊殿に入った。
「……早く滝丸の霊魂を捕縛しないと……風魔よりも先に……!!」
うなされるようにそう呻いた羅天は、神水を飲ませてくれた世話焼き天狗に八大天狗が集まる前に衣服を引っぺがされ、傷ついた羽根にも容赦なく薬を塗りたくられてぐったりと横たわっている。傷から熱が出てきたせいか、頭が朦朧とするのを必死で羅天はこらえた。
夜行性の妖である天狗が暢気に眠っていたとは思えないが、八大天狗が全員集まる時間があまりにも長く感じてならない。ようやく全員が集まった時には羅天はようやく深呼吸ができたように感じる。
八大天狗の前で上半身が裸で包帯まみれの醜態をさらしながら、伏見での話をもう一度たどたどしく話すと、太郎坊がきびきびと八大天狗それぞれに役割を振り分ける。
「僧正坊殿、鞍馬五人衆への伝令は済んでおろうな」
「はっ、使いの者が既に到着しておる頃かと」
「よろしい。では、各々方は先ほど割り振った役割通りに」
「無駄や」
太郎坊の指示がこれから発揮されようと大天狗らが腰を上げた時に聞こえた無情な響き。
「清明……」
「貴殿が陰陽師の安倍清明、か。無駄とはどういうことか説明願おう」
太郎坊の無表情な顔にもどこか緊張が走る。清明も、平素ののらくらとした様子は微塵も感じず、どこか哀愁すら感じた。
「失礼ですけど、挨拶は省かせてもらいますえ。こちらも頭が痛い出来事やからなあ。滝丸の霊魂を保護しようとしたら、不覚にも最澄に先回りされてしもうた――滝丸の霊魂はもうこの世にもあの世にもあらへん……」
「そ、んな……」
羅天は細い糸で繋ぎ止めていた意識がぷつりと切れる音を聞いた。眠る様に気を失った羅天の痛々しい姿を見て、清明も胸が痛む。
「清明、いくら風でこちらの動向を把握しておるとは言え、最澄の行動は早すぎる。陰陽師である点を差し引いても、もうバケモノじゃ……」
僧正坊は震える声で、中庭につっ立ったきり霊殿に入ってこようとしない清明に最澄の異常性を説いた。
「私かて同じ意見ですわ。あれは何よりも知恵が回る。誰よりも度胸がある。死もいとわん度胸が一番厄介や。どうやら諏訪でとんでもない力をつけてしもうたみたいでなあ。千年を生きる私も、もうあの魔物を止めることはできひんやろうな……命を賭しても」
師弟の関係が消えても、長年成長を見守ってきた弟子の変貌に清明も憔悴しているようだ。最澄にとって姉の家族がどれほど大切だったのか、変わりゆく最澄の姿からその存在の重きを知る。
最澄の復讐を正当化する気はさらさらないが、滝丸とその背後で暗躍する存在に僧正坊も強い怒りを覚えた。怒りは涙となって墨色の床板に溜まった。とうとう膝から崩れ落ちて嗚咽を漏らして泣き始めた僧正坊を責める者はいなかった。
――最澄、お前もこんな風に素直に泣けたんやったら、まだバケモノにならずに済んだんやろか。
清明は遠い地に居る愛しいバケモノに思いを馳せる。見上げた夜空には月光が叢雲を彩って彩雲を作っていた。
清明が「お月さんはいつでも知らんふりで綺麗なまま。罪作りやなあ」と歌ったのを、僧正坊は生涯忘れられないと思った。
続...
「……忘れてた……ここは人間どもが肝試しをする場所にしてるってこと。再三、聞かされてきたのに、俺の馬鹿……!!」
つまり参道にまだ人間が存在するのだ。厄介なことに、もうすぐ夜の二時――丑の刻と言われる人間界と人ならざる者が住まう幽界の境が曖昧になる時刻だ。人間は本当に神隠しにあったり、妖を見たりしようものなら大騒ぎするにも拘わらず、一方でそれを楽しむ節がある。
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千本鳥居の中からは甲高い女の声が聞こえる。夜目が利く羅天は中空に胡坐をかいて少しでも人が減るのを待った。だが、なかなか人間達は去ろうとしない。稲荷明神はお怒りにならないのだろうか。不敬にも程があるというのに、と羅天は独り言ちる。
やっと人間たちから「早く帰ろう」と聞こえた時、下りの参道から肝試しをしていた人間達の悲鳴があがる。なにごとかと羅天が急いで参道の出口に降り立つと、一人の少女が腰を抜かしていた。
羅天の視線に気づいたのか、二人の視線が交わると少女はまた叫んだ。
「――ぎゃああ!! 今度は鳥人間!?」
「あ、しまった……」
姿を隠すことを忘れて少女に近づけば、少女は後退る。羅天はぽりぽりと後頭部を掻いた。こういう時は記憶を消すに限るのだが、それを行使するには少女に近づかなければならない。蒼褪めて池の鯉のように口をパクパクとしている人間に、羅天は触れるどころか、近づくこともためらわれた。
「おい、とっとと楽にしてやるから近寄らせろ」
「しゃ、喋った……!!」
「天狗が喋るのは当たり前だ!!」
「……あんた、天狗なの!? 羽根はあるけど嘴も無いし、若いし、鼻も長くないじゃん!?」
「お前、烏天狗と木の葉天狗の知識がごちゃ混ぜだな。……って、人間で区別がつく方が珍しいか。まあ、いいや。俺は忙しいんだ。下の境内までは連れて行ってやるから、早く帰れ」
少女はぽかんとしていたが、今度はむくれて「帰る場所なんかないもん」とぐずり始めた。
「はあ?」
「だから!! 帰ろうにも門が閉められちゃって帰るに帰れないの!!」
いよいよ羅天も困惑を極めた。こんな夜半に出歩いたから、家の門扉を親に閉められてしまったのか。それは自業自得ではないのか。そう告げようとしたら、少女が「あの世に繋がる門が……有名な死者が逃げ出しちゃったとかで、つい昨日交通事故で死んだ私は入れないんだって」ととんでもない事実を暴露した。
「お前、死人かよ!! それよりも隠り世が閉じている……? そんなの、いの一番に太郎坊様の耳に入るだろうに。なんで誰も知らないんだ……?」
「知らない。門番も『開けられない』の一点張りで、私みたいにあの世に行けない連中がうようよしてる」
『刻渡りの時計』が盗まれただけでも危急を要する案件なのに「隠り世」から死者が脱走し、死者があの世に行けないなど前代未聞だ。最澄について調べるのも、照魔鏡探しも、全部後回しだ。羅天は早急に鞍馬山へとってかえそうと羽根を広げたが、なにかが飛行を阻む。見れば、少女の浮遊霊が羅天の袴の片足に抱きついていた。
「馬鹿!! なにやってんだ、離せ!!」
「離さない!! 天狗だろうが、ちゃんと相手してくれたのはあんたが初めてなんだもん!!」
先刻の人間達よりも騒がしい二人の「離せ」「離さない」の大騒ぎを聞きつけたのか、狐火が二人を取り囲み始めた。
「し、しまった……!!」
「明神様のお膝下で騒ぐのはおやめください」
狐火を引き連れてやってきたのは獅子ほどもある大きな体躯をした真珠色の白狐だった。羅天らとは対照的に静かな声で二人を諫める。
羅天は膝を折り、急いで地に頭が付きそうなほど頭を下げた。
「申し訳ございません!! 俺……いや、私は鞍馬天狗衆の末席に名を連ねる羅天と申す者。此度は仲間の仇である風魔の足跡を追ってこの地に参りました。時刻もわきまえず、明神様の地をお騒がせしましたこと、平にお詫び申し上げます……!!」
正座をして謝る羅天の後ろに隠れて、浮遊霊の少女は「今度は喋る狐ぇ……?」と涙声で羅天の背後で呟く。
稲荷明神の使いはふうと悩まし気な息を吐くと、憂いを帯びた青い目を細めた。
「風魔の陰陽師殿と鞍馬天狗の諍いは聞き及んでおります。彼ならば、明神様に預けておられた霊符を取りにいらしてからは消息はしれません。ですが、そこな娘――あの世の門が閉じられている、というのは詳しく説明願えませんか?」
「あ、あたし……!? あ、あたしは京都国際大学付属高校の二年生で、伏見区に住んでいた木下祭です。昨日、学校からの帰り道に駅から家まで歩いていたら突っ込んできた車に跳ねられました。今日がお葬式で、昼にあの世の門の前に送られたのに門番に入れて貰えなくて、仕方なくお稲荷様にあちらに入れてもらえるようにお祈りしにきました。騒いでごめんなさい」
祭という少女の説明に、明神の使いはまたふうと息を吐いた。羅天は正直なところ、一刻も早く鞍馬山にこの事を知らせたくてそわそわとしている。それを見破った白狐が「落ち着かれませ」と羅天を諭す。
「隠り世は隠蔽体質がありますゆえ、死者が脱走したなど公表は致しません。問題は誰が逃げ出したのかということ。祭とやら、門番は他に何も言っておりませんでしたか?」
「ええっと、脱走を手引きしたやつがいるとかいないとか……あたしが知っているのはこれくらいです」
「充分有益な情報です。ご協力感謝致します。一刻も早く、貴女があの世に行けるよう、明神様にお願い致しましょう――ところで羅天殿」
「はい」
「この事態を八大天狗様にお伝えくださいまし。我々は安倍清明様にご助力を乞います。隠り世の門がいつから閉じているのかを可及的速やかに判明させねばなりません。ここまで申し上げれば、解りますね」
最澄は狐に大きく頷いた。昨日死んだ祭が現世を彷徨っているのならば、『刻渡りの時計』を盗んだ羅天の異母兄・滝丸の霊魂もまだ現世に留まっている可能性が高い。黒幕を吐かせる好機だ、と羅天はまた使いの狐に深々と礼をして祭に居直る。
「貴重な情報をありがとうな。ちゃんと言ってなかったけど、俺は鞍馬天狗の羅天だ。お前がきちんとあの世で幸せになれるように祈ってる――じゃあな」
なにかを言いかけた祭を振り払い、羅天は高々と再び空に舞い上がった。羅天が北の一番星の方にあっという間に消えてしまい、祭は「忙しいなあ……。人の話は最後まで聞きなさいよ」と唇を尖らせたのを羅天は知らない。
◇
伏見行きの時よりも速く、疾風が如く――翼が傷んでも羅天は鞍馬山の霊殿に向かって飛んだ。一時間近くかかった往路に対して、復路は四十分ほどで鞍馬山の霊殿に転がり込んだ。
「おい、大丈夫か!?」
「い、いいから……そ、じょうぼ、さま、たち、を……げほっ!!」
痛む喉や血が滲む羽根の付け根に構わず、八大天狗の招集を頼んだ。世話焼きの仲間に瓢箪に入った神水を無理やり飲まされて、喉はなんとか回復した。しかし、歩みは足がもつれるので水を飲ませてくれた年長の天狗に担がれるように羅天は霊殿に連れてこられた。
「いったい伏見で何があったというんじゃ、羅天よ」
「僧正坊様、隠り世から死者が脱走した為に門が閉じられて、最近の死者は中に入れないそうです。もしかしたら滝丸の霊魂もまだ現世にあるかも……!! 見つけ出したら『時計』を盗んだ犯人も付き止められるかと、明神様のお使いがおっしゃっていました」
「隠り世の門が閉じておるじゃと……!? 黄泉大神様からそんな話は一言も届いてはおらぬぞ。誰ぞ、八大天狗を主殿に集めよ!! それと五人衆へも伝令じゃ!!」
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太郎坊の指示がこれから発揮されようと大天狗らが腰を上げた時に聞こえた無情な響き。
「清明……」
「貴殿が陰陽師の安倍清明、か。無駄とはどういうことか説明願おう」
太郎坊の無表情な顔にもどこか緊張が走る。清明も、平素ののらくらとした様子は微塵も感じず、どこか哀愁すら感じた。
「失礼ですけど、挨拶は省かせてもらいますえ。こちらも頭が痛い出来事やからなあ。滝丸の霊魂を保護しようとしたら、不覚にも最澄に先回りされてしもうた――滝丸の霊魂はもうこの世にもあの世にもあらへん……」
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羅天は細い糸で繋ぎ止めていた意識がぷつりと切れる音を聞いた。眠る様に気を失った羅天の痛々しい姿を見て、清明も胸が痛む。
「清明、いくら風でこちらの動向を把握しておるとは言え、最澄の行動は早すぎる。陰陽師である点を差し引いても、もうバケモノじゃ……」
僧正坊は震える声で、中庭につっ立ったきり霊殿に入ってこようとしない清明に最澄の異常性を説いた。
「私かて同じ意見ですわ。あれは何よりも知恵が回る。誰よりも度胸がある。死もいとわん度胸が一番厄介や。どうやら諏訪でとんでもない力をつけてしもうたみたいでなあ。千年を生きる私も、もうあの魔物を止めることはできひんやろうな……命を賭しても」
師弟の関係が消えても、長年成長を見守ってきた弟子の変貌に清明も憔悴しているようだ。最澄にとって姉の家族がどれほど大切だったのか、変わりゆく最澄の姿からその存在の重きを知る。
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清明は遠い地に居る愛しいバケモノに思いを馳せる。見上げた夜空には月光が叢雲を彩って彩雲を作っていた。
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