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急
Ⅶ, SOL y SOMBLA (前)
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Ⅶ、「SOL y SOMBLA」(前)
ユーリの妊娠発覚から三カ月が過ぎた。
精密検査の結果、ユーリにヒト因子はやはりなかった。しかし、どういう奇跡が働いたのか、ユーリの子宮には確かに胎児が育っている。主治医はアンダーグラウンドに通じているが、闇医者ではなく、正規の医師免許を持った女医だ。少なくとも、ユーリと子供が実験動物にされる心配はない。
「ユーリちゃんは骨盤が小さく、体型も少し細すぎるので、帝王切開になるでしょう。どんなトラブルが起こるか解らないので、安定期までは入院して頂きます。安定期が過ぎて胎児にも問題が無いようでしたら、軽めの運動を取り入れておうちで過ごしてください」
痩せ型で、きりりとした目の女医は、諭すようにそう告げた。
「『異界侵攻』は……どうなってるんだろう?」
ユーリがしきりに口に出すのはそればかりだ。
一度だけ、メフィストを始め『魔界』の者達が入れ替わり立ち代わりやってきたが、みな曖昧に話題をぼかす。
唯一、ベルフェゴールだけが「スペアがいい仕事してくれてるよ」とだけ教えてくれた。彼もまたすぐに去って行ってしまったので、詳しい状況は聞けなかったが、スペアが稼働しているということは『異界』はもう攻めてきているのだとユーリは覚った。
「こんな大事な時に動けないなんて……」
子供が憎い訳じゃない。雪の為にも、自分の為にもこの子を元気に産みたいと思っている。
だが、歯がゆい。
仲間達が命を賭して戦っている時に、先頭に立たなければならない立場なのに今のユーリにはその役が果たせない。
「気持ちは解るけどさあ、お腹の子が流れちゃったらどうすんのよ。あんた、またうじうじ気にするでしょ。だったら、前線はあたし達に任せて。あんたのポジションはあんたしか立てないんだから、信じなさい」
べリアルが見舞いに現れた時の言葉を、ユーリは繰り返し反芻する。外からは暮れなずむ街のビル群に差し込む夕陽が濃い影を作る。
「……光と影。SOL y SOMBLA――光と影の境目、か。私がまた戻るべき場所……」
エルのような漆黒と、茜色に彩られた窓の外の風景。
季節は、秋へと向かっていた。光でも影でもなくても、戻る場所があるのだと自身に強く言い聞かせる。
◇
第三次異界侵攻は、これまでとは全く違うスタイルで火蓋が切られた。
一か月前、唐突にノラの身体に入った犬神が単身で『魔界』に攻め込んできたのだ。メフィストの結界も嘲笑うかのようにすり抜け、『魔界』の絶対不可侵伝説を破壊した。
ルシファー率いる四将らも総がかりで戦っているが、既に『魔界』の三分の一が焦土と化した。
「……ったく、ノラの身体のくせにまるっきり動きが違うな。戦いにくいったらありゃしねえ」
腕に包帯を巻きつけながら、ベルゼブブが文句を垂れる。ルシファーとユーリ・スペアが二人がかりでなんとか犬神と拮抗を保っている状態だ。四将が下手に介入すれば、悲惨な状況になるだろう。
「なんとか、もう一つ――攻めの一手が欲しいですね。『魔界』が吹き飛んでも構わないなら、王だけにお任せしてスペアは下げさせるべきなのでしょうけれど、それではお嬢様に危害が及ぶ……」
「宰相閣下、あの方は……」
アスモデウスの一言に、メフィストは嘆息する。
「あまり期待はしない方がいいでしょう。どうせ気まぐれ。または機をてらってらっしゃるのかもしれませんが、外界の戦力に頼るようでは『魔界』の名折れです」
メフィストの言葉に、アスモデウスは黙った。幸いなのは、『魔界』は酸雨に覆われているせいで、水と風の神を取り込んだ犬神に、水や風を通して会話や行動が見聞きできないことだ。この特殊な酸雨は『魔界』固有の物質として、ルシファーが創造した物質なので、いくら神界の力を以てしても、ルシファーとメフィスト以外に雲と雨を散らせないという利点がある。
実質、犬神も酸雨で全力が発揮できないのか、確実な一手はない。
「この均衡状態もいつまで続くのかしらね」
べリアルは浅い息をしながら、壁に凭れていた。メフィストに「あまり喋るな」と叱られた。
つい数時間前の戦闘で、ルシファーの援護に回っていたべリアルは犬神の薙刀で腹を貫かれたのだ。なぜかメフィストの治癒術が効かず、戦線離脱を余儀なくされた。
「今の戦況は?」
バロールがぱたぱたと飛んできて、焦土となった地で犬神と激しく打ち合うルシファーとユーリ・スペアが見て取れた。
「……やはりスペアは下げさせたいところですね」
「王様と一騎打ちさせる気? そのつもりなら亜空間を作れって命令がくるわよ」
ユーリ・スペアを護りながらも、果敢に攻める王からの合図は何も無い。四将は、それをじれったく感じる。
決めの一手とまではいかずとも、なにか空気を変える一手が欲しい――誰もがそう願った時、ルシファーの様子が変わった。
スペアを抱いて、犬神から大きく後退した。
そこへ犬神自身を直撃した落雷――。
「ぎゃあああ!!」
犬神は『魔界』を震わす大絶叫を上げて、薙刀に縋りながら座り込んだ。
「この雷は……!!」
濛々と立ち込める煙の中から現れたのは、十本の腕に武器を掲げ、獅子に乗ったエキゾチックな美しい女神だった。
「ドゥルガー!!」
ドゥルガーは焼け焦げた身体で立ち上がろうとする犬神の額に、突進し、剣を刺した。
「……おノれ……」
恨みが込められた一言を残して、犬神は霧散するように消えた。死体に入っているせいで魂を断ち切らなければ、犬神は死なない。だが、脆弱なノラの身体に入っているせいで、落雷の直撃はかなり痛手だったはずだ。
ドゥルガーは、スペアだと解っていながら獅子に乗ったまま、ユーリに頭を垂れた。
「シヴァの命令か?」
ルシファーの問いに、ドゥルガーはふるりと否定の意として首を横に振る。そして、武器を持っていない手で、ユーリ・スペアの頬をさらりと撫でた。
「……ドゥルガー?」
病室に居ながら、ユーリは柔らかに頬を撫でられた感触を確かに感じていた。世界を隔てていても、言葉はなくとも伝わる想い。
「……ありがとう……!! 力を貸してくれるのね」
病室のユーリは暖かい手に、そっと涙した。
『魔界』では一筋の涙を流して、ドゥルガーに笑いかけるスペアの行動に、一同は驚愕する。ガルは完璧なユーリのダミーとしてスペアを造ったが、感情である魂は入っていない。要するに、生きる人形だ。人形であるはずなのに、スペアはドゥルガーに感謝の意を表した。
「バグでしょうか?」と怪訝な声を上げたメフィストに、「もう!! 情緒が無いわね!!」と腹から血を吹き出しながらべリアルが噛みついた。
◇
一旦、王城に引き上げてきたルシファー、スペア、ドゥルガーを四将が迎える。
「ガル、スペアの微調整をお願いします」
「あいよ」
しかし、スペアはドゥルガーにくっついたまま、なかなか離れようとしない。
「えらく懐かれたな」
ルシファーをキッと睨む仕草など、まさしくユーリだ。スペアであってもお守りをしている気分になる。
そんなルシファーを尻目に、ドゥルガーはスペアの丸い後頭部を撫でるとガルの方へと緩やかに押しやった。後ろ髪を引かれるように、ちらちらとドゥルガーに視線を送りながら、スペアはガルの後ろを付いて行った。
「どうなってんの? スペアに感情なんか無いはずだろ?」
改めて疑問を口にするベルフェゴール。その質問を受けて、ルシファーはドゥルガーが乗る獅子に「お前か?」と尋ねた。
白い獅子は「如何にも」と答えた。圧力を感じる低い女の声だ。
「シヴァの命令……ではないな。あの隠者は自身に危害が及ばぬ限り動かん。となれば、パールヴァティか?」
「左様。パールがえらくあの娘を気にするのだ。しかし、彼女は戦えぬ。シヴァ様も彼女を離さない。ゆえに妾が来たのだ」
「なるほど」と呟くと、ルシファーはドゥルガーの部屋を用意するよう、メフィストに命じ、自身は寝室のある奥の宮へと消えて行った。
メフィストはドゥルガーを客間へと案内していると、彼女から不意の問いがあった。
「宰相殿は星をご覧になったか?」
「ええ、ひょっとしてユーリ様の御子ですか?」
「やはり貴殿も目をつけたのだな」
「不明瞭な点が多すぎましたので……」
「賢明な判断だ。だが、案ずるな。少なくとも犬神の息子のような凶星ではない」
星詠みもメフィストの趣味の一環だが、ユーリの腹の子は何も見えなかったのに、ドゥルガーははっきりと言い切る。当然ながら「その根拠をお伺いしても?」とメフィストは返す。
「覆い隠すモノに悪意が感じられぬからだ。今の妾にも、これ以上は言えぬがな。あれも……何者かが犬神対策にで隠しておるのだろうよ」
あの天幕のようにすっぽりと覆い隠されたユーリの子供――凶星ではなく、犬神に害されないよう「産まれてくることが必然とされている」とすら受け取れる。
「……まさか……いや、決めつけるのは早計だな……」
ドゥルガーを部屋へと送り届けた後、メフィストは天窓から見える緑の雲を見上げた。
◇
ユーリは予定日よりも三週間早く産気づいた。赤い月が煌々と光る夜のこと。
急ぎ手術室に担ぎ込まれたが、ユーリは輸血ができない。その為、裏ルートでヴィンセントがユーリの血によく似た薬を神界から仕入れてきたが、手術室の前で誰もがひたすらに祈るしかなかった。
一方、『魔界』には再び 犬神が現れた。
今度はドゥルガーも参戦し、一進一退の攻防が何時間も続いた。犬神に疲弊した様子が見られず、ルシファー達もさすがにおかしいと感じ始めていた。
「もしかしたら、魔性石を手に入れた恐れがあるな」
「気配が以前とは全く異なる。その可能性は大きい」
ルシファーと意見を同じくしたドゥルガーは、弾かれたように空を見上げ「おお……天幕が下ろされる。やはり御子こそ新たな救世主の生まれ変わりであられたか……!!」と、随喜の涙を流した。
「どういう意味だ?」
「魔王よ、ユーリと御子を護れ。どちらが欠けてもならぬ――伝えてくれ、妾は誇りを持って戦女神として散るのだ、と!!」
「ドゥルガー!!」
誇り高き戦の女神は、大薙刀を縦横無尽に振るう犬神の猛攻を、十本の腕で薙ぎ払いながら自らも突進する。
ルシファーの制止も、離れた神界で杯を静かに傾けるシヴァも、半身であるパールヴァティの声なき慟哭も、すべてを受け入れてドゥルガーは犬神の中心に埋め込まれた魔性石に剣を突き刺した。
――自身と獅子が縦に裂かれようとも、彼女は微笑んでいた。
(……ああ……御子よ、お生まれになったか。……ユーリよ、母なる其方の姿、天より見守っておりますぞ……)
ドゥルガーが絶命し、その背後からルシファーの手甲剣「プレアデス」が犬神の首を刎ねた。
同時刻――ユーリは性別のない子供を産んだ。その額には星と白十字の痣があり、母の腕の中で泣いている。
to be continued...
ユーリの妊娠発覚から三カ月が過ぎた。
精密検査の結果、ユーリにヒト因子はやはりなかった。しかし、どういう奇跡が働いたのか、ユーリの子宮には確かに胎児が育っている。主治医はアンダーグラウンドに通じているが、闇医者ではなく、正規の医師免許を持った女医だ。少なくとも、ユーリと子供が実験動物にされる心配はない。
「ユーリちゃんは骨盤が小さく、体型も少し細すぎるので、帝王切開になるでしょう。どんなトラブルが起こるか解らないので、安定期までは入院して頂きます。安定期が過ぎて胎児にも問題が無いようでしたら、軽めの運動を取り入れておうちで過ごしてください」
痩せ型で、きりりとした目の女医は、諭すようにそう告げた。
「『異界侵攻』は……どうなってるんだろう?」
ユーリがしきりに口に出すのはそればかりだ。
一度だけ、メフィストを始め『魔界』の者達が入れ替わり立ち代わりやってきたが、みな曖昧に話題をぼかす。
唯一、ベルフェゴールだけが「スペアがいい仕事してくれてるよ」とだけ教えてくれた。彼もまたすぐに去って行ってしまったので、詳しい状況は聞けなかったが、スペアが稼働しているということは『異界』はもう攻めてきているのだとユーリは覚った。
「こんな大事な時に動けないなんて……」
子供が憎い訳じゃない。雪の為にも、自分の為にもこの子を元気に産みたいと思っている。
だが、歯がゆい。
仲間達が命を賭して戦っている時に、先頭に立たなければならない立場なのに今のユーリにはその役が果たせない。
「気持ちは解るけどさあ、お腹の子が流れちゃったらどうすんのよ。あんた、またうじうじ気にするでしょ。だったら、前線はあたし達に任せて。あんたのポジションはあんたしか立てないんだから、信じなさい」
べリアルが見舞いに現れた時の言葉を、ユーリは繰り返し反芻する。外からは暮れなずむ街のビル群に差し込む夕陽が濃い影を作る。
「……光と影。SOL y SOMBLA――光と影の境目、か。私がまた戻るべき場所……」
エルのような漆黒と、茜色に彩られた窓の外の風景。
季節は、秋へと向かっていた。光でも影でもなくても、戻る場所があるのだと自身に強く言い聞かせる。
◇
第三次異界侵攻は、これまでとは全く違うスタイルで火蓋が切られた。
一か月前、唐突にノラの身体に入った犬神が単身で『魔界』に攻め込んできたのだ。メフィストの結界も嘲笑うかのようにすり抜け、『魔界』の絶対不可侵伝説を破壊した。
ルシファー率いる四将らも総がかりで戦っているが、既に『魔界』の三分の一が焦土と化した。
「……ったく、ノラの身体のくせにまるっきり動きが違うな。戦いにくいったらありゃしねえ」
腕に包帯を巻きつけながら、ベルゼブブが文句を垂れる。ルシファーとユーリ・スペアが二人がかりでなんとか犬神と拮抗を保っている状態だ。四将が下手に介入すれば、悲惨な状況になるだろう。
「なんとか、もう一つ――攻めの一手が欲しいですね。『魔界』が吹き飛んでも構わないなら、王だけにお任せしてスペアは下げさせるべきなのでしょうけれど、それではお嬢様に危害が及ぶ……」
「宰相閣下、あの方は……」
アスモデウスの一言に、メフィストは嘆息する。
「あまり期待はしない方がいいでしょう。どうせ気まぐれ。または機をてらってらっしゃるのかもしれませんが、外界の戦力に頼るようでは『魔界』の名折れです」
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実質、犬神も酸雨で全力が発揮できないのか、確実な一手はない。
「この均衡状態もいつまで続くのかしらね」
べリアルは浅い息をしながら、壁に凭れていた。メフィストに「あまり喋るな」と叱られた。
つい数時間前の戦闘で、ルシファーの援護に回っていたべリアルは犬神の薙刀で腹を貫かれたのだ。なぜかメフィストの治癒術が効かず、戦線離脱を余儀なくされた。
「今の戦況は?」
バロールがぱたぱたと飛んできて、焦土となった地で犬神と激しく打ち合うルシファーとユーリ・スペアが見て取れた。
「……やはりスペアは下げさせたいところですね」
「王様と一騎打ちさせる気? そのつもりなら亜空間を作れって命令がくるわよ」
ユーリ・スペアを護りながらも、果敢に攻める王からの合図は何も無い。四将は、それをじれったく感じる。
決めの一手とまではいかずとも、なにか空気を変える一手が欲しい――誰もがそう願った時、ルシファーの様子が変わった。
スペアを抱いて、犬神から大きく後退した。
そこへ犬神自身を直撃した落雷――。
「ぎゃあああ!!」
犬神は『魔界』を震わす大絶叫を上げて、薙刀に縋りながら座り込んだ。
「この雷は……!!」
濛々と立ち込める煙の中から現れたのは、十本の腕に武器を掲げ、獅子に乗ったエキゾチックな美しい女神だった。
「ドゥルガー!!」
ドゥルガーは焼け焦げた身体で立ち上がろうとする犬神の額に、突進し、剣を刺した。
「……おノれ……」
恨みが込められた一言を残して、犬神は霧散するように消えた。死体に入っているせいで魂を断ち切らなければ、犬神は死なない。だが、脆弱なノラの身体に入っているせいで、落雷の直撃はかなり痛手だったはずだ。
ドゥルガーは、スペアだと解っていながら獅子に乗ったまま、ユーリに頭を垂れた。
「シヴァの命令か?」
ルシファーの問いに、ドゥルガーはふるりと否定の意として首を横に振る。そして、武器を持っていない手で、ユーリ・スペアの頬をさらりと撫でた。
「……ドゥルガー?」
病室に居ながら、ユーリは柔らかに頬を撫でられた感触を確かに感じていた。世界を隔てていても、言葉はなくとも伝わる想い。
「……ありがとう……!! 力を貸してくれるのね」
病室のユーリは暖かい手に、そっと涙した。
『魔界』では一筋の涙を流して、ドゥルガーに笑いかけるスペアの行動に、一同は驚愕する。ガルは完璧なユーリのダミーとしてスペアを造ったが、感情である魂は入っていない。要するに、生きる人形だ。人形であるはずなのに、スペアはドゥルガーに感謝の意を表した。
「バグでしょうか?」と怪訝な声を上げたメフィストに、「もう!! 情緒が無いわね!!」と腹から血を吹き出しながらべリアルが噛みついた。
◇
一旦、王城に引き上げてきたルシファー、スペア、ドゥルガーを四将が迎える。
「ガル、スペアの微調整をお願いします」
「あいよ」
しかし、スペアはドゥルガーにくっついたまま、なかなか離れようとしない。
「えらく懐かれたな」
ルシファーをキッと睨む仕草など、まさしくユーリだ。スペアであってもお守りをしている気分になる。
そんなルシファーを尻目に、ドゥルガーはスペアの丸い後頭部を撫でるとガルの方へと緩やかに押しやった。後ろ髪を引かれるように、ちらちらとドゥルガーに視線を送りながら、スペアはガルの後ろを付いて行った。
「どうなってんの? スペアに感情なんか無いはずだろ?」
改めて疑問を口にするベルフェゴール。その質問を受けて、ルシファーはドゥルガーが乗る獅子に「お前か?」と尋ねた。
白い獅子は「如何にも」と答えた。圧力を感じる低い女の声だ。
「シヴァの命令……ではないな。あの隠者は自身に危害が及ばぬ限り動かん。となれば、パールヴァティか?」
「左様。パールがえらくあの娘を気にするのだ。しかし、彼女は戦えぬ。シヴァ様も彼女を離さない。ゆえに妾が来たのだ」
「なるほど」と呟くと、ルシファーはドゥルガーの部屋を用意するよう、メフィストに命じ、自身は寝室のある奥の宮へと消えて行った。
メフィストはドゥルガーを客間へと案内していると、彼女から不意の問いがあった。
「宰相殿は星をご覧になったか?」
「ええ、ひょっとしてユーリ様の御子ですか?」
「やはり貴殿も目をつけたのだな」
「不明瞭な点が多すぎましたので……」
「賢明な判断だ。だが、案ずるな。少なくとも犬神の息子のような凶星ではない」
星詠みもメフィストの趣味の一環だが、ユーリの腹の子は何も見えなかったのに、ドゥルガーははっきりと言い切る。当然ながら「その根拠をお伺いしても?」とメフィストは返す。
「覆い隠すモノに悪意が感じられぬからだ。今の妾にも、これ以上は言えぬがな。あれも……何者かが犬神対策にで隠しておるのだろうよ」
あの天幕のようにすっぽりと覆い隠されたユーリの子供――凶星ではなく、犬神に害されないよう「産まれてくることが必然とされている」とすら受け取れる。
「……まさか……いや、決めつけるのは早計だな……」
ドゥルガーを部屋へと送り届けた後、メフィストは天窓から見える緑の雲を見上げた。
◇
ユーリは予定日よりも三週間早く産気づいた。赤い月が煌々と光る夜のこと。
急ぎ手術室に担ぎ込まれたが、ユーリは輸血ができない。その為、裏ルートでヴィンセントがユーリの血によく似た薬を神界から仕入れてきたが、手術室の前で誰もがひたすらに祈るしかなかった。
一方、『魔界』には再び 犬神が現れた。
今度はドゥルガーも参戦し、一進一退の攻防が何時間も続いた。犬神に疲弊した様子が見られず、ルシファー達もさすがにおかしいと感じ始めていた。
「もしかしたら、魔性石を手に入れた恐れがあるな」
「気配が以前とは全く異なる。その可能性は大きい」
ルシファーと意見を同じくしたドゥルガーは、弾かれたように空を見上げ「おお……天幕が下ろされる。やはり御子こそ新たな救世主の生まれ変わりであられたか……!!」と、随喜の涙を流した。
「どういう意味だ?」
「魔王よ、ユーリと御子を護れ。どちらが欠けてもならぬ――伝えてくれ、妾は誇りを持って戦女神として散るのだ、と!!」
「ドゥルガー!!」
誇り高き戦の女神は、大薙刀を縦横無尽に振るう犬神の猛攻を、十本の腕で薙ぎ払いながら自らも突進する。
ルシファーの制止も、離れた神界で杯を静かに傾けるシヴァも、半身であるパールヴァティの声なき慟哭も、すべてを受け入れてドゥルガーは犬神の中心に埋め込まれた魔性石に剣を突き刺した。
――自身と獅子が縦に裂かれようとも、彼女は微笑んでいた。
(……ああ……御子よ、お生まれになったか。……ユーリよ、母なる其方の姿、天より見守っておりますぞ……)
ドゥルガーが絶命し、その背後からルシファーの手甲剣「プレアデス」が犬神の首を刎ねた。
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