BLUE BLOOD BLOOM

紺坂紫乃

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Ⅵ, 星辰

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Ⅵ、「星辰せいしん



 ――酸雨の雲に覆われた『魔界』
 ベルフェゴールは、緑色の重たく厚い雲から小雨程度の酸雨を浴びながら瓦礫をひょいひょいと飛び越え、城の中へと入って行った。

「ご苦労、ベルフェゴール。新婚夫婦はだませたか?」

「お嬢さんだけね。たぶんお兄さんは感づいているっぽいな。あの人、頭がいいし冴えてるから変なことは口にできなくて、ひやひやする」

 ふうとようやく開放感を覚えたベルフェゴールは、ぼりぼりと後頭部を掻いた。
 王は雪の勘が鋭い部分を気に入っている。案の定、口だけでにやりと笑った。ベルフェゴールは怠惰を装っはてはいるが、発言には細心の注意を払っている。

「で、そちらの塩梅は? まだ奴らも動かないにしても、時間の問題だろ?」

 ベルフェゴールは空中に拡大されたバロールのホログラムスクリーンに溜息を吐いた。


 画面にピックアップされているのは――ノラだった。


「犬神が悪趣味なのは今更だけど、息子の死体に入るなんてね。妊婦には死んでも言えないわよ。ましてや、あの泣き虫小娘には……」

 べリアルの心底嫌そうな表情は、スクリーンのノラ――もとい、犬神に唾棄でもしそうな勢いである。

「べリアル、大股開きになってる。ミニスカでそれは辞めて欲しい。切実なお願い」

「うっさい、睡眠魔!! こっちは全然暴れられなくてストレスが限界まで溜まってんのよ!!」

 いつも通りのヒステリックな声に辟易としながら、べリアルを無視して、ベルフェゴールは玉座でバロールを撫でつつ、スクリーンを眺めるルシファーに進言する。

「王様、この映像じゃなくてもさ、死神様と聖女様にはノラの中身が犬神だって、早めに伝えておいた方がいいと思うんだ。中途半端に隠して、お嬢さんにバレるのは最悪だし、保険はかけておいても損はないんじゃない?」

「一理あるな。だが、犬神が『世界の目』を失くしたとしても、『異界』が慎重に動いている以上、こちらも安易に動けん。『世界の目』はなくとも、奴が手に入れた神の能力はそれに勝らずとも劣らん――さて、どうメッセンジャーを選別したものか……」

 メフィストではなく、ルシファーがここまで過敏になるのは極めて珍しい。
 謁見の間に妙な緊張感が走る。

 「できれば避けたかった方法ですが」と前置きしてメフィストが口を開いた。

焔天伝えんてんでんは如何でしょう?」

「……それか。あとでシヴァがやかましいぞ」

「犬神の目を欺けるのは火の神・アグニのみゆえ御寛恕ください」

 ルシファーも諦めたのか、「任せる」とだけメフィストに告げた。

「では、早速取り掛かります。失われた術ですから、反黄道宮に籠もります。なにか御用があれば、お呼び出しください」

「わかった」

 メフィストはアスモデウスに同行を頼み、二人は謁見の間から出て行った。

「ルシファー様、エンテンデンって?」

 べリアルが大股を閉じて、まだスクリーンに気を配るルシファーに尋ねた。

「炎に古代文字を浮かび上がらせる通信術だ。もう忘れて久しい高等魔法ゆえに安全性も高いが、水鏡のように直接こちらの姿を映せず、風のように声を届けることができん。長く生きているお前達でも知らないぐらいには廃れた秘術だ。ついでに使うとアグニを通すから、シヴァから必ず文句というおまけまで付いてきやがる……」

「ああ……それでメフィストはアスモを連れていったってか。面倒くせえなあ」

「シヴァの嵐みたい文句に耐えられるの、アスモくらいだもんね」

 ベルゼブブとベルフェゴールが口々に言いたい放題だ。そして視線は自然とべリアルに向く。

 ――こいつには絶対アスモデウスのように耐えられないな、と。
 
 「なによ!!」と叫ぶべリアルは機嫌が最底辺のようだ。触らぬべリアルに祟りなし。全員が何事もなかったかのようにスクリーンの監視に戻った。





「きゃあ!!」

 一方、ユーリの見舞いの為、一旦埼玉の道場に荷物を取りに来ていたジャンヌが台所に立つと、火をつけていないコンロの一つから大きな火柱が立った。

「ジャンヌ、大丈夫? 火傷は!?」

「無いわ。ありがとう、リリィ。それにしても……この火柱、なに?」

 オレンジ色の炎は換気扇にまで達しているのに、換気扇は燃えてはいない。次第に炎の中心に記号のようなものが浮かびあがってきた。ジャンヌとリリィが不審に思っていると、叫び声を聞きつけてきたヴィンセントが眉をしかめる。

「……メフィストだな。こんな秘術を持ち出してくる辺りから想像するに犬神対策か。『魔界』はえらく慎重になってやがる」

「ヴィンセント、読めるの?」

「なんとかな」

 ヴィンセントは短く答えると、手に赤い薔薇の花を一輪、炎の中に投げ入れる。すると火柱は何事もなかったかのように消えた。

「……厄介な」

 メフィストからの注意喚起を読み終えると、ヴィンセントは歯噛みする。

「なに? 解説してよ」

 ジャンヌに急かされたヴィンセントは「少し待て」と居間にあったメモ用紙にボールペンで反転させたフランス語を書いていく。

『犬神は火神・アグニを除く神々を取り込み、ユーリが殺した犬神の息子・ノラの死体の中に入って侵攻の準備を進めている。なお、これは極秘事項の為、ユーリには絶対に話すな』

 二人はごくりと息をのんだ。メモ用紙も乱雑に破り捨てて、ヴィンセントはメモ用紙をコンロの火にくべた。

「行くぞ。ユーリと雪が待ってる」

 二人はひとつ頷くと、持ってくるように頼まれた荷物を持って道場を後にした。高速に乗ったところで、ジャンヌが後部座席の二人に尋ねた。

「ねえ、雪のピアスの片割れはリリィが隠しているんでしょ? 産まれてきた子供には、どうするの?」

「どうもこうも必要ない。雪のピアスはあくまでユーリの救済措置だ。子供にはリリィの羽根を与えてやれば十分な加護になる――問題は……」

「ユーリは『神殺し』の白十字を持って産まれてこなかった。まだ四週目。性別は解らない――もしもユーリの子が女の子だったら、隔世遺伝で白十字を持って産まれてくる可能性があるわ……」

 ジャンヌは小さく「その可能性は失念していたわね……」と呟く。リリィは右手を握りしめる。
 確率は二分の一。
 例えユーリの子が女児であっても、神から見放された『BLUE ROSE』から産まれてくるのならば、『神殺し』の証である白十字を避けられるかもしれない。

「願わくば……」

 リリィは白十字と共にある凄惨な過去を思い出し、祈る。
 
 ――願わくば、ユーリの子はただの人間でありますように。

 ヴィンセントは、そっと妻の細い肩を抱き寄せる。願いは同じなのだ。





 メフィストは魔法陣の上に置いた銀杯の火柱から怒涛のように浴びせられた文句は、心を無にして聞き流していた。アスモデウスがうまく相槌を打ってくれたが、実に二時間にも及ぶシヴァの苦情に、どっと疲れが増した。

「宰相閣下、しばし休まれよ。結界の敷設に重なる禁術や秘術の行使――肝心な時に貴方様に倒れられては元も子もありませんぞ」

 アスモデウスの気遣いを、普段なら断るところだが、メフィストはありがたく受け入れることにした。さすがに疲労困憊こんぱいだ。あの自尊心の権化のような神の苦情さえ無ければ、もうひと踏ん張りできたかもしれないが、あれほどの罵詈雑言ばりぞうごんによく耐えたと思う。

「――では、王に一言、報告を上げたら少々休ませてもらいますよ……。あの退屈野郎、アグニ奪還に王とお嬢様が協力したのを忘れてらっしゃるのでしょうか? ああ、隠遁いんとん生活が長すぎてボケの進行が早いのかもしれません」

「閣下……やはり早く休まれた方がよろしかろう……」

 日頃は冷静沈着なメフィストだが、本性はかなりの短気だ。べリアルといい勝負かもしれない。そんな彼がシヴァの愚痴が八割の術によく耐えたとアスモデウスは思う。

「シヴァ様ですが、妙なことをおっしゃっていましたなあ。あの方らしくないと言いましょうか……しかし、レディはやはり王を動かされるだけあって、不思議な魅力を持っていらっしゃる」

「ご両親や婚約者殿の養育の賜物か、はたまた彼女の天性の才能か……まあ、気に入らない相手ですが、頂けるものはありがたく受け取っておきましょう」

 メフィストは「ここだけの話」と続ける。

「お嬢様は『BLUE ROSE』です。しかし、面白いことに同じ『BLUE ROSE』のノラは凶星を背負っていたのに、彼女の星の巡りは悪くないのですよ――実に興味深い方です」

 メフィストの言葉に、アスモデウスは感嘆の声をあげる。説教好きで毒舌家のメフィストがこんな風に他者を褒めるのは滅多にないことだ。

「では、レディの御子は、いかがです?」

「それがですね、不思議なことにまるで見えないのです。死神殿や聖女様のお力でも、お嬢様の力でもない。まるで星自体が真実を告げまいとしているような感じです。いったいどのような御子なのか、実に興味深い」

 メフィストは眼鏡を押し上げた。アスモデウスは言及を避ける。

 神でも人でもない『BLUE ROSE』のユーリは星に愛され、その子供はこの世に産まれ落ちていないのに、星が隠す――これが一体なにを意味するのか、誰にも皆目見当がつかなかった。

 解るのは、波乱はまだ収まらないという事実だけ――。


to be continued...
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