BLUE BLOOD BLOOM

紺坂紫乃

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Ⅲ, 散華抱く腕(かいな)

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Ⅲ、「散華抱くかいな


 シヴァとエルを伴って降り立った『異界』は、太陽が無く、地面をどこまでも深く掘り進めたようなクレーター型地下空洞だけの世界だった。所々に蝋燭の灯りが揺れ、草の一本も生えない荒涼とした灰色の大地だ。
 地下空洞の中央には大穴が空いていて、そこからは鼻を覆いたくなる獣の匂いがする。

「この真下に犬神がおると見ゆる」

「ああ、風の流れも悪い。早々に決着をつけないと、俺達はともかくユーリが持たん」

 二人にはこの匂いが気にならないらしい。エルはユーリを軽々と持ち上げて、肩に乗せる。

「真下には……飛び込むは早計。ならば、小娘には悪いが迂回するが、耐えられるか?」

「なんとか。耐えてみせますから、お気遣いなく」

「では参ろう」

 シヴァが駆けだした。尋常じゃないスピードだ。エルが肩に乗せてくれた理由が今になって解る。ユーリでは、シヴァには追いつけない。
 追い風で目を開けているのもやっとだが、先頭を行くシヴァは、立ちはだかる『異界』の者達を刹那の間に半月刀一本で片付けていく。エルは最低限の露払いだけ。ユーリに至っては、連れてこられた必要性をあまり感じないが、この戦いを見届ける責務がある。どんな巨体や重装備の兵士であろうとも力だけでねじ伏せていくシヴァの表情は、破壊神に相応しく嬉々としていた。

(……もしかしなくても、私はとんでもない相手に喧嘩売ったかもしれない……)

 二日前の己の行動を顧みて、ユーリは反省した。エルが「無謀なじゃじゃ馬」と称したのが否定できない。
 そうこうしていると、地下空洞の中層に差し掛かった。大穴へは螺旋階段のようになっていて、岸壁には数え切れない洞穴が空いていた。そこからぞろぞろと兵士が出てくるので、ここが『異界』に住む者の居住区のようだ。
中層から先に進もうとした時、大穴から耳をつんざく咆哮が響いた。地下空洞全体が揺れる。

「い、犬神……」

「我らの侵入を告げているのか、はたまた一気に取り込んだ神々との同化に苦しんでいるのか――どちらでも良いが、後者ならばいい君だ」

「アグニが犬神の体内で抵抗をしていると、解るの……ですか?」

「無論だ。しかし、急いで損は無い――行くぞ」

 再び脇目もふらず、走り出したシヴァの後ろを、エルはユーリを片手で支えながら追う。

「ねえ、エル。アグニ以外の取り込まれた神様って、助けられないの?」

「シヴァとアグニは特例だ。解りやすく言えば、シヴァとアグニは二つで一つだった。極端な言い方をすれば、一つじゃなければいけなかった存在を強引に二つに分けた。引き裂かれた半身は、破壊と火――それぞれの役目に順守していたところを犬神に奪われた。他の連中には残念ながら、シヴァとアグニのように強く引きつけ合う者がいない」

「強力な繋がりがこちら側に無いから助け出せない?」

「平たく言えば、そういうことだ」
 シヴァとアグニのように絶対的な因果関係が無い神々は助け出せない。ただ犬神に同化していくのを待つだけ。俯きかけたユーリを、硬い声をしたシヴァが叱咤する。

「おい、どうやら面倒なのが出てきおったぞ」

 シヴァの前に立ちはだかったのは、大薙刀を構えたノラだった。

「父さんのところには行かせない」

「父さん……ということは、貴様が息子の『BLUE ROSE』か」

 シヴァも半月刀を構える。

「待って!!」

 今にも二人の打ち合いが始まりかけたのを制したのはユーリだった。エルの肩から飛び降りて、脇差を手にした。

「こいつは私が相手をします。シヴァ、貴方は犬神のところへ行って下さい。時間が惜しいでしょ?」

 シヴァはわずかにに驚いたが、ユーリとノラの因縁を瞬時に理解したのか、半月刀を収めた。

「よかろう。込み入った事情は聞かぬ」

「ありがとうございます」

 シヴァは軽やかにノラを飛び越えて、見えなくなった。

「ま、待て!!」

 振り返るノの行く手をエルが阻む。ノラは舌打ちを漏らした――同時に身体が反射で石突を振り上げる。ギィンと鋼が震える音がする。

「あんたの相手は私。今日こそ決着をつける」

「ユーリ……」

「エル、手は出さないでね」

「いいだろう」


 エルの返事は短い。ふとノラが笑った。

「別に二人がかりでもいいんだよ? ボクには地形の有利がある。ハンデは必要ない?」

「要らない」

 薙刀との戦い方は、ノヴォシビルスクの前に『魔界』の連中に徹底的に教わった。どう考えても長物と脇差ではユーリが圧倒的に不利なのだが、ユーリは武器を変えようとはしなかった。
 武器も不利、加えて地形も不利――なのに、ユーリは一歩も引かない。エルは黙って無感動に傍観者に徹するのみだ。
 ユーリは岩壁を足掛かりにして、縦横無尽に薙ぎや突きを放つノラの猛攻を紙一重で避ける。
 今は防御に徹することを最優先にした。
 正面から突かれた時だけ、足で薙刀の穂先に近い部分を踏みつけ、急所を狙う。
 ノラも紙一重で避ける。目の横を掠った。
 エルが動かないとは解っていながらも、その存在がちらちらと目の端に入るせいで、嫌でも気になる。ユーリが最初からこれを狙っていたとは思えない。おそらく入れ知恵をするなら、エルの方だ。

(……くそっ、武器も地形も有利を取っていながら、なぜ決定打がない……!?)
 
 焦れるノラの額にじわりと汗の珠が浮く。
 ノラは決して体格に恵まれてはいない。だが、子供の頃から武器は大薙刀以外を使おうとは思わなかった。同じ長物なら槍という選択肢もあったが、無意識に手に取ったのは薙刀だったのだ。

「ねえ……左手、そろそろ限界じゃないの?」

 ノラはユーリの左腕が僅かながら震えているのを指摘する。左手一本を犠牲にしながら、ユーリは戦っていた。それはノヴォシビルスクの時から気づいていたが、ここまで長時間酷使するのは初めてのはずだ。

「だから何? あんたこそいつになったら本気になるのよ。エルは絶対に手出しはしない。狸の置物だとでお思っていればいいじゃない」

「こんなでかい置物なんか必要ない、よっ――!!」

 渾身の力で突いた。
 避けられても、薙刀は穂先だけではなく、柄尻にあたる石突いしづきすら武器だ。
 案の定、左腕で突きを回避したユーリの脇腹に今度は確かに石突が入った。

「く、ぅあああ!!」

 ユーリは呼吸すら忘れる痛みに抗いながら、脇差を逆風に振り上げる。
 それは多分に偶然だったが、切っ先がノラの左顔を斬った。

「う、く、ぅ……!! どこまで、貪欲なのさ……」

 頬の下から額まで見事に裂かれた。
 左眼はもう使い物にならないだろう。流血を押さえながら、ユーリとノラはふらふらになりながら、また得物を構え直す。

「……ノラ……ひとつだけ聞きたい。この不毛の地で、犬神を妄信的に信じられるのはなぜ? ここに降り立った時、私は、自分がどれほど恵まれていたかを実感したよ。同時に、あんたが私に固執する訳も。最後の捨て駒だとしか思わない父親でも、あんたがここまでして護る価値を知りたい」

 先ほどの脇腹への一撃で肋骨が折れているか、粉砕しているはずだ。呼吸もどんどんと荒くなるユーリの質問にノラは声を上げて笑い始めた。

「護る価値? とうの昔に忘れたよ。話したところで、もう君が理解してくれるとも思っていない……!! ボクは、『BLUE ROSE』だ……!! 最後に人界で『暴走』すればいい。ただそれだけだ――初めて出逢った神界でのことを覚えてる? あの時、ボクは君なら解ってくれると信じていたんだ」

 ゆら、と左顔から血を流しながらノラは薙刀の切っ先を揺らす。

「でも、君が『聖騎士パラディン』となったと聞いて、君がボクらと徹底的に対立する気なのだと知って諦めはどんどんボクを空虚にした。空っぽだ……ボクは。だから、捨て駒でいいんだ。もう『ノラ』の存在意義がそれしかないなら、喜んで駒になる。最後の最後に利用してくれればいい!!」

 どこにそんな余力が残っていたのだろうか。
 ユーリも、ノラも――どちらが倒れるのが先かとエルは傍観していた。

 ――おそらく、最後の一撃を攻撃に転じられたのは「帰っておいで」という雪の言葉と両腕だった。

 ユーリは無意識だったかもしれない。
 ノラは左側が死角であると、冷静に考えて行動したとは思えなかった。

 しかし、ユーリは的確にノラの心臓を貫いていた。

「……ユ、リ……は、はは……」

「……お別れよ、ノラ……」

 ノラは大量の血を吐いた。それはノラに抱きつくように脇差を指しているユーリの肩にかかった。

「……や、っと……だ……は、めて……抱き、しめ……くれ……」

 つぅ、とノラの頬を熱い雫が一筋だけ流れた。

 ――ユーリ、君は柔らかいね。なんだろう。花のような匂いもするよ。

(……ボクは、花を何一つ知らないけれど……)

 ユーリが残る力の全てで引き抜いた刃は、金色の光が見えないほど紅く濡れている。

 ノラは目を開けたまま、スローモーションのように暗い空を仰ぎながら――倒れた。

 ユーリは一歩歩くだけでも眩暈がする痛みを堪えながら、倒れたノラの右側に座り込んだ。

「おやすみ、ノラ」

 開いたままの瑠璃色の瞳に、そっと手を置いた。伏せられた瞼の向こうで、ノラは何を見ているだろう。

「エル……死者は冥府めいふへ行くのよね?」

「そうだ」

「冥府は、何者でもない『BLUE ROSE』も受け入れてくれる?」

「冥府に受け入れられなかった、という報告は聞いたことが無い」

「そう……じゃあ、今度こそノラは居場所があるのね……」

 エルは答えなかった。いや、答えてくれたかもしれないが、ユーリがそれを耳にする前に意識を失ったのだ。
 エルは真っ青になっているユーリを抱き上げ、ノラの薙刀を持ち上げた。

「俺にできるのは、これくらいだ」

 薙刀をノラの頭の上に刺して、エルはくるりと踵を返した。
 
 どうか死者の国が、ノラに優しくありますように。
 
 ユーリはエルに抱かれ、半ば眠りながらそんなことを祈った。

to be continued...
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