BLUE BLOOD BLOOM

紺坂紫乃

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Ⅰ, 第二次異界侵攻:Distruction

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Ⅱ、「第二次異界侵攻:Destruction」


 ノラを殺す――一気に現実味が増した問題に直面していたら、いつの間にか日が暮れている。どうやら天気が崩れそうだ。ソファに座って、窓の外を見ると鈍色の雲が垂れこめていた。
 キッチンからは、また夕飯の匂いがする。昼は焼き物が多かったから、夜は煮物だろうか。母が作る野菜が大きくごろごろと入ったポトフがユーリは大好物だった。
 どうでもいいことで無理やり脳を支配して、ユーリはまたクッションを抱きしめる。

「嬢ちゃん、お待たせ」

 来なくていいとは言えない。B2は「こっちも混乱中でおおわらわよ」と疲れ気味に話す。

「昼に話してくれた殺されたスパイの件じゃないの? パパが言うには、犬神が時の神様だったクロノスを捕食してその力を得たんじゃないかって言ってけど」

「さすが死神様。俺らが頭を痛めているのはそれ」

「詳しく聞かせて――!!」

 「王とメフィストが言うには」から始まり、B2達が調べ上げた犬神の実態にユーリは戦慄した。
 第二次侵攻により、犬神に食われた神格保持者はクロノスを始め十柱にも及ぶ。風水火土の四大元素と司る神々、太陽神の息子、空の神、海の神、草花の神、鉄の神が喰われた。

「待ってよ、それって……殆ど地球丸ごと犬神は手に入れたってことじゃないの!?」

「そうとも言える。名のある神々を一気に取り込んだせいで、犬神も形を保てていない。俺達がノヴォシビルスクで見た犬神はもうどこにもいねえんだ」

「そんな……そんな相手と、どう戦えば……」

「おっと、弱気になるなよ、大将。あんたには俺達が付いているんだ。犬神がどうなろうが、特殊武器を使う俺達の敵じゃねえ。問題はだな、今は自我も身体も保てない犬神が新しい身体を得たら厄介だ。まずはそれを阻止する。王とメフィストが言うには、十もの神を取り込み、形態を創るには最低でも四年から五年はかかるそうだ」

 四年から五年――ユーリが生きていられる間に犬神を殺せるだろうか。ノラを仕留め、尚且つ犬神が新形態をとる前に殺す。やるしかないか、とユーリは親指の爪を噛んだ。

「ねえ、犬神が新しい形で出てくる前に、ノラを殺すのが先決よね?」

「まあ、そうだな。けど、犬神に形が無いからって、何もしてこねえとは限らないだろ。現にうちのスパイは殺されてんだ。今、急ピッチでメフィストが対犬神用の結界の術式を組んでいるが、その間に嬢ちゃんには別の任務をこなしてもらいてえ」

「別の任務?」

 おそらくはエルの発案なのだろうが、あまりいい予感はしない。ユーリはB2の言葉を待った。

「メフィストは結界敷設で手が離せねえ。だから王と二人で神界の外れに住んでいる破壊神シヴァとその嫁さんのドゥルガーの助力を嘆願して来て欲しい」

 シヴァとドゥルガー――名前だけはユーリでも知っている。インド神話の最高神だったと記憶している。

「どうして破壊神と奥さんの力が必要なの? 『魔界』勢が居てくれれば戦力としては充分だと思うけど」

 B2は「話せば長くなるんだが……」と真剣な語調に変わった。
 犬神に喰われた火を司る神アグニは、シヴァと同一視される解釈が存在する。しかし、万神庁は、シヴァは破壊を、アグニは火を司るよう命じ、シヴァはその身を分けられた。つまりシヴァの半身が犬神に取り込まれたことになる。
 これに憤慨したシヴァは、半身を取り戻さんと単身で犬神討伐を目論んでいるという。犬神が自我と形態を保てないのは、取り入れた神の中にアグニが同化を拒んでいる力が相当に大きいとルシファーは仮定している。
 なによりも半身であるシヴァが犬神に屈する気は毛頭ない。破壊神としての誇り高き闘心が、半身だけであれ、犬神に抗い続けている。

「だから犬神の新しい身体が出来上がるまでに四年以上かかると踏んだのね」

「そうだ。難しい交渉だとは解っているが、なんとかシヴァとドゥルガーをこちらの陣営に引き込みてえんだ」

「……わかった。行くわ。エルの準備は?」

「万端整っている」

 ソファから二メートルほど離れた窓際に、エルが立っていた。いつも通り、黒衣に身を包んで闇に溶けてしまいそうな佇まいだ。

「もう行くの?」

「今から飯なんだろう? 別にその後でいい。シヴァに動きがあれば、バロールが伝えてくれる手筈だ」
 エルと話していると、キッチンからひょっこりと顔を出した母が「あら」と声を上げる。リリィにつられて顔を出したヴィンセントは盛大に顔を顰めた。

「なんでてめえがここにいやがる……?」

「ユーリに仕事があるから連れにきたんだ」

 一触即発の空気に、ユーリはこめかみを押さえる。この二人はとことん相性が悪い。
 しかし、空気を読んだのか、読んでいないのか、リリィがぽんと手を叩いて「出かけるなら、エルも夕飯を食べていってね」と無邪気に笑うものだから、ユーリとヴィンセントは絶句する。

「さすが親子ね。その顔、そっくりよ」

「『聖女』のお誘いとあらば、むやみに断れんな。ありがたく相伴させて頂こう」

 エルも遠慮をしない分、性質が悪い。目が笑っていないのに、口だけで笑っているあたり、余計なことを口走る気に満ち溢れていると見た。
 そしてユーリの予感は現実となる。夕飯の席でちらちらとユーリの視線を感じていたエルはわざとらしく思い出したかのように爆弾を投下した。

「そう言えば、お前はやっと婚約者殿と契ったようだな」

 パンを喉に詰まらせてむせるユーリと、マグカップを片手で粉砕したヴィンセント。リリィとジャンヌも目を丸くしている。

「あんた、それを言う為に食卓についたわね……!?」

「さあ、事実を述べたまでだ。乳臭い匂いが取れてありがたい」

 この男はいつだって嫌がらせに余念がない。わなわなと震えるユーリの隣に座っている父が「ユーリ」と呼ぶものだから、背筋を氷塊で撫でられたように身体が跳ねる。

「言っておくけど、ヴィンセント。十四歳だったリリィに手を出しかけたあんたには雪とユーリを責められないわよ」

 ジャンヌの一言でヴィンセントはピタリと動きを止める。昔の汚点を突きつけられて、ヴィンセントは舌打ちを漏らす。さすがにそれを後追いするほど、エルは下衆では無かったようだ。
 残りの夕飯が食べ終わるまで、ユーリは気が休まらないまま、なんとか完食した。
 だが、家を出る時にまた父が口を利いてくれなくなったので、溜息を我慢できなかった。





「せっかくパパとも普通に喋れるようになってたのに……」

「死神の過保護は俺には理解できん」

「ああ、もう!! そういう問題じゃないって言ってるの!!」

 曇天の人界を離れ、浅葱色の空気に覆われた神界の辺境を、ユーリがエルに八つ当たりしながら歩き続ける。

「ふん、暢気なことを言っていられるもの今のうちだ。見えてきたぞ、あの柿色のドームがシヴァの拠点だ」

 エルが指さしたのはドームを中心に据えた寺院だった。独特の香の匂いが近づくにつれ、強くなる。
 門番は居ない。古びたガジュマルの木材で作られた門扉は、二人が前に立つと勝手に開いた。入って来いと誘っているらしい。
 黄金の獅子が両脇を固めるドームの入り口を一歩踏み越えれば、四方の仏像から光線が放たれた。
樹が焦げる匂いが鼻につく。受け身を取って交わしたユーリは身を低くして、脇差をいつでも抜けるように目を凝らす。

「防衛システム?」

「そんなものは必要ない。なに、ただの戯れよ」

 くつくつと笑う声は男の物。ドームの最奥――祭壇の上で片手に杯を持った男と、杯に酒を注ぐ慈母の微笑みを湛えた女神、そして祭壇の下には獅子に乗った十本の腕を持つ女神がそれぞれ異なる視線をこちらに寄こす。

「久しいのお、ルシフェル――否、今はルシファーか」

「わざと呼び方を変える辺り、性格の悪さは変わっていないな――シヴァよ」

 シヴァは肩を揺らしながら杯の酒を干す。

「半身を奪われておきながら二人の妻に囲まれて酒浸りとは、破壊神も落ちたものだ。そんな体たらくだから、アグニを犬神なんぞに掠め取られる」

 エルの挑発に、シヴァはわかりやすく杯を地に叩きつけて立ち上がった。

「神でも人間でもない小娘の下に服した魔王が我に大きな口を利く」

「俺は誰にもまつろわん。この小娘とも契約を交わしたに過ぎない。安い挑発に乗るものだな、シヴァ」

「くくっ、魔王をここで仕留めるのも新しい趣向か……」

「できるものならやってみろ」

 祭壇の上から獲物を狙う虎のような眼で、エルを見下ろすシヴァ――侍る二人の妻は動じる様子がない。ユーリは脇差でエルの後頭部を小突いた。

「協力をあおぎにきたんでしょ? なんで喧嘩売ってるのよ」

 ユーリの言葉にシヴァは眉間に皺をよせる。

「協力じゃと?」

「申し遅れました。私はユリア=ロゼッタ。薔薇の死神ヴィンセントーーわぷっ!!」

「下賤の娘が……。誰が口を開いていいと言った? 貴様の正体などどうでもいい。次に口を開いたら五体を引き裂くぞ……!!」

 ユーリに供え物の果実を投げつけたシヴァは、なるほど、最高神に相応しくプライドの塊らしい。
 今まで動じなかった祭壇下の獅子に乗った女もゆっくりと獅子に乗ったまま、それぞれの手に持った剣を構えた。

「面倒くさい」

 ユーリが感じた最高神とやらの感想だった。

「なんだと?」

「面倒くさいって言ったの!! エルが――ルシファーが言った通りじゃない。ただ祭壇の上で胡坐をかいているだけのくせに、小娘如きが喋れば怒る。犬神に寝首をかかれたのも納得だわ。その上から降りてこない限り、あんたは破壊神の本領を発揮する前に戦は終わっているわね。ご愁傷さま。エル、帰るわよ――こんな腑抜けの協力なんてやっぱり必要ない」

 ユーリはくるりと踵を返す。エル呆れて嘆息すると、ドームを突如として地鳴りと共に地震が起こった。

「小娘……今一度言うてみよ……。貴様、卑賎でありながら最高神たる我になんと言った……?」

「耳も遠いみたいね!! 何度でも言ってやるわよ!! ほら、こうやって人を見下しておきながら自分は口だけで犬神や『異界』には何も行動を起こさない。そのくせ、初対面で感じたことを見下している相手に口にされれば癇癪かんしゃくを起こす――あんたを最高神と崇めている連中も今の姿を見ればがっかりよ!!」

 地震に耐えながら、なんとか立っているユーリの鼻先にシヴァの顔があった。ガキンと鋼同士が噛み合う音が鳴り響く。

「邪魔をするな!! 魔王!!」

「小娘の戯言ひとつ流せんのか。残念ながら、これを護る契約なのでな」

 ユーリの懐に手甲剣「プレアデス」が盾となってシヴァの刃を防いでいた。怒りに満ち満ちた最高神は、叫び声を上げる。それだけでドームの天井から木材が落ちてくるのを、ユーリとエルは避難に徹した。

「あーあ、お前のせいだぞ。どう収集つけるんだ?」

「わかってるわよ。でも、本当にこの扱いにくい神様の協力が必要なの?」

「怒りやすいが、実力は確かだからな。俺は防衛に徹する。どうせお前には考えがあるのだろう?」

「あんまり自信は無いけど。やってみたい、かな。協力を得られなかったら、その時に考える。こいつ、同盟を組んでも扱いづらそうだし」

 「違いない」とエルは口だけで笑った。叫びを辞めて、目の色が真っ赤に転じているシヴァに向けて、ユーリとエルは飛び出した――。


to be continued...
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