BLUE BLOOD BLOOM

紺坂紫乃

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Ⅸ, カタルシス  (前)

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Ⅸ、「カタルシス」(前)


 酸の雨に溶かされた城壁は危うくても、B1――べリアルはぼんやりと雨に打たれていた。

「それで? 死神が教えてくれた三つのモノを創れば、あの小娘が生き返るって?」

「らしいぜ。あのベルフェゴールが王とメフィストを焚きつけたってんだから、俺は乗るつもりだけど……お前、どうする?」

「アスモデウスは?」

「俺と同じ。いくら王が拒否したからって、嬢ちゃんに随伴しなかったことを多少は気にしてたからな」

 べリアルは「はっ」と笑い飛ばした。隣に立つベルゼブブは、眉間に皺を寄せる。

「嬢ちゃんが死んだの、お前も気にしてたんじゃねえのかよ?」

「そうね。ぶん殴ったばかりのあの子が死んだのは、死神のせいじゃなくて、あたし達のせいだから……胸糞悪かったわ」

 「それなら」と言いかけたベルゼブブの言葉を遮って「だからって都合が良すぎるじゃない!!」とべリアルは叫んだ。

「見殺しにしたのに生き返らせるですって? あたし、今までルシファー様を崇拝していたけど、あの子が死んだって聞いた時ほどルシファー様を恨んだこと無いわよ!!」

 酸の雨が強くなった気がした。ベルゼブブは、黙って聞いている。

「二十歳までの期限付きの護衛……血だらけで殺されかけても、あの子はあたし達を表舞台に引っ張り出したのよ。自分の証明の為に。あたしは……あの子と出逢って初めてこの名前から、憎らしい神が与えた『無価値』の名前から解放された気になってた」

 べリアル――淫蕩いんとうで無価値な堕天使。それが自身だった。ルシファーが堕天する決意をした時は喜んで付いて行った。神界には退屈と恨みしかなかったからだ。
 ルシファーが創り上げた『魔界』で四将の一人に数えられれば、一層本能のままに生きた。無限で、夢幻の時間を満喫していたところを、己と同じ――否、もっと『存在すら何者でもない』小娘がぼろぼろになりながら、愛しい王に啖呵を切ったのだ。
 そんな向こう見ずなところがあるくせに、婚約者以外には心が開けず、血を流す心も、本物の涙すら堪えに堪えている『BLUE ROSE』の娘・ユーリ。彼女の存在に、べリアルは雷に打たれたような衝撃が走ったのを覚えている。

 こちらは彼女が理解できず、向こうはこちらを信じてはくれない。
 腹が立った。
 どんなに諫めても犬神に刃を向ける無鉄砲のくせに、他人との距離を測りかねているアンバランス。直情的な性格は理解していたから、一発殴ってカタルシスを感じられると思ったのに――やはり彼女は予想の上を行く。

 拳で殴り返して来たのだ。

 それからは悪友になれたと思っていたが、死神がイシュタルの反乱の話を持ってきたあの日、べリアルが一瞬でも願ったのは最高神の歪む顔を拝めたらという歓喜が湧きたった。
 しかし、ユーリは単騎で両親を助けに神界に向かった。

「ショックだったのよ……自分を否定するばかりの父親でも、情の深いあの子が助けにむかったことが。そして、神界とは徹底的に隔絶を宣言する王に逆らうこともできず、友人を見殺しにしたって現実が――」

 たった数か月の付き合いで四将の一角が絆(ほだ)されるとは、『無価値』な魔族は受け止めきれない。
 今でもベルフェゴールの発案に腰を上げられない自身は、まだ戸惑っていると嫌でも認める他ない。
やっと顔を上げたべリアルは、化粧が剥げて黒い涙の筋があった。この酸の雨は、どうしてべリアルを溶かしてくれないのだろうかと考えていたら、眼前に靴の裏が迫っていた。

 ベルゼブブの足だ。

「黙って聞いてりゃあ、ぐちぐちぐちぐち……!! てめえ、嬢ちゃんに張り手かましてた勢いはどこに置いてきたんだ、ああ!? 可愛い嬢ちゃんの愚痴なら、適当に相槌打って聞いてやらんでもないけどなあ!! てめえみたいな尻軽のオカマの愚痴ほどイラつくものはねえんだよ!! いいからきりきり働け!!」

「はあ!? かよわいオカマを差別する気!? 汚れた靴で顔を踏むし、さいってー!!」

「なにがかよわいだ。……見ろ、鳥肌立っちゃったじゃんかよ……」

「立っちゃったじゃないわよ!! うんこ王!!」

 バキン、と今度は見えない拳がべリアルの頬を掠って城壁の岩を砕いている。にっこりと笑っているベルゼブブは目と鼻の先で「その名で呼ぶな。殺すぞ」と低い声で脅す。

「過去に囚われているのはお前だけじゃねえ。特に俺達は創造主たる神に創られたんだ。意味を持たせてな。嬢ちゃんとは真逆だ。これは俺の勘だが、王も同じなんじゃねえかな……」

「あの王がまだ神界に未練があるって言いたいの? ありえないわ」

「いや、俺達とは違った意味でだ。だって神界にはアイツが居るだろ?」

 「アイツ」と引き合いに出された者を思い浮かんだべリアルは、ひどく顔をしかめた。

「そう言えば居たわね。久しく名前も聞いてないけど、出てこられたら面倒だわ」

「俺としてはイシュタルという神格の高い女神さえ、『異界』側に就いたという前例ができちまったことで、これから『異界侵攻』は無くても、そういうアプローチは増えるんじゃねえかなって思ってる」

「それは神界から離反者が出て『異界』側の戦力になるって?」

「長年くすぶっている連中はわんさかいるだろ。ありえない話じゃない」

「B2に同感だね。俺は、真の対『異界』戦はこれからだと思ってる。だから、お嬢さんには戻ってきてもらわないと困るんだよ」

 なんの前触れもなく、二人の話に割って入ってきたのはベルフェゴールだ。
 小さな身体でひょいと楽々と城壁を飛び越えて、気だるく頭をぼりぼりと掻く。

「何しに来たのよ」

「君らがサボってるから、呼びにきたんだろ。お嬢さんを生き返らせるのは決定事項なんだ。御託はいいから材料集めと犬神辻道の破壊を手伝ってよ」

 「言っておくけど、拒否権はないからね」とまだ難しい顔をするべリアルに、ベルフェゴールは釘を刺した。べリアルはぐっと押し黙る。

「感傷的になるのは解るけど、きっとお嬢さんは俺達を恨んでないよ」

「はあ? なんの話してんのよ」

「あれ、違った? 俺には君が一番恐れているのは、目覚めたお嬢さんに詰られると思い込んでいるように見えたんだけど」

 どうやら隠していた本音だったらしい。べリアルは極まりが悪そうにそっぽを向いて立ち上がった。

「……何が必要だって?」

 やっと腰を上げたべリアルに、ベルゼブブは口笛を鳴らし、ベルフェゴールは半分閉じた眼のまま、予定を話した。

「死神の話では、集めなきゃいけない三つの蘇生道具は二つの物で構成されるらしい。簡単に創れないように『闇紗』と『青い血』の片割れは死神が持っているから探す必要はない。君達は出雲に行って辻道の呪詛を破壊しつつ、明後日までに『玉の緒』を見つけてきて。――はい、これが地図とヒントね。じゃ」

「あ、お、おい……!!」

 ベルフェゴールはベルゼブブに四つ折りの紙を二枚渡すと、城壁から飛び降りた。着地点には、もうその姿はない。

「くっそ……人遣いの荒い……」

「もうこうなったらヤケクソだわ」

「クソって言うな」

「いちいち反応しないでよ!! 話が進まないでしょ!! ――えーっと、出雲のどこ……って、なによ、これ。暗号じゃない」

 一枚目の紙はメフィストが作った犬神憑きの呪詛が埋められている辻道にマーカーを付けた地図だった。数はざっと見ただけで百は超える。これはそのまま使えるだろう。

 問題は二枚目だった。『玉の緒』について書かれているが、曰く――


『出雲に至りて死を知らざる者あり。彼の者に安息を与えん。さすれば彼の者、あな嬉しやと玉飾りを差し出し、とこしえの旅へと向かう』


 よりにもよって、頭脳労働が苦手な二人にこの任務を回すとは、と二人は紙を眺めながら「どうする?」と同時に尋ねた。

「メフィストが動かず、俺らにこれを渡したってことは出雲に行けば俺らでも解るんじゃねえかな……」

「時間も無いし、行くしかないわよね」

「そうだな。さっさと行こう」

 明後日までに見つけ出せる自信が皆無のまま、べリアルとベルゼブブは出雲の方角へと旅立った。





 一方、『異界』では犬神の不在時を狙った騒動が起きていた。
 ここ数日、イシュタルが敗れたというのに犬神はそれに興味を示さず、なにかを探っているようだ。ノラは深く追及はしなかった。父の考えはいつも突発的ゆえに、ノラが共有する必要はない。
 だが、犬神の不在がどこから漏れたのか、この襲撃は『異界』から情報が漏れたのだろうか。
 ノラは衣服を整えたところを通り過ぎようとした骸骨兵を捕まえた。

「なんの騒ぎ?」

「侵入者です!! 覆面を被っているせいで何者かは解りませんが、たった一人で門を破って……」

「解った。父さんはいないんだ。ボクが出るよ。コロシアムに誘い込んで」

「承知しました!!」

 ノラに命じられた骸骨の兵士は、槍を片手に慌てて部屋を出て行った。

(……一人……なにが目的だ?)

 ユーリではないだろう。彼女の顔は広く知れ渡っている。
ノラは枕元に立て掛けてあった大薙刀を手にしようとした瞬間、背から衝撃を感じた。

「――な、だれ……だ……!!」

 不覚を取った。
 敵の目的はノラ一人だったのだと覚るも、時すでに遅く――。
 ノラは薄れゆく意識の中で、覆面を被った長身の男と目が合った。

(……お前……あの時の……)

 正体が解っても、言葉にならず、ぷつりと意識は暗転した。

「『青い血』の片割れは生きた『BLUE ROSE』の血、か。まるで『BLUE ROSE』は常にこの世に存在しているような気がするのは……俺だけかな」

 覆面の男はノラの血が付いたダガーを手に空洞の天井を辿って、騒ぎを下に聞きながら時空の歪みに飛び込んだ。

「ご苦労だったな」

「大したことないよ。はい、これがノラの血」

 着地も軽やかに、庭の赤い魔法陣の上に立った覆面男に、メフィストは白い布を差し出し、まだ血の乾いていないダガーを受け取る。

「あー、暑かった」

「その身体は何十年ぶりだろうな、ベルフェゴール」

 覆面を取ったベルフェゴールは、身長もメフィストより僅かに高く、アンテナのように立ち上がった髪だけはそのままに、蒸れた黒髪に風を通す。顔も幼さはない。年齢は二十代の始め頃、顔はエルにそっくりだった。

「さあ、数えてないから知らない。俺、ニューヨークでお兄さんの護衛に駆り出されるまで、ずっと寝てたし」

「そうだったな。私もその姿のお前を記憶しているのは、神界を離反する時に王の影武者を演じた一件くらいだ」

「それこそ何千年前の話? メフィスト様、ボケるにはまだ早いでしょ」

 ひょいっと子供の姿に戻ったベルフェゴールに、メフィストは「そうだな」と楽しそうに笑いながらダガーを持って、家の中に入る。
 ユーリが眠る枕元に座っているヴィンセントにメフィストがダガーを差し出すと「仕事が早いな」と述べてそれを受け取った。

「おや、奥方と婚約者殿はいずこへ? 我が王の姿も見当たりませんね」

「リリィは雪と一緒に雪の姉の家だ。俺から連絡するまでそこに泊まっている。魔王は知らん。さっきふらっと出て行ったっきりだ」

 ヴィンセントは血の付いたダガーに手をかざす。するとダガーから紅い血だけが離れて、青い薔薇の花になった。

「この薔薇を月明かりに晒せば、『青い血』が手に入るのですね?」

「そうだ」

「ねえ、死神さん。聞きたいことがある」

 ベルフェゴールの質問にヴィンセントは「『BLUE ROSE』についてか?」と先を予知していたかのように質問を返した。

「確信犯って訳?」

「いや、俺も知ったのはユーリが産まれてからだ」

 ヴィンセントは切窓を開け放ち、窓際に用意していたガラスの一輪挿しに青い薔薇を活けた。
 大輪の青薔薇を見つめ、娘を思い返しながらヴィンセントは罪の告白のように語り始めた。


to be continued...
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