BLUE BLOOD BLOOM

紺坂紫乃

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Ⅶ, 堕ちた戦星(いくさぼし) (後)

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Ⅶ、「堕ちた戦星」(後)


 一部始終をただ眺めていた雪は、ユーリが脱ぎ捨てて行った道着を集めながら「ねえ」と、影の中にいるであろう自身の護衛役B3ことベルフェゴールに尋ねた。

「イシュタルって、愛と豊穣ほうじょうと戦いを司る女神だよね。どうして『異界』側に寝返ったの?」

「それ、俺に訊く? 王様の方が詳しいよ」

 雪は「君の主観でいいんだ」と言った。

「エル――ルシファーは神界はつまらないからと言う態度をちらつかせているけど、きっと神界への思いや遺恨は根深い。天使だった頃の光が強すぎて、彼は影になった。魔王という魔族を束ねる存在に。でも、イシュタルはそうじゃない。どんなに犬神が口八丁で口説き文句を並べたところで、戦いの女神がそう簡単に万神庁を襲撃するとは思えないんだよねえ」

 雪の洞察眼にベルフェゴールは舌を巻いた。頭の回転が速く、知識も豊富だというだけではない。ルシファーがやたらと気に入っていたのも納得できるくらいに、この人間は『人ならざる者』の事情を深く観察し、推察する力を持っている。

万神庁パンテオンってさ、特殊な場所なんだよね。最高神と一口に言っても、人間が作り出した神話の最高神っていっぱいいるだろ? 結局、最も権力を持っているのは、名前の無い、最も信仰を集めている漠然とした『神様』なんだ。俺の言ってること、解る?」

「うん。解るよ。続けて」

「でさ、ヴィンセント・シルバみたいな死神として、確固たる地位に就いている存在の方が少数派なんだよ。殆どが『神格保持者』という曖昧なカテゴライズの中で生きているんだ。だからイシュタルや軍神マルスみたいな『戦争』が起こって、その存在意義を保っている神々からすれば、『異界侵攻』は己の戦力を誇示する絶好の機会になるはずだった。でも、最高神が加護を与えたのは『BLUE ROSE』の『聖騎士』――つまりユーリお嬢さんとその母である『神殺しの聖女』、そして俺達『魔界』だ。イシュタルは元々理不尽で気まぐれな一面も持ち合わせていることで有名だったから、プライドがひどく傷ついたんじゃないかな」

「なるほどね。自らが華々しく戦う舞台を奪われたがゆえに、存在意義を最高神に認識させたかった、か。なんだ、ユーリのことを笑えないじゃないか。神格保持者って存外愚かだね」

 雪はユーリの道着を洗濯籠に放り込むと「もう一つ、いいかな? これは僕の完全なる好奇心なんだけど」とおそらく誰もいない道場の方に歩いていく。

「なに?」

「僕みたいなただの人でも、魔法や力をつけることはできる?」

「お兄さん、それは辞めておいた方がいい」

 影の中のB3が固い声で忠告する。雪はそれだけで事の難しさを覚る。

「不可能ではない。でもハイリスク・ハイリターンなのかな?」

「まあね」

「そっか。僕は歯がゆいんだ。僕は愛する人を護る力を持っていない。相手が人間ならともかく、神格保持者や魔族じゃあね……」

 カラカラと鳴る道場の扉を開けると、やはり誰もいなかった。しん、と耳が痛いほどの静けさが広がる道場に入り、ちょうど中央にあたる場所で雪は正座をして目を閉じる。
 瞑想し、心の平安を保とうと試みるが、頭を支配するのはニューヨークでのヴィンセントの言葉だ。

『これからユーリは悪魔の翼で、どこまでも羽ばたいていく』

 ユーリが戻ってきてくれるなら羽根休めでもいいと、自身に言い聞かせてきた。だが、今は下手をすればもう帰ってこないかもしれない彼女と、その隣に立てない現実が、遅効性の毒のように雪を苛む。





 神界の南――白絶門の正面に展開していたイシュタル軍の布陣に伝令が入った。

「申し上げます!! 白絶門より死神ヴィンセント・シルバが現れたとのこと!!」

 最奥で椅子に座っていたイシュタルは、それを鼻で笑う。

「戦神であるわたくしに死神をよこすか。万神庁はよほど混乱しておるか、はたまたあの男の力を過信していると見える。まあよい。暇つぶしには最適の相手よ。妾が出ようぞ」

 イシュタルは愛刀を手に椅子から立ち上がった。ブーツのヒールを鳴らしながら、頭を垂れる配下の花道を歩くのは非常に気分がいい。本来ならば、戦うべき相手は死神ではなく『異界』のはずだが、この機会に死神をくじけば、最高神も今一度戦に最も適した神が誰であるか、再認識するだろう。

「ふふっ」

 こみ上げる笑いが紅い唇から零れた。万神庁の中枢を手に入れたら、即刻こちらから『異界』へと攻め入る。イシュタルが考える戦略図に穴はない。

「おお、そうじゃ。『BLUE ROSE』などという生き物とも呼べぬような輩も根絶せねばなるまいなあ」

 イシュタルから誇りを奪った万神庁。イシュタルを侮った犬神。どちらも血祭りに上げねば、永きに渡る憤怒は治まらない。

 ――イシュタルは白銀の大鎌を携えた死神の前に立った。







 薔薇の死神ヴィンセント・シルバの隣には、美しいハニーブロンドの女が居た。女連れでイシュタルと戦う気なのか、とイシュタルが怪訝に思っていると、死神よりも先に女が口を開いた。

「女神イシュタル、万神庁への反逆行為および『異界』との不正取引の罪科つみとがで白百合の名の下に神格の剥奪はくだつを宣言します」

 女が右手を翳した途端、地面から青々とした茨が複数生え、イシュタルの四肢を拘束する。

「神格の剥奪じゃと? そうか。お前が『神殺しの聖女』リリィ=アンジェか――ぬるいな」

 イシュタルが拘束された手を拳にすると、茨はほつれる糸のようにぱらりと解けた。

「……神格剥奪を公言されてもまだ戦うだけの力は充分あるってことね。こんな相手は初めてだわ」

 リリィは嫌な汗を感じながら、ヴィンセントに腕を引かれ、雷光を纏ったイシュタルの一閃を避けた。

「下がっていろ。俺が体力を削ったら捕らえられるはずだ。お前はいつも通り、守護天使の指示に従え」

 夫は止める間もなく、リリィを放り出すとイシュタルの剣と切り結ぶ。
 ヴィンセントの大鎌とイシュタルの雷光を放つ長剣――どうにも相性が悪い。
 ぶつかり合う度に、ヴィンセントの手が焼かれる。

「めんどうだな、その剣」

「幾千の戦いに加護を与えてきた剣ぞ!! 死神の大鎌などに遅れは取らぬ!!」

 打ち合うこと、五合――剣を受け止めるごとに手だけでなく、腕まで焼かれるヴィンセントに反して、イシュタルは楽しんでいる節さえある。

「はて、妾を消耗させて捕らえるのではなかったかえ? これでは貴様が炭になる方が早かろうよ」

「よく回る口だな」

其方そなたもなかなかに強情な。その澄ました顔が崩れるのは、さぞ小気味よいであろうなあ――!!」

 イシュタルの手が光る。
 至近距離で放たれたせいで、ヴィンセントの目が眩む。
 戦女神がその好きを見逃すはずは無かった。
 イシュタルは二つに分かたれた雷光剣の片方を――リリィに向けた。

「リリィ!! 避けろ!!」

 守護天使に護られているリリィに攻撃は届かない、はず――そう確信していた。
 しかし、この拭えない不安はなんだ
 ヴィンセントは大鎌と噛み合っていた雷光剣を弾いてリリィの下へと駆けだして、予想もしていなかった光景に目を疑った。

「……ユー、リ……?」

 リリィの前に両手を広げて立っていたのは、身体の前面が焼けただれている娘の姿だった。

「……パ……ママ、は……だい、じょ……」

 錆ついたブリキ人形のような動きで、背後にいる母の無事を確認しようとしてユーリはバランスを崩し、倒れた。

「ユーリ!!」

「……なに、やってんだ……お前……」

 母に抱きかかえられてぴくりとも動かない娘に、ヴィンセントは硬直したまま問いかける。
 返事は無い。

「なんでひとりでここに居る!? お前が『魔界』から引っ張り出して来た連中はどうした!! おい、答えろ……答えろ、ユーリ!!」

「やめて、ヴィンセント……お願い、だから……もうこの子を責めないで……」

 ユーリの亡骸なきがらを抱きしめてリリィは声を上げて泣き叫んだ。

「ほほほほほ!! これは重畳。青い瞳のバケモノが自ら飛び込んでこようとは!! 蛙の子は所詮は蛙。これで『聖騎士』は消えた!! 最高神の御目を覚まして頂く計画に爪の先程度の役には立ったのお」

「黙れ」

 イシュタルの高笑いは、空間の歪みにかき消される。

「な、なにごとか……!?」

 最高神以外の干渉を受けつけない神界――それも万神庁を覆う空が危うく揺れている。空気は肺が潰れそうなくらいに張りつめ、暗雲を呼ぶ。

 イシュタルがはっと気づくと、眼前には白銀の大鎌が迫っていた。


(――こやつ、動きが……!!)

 先ほどとは比べ物にならない動きを見せるヴィンセントに、イシュタルが翻弄される。
 紅い血の瞳は鎌の刃よりも鋭く、放つ気は怒りに満ちあふれて空間すら呼応させていた。

「……ぐ、ぅ……!!」

「返せよ。俺の娘――たった一人の!!」

 最期までひどい言葉をかけた両親を案じて逝った、優しい娘。
 孤独を解ってやれなかった。
 なぜニューヨークであんなひどい言葉をかけた――自身の狭量に吐き気がする。
 紅い眼が狂気に変わる瞬間、イシュタルの身体を貫いた刃があった。

「……え……?」

 戦女神が戸惑う刹那、大鎌でイシュタルの首を斬り飛ばす。
 死神は神格保持者を殺せない。
 首を飛ばされても動くイシュタルに、黄金の羽根が雨のように降り注いだ。

 ――リリィだ。

 ユーリを抱いたまま、彼女も怒りを『神殺し』の右手に憎しみを乗せて黄金の翼を広げていた。
 あ、とイシュタルは口を開いて砂人形に代わり、崩れ落ちた。
 イシュタルの中心を貫いていた、ユーリの脇差は砂になったイシュタルの上に乗っている。

「……主人がいなくても、動くのか……?」

 血に濡れた脇差は、泣いているようにぽたぽたと血で刀身を濡らす。

「その刃には私の羽根が埋め込んであるから……私に呼応しただけ、だと思う……」

 ヴィンセントは脇差を手にしたまま、ユーリの傍らに座り込んだ。
 愛した女と同じ顔の一人娘の返事は、やはりない。
  綺麗な白い肌は無残にも赤黒く焼け爛れ、海よりも深い青い瞳は二度と開かない。

「……雪のところに、帰るんだろ? ……頼む、ユーリ……起きろよ」

 ヴィンセントの声が震える。胡坐をかいたまま、顔を押さえてれば指の間から雫が落ちる。
 瞼の裏のユーリは戸惑う表情のまま。

 ――娘が笑顔を向けてくれたのは、いつが最後だったか。


to be continued...
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